第24話 図書館の謎
あの本がなかった。
それどころではない。書架の一段を埋め尽くしていたメレンブル地方農村における調査記録全五十巻全部がなくなっていた。
書架を間違えたのかと思った。
隣や、裏の書架をのぞき込んで探しまくったが、メレンブル地方農村における調査記録は見つからなかった。代わりに農業振興に関する別な本が並んでいた。まるで、ずっと昔からそこにあったかのように。
私は冷や汗をかいて、図書館に立ち尽くした。
そんなことって、あるんだろうか。
何回探しても見つからない。
毎日、同じ場所に通っていたのだ。場所を間違えるなんてありえない。他の本は同じ場所に同じ顔をして、存在している。なのに、あの本だけが、あれだけの量の本が全部なくなってしまうだなんて、変だ。おかしすぎる。それに……
心のどこかで期待していたのだろう。
『なんで会わないなんて言うんだよ?』
とか乱暴な字で書いているジルのピンクの紙を。
本ごとなくなってしまうだなんて、どういうことなんだろう?
私は図書館の管理人のところへ走って行った。毎日来て本を読み漁っているので、顔見知りになっていたが、向こうは私のことは、あまり快く思っていなかったらしく、図書の貸し借りの時以外話したことがなかった。
「あ、あの、メレンブル地方農村における調査記録第38巻なんですけど」
私は聞いた。
「なくなってるんですけれど……」
彼女は背の高い、やせて、鋭い目つきの中年の尼僧だった。
ゆっくりと台帳を取り出し書架の名前を聞いた。
「どこの書架の話ですか? 本の名前は?」
「Eの3です。メレンブル地方農村における調査記録第38巻」
静かにページをめくっていたが、彼女は答えた。
「……そんな本、元々ありませんよ」
え?
私は尼僧の顔を見た。
「嘘……」
「嘘じゃありませんよ」
尼僧はゆっくりと言った。怒っているらしい。
「人を嘘つき呼ばわりしてはいけません。令嬢のくせにバタバタと走って来たかと思ったら。もう少し、静かにするように。必要以上に長く図書館にいないように」
「その本は……じゃあ、どうして今まで」
「最初からないと言っているでしょう。あなたはおかしいのですか?」
取りつくしまもなかった。
「そんな……」
ジル!
本当にもう会えないのか。
私は言葉をなくして、とぼとぼと寮の自室に戻った。
ジュディスにも、アリスにもメアリにも誰にも、このおかしな出来事は話せなかった。
だが、私はよほど落ち込んで見えたらしい。
メアリがこっそり両親に連絡を入れたらしく、しばらく学園を休んで自宅で療養したらどうかと両親が伝えてきた。
私は首を振った。
試験が近付いてきているからと帰らないと言った。自邸にも学園にも、ジルはいないのだ。
ほかに取り柄のない私は勉強に励んだ。やる事がなかったから。
恋人はいない。友達はいなくなった。本はあっても、ジルがいない図書館は寂しすぎた。
そのおかげで、試験が終わった時は結構な好成績だった。
「男だったらねえ」
ジュディスは無神経に批判した。
「これだけ勉強が出来たら、文官になれるとこだけど。名門伯爵家の令嬢では、成績は関係ないわよね」
試験が終われば一週間の休暇に入る。家が遠いものは自宅に戻らず、寮住まいのまま試験が終わった解放感にあふれて王都で遊び暮らすし、成績の悪かった者は補習を受けさせられた。
私は実家に帰ることにした。
今度来るときはダンスパーティで、それが終われば長期休暇になる。
どうでもいいダンス用のドレスも出来上がっているはずだ。
「明日朝には、伯爵邸へお帰りになるための馬車が参ります。お嬢様、少しお痩せになったのでは?」
「そうかしら?」
面倒な。ドレスを詰めないといけないかもしれない。
「たまには食堂で温かいものをお召し上がりください。お家の食事程ではないでしょうが、かなり贅沢な食事が出ると聞いています。ここまで運んでいるうちに冷めてしまっておいしくないでしょうし」
メアリに逆らうのは面倒なので、私は食堂に向かった。生徒の半分は寮を出て、自宅に帰るか、街でカフェを楽しんだり、王都ならではの土産物が買える店に出かけたりしているはずで、さしもの食堂もこの時期は人も少ないはずだった。
好きなものを頼めと言われても、食欲があるわけではない。
簡単なスープと肉は少しだけ、あとは果物とパンをひとつ二つ、それにコーヒーをもらった。
コーヒーを頼むと、アリスはコーヒーはよくありませんと止めに入るし、メアリは怒るのだ。色が黒くなると彼女たちは言うのだが、根拠はないと思う。今朝は誰もいないから誰も怒らない。人影はまばらだ。
がらんどうに近い食堂で、私はぼんやりしていた。
これだけ人がいなかったら逆にゆっくりできる。私は何も考えていなかった。
図書館の書架から、ごっそり本がなくなっているのに、司書をはじめ誰一人不思議がらないだなんて、自分がおかしいのだろうか。
誰にも聞けないし、一緒にあの本を見た人もいない。
それにジル……
本の中の私の親友はどこへ行ってしまったのだろう。
知らない方がいいと判断したけど、私はジルが好きだった。ジルが女の子だったら、ずっと友達でいられたのに。
いっそアンドレア嬢みたいに恋人にしてくださいって、食い付いた方が良かったのだろうか?
でも、ジルはある女の子のことがとっても好きだって言っていた。
きっと私なんか相手にしてもらえなくて、泣くだけで終わる。始まる前から失恋だよね。
その時、私は背後から忍び寄る人影に気付いていなかった。
「フロウ……」
静かに呼ぶ声に、私はびっくりした。
私をフロウと呼ぶ人は、たった一人しかいない。
一瞬固まって、ゆっくりと振り返ると、青地に金の縫い取りのある豪華なジャケットが目に入った。
思わず顔を見た。
それは……エクスター殿下だった。
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