第百二十話 恩師と急報



 会談を終えた後、クレインはビクトールの庵を訪れた。


 閑静な庵の表には荷馬車が5台も待機しており、周囲に散らばる武官たちの姿と相まって、随分と仰々しい風景になっている。


 意図せずして起きた、中央行きを納得してもらうための話し合いをする予定だったが、クレインが訪れたときには既に荷造りが終わっていたのだ。


「ああ、こちらにも話は伝わっているよ。人が大勢付いたし、順調すぎるほど順調さ」


 帯同するラグナ侯爵家の武官たちは黙々と荷運びを手伝っているが、そこには誰かによる、一刻でも早く仕事を始めさせたい意図が見えた。


 そこは苦笑いをしながら流して、クレインは話を続ける。


「こちらからも信頼できる人間を選びました。自由に動かしながら、鍛えてやってください」

「有望株が多そうだから、できる限りそうしてあげたいね」


 ビクトールの身の回りで世話をしていれば、何かを吸収して育つはずだ。人選は性格と性質を重視したので、任務が終わって帰還すれば戦力向上を図れるだろう、という目論見もある。


 それは将来的な話として、今は眼前に広がっている大荷物を確認して、クレインは尋ねた。


「しかし……趣味の道具まで残らず持っていくんですね」

「ああ、向こうでも続けようと思って。まあ土が違えば品も変わるだろうから、楽しんでみるよ」


 釜を除く焼き物の道具や、絵画の道具も中央に持ち込むと言うのだ。趣味が見つかって何よりだと思いながら搬出を眺めつつ、クレインは伸びをしたビクトールに言う。


「任期を終えたら、そのまま北に帰る予定ですか?」

「そうだね。こうなった以上は、やはり戻らないと」


 他領の重鎮を、当主に無許可で雇用していた。この構図を思い浮かべたクレインが、定住を勧められるはずがない。

 当人が中央行きを承諾していることもあり、黙って見送ることにした。


「ここに居着いて、もう随分になる。思えば長居をしたものだよ」


 ビクトールがやってきたのは、王国暦500年の夏だ。王国暦502年の夏になってもまだ滞在しているのだから、彼は2年ほどアースガルド領に住んでいた。


 今となってはもう、第二の故郷と呼んでもいいほど住み慣れた土地を見渡して、肌で風を感じながら、ビクトールは言う。


「ここは本当にいいところだった。山間なのに気候が穏やかだし、住んでいる人たちも親切だし、気が向けばいつでも、川や山で散策を楽しむことができる。少し気分を変えたければ温泉に入ることもできたしね」

「ラグナ侯爵領にも、似たような土地はあるのでは?」

「いや、僕が住んでいたところには、ないものばかりだったよ」


 郷土愛が強いクレインとしては、その言葉に悪い気はしない。

 そしてビクトールも、自分のために建てられた別荘を改めて見やる。


「ハンス君にも相談はしたけれど、素案はクレイン君のものだったね?」

「ええ、そうです」

「僕の理想を聞きつけて、わざわざ建ててくれたというのだから、手放すのが惜しい気持ちもあるんだ」


 ビクトールはラグナ侯爵領の領都に住んでおり、特別な用事がない限りは、クレインも通っていた学び舎に詰めていた。


 彼の住居もそこにあるが、職場と自宅を兼ねた建物なので、リラックスしたり息抜きをしたりといった用途には、あまり適していなかったのだ。


「武官に武術を教えたり、文官に講座を開いたり……その辺りは北と変わらなかったけれど、ここまで自由に過ごせたのは初めてかもしれないな」


 ランドルフやグレアムといった、あまり学がない人間にも基礎から教え込んでいたため、特に平民出身の武官については、能力が大幅に底上げされたという側面もある。


 当初は、北部から連れてきた大量の若手を統率する、文字通りに「先生」の役割を期待していたのだが、蓋を開けてみれば教育や軍事提言、外交までを含めた多方面に渡り、アースガルド領に多大な貢献していた人物でもあった。


「暇になればのんびりと工芸品を作って、晴れた日は畑を耕して、雨の日には読書をして。楽しい日々だったよ」


 特別な相談がない日でも、クレインは時折ここを訪れて、気晴らしがてらに剣を振ったり、見識を深めるために問答をしたりと、一応門下生のようなことはしていた。


 そうでなくとも、彼の部下として働いていた時期が長いのだから、彼は旅立つ恩師に向けて別れの品を渡す。


「不自由ない生活が送れたようでよかったです。……餞別代わりにこちらをどうぞ」

「これは、通行証かな?」

「ええ、これがあれば、領内の関所を自由に通れますから」


 地位も権力も持ち合わせた人間が、仕事に嫌気が差して隠遁生活をしていた。そんな状況にあるとすれば、彼に対し金銭を送っても何にもならない。


 ならばとクレインが用意したものは、領内の全域で使える領主の免状だった。


「先生自身が使わなくてもいいです。もしも何かあれば、それを持たせて誰かを送ってください」

「……なるほどね。いざという時に使わせてもらおうか」


 ビクトール本人が狙われた場合は、いつでもアースガルド領に来ていいという意味であり、緊急時の伝令や、彼を頼ってきた人間を助けるための、手段としても持っていられる手札だ。


