第百十九話 同盟締結
「それでは三家で締結する、同盟案についての話を始めます」
クレインは平静を装って切り出したが、場の空気は異様なものだ。何せ応接室の上座に腰を下ろしている、ヴィクターからの覇気が凄まじい。
前日の話し合いによって負傷したヴィクターの機嫌は最悪であり、過去に王都で受けた威圧感とは別種の迫力を醸し出していた。
しかし一応、ビクトールの出奔に関する話はついたと言う。ならば触れるだけ藪蛇だと思い、クレインは南北の責任者を招いた秘密の会合を、予定通りに開催した。
「ふむ。今日は触りだけに留めおき、詳細はまた後日ではいかがですか?」
領内に駐在していた南伯の懐刀も呼び寄せたため、調印まで終わらせられる状態ではある。しかしこのまま進めていいものかと、彼らは顔を見合わせてから、気まずそうにヴィクターの顔を見た。
「……私も何かと、忙しい身でね。今日で確定させようと思っている」
「体調が優れないようでしたら、ご無理はせぬ方がよろしいかと存じますが」
「構わない。進めてくれ」
悪いのは体調ではなく機嫌だ。それは懐刀にも分かったが、進めろと言われた以上はこのままやるしかない。
一方のクレインも、いざとなれば今までに巻き起こした波乱のツケがてらに、懐刀を矢面に立たせるつもりで着席している。
何にせよ話し合いの好機ではあるため、クレインは咳払いをしてから再び始めた。
「それでは取り決めの内容を、順に確認します」
司会の役目に収ったクレインは、同盟に関する諸条件を確認していく。
だが根回しは事前に終わっていたため、その内容を改めて共有する程度のものだ。
「まずは当家がヨトゥン伯爵家と共同して、東側の勢力を抑えることをお約束します」
「……よろしい、続けたまえ」
「近隣の家が不穏な動きを見せた際にも牽制に入りますので、南方面はご安心ください」
ラグナ侯爵家が敵対している西侯も一大勢力だ。ヘルメス商会からの妨害を避けられたとは言え、難敵には違いない。
東が反乱を目論んでいることも伝わっているので、ここに関しては侯爵家としても、大いに受け入れられると確信した上での提案だった。
条件は過去と変わらないため、順当に行けば何ら問題ないはずだとクレインは思っている。
「結構。やはり悪い話ではないな」
対するラグナ侯爵家からすると、東西が敵対的な上に、北を見ても北伯の領地を挟んで隣国がある。お世辞にも友好的な関係とは言えず、紛争も度々起こっているため、侯爵家としては南側と同盟を組むしかない状況ではあった。
しかしヴィクターの機嫌が最悪であることが、どのように転ぶか。
それは未知数であるため、クレインは様子見をしながら言葉を続けた。
「南北へ続く街道の、整備計画も進めています。子爵領内では既に取り掛かっていますが、侯爵家側からも延伸をお願いしたく」
「寄子への指示は滞りなく済んだよ。こちらでも普請が始まるところだ」
あらゆる状況を考えた上で、この三家が結びつくのは必然だった。つまりこの話し合いは、手を組むか組まないかの交渉ではなく、手を組む前提で、どういう取り決めをするかが主題になっている。
だからラグナ侯爵家でも既に、連携に向けて動き出していた。
これはクレインとしても歓迎できる流れだった。
「伯爵領と子爵領の間では、既に商業用の道を整えていますからね。宿場を増やす程度で足りるとは思います」
「左様でございますな。規模を少しばかり大きくすれば、十分に対応可能かと」
ヨトゥン伯爵家とアースガルド家の間では、アストリの早期輿入れに伴い、商業的な関係が以前よりも強化されつつあった。道の整備もその延長線上のものだ。
領主不在の空白地帯はまだ手付かずだが、両家の領内に限れば、軍勢が通行できるくらいの道はできている。
そして中間地点の街道整備も、そう難しくはない。何故ならグレアムが作った山城を、ハンス率いる工兵隊が改築して、今では数千人が活動できる拠点になっているからだ。
「近場の山城を起点に整地していきましょう。ここに補給物資を備えておけば、援軍の行軍期間短縮にも期待が持てます」
「そうですな。武具についても予め運び込むか、現地に鍛冶屋を建てるのがよろしいかと存じます」
重量があり
貯蔵する物資を新規に買い上げれば経済が回るため、これも両者に利益がある共同作業だ。
