第百二十一話 破綻の足音



 ランドルフには日の出前から鍛錬をする日課があるため、出撃の命令が下ったときにはもう、臨戦態勢だった。


 彼は朱い柄の槍を持ち、特注の鎧を着込んだ状態で伝令を迎えたため、誰よりも早く出撃準備を終わらせている。


 片や副官のベルモンドは就寝中だったが、彼は戦場に憧れるあまりに、侯爵家当主の座を捨てたほどの酔狂者だ。

 最前線は望むところだと士気は高く、こちらも最速で出陣の用意を整えている。


 しかし大隊規模の軍勢を送ろうとしても、領都で徴兵をかけても参集は間に合わない。


 そのため進軍経路上にある村や町に向けた早馬を出し、戦力を補充しながら救援に向かう方法が採られた。


「マリウス、報告を開始してくれ」


 ここまでの作業を直接指揮で終わらせたクレインは、マリウスとブリュンヒルデを横に置き、早朝から軍議を開く。

 緊急ではあるが幸いにして人材が揃っているため、軍議の準備そのものに問題はなかった。


「アースガルド領北東部に、ヴァナルガンド伯爵軍と思しき騎兵が出現しました」


 それだけは半ば確定しているが、情報に乏しく、詳細な対応を協議できるほどの材料はない。


 現時点では何もかも推測に過ぎないため、クレインとしては「襲撃されている」という共通認識が取れればいいと考えていた。


「ふむ、まあ山越えでしょうな」

「それは間違いなさそうだが、どの地点から越えたのだろうか?」


 実際に山越えをしたピーターからすると、中央部と東部を分かつ山脈は、登山に向いているとは言い難い。

 武具と当座の食糧を抱えながら、馬でやって来られる地点は限定的だ。


 ピーター隊の行動から雪中行軍という要素を抜いたところで、軍勢が通行できそうな道は、少なくともアースガルド領の周辺には無かった。


 そのためハンスが口にした、どこから現れたのかという疑問についても、逆説的にある程度の目星が付けられる。


「ヘルメス商会長が不運な事故に遭った……と、噂されている近辺。若しくはそれよりも北寄りでしょうかね」

「ああ、あのへんか。馬車で進めるくらいだから、騎兵でも通れるわな」


 山越えで東に逃れようとしたヘルメスは、ラグナ侯爵領とアースガルド領の、中間地点を縫うような進路を取っていた。


 実際に山賊行為を働いたグレアムからすると、その山道からであれば、十分に通り抜け可能という印象ではある。


 山狩りは機密であるため深くは話し込まないが、ともあれ敵軍の出現位置としては、北侯勢力圏との境目という判断に落ち着いた。


「例の、金で転んだ領主のところか……」

「可能性はありそうです」


 くだんの領主は法に触れることを何もしていないため、現在でも変わらずに領地を治めているが、金銭と引き換えにしてヘルメスの逃亡を黙認していた。


 寄親であるラグナ侯爵家が、ジャン・ヘルメスの身柄を探していたにもかかわらず、密行を援助していたのだ。


 クレインとマリウスは小声でやり取りをしたが、その領主が今回も金で転び、軍勢を手引きした可能性は高いと見ていた。


「排除するのも、俺たちの仕事になるのかな」

事実確認・・・・をいたしますか?」

「あとでブリュンヒルデとも相談しよう」


 ブリュンヒルデはアレス救出のために長期離脱していたが、密偵となれば彼女の本職だろう。そう考えたクレインは暫し考える。


 領地を発展させる上では、現場仕事よりも政務の方が重要視されるため、護衛を兼ねた秘書として活用する方が確実ではあった。


 その上で、今回の人生を情報収集のために使うとなれば、欲しいのは政策の円滑さよりも、周辺地域の詳細情報だ。


 現地で指揮官をさせるのも一つの手か。彼はそう結論付けて、会議の様子を見守る。


