第百十八話 二人目の女神と追い出された家主



「やあクレイン君、今日はまた随分と物々しいね」

「ええ、急ぎのご相談があったものですから」


 ハンスとグレアムを供にして庵を訪れたクレインは、背後に30人の兵を引き連れていた。少人数では正面突破で逃走されるため、確保には最低でもこの人数が必要と判断してのことだ。


 片やビクトールは笑顔で一行を出迎えたが、彼は彼で既に逃亡の準備を終えている。背負子に野営道具と食料を積み、今まさに家を出るタイミングで、クレインらの訪問を受けていた。


 ビクトールは顎髭あごひげに手を当てて少しだけ思案すると、背中の荷物を降ろさないまま、居間まで戻って奥に手のひらを向ける。


「それじゃあ、まずは上がってもらおう――」

「その前に、壁から手を離してください」


 居間の壁には回転扉が仕込んである。その先は西方面の山中に続くトンネルだ。


 過去にこれで取り逃がしたことのあるクレインは、家主の許可よりも先に上がり込むと、自らの手で逃走経路を一つ潰す。


 そして即座に衛兵を配置したのだから、ビクトールも両手を挙げて首を振るしかなかった。


「芝居はいいですから、部屋の左端にも行かないでくださいね?」

「そちらも把握済みか。やれやれ、弟子が優秀過ぎて困ってしまうよ」


 居間の左奥に何があるかと言えば、地下通路への入り口だ。


 続いて上がり込んだグレアムが、事前に指示された付近の床板を軽く踏みしめると、ベニヤ状の薄い板きれはあっさりと割れた。


「……俺もいろんなアジトを見てきたけどよぉ。自宅の中に脱出用の落とし穴を掘る奴は、流石に初めて見たぜ」

「図面にはなかったはずなんだが、いつの間にこんなものを」


 ご丁寧に行先は、別の出口に繋がっている。そしてこの他にも2本の脱出路が用意されていたが、クレインはてきぱきと指示を出して、全ての穴を塞いでいった。


 順番に逃走先を潰していくと、入り口を固める3小隊を残して、いよいよビクトールの確保に入る。


「では先生。一旦、拘束させていただきます」

「これは穏やかじゃないね。必要なら普通に同行するよ?」

「いえ、道中で逃げられては敵わないので、念のために縛っておきますね」


 ビクトールの庵は市街地から離れた川の傍にある。自由にさせておくと、途中の河原や山道で逃走されるのだから、クレインはここでも手を抜かなかった。


 他領の重要人物を、市中引き回しに近い恰好で連行することになるが、そこには一応の工夫もある。


「厚手の外套を用意しました。上から羽織れば縛られているようには見えませんので、ご安心ください」

「配慮は有り難いけれど、まあまずは話し合おうじゃないか」


 互いにもう事情は全て分かっている。のらりくらりと話しながら、次の策を考案しようとしていることも明白だ。

 だからクレインは速戦即決で状況を終了させるべく、出し惜しみせずに手札の開示を始める。


「話し合いの前に状況整理ですが、脱出路の先にはそれぞれ部隊を配置して、ランドルフとピーターと、マリウスとベルモンドを指揮官に置いてあります」

「それはまた、徹底しているね」


 要人の確保は既にお手の物だ。そしてヘルメスを捕捉した際とは違い、対象がいつどこにいるかが分かった状態から、逃亡阻止が始まっている。


 自分が自由にできる、領内だけで作戦行動が終了することも大きい。言ってしまえば100名の兵を雪崩れ込ませれば確実に勝てたはずなので、今回のミッションはクレインからすると、それほど大変なものではなかった。