「そうなれば、次は近隣への影響力を強めるのが上策と思うが?」
「ええ、経済的な繋がりから関係を築くつもりです」
いい位置に山城を確保したことで、経済圏内の結びつきを強めるための、交易拠点として活用する道も開けていた。
昨今では不景気が続いているため、新拠点への移民募集を皮切りにして、他領との交渉機会を持ち――そこから商売の話に発展させる心づもりだ。
周辺の領地が抱えきれない領民を吸収すれば、近隣の治安回復が見込めたり、安定経営の目途が立ったりという側面もある。
「しかし目下最大の問題は、あの街道が通る地域が……誰の所有物でもないという点です」
懸念があるとすれば、街道近くの山城は「クレインが勝手に建てたもの」という一点に尽きる。王国には未開発地域も多いが、そこは恩賞として与えるためにストックしてある土地なのだ。
空白地帯の真横を大々的に開発すれば、どこかから横槍が入る可能性はあった。
だがこの問題を解決する上で、最も頼れる人物がちょうど目の前にいる。
「そこで閣下には、中央での工作をお願いできませんか?」
「……事前の取り決めには、記載がなかった部分だね」
「ええ。以前は活用案がありませんでしたから」
ラグナ侯爵家は王家との距離が近いため、地方貴族にもかかわらず、宮中での発言力は最高峰に近い。それこそ宰相ですら遠慮が必要なほどだ。
宮中政治を任せるにこれ以上の適任もいないので、クレインは軽く提案をして様子を見ることにしたが、一方のヴィクターは少し考えてから真顔で言う。
「では当家の代表としてビクトールを送ろう。全権を与えて、街道まで含めた土地の権利を捥ぎ取ってきてもらう」
「あの、閣下?」
これは間違いなく当てつけだ。ビクトールが一番嫌がることを考えた結果だとは、クレインにはすぐに分かった。
元々は北に戻す算段だったのだから、中央への出向任務を振るのは、言うまでもなく私怨でしかないだろう。
しかし私怨ではあるが、現実的な最適解であるのが始末に負えなかった。
「先ほども触れたが、私は一昨年にヘルメス商会を潰してからというもの、多忙を極めているのだよ」
大商会が抜けた穴を埋めるために、ヴィクターにはかなりの仕事が舞い込んでいる。そこに西部との抗争激化、同盟の締結を始めとした外交。更には東部との戦闘まで視野に入ってきているのだ。
業務の分散先を求めているという言葉、それそのものに嘘偽りはなかった。そして業務量増加の原因がどこにあるかを考えれば、クレインも強く反対はできない。
「お話は理解しました」
「分かったなら命令するといい。今は君が上司なのだから」
ヴィクターからすれば、中央で時間を使うよりも、本拠地回りで経済や軍事の決裁をしている方が理にかなっている。
そして手が空いている人間を使うという意見は、一見してまっとうでもあった。
「王都へと赴き、陛下と宰相と、小うるさい中央貴族どもを黙らせて、その空白地帯をアースガルド領に全域加増させてこいと――そう命じてもらおうか」
「いえ、そこまで望んではいないのですが」
クレインが求めていたのは、あくまで砦の使用を黙認させることだ。
反乱を鎮圧すれば平穏が訪れるという前提で動いてはいるが、大き過ぎる権力を保っていれば、また別な争いに巻き込まれかねない。
だから彼からすると、2年間ほど使えればそれでよく、あとは「後任の貴族に利権を売っておしまい」という処理でも良かったのだ。
しかしヴィクターからすれば、何も良くはなかった。
「暫くは国内が荒れるだろうからね。ヨトゥン伯爵家とアースガルド子爵家の間に、凡愚が入り込む余地を残してはならないだろう。……君が戦った、あの小貴族たちのような」
「それはごもっともです」
誰が治めることになっても、表立って対立してくることは無いはずだ。彼らの同盟を敵に回せる勢力は皆無に等しい。
しかし法律の範囲内で関所を設けて、少しばかり高めの通行料を設定したり、そこで通過の時間が取られたりすれば、不利益でしかないのだ。
先だって戦いを仕掛けてきた小貴族のような、怖いもの知らずが赴任してくる可能性も十分にある。そのため彼の提案自体は、至極まともなものだった。
「君は殿下と近しいのだから、今後30年は無茶な命令が飛んでくるだろう。貰える時に貰っておくものだ」
「将来のためにも、力を蓄えておいた方が賢明……ということでしょうか?」