「続報が入りました。敵は捕虜を奪還し、戦力を増やしながら西進しているようです」

「……やはりそうなるか」


 年初の戦争で捕らえた将兵のうち、交渉に使えない人間だけは解放した。しかし武官の大半は、領地の北部に留め置いたままだ。


 この点に関して、数十分から数時間ごとに舞い込んでくる報告を見れば、留置所を狙い撃ちにされている印象がある。


 つまり内情が敵に漏れているのだろうと思い、クレインは下座に座る数名の武官を見た。


「そろそろ対処を考えるべきかな」

「よき頃合いかと存じます」


 呟きにはブリュンヒルデが反応した。これは要するに、敵との内通が確実視されている裏切り者を、始末する時期がきたということだ。


 アレスを王都から逃がす際には、離反者の存在を前提にした攪乱作戦が打たれていたが、それは使いどころがあるからと泳がせていたに過ぎない。


 中央の大掃除が一段落の兆しを見せていたため、それと合わせてアースガルド領内の不穏分子を、ある程度減らしておこうという考えにもなった。


「人間関係は把握しているのか?」

「調べはついております」

「分かった、それも後ほど話そう」


 だが、彼らに接触した人間を芋づる式に釣り上げるという作戦には、あまり期待できそうにない。閑職に追いやっていたため、敢えて接触を試みる人間など皆無だったからだ。


「まあ、何につけても情報だよな……」


 戦前には隠し持っていた食糧の位置を知られており、戦後でも捕虜の収監位置を大筋で把握されているのだから、東侯と東伯が独自に密偵を送り込んでいたという予想は、既に確信に変わっている。


 しかし人口が急増したアースガルド領では、人の出入りが激しいため内偵が難しく、関所で完璧に封じることもできない。潜んでいる間者の、全てを炙り出すことなどできないだろう。


 それでもある程度の改善をするべきだと考えながら、クレインは次善策に思案を巡らせた。





    ◇





 春から建築を始めていた新館は、既に機能している。しかし未完成の場所も多く、軍議のために広間を使う関係もあり、日中のクレインは旧館に詰めていた。


 現状でできる全ての指示を終えた彼は、一朝有事いっちょうゆうじの際にはすぐに動けるようにと、以前まで使用していた旧館の自室に戻る。


「急に動員してすまない」

「いえいえ。寝酒ができない以外には、何の問題もありません」


 緊急時にはどさくさ紛れの暗殺が起こりやすいかと思い、クレインは地元出身の衛兵たちで身を固めた。

 寝室の前で歩哨をする衛兵たちの顔を見渡してから、彼は何の気なしに声をかける。


「ええと、モーリッツとアントンはいつも通りとして……ルーカスとフェリックスもよろしく頼むよ」


 前者はハンスが衛兵隊長になる前からの古株であり、屋敷への出入りもしていた。

 後者はまだ若いため、衛兵隊入りしたのは最近のことだ。


 雇用歴が浅い人間に信用を置けるか否かだが、クレインは本来の人生でも家臣にしていた人間を、それほど疑ってはいない。

 むしろ微妙な経歴の外様よりは信頼できるため、組織の拡大に重宝していたほどだ。


 そこへいくと今日の夜番である若手の二人は、クレインが時間遡行の力を手に入れる前であっても、この時期には兵士をしていた者たちだった。


「お任せください」

「ばっちり見張っておきますから」

「ああ、期待している」


 何せ、今でこそ暗殺や諜報を警戒せねばならないが、本来であれば進軍のついでに潰せる程度の規模だったのだ。


 人材の採用は基本的に紹介でもあったため、破壊工作や内情偵察の任務を帯びた密偵が、わざわざ地元の名士などを迂回して、零細領地に送り込まれてくるとは思っていなかった。