 ただ、ビクトールが予想外の用意周到さと、想定以上の武力を誇っていたために、最小限の動きで済まそうとすれば上手くいかないという、それだけのことだった。


「さて先生。用件はお分かりですよね?」

「北の情報を集めている素振りは見えなかったんだが……はてさて、一体どんな経路で事情を知ったのやら」


 まさか兵士30名と、乱闘をするわけにもいかない。


 現在のビクトールはそう考えているが、この場にいる兵士の数が10名以下であれば、彼は遠慮なく全員を叩きのめして出ていく。


「情報の出所は秘密にしておくとして」


 意外と血の気が多い人だよなと呆れながらも、クレインはようやく王手を掛けた。

 彼が手を翳すと、5名の武官がビクトールを取り囲む。


「明日からは本邸の客室に寝泊まりしてくださいね」

「ふむ。北から追手が来たら、クレイン君が対応してくれる約束では?」


 大荷物のまま縛られていくビクトールは笑顔で抗議したが、クレインは更なる満面の笑みで返す。

 何故ならその契約には、一つの付帯条件が盛り込まれていたからだ。


「対処している間に、逃げない約束でしたよね?」

「逃げるとは人聞きが悪いなぁ。僕は大きな問題が起こる前に、避難しようとしただけなんだ」

「避難ですか」

「ああ。厄介事は解決するよりも、回避するに限るよ」


 ラグナ侯爵家に居所が知られていないのなら、姿を隠すだけでよかっただろう。鉢合わせさえしなければ、確かに問題は起きない。


 しかし既に情報が割れており、これ以上の隠し立てはできないのだから、正面から対処するしかない状況だった。


「もう回避不能なところまで話が進んでいるので、諦めて話し合いましょうよ。同席はしますから」

「穏やかに済めばいいのだけれど……望み薄かなぁ」


 道中でさえ逃げられなければ、その先は安泰だ。屋敷の人員を増強して、厳重に警備した客室に囲ってしまえばそれで済む。


 つまり7回のやり直しを経て、ようやく交渉の前段階に入ったのだ。ビクトールを連れ帰ることが同盟の前提条件になっていたので、これで話が前に進む。


「場合によっては話が後退するかもしれないけど、出たとこ勝負か」


 波乱は確実視されているが、クレインの顔にそれほどの悲壮さは無かった。何故ならいつもはマリーと行っている例え話に、今回からアストリが加わっているからだ。


 彼は繰り返される追いかけっこの最中に――


「逃げる泥棒を確実に捕まえる方法は、何か無いかな? 侵入される家と、犯行の時間は分かっているものとして」


 などと、適当な話を振ってみたところ。今回はあっさりと、アストリから解決策が出ている。


 問われた彼女は真面目な顔をして考え込むと、すぐに本件の正答に近い答えを提唱した。


「窃盗を終えて、家から出てきた瞬間を狙うのが最良と思います」

「その心は?」

「成功の間際が最も慢心しやすいですし、大荷物になると動きが鈍りますから」


 密漁者を捕らえるのであれば、漁を終えて網を上げている瞬間がベスト。そんなヨトゥン式解決策は、ビクトールにも当てはまった。


 何せ山中に潜伏するのだから、まさか何の用意も無しというわけにはいかない。数日分の食料と、細々とした物資を抱えた状態では、兵士たちを相手に無双などできないのだ。


 不格好になるのが玉に瑕ではあるが、背負子と一緒に縛り上げれば鈍足化するため、道中の護送にも不安がなくなる。

 ということでクレインは、ビクトールの出がけを狙いすましてやってきた。


「今後も彼女たちの意見は、よく聞いておくべきだな。うん」


 ここからは不確定要素が増えるため、新規の判断を求められる場面が増えるだろう。

 しかし勝利の女神が増えたのだから、クレインには負ける気がしていなかった。





    ◇





 ビクトールを客室に留め置いてから1週間が経ち、ラグナ侯爵家の一行がアースガルド邸に到着した。


 今回は予めノルベルトの配置を変更しており、スルーズ商会にも物品の手配だけは頼んであったため、ほんの僅かに余裕がある状態で出迎えを終えられている。


 そしてクレインは、ヴィクターの好みだという高級葉巻を応接室に用意してから、敢えて離席。落ち着いてもらうための時間を設けてから、ビクトールを連れてきたところ――


「さて、アースガルド子爵には退室してもらおうか」


 大股を開いてソファーに座り、紫煙をくゆらせている男は、まず家主に退室を命じた。一方でまさか、開口一番で追い出されると思っていなかったクレインも、言うべきことは言う。


「招聘した際に、こうした席には同席する約束を……」

「聞こえなかったようだね」


 クレインが戸惑いながら視線を泳がせると、席を外してから数十分の間で、テーブルの灰皿が山盛りになっていた。


 待っている間に、かえって怒りのボルテージが上がったのではないか。どんな勢いで喫煙すればこうなるのか。戦慄する彼に向けて、ヴィクターは再度の宣告をする。


「ならばもう一度言うが、ここから出て行きたまえ」


 有無を言わせない口調で、今度こそはっきりとした命令口調の言葉が飛び出した。


 断れば即座に殺害されそうなほど、不機嫌な様を見ては仕方がない。ビクトールは苦笑いをしながら、早速の苦慮をしているクレインに申し出た。


「まあ、この場を回せというのは無理な話だろう。今日のところは僕だけで大丈夫だよ」

「……その方が話は早いだろうな。我々は明日、ヨトゥン伯爵家の使者も同席させながら、改めて前途を話そうじゃないか」


 両者の合意が取れたのだから、クレインにも言うことはない。ここから何か意見を出せるわけでもないので、黙って退がるしかなかった。


 しかしその直後に、派手な物音――応接室のテーブルがひっくり返る音が、廊下にまで轟く。


「……頼みがあるんだ」

「いかがしましたか?」


 清掃が大変そうだな、などと場違いな逃避を振り払ってから、クレインは今日も供にしていたマリウスに振り返って告げる。


「この部屋に誰も近づけないでほしい。少なくとも話が落ち着くまでは」

「承知しました、お任せください」


 口が堅い裏方向きの人物ということで、クレインはブリュンヒルデにも応援を要請しようかと逡巡する。

 しかし彼女には大きすぎる前科があったため、その案はすぐに消えた。


「俺の命令まで忠実に・・・守るかは分からないけど、別口の問題が起きそうだからな……。ここはマリウスに頑張ってもらうしかない」


 北侯がアースガルド邸で荒れ狂ったなどという風聞が、自陣営を利することなどない。だから秘密を知る人間は、最小限の方が都合がいいのだ。


 事態がなるべく穏便に収まることを祈りながら、クレインは執務室に戻った。


 そして彼は薬師を呼び出して、万が一の手当までを考慮に含めた、展望の再構築を図る。


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