「その通り。これは先達からの忠告としておこうか」
宰相はクレインの将来に期待して、目を付けていたという話もあった。
そして今はアレスの無二の友という地位にいるのだから、仮に彼の治世が来て、国を揺るがす問題が発生すれば――その解決を手伝えと――アースガルド家にお鉢が回る可能性は十分にある。
現国王と親しいが故に、無茶な指示をされてきたヴィクターとしては、未来のクレインが自分と似た状況に置かれることは想像に難くないのだ。だからこの提案は、彼なりの親切でもあった。
「政治闘争は好まないので、できれば遠慮したいところですね」
「我々と盟約を結ぶ時点で、否応なくその場に立つ時が来るさ」
「……では開拓地の周辺を、南伯にお任せする案はいかがでしょうか?」
突然台頭した田舎子爵が破竹の勢いで出世していくとなれば、それを面白くないと思い
東側を倒すための力はいくらでも必要だが、戦後まで力を持ち続けるのはいかがなものかと思い、クレインは新しく整備する地域を明け渡す案を提唱した。
名門貴族のヨトゥン伯爵家が責任を持つのなら、食料問題で世話になっている領地の人間は何も言えなくなるだろう。
クレインはそれが最も丸い選択肢だと思ったが、しかし二人は揃って首を横に振る。
「開拓したのも、実効支配をしているのもアースガルド家ですから」
「いくら縁戚とは言え、横から攫えば醜聞になりかねないな」
「ううむ……」
娘婿が切り開いた土地を奪い取った。ヨトゥン伯爵家としては、そんな悪評は避けたいところだ。
そもそも懐刀からすれば、問題となるのは街道周りの所有権についてであり、山城の付近について言えば、クレインがその土地を手に入れて当然と考えていた。
「アースガルド家には、大森林を切り開いた分だけ加増する、切り取り自由の約定がございましたな」
「ええ、それが何か?」
「山城の建築も見方によっては、大森林の開拓かと存じます」
「それはいくら何でも、通らないのでは……」
確かにアースガルド子爵家は免状を受けている。しかしクレインが想定していた許可の範囲は、既存の領地と隣接している部分だけだ。
領地を出発してから、馬車で南に数日も進んだ場所まで免状の範囲内かと言えば、大いに疑問が残るところだった。
「だが大森林の定義までは、免状に書かれていないのだろう?」
「後ほど確認しますが、恐らく」
「では問題ないな。ビクトールが文章の抜け穴を利用して周辺領地を獲得し、そこから南を伯爵家の所有とする……それくらいの割譲案で収めようじゃないか」
ヴィクターは味方勢力が加増を受けること。そして責任者が、文章の拡大解釈を基にゴリ押しするという、無茶な論戦へ臨むことを良しとした。
「当家としては異存ございませんが、子爵はいかがですか?」
「そうですね。先生に異論がなければ、それで」
結果だけを見れば、この提案が三家に取って最上の道となるだけに、余計にタチが悪いところではある。
そして渡りに船とばかりに、ヴィクターは更に提案を重ねた。
「奴には護衛も兼ねた監視を付けるが、当家の人間だけでは言いくるめられる可能性があるのでね。両家からも、
「……承知しました」
「心得ました」
過去のビクトールがこの時期に何をしていたのかは、クレインも深くは知らない。しかし情勢が不安定になった分、何らかの仕事は発生していたのだろう。
仕事量が元に戻るだけだと己を納得させながらも、どうしたら穏便に出向してもらえるかは、彼の中で近々の課題となった。そして話は、本題の締め括りに入る。
「同盟相手を制裁しても意味がない。当家が目を付けていた人材を浚ったことについては、将来の働きをもって帳消しとしようじゃないか」
徹頭徹尾の圧力を掛けられたが、最終的には何らのペナルティも課せられなかったのだ。難度が非常に低い交渉の末に、当初から計画していた通りに事を運べている。
しかしどっと疲れたクレインは、これが終わったら、精神的な疲労を癒すために何をしようかと模索した。
まずは数日ほど仕事を減らすこと。そして暫くはマリーやアストリと共に過ごし、穏やかな日常生活を送ろうと心に決めながら、彼は同盟締結の文書に署名をする。
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