「じゃあ、何かあれば起こしてくれ」


 軽い労いを終えたクレインは、すっかり暗くなった外を見て欠伸を一つ。


 日の出から日の入りまで会議を続けたとあって、疲れた表情のままベッドに向かうと、上着を投げ捨てて仰向けに寝転んだ。


「……やるべきことは、全部やったはずだ」


 軍議で交わされた分析によると、敵軍はアースガルド家に向かう使節団の情報を仕入れた段階で、既に山脈の西側――中央部に入り込んでいた可能性が高い。


 又は山頂から反対側のふもとまでの間に、即応部隊を用意していたという見立てになった。


 しかしその実情がどうであれ、クレインが具体的な対処法を考えるのは、北東部の詳細を知ってからになる。


「ともあれ敵軍の処理は、先発のランドルフ隊と次発のピーター隊で何とかなるな。砦の跡地にはグレアムたちを向かわせたし、増援の手配も終わった」


 敵方の戦力は、もともとが1500人程度と推測されている。そのため捕虜を解放した増加分を含めても、2000人には届かない規模だ。


 ラグナ侯爵家の精鋭随行兵と、ランドルフ隊が合流して近くの村に立て籠もれば、防衛は容易い。

 現地の領民も戦力に数えられるため、ヴィクターの戦死は防げると目されていた。


「防戦の目途は立ったけど、問題はそこじゃないか」


 救援に失敗したところで、時を戻せば解決できるのだ。領地を荒らされることへの懸念も同様なので、もとよりクレインに不安はない。


 彼が考えるべきは、会談の席で裏切り者を告発できるだけの、証拠集めに関することだけだった。


「怪しい領主のところには、ブリュンヒルデを指揮官にした調査隊を向かわせた……か。まあ前科がある分だけ、話は通りやすいだろうけど」


 新しく組んだ同盟相手からの進言で、あっさりと寄子を切るようなことになれば、ラグナ侯爵家の威信が揺らぎかねないという見方もある。


 侯爵家の家中に納得してもらうためにも、先方が発見できなかった不届き者を、代わりに見つけ出したという論調が必要になるのだ。


「ブリュンヒルデ単独でも遂行できそうな任務に、密偵部隊の主力まで付けたんだ。証拠は見つかるだろうとして、北侯にどう話すか」


 日中には既に出発しているが、ブリュンヒルデに付けて送り出した人員は、裏方のエース級ばかりだ。

 成功は疑っていないまでも、クレインは溜息を吐いて天井を見上げる。


「……だから、どうして俺がラグナ侯爵家の内情にまで、気を揉むことになるんだよ」


 交渉を成功させるためとは言え、クレインには時折、どうしてこんな作戦ばかり考えているのかが、分からなくなるときがある。


 やるべき仕事が広範なため、役割を見失っているというのが正しいか。兎にも角にも、彼は相変わらず問題が途切れないことに、げんなりとしていた。


「まあ手は打ったから、あとは飛び火に警戒するだけだ。マリーとアスティの護衛も増やすように言っておいたし、市中の治安維持はハンスとオズマに任せればいいし……」


 派遣されてきた敵軍を山脈の出口で迎撃すれば、領内の混乱や火事場泥棒の増加などは、未然に防げる問題ともなる。


 しかし数日後か、数週間後か。情報を集め終わった段階での自害は確定だ。

 今回の人生はまるで茶番だと思いながら、彼の意識はまどろんでいった。





    ◇





 その数時間後。まだ月が夜空に浮かぶ時間帯に、クレインは激しい物音で目を覚ます。


 目覚めた理由は音だが、意識が覚醒した理由は感触だ。

 彼は頬にかかった生暖かい液体を拭い、瞼を開けた。


 ――手の平に付着したのは、誰かの血液だった。


 それに気づいたクレインが顔を上げると、既に衛兵のうち二人が致命傷を負っている。一人はドアの横に崩れ落ち、もう一人は寝室の中央で血だまりに沈んでいた。


 そして部屋の入口には、剣を抜いたばかりのマリウスがいる。


「これは、何が――」


 マリウスはいつでも冷静沈着で、怜悧れいりな男だ。


 もう少し気軽に接してほしいという要望を告げてからは、たまに笑顔を見せるようになった。とは言え普段の彼には、硬い表情が目立つ。


 クレインがそんな人物像を思い浮かべるのと同時。


 寝室の中央で剣を構えた若手の歩哨に向けて、上段からマリウスの剣が振るわれた。


「遺言を聞くつもりはない。貴様らの人生はここで終わりだ」


 頭上から降り注ぐ鮮血と共に、クレインは目を見開いた。

 殺意を剥き出しにしたマリウスは、最後の護衛に向けて剣を振るう。



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