第26話 ジル2

最初から?


「どういう事なの?」


ジルは肩をすぼめ、私の目を見て首を傾げ、口の端を釣り上げて笑ってみせた。


「すまない。一方的な好意を押し付けてしまって……」


「それ、答えになってないわ! 私、最初はジルは女の子だと思ってたのよ。だから、男の子ってわかってちょっとショックだった」


「最初からだよ。最初から女の子だってわかってた」


私がまだ不審そうな顔をしていたのが分かったのだろう、ジルはさらに言った。


「メレンブル地方農村における調査記録第38巻なんて本、最初から図書館にはなかったんだ」


「なかった?」


私は繰り返した。

どうして私があの本を読んでたことをエクスター殿下が知っているんだろう?

あ、ジルだからか。


「そんなことないわ! だって、あれ、五十巻もあるのよ! 私が図書館に最初に行った時から、書架一段全部をあのシリーズが占めていたわ」


すまなそうにジルは笑った。



「違うよ。入学してすぐに君は図書館に入り浸りになってたよね?」


私はうなずいた。


「そして、一度、図書館の司書に、その本のシリーズがないか聞いたことがあったはずだ」


私は思い出した。それは入学直後の話で、すっかり忘れていた。メレンブル地方農村における調査記録は、歴史の教科書の中の参照資料に名前が出ていた希少本の名前だった。学園の図書館にならあるかと思って聞いてみたのだ。


「答えは、持ち出し禁止か閲覧禁止でよくわからないと言われたはずだ」


「そうよ。持ち出し禁止のエリアにあったのだもの」


なぜ、ジルがそんなことを知っているのだろう?


「僕は、気になってた女の子が、いつも図書館の同じ窓にいることに気が付いていた」


ジルは渋々と言った様子で話し始めた。


「彼女がどんな本を読んだのか知りたかった。彼女が興味を持つことすべてが知りたかった。エクスター公子と言う身分は便利だ。ちょっと質問さえすれば、僕は聞くことが出来た」


気まずい沈黙。あっけにとられた私はジルの言葉の続きを聞いているしかなかった。


「女の子がそんな本に興味を持つだなんて意外だった。でも、余計に興味をそそられた」


「えっ?」


「図書館に命じて、本来は閲覧禁止だったその本を彼女の目の届きそうなところに並べさせた。メレンブル地方農村における調査記録全五十巻」


まったく知らなかった。私は黙って、ただただジルの顔を見つめるだけだった。


「そのうち君は、38巻が特に気に入ったらしくて、貸し出しを申し込んだ。そして、すげなく断られた」


「ええ。そう。ダメだって怒られたわ。断ればいいだけじゃないの。どうしてあの司書は、あんな言い方なの?」


「だから、僕は、38巻に狙いをつけた。女の子が気が付きやすいように、手紙はピンク色の紙に書いた」


私は彼の言葉を呆然として聞いていた。

お茶がどんどん冷めてゆく。


「君に話しかけたけど、相手にしてもらえなかったから……」


「そ、それは……エクスター殿下は近寄り難くて……」


「君はちっともなびかなかった。エクスター家の公子から声がかかれば、誰だってイエス一択のはずなのに」


ジルはいかにも残念そうだった。


「君がとてもキレイな顔立ちだということは入学式の時からわかってた。全員、制服だったからね」


それか! 全員制服なので、判断基準が顔だけだったのか。


「僕を卑怯者とは呼ばないでくれ。一度話しかけたよね? 正攻法で玉砕したんだ。他の手段を考えなくちゃいけなかった。君は本が好きだった」


ジルは私と違って引きこもりなんかじゃなかった。強力な実行力の持ち主だった。


「本の中で話をした。いっぱい書いた。返事が来た。嬉しかった」


私は……全然知らなかった。


「外見と違って、彼女は才気があって、返事を読んでいて楽しかった。俺の皮肉も冗談も面白がってくれて、学校ではいつでも貴公子然としていなくちゃいけなかった僕は、自由になれて楽しかった。ずっと一緒にいたくなった。実際に会いたいと思った。会って話したいと。もっと長く」


ジルが椅子から立ち上がって、一歩近づいた。


「でも、この少女は、俺のステイタスに反応してくれない。理想の結婚相手とされているのに、全く無視だ。そのうち、訳の分からない貧乏貴族の三男坊とかと、話が面白いからとか言う理由だけで結婚しちゃうかもしれない。そんな子だった」


どういうわけか、思わず深くうなずいた。やるかもしれない。話が面白い場合限定だけれど。


「それなのに、君は会えないと言ってきた。僕は一週間待ち続けた。何度も文章を変えて。でも、返事はあれきり来なかった。どうしてなの? ジルのことは好きだったでしょ?」


彼は目の前に来ていた。床に膝をついて、座っている私と同じ高さに彼の顔はあった。


「それとも嫌いだった?」


激しく首を振った。でも、このジルはジルだけど、ジルじゃない。エクスター殿下だ。


「僕は好きだ。君の手紙の返事は才気があって、でも、判断は慎重で平等だった。その裏には賢明さがほの見える。ダンスパーティの相手にはジルを選んでくれないかな?」

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