 そうそう起こり得ることではないが、アレスが王都から脱出した時のように、何らかの事情で狙われている人間を一時的にかくまったり、保護したりする必要があるときに、最速で通すための通行証でもあった。


「別荘は維持しておきますから、何か問題を起こされた際には滞在して構いませんよ」

「ははは、これは酷いな。僕が問題を起こす前提なのかい?」


 これについては、答えはイエスだった。クレインからすると、ビクトールは物腰に反して血の気が多いというか――武闘派だからだ。


 政治的なバランス感覚に優れているため、そうそう問題を引き起こすことはないだろうが、何かの弾みで予期せぬ大問題を引き起こしてしまった場合に、逃げ場の一つくらいはあってもいいだろう、という判断だった。


 しかしそれは言わぬが華だと思い、クレインは黙って、庭の端にある倉庫に向かう。


「折角ですから、最後に剣の稽古をお願いします」

「久しぶりだね。うん、やろうか」

 

 近頃では頻度こそ減ったが、クレインは学問だけでなく、基礎的な剣もビクトールに学んでいる。


 そして短い人生を繰り返すうちに、今ではクレインも、「それなりに武術を心得ている」程度の実力にはなった。筋力や体力は引き継げずとも、技量は次の人生に持ち越しできるからだ。


「まあ今生の別れでもなし。授業をする機会はもう無いかもしれないが……また会おう、クレイン君」

「そうですね。また、そのうちに」


 これからはまた身分が上がるので、何かがあったときの自衛手段は必要だ。しかし何もしなければ、剣の腕が錆びる一方になる。


 だからクレインは普段よりも真剣に、恐らく最後だと思いながら、剣の教えを受けた。





    ◇





 護衛として選出した人間と共に、ビクトールを王都に送った翌日。山裾の温泉街で休憩を挟んでいた、ラグナ侯爵家の一行も帰路についた。


 そんな折に、マリウスがクレインの寝室まで報告に上がる。


「クレイン様、至急のご報告がございます」


 しかし現在時刻は午前4時前であり、早朝と呼ぶにもまだ早い、深夜のことだ。夜番の衛兵と使用人以外は眠りこけている時間帯なのだから、クレインも多少驚きながら目を覚ました。


「い、急ぎの報告……? こんな時間にか」

「早急にご判断を仰ぎたく」


 マリウスには年齢に見合わないほどの職権を与えている。事務処理から危機管理までを独自の判断で行える実力と、決断力もある。


 その彼がわざわざ主君を叩き起こしたのだから、相当な用件だろうと思いながら、クレインは上体を起こした。


「それで、何があったって? まだ頭が回っていないから、分かりやすい報告を頼むよ」


 寝ぼけまなこを擦り、あくびをしてから聞く態勢を整えたクレインに、マリウスは早速の報告を始める。


「アースガルド領北東部……山脈沿いの、旧騎士爵領で問題が発生いたしました」

「あんな場所で、一体何が?」


 そこはヘイムダル男爵領を襲撃するために、ピーター率いる別動隊が出発した地点に近い。


 昨年の夏からハンスやランドルフ、マリウスらを派遣して道の整備をしていた他、不穏分子の摘発や住民の救済まで、必要なことは全て行っている。


 奇襲をかける際に情勢が不安定では、また何が理由で歴史が変わるかもわからないため、新規に獲得した領地の中でも、結構な気を遣って掃除をした場所だった。


「村を追われて逃散した民が、駐在所に駆けこんできたようです」

「ただの田舎町だし、山頂以外の警備はそれほど手厚くないからな。山賊でも――」

 

 仮に山賊が現れたのなら、現地の判断なり、マリウスの判断なりで緊急対応ができたはずだ。そもそもそういった事態が起きたときのために、武官や文官を現地に住まわせて、大使館のような駐在所を設けている。


