ときどきの手紙と胸中に溢れる感情について

堺栄路/明石しのぶ

ときどきの手紙と胸中に溢れる感情について

 最初こそ、身が焼ける程に待った。一日中気が気じゃなくて、他のことをしていたって、気がつくとスマホに手が伸びた。小さな針で心臓を刺されているような気分だった。ぶるる、とスマホのモーター音が鼓膜を震わせるたびに、僕の手は弧を描いた。表示された通知は、ゲームアプリの更新情報だったり、ニュースアプリの定時通知だったリした。普段は嬉しいSNSの通知にすらがっかりさせられる。何気なく投稿したつぶやきが共感を得られたとしても、心は踊る素振りすら見せなかった。なかなかに身勝手だと自分でも思うけれど、心の動きなんてものは制御できるものではなくて、波のように迫る感情には、ただ耐えることしかできないというのが、十八年ほど生きて僕が身につけた数少ない教訓の一つだ。

 そうして耐え切るうちに、感情の波は小さく、少しずつ小さくなっていく。人間は環境に適応できる生き物であり、僕も一般的な人間の尺度に収まるものであるようだ。気づけば待つ事が日常となり、スマホの通知に驚くことが少なくなっていった。しかし、彼女からの返信が来ることが嬉しくなくなったかと云えば全くそんな事はなく、通知に気づいた瞬間、手足にエネルギーが満ちて、思わず飛び跳ねたくなる。講義の最中でもお構いなしなもんで、側から見れば居眠り中に体を震わせた、そんな風に見えたかもしれない。自制とはかくも難しいものなり。

 といった風のことを滔々と語って聞かせたところ、数少ない友人であるところの東家一平は口をへの字に曲げるのであった。

「寝ていた方がマシだな」

 確かにその通りであると思った。講義中に寝るという行為は、講義を聞かねばならぬという義務感と睡眠欲求が火花を散らした結果生まれるものである。そこには少なからず、真面目に机に向かう意思がある。ところがボクはどうだ、スマホを片手に授業を聞いていたのだ。そこに講義への義務感はない。講義など、ただのラジオと同義に捉えているといっても過言ではない。カリキュラムを頭から読み直せと云われてしまうだろう(そもそも一ページもめくった記憶がないが)。

「だけどね一平。講義というものが、彼女以上の存在であるとは僕は到底思えないんだよ」

「親の金をもっと大事に思え。金は愛だぞ」

「なるほどそうかもしれない」

「お前のなるほどは、頭に“君の場合は“と入るような気がしてならんな」

 おや、鋭いところをつく。僕としては一平の話に対して百パーセントその通りだと思って答えているのだが、どうやらそれは上辺だけと思われているらしい。僕はその言葉に、一種の感銘のようなものを受けたが、一平はそういった心の機微までは汲んでくれない。まあ求めるのも無理な話だが。

「そうかもしれない」

「またか」

「僕は本心で云っているつもりだよ。一平。君の意見は常に正しい。まさに正道ともいうべきもので、まっすぐ歩いているつもりで邪道へ曲がってしまう僕にはひどく眩しく映るものばかりだ。是非そのままの君で居てくれ」

「気持ち悪い」

「これが思ったことをそのままに伝えているだけだから、始末に負えない」

「それを自分で云っちまうのが、一番悪いわ。俺は帰るぞ」

「おや、学食にも行かないのかい」

「今日はバイトなんでな。じゃあな」

 そうして一平は風の如く去っていく。

 去ってから、僕は一平が、僕の話を聞くために学食に行く時間を潰してくれたのだと気づいた。ありがたさと申し訳なさで胸の奥が熱く、また少し痛んだ。やはりいい男だ。彼がもし女子ならば、彼女ではなく一平を選んでいたかもしれない。

 ……そうして彼女の姿を思い浮かべる。

 いや、やはり彼女は以上の存在はあり得ないな。うん。だめだ。すまない一平。「気持ち悪りぃ」と笑う一平の姿を幻視した。

 僕はスマホを開く。そこには彼女からのメッセージが届いている。その通知に書かれた名前を見るだけで、頬が熱くなるのを感じた。メッセージというのは素晴らしい。この通知は、僕に対して彼女が時間を取ってくれた何よりの証拠だ。もしかすると数分に過ぎないかもしれない。あるいは何十分もかけて言葉を選んだのかもしれない。どっちにしろ、その時間だけは、僕を見てくれたという事に他ならない。彼女は何を考えて言葉を選んだのだろう。この絵文字は何の意図があるのだろう。言葉には無意識な癖や感情が出る。そこには生の感情がある。

 僕は息を思い切り吸い込んだ。ああ、甘い。空気が甘く、肺に送り込まれた空気が、僕の体を暖かく満たしていくのがわかる。もちろんただの錯覚なのだが、実際にそう感じるのであれば、それは現実と毛ほどの違いはないだろう。呼吸を数度繰り返すうちに、心は踊り疲れたのか飽きたのか、少しばかり落ち着きを見せた。

 さて、僕も行かなくては。講義はもう終わりだし、基本昼飯を抜くスタンスだ。一平が行かないならば学食に用事はない。帰ろう。さっさと帰って、美味いコーヒーを入れて、それからメッセージの中身を確認しよう。

 世間一般では通知が来たらすぐ返信をしろという。

 僕とて最初は従った、鵜呑みにした。その結果、闇雲に体力をすり減らした。

 メッセージというのは相手のことを考えることだ。手紙を書くのと同じである。スマホを握り、指先を滑らす間、僕たちは相手のことだけを思い、相手にどう思われたいか、どう感じて欲しいかを考えながら文章を打つ。手紙のように何枚綴のものを送るわけにもいかないので、より短い文章で相手に意図を伝え切らねばならない。センテンスを区切り、平仮名・片仮名・漢字を的確に使い分けて柔らかい文章にしながらも、わかりやすい言い回しで、それでいて簡潔に物事を伝える必要がある。短さと平易さは同居せず、結局どこかで折り合いをつける必要が出てくる。その折り合いを見つけるために、何度も、何度も文章を書き直す事になる。本当にいいのか? 誤解されやしないか。そんな答えの出ない堂々巡りに手足を掬われて、その度に頭を振って脱出する。タールの沼を進むが如きその行いは、いくら楽しい時間とはいえ、精神的な負担が大きく、たかが三行程度のメッセージを送るだけでも、僕の心はヘトヘトに疲れ切ってしまう。そんな行事を毎日行うなど難しいを通り越して困難を極める作業であると断言していいだろう。これに気づいてから、僕の心は幾分か楽になった。彼女からの返信を今かいまかと待ち構える事は減り、自分の中に折り合いが付くようになった。無理なペースでメッセージを送る必要などない。

 ──彼女が僕にどういった感情を向けているのかは、正確なところは預かり知らぬところだ。尋ねたところで、きっと恥ずかしいからと、まともに答えちゃくれまい。わかっていることは、僕にとって彼女のペースがとても心地良いものであったことだ。脊髄反射のようなメッセージが一日に何遍も飛んでくるわけではなく、一日か二日に一度、吟味された言葉が返ってくる。僕はそれに時間をかけて出来る限りの思いを使って文章を綴り、返す。

 彼女との波長が合っているのかもしれない。その可能性があるだけで、僕はとても嬉しくなるのだ。 

 一歩を踏み出す。今度はどんなメッセージを返そうか。彼女はそこに、僕の心のうちを感じ取ってくれるだろうか。

 考えるだけで、感情が膨れ上がっていくのを感じた。

 世界で最も難しいミッションに挑みながらも、僕の心は今、喜びに満ち溢れているのだ。


(了)

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