 伝達までに半日以上もかかる、領地の中心部。クレインのところにまで緊急報告が上がった時点で、ただの賊が現れた程度では収まらないはずなのだ。


 そこに気づいた彼は言葉を止めて、まさかと、弾かれたように顔を上げた。にわかに不穏な気配になったが、それでもマリウスは冷静に報告を続ける。


「おびただしい数の軍勢に焼き討ちをされて、村が2つ滅びたそうです。襲撃者たちは皆一様に、騎兵だったとのこと」


 騎兵は維持費が高く、使い物になるまでの訓練期間も長い。

 多くの騎兵を有している勢力など、王国にそう多くはないのだ。


 報告者が一般人であるため、「おびただしい数」を割り引いて考える必要はあるが、その軍勢がどこから現れたものか、誰が送り込んだものかは――考えるまでもなかった。


「まさか、奴らが?」

「先方にも、隠す意図は無いようです」


 クレインは報告書を受け取ったが、この情勢で兵を向けてくるとすれば、東側の家しかあり得ない。

 その前提で話をするならば、指揮系統の頂点にいる男には、自ずと予想がついた。


「ヴァナルガンド伯爵軍が、領内に攻め込んで参りました」


 東伯の軍事的な統制が、完璧でなかった瞬間を見たことがない。だからこの襲撃が、一部の寄子の暴発であるはずがない。


 そう考えたクレインは、何故、この時期に、この場所に敵が出現したのかを順に考える。

 まずは動機の面から考えると――この挙兵で何がしたいのかも、すぐに思い浮かんだ。


「まずいな」


 領内を荒らし回られれば、相応の損害が出る。だからマリウスが緊急の報告を持ち込み、当主が号令を掛けるべきだと判断したことは、間違いではなかった。


 しかしこの事態は戦術行動ではなく、もう一段階上の、戦略構想を基に動いている。


「この軍勢の主目的は、領内の破壊じゃない」


 時間が巻き戻ることで消滅した、過ぎ去った歴史を知るクレインだけは――通常ではあり得ない可能性を、瞬時に思い浮かべることができた。


 彼はベッドから起き上がると、急ぎ足で寝室を出ながらマリウスに告げる。


「主だった武官をすぐに招集して、ランドルフに出撃の準備をさせてくれ。補佐にはベルモンドを付ける」

「北東方面はスルーズ商会が手薄なので、ブラギ商会に糧秣の準備を指示します」


 マリウスが想定したのは、大隊規模の先遣隊で襲撃者たちを足止めをしつつ、援軍となる本隊で片づけるプランだ。


 だが略奪が目的であれば、現地に到着するまでの間に、敵は撤退しているだろう。そして敵の動きが予見できないのだから、今すぐに出撃させるなど下策としか言えなかった。


 一定の戦果で満足して、素直に引き揚げればよし。少なくとも続報から進路を予想するか、斥候を出すべきだ――が、クレインが指示した派遣方向は、そもそも敵軍が現れた北東方面ではない。


「いや、スルーズ商会に手配を頼む。ランドルフ隊は北西に送る予定だから」

「北西、ですか?」


 マリウスは判断に口を挟まないが、疑問は呈する。

 どうしてその方向に主力を派遣するのかと言えば――


「敵軍の目標は、恐らく北侯の首だ」


 ヴィクターはまだアースガルド領内にいる。どの家の本拠地からも遠い復興中のエリアを進んでおり、護衛も精鋭とは言え少数だ。


 討つならば今が好機であり、彼さえ殺せば同盟は瓦解する。そうなれば決戦を待つまでもなく、王国側の体制は壊滅状態になるだろう。


 しかしそれは、敵対する領土を横断して突き進む、死出の旅となる。


「成功率の低い、全滅覚悟の戦いです。暗殺者を送るならまだしも、大戦を前にして戦力を使い捨てにするでしょうか?」

「するさ。成功すればそれで勝てるし、駄目なら死兵が領内を荒らせばいい」


 生きて帰る見込みがない、自殺に等しい命令を受け入れる軍隊など、歴史上でもそうそう見られるものではないのだ。

 マリウスにすら、忠臣と精兵を使い捨てにする作戦は、不合理に思えていた。


 だがクレインは知っている。その命令を完遂する狂気の軍隊こそが、東伯軍であると。


「あいつらに人間の尺度や、常識を期待すること自体が間違っていると思うんだよ」


 もちろん東伯軍にも東侯軍にも、その戦い方には前例がない。しかし唯一、クレインだけはその破滅的な行軍が実行された様を、直に見届けているのだ。


 だから彼は自分の推測が、中らずとも遠からずと見て、有事への対処を始める。


「俺も含めて、動ける人間は全員動かすつもりだ。ランドルフが希望する武官を大隊に詰め込んで、行軍を始めてから軍議に入る」

「……承知しました。非常事態を宣言した上で、急ぎ参集を掛けます」


 クレインは敵軍の侵入を未然に防ぐために、人生をやり直そうかと逡巡した。しかしここで敵の主戦力を削れば、大きな打撃を与えられる。


 敵は山脈を挟んだ向こう側にいるのだから、逆撃の機会を逃す手はなかった。


 そして予定されていない襲撃を前にしても、クレインにはまだ余裕がある。いざとなれば侵入口を塞いで、被害がないまま終戦できると見ているからだ。


「まずは情報収集だ。戦うしかないな」


 敵軍の出方を確かめるためにも、彼は起床して早々に、餓狼の軍と一戦交える覚悟を決めた。


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