第百二十七話 禁忌と冒涜



 拘束者が重要人物か端役かを、マリウスは事前に選別していた。


 何らかの使命を帯びて潜入していた敵方の工作員か。それとも弱みを握られる、買収されるなどして、ただ使われていただけの手先か。


 両者を比べれば当然、送り込まれてきた密偵たちの方が処理の優先順位は高い。


 椅子に拘束された5名の本職を前にして、机の対面に座るクレインは静かに切り出した。


「それで、話すつもりは無いんだな?」

「……」


 任務として裏方仕事に就いていた人間だ。素直に尋ねて洗いざらい吐くはずがなかった。

 予想していた展開のため、クレインは淡々と告げる。


「それなら身体に訊くしかないな」


 身体的な苦痛を与えたり、精神的な責苦を負わせたりして、無理に聞き出すしかない。

 どう言葉を飾ろうとも、どのような大義を掲げようとも、やることは拷問だ。


 それは双方共に理解していたことであり、責め苦を負わせると宣言してもなお、捕らわれた男たちの表情は変わらなかった。


「こうなることは覚悟の上だろう。だがお前たちが潜入の専門家なら、こちらが出すのは取り調べの専門家だ」


 クレインは何度も人生を繰り返しているため、身体が技術を覚えていなくとも、それまでの経験によって成長効率が向上する。


 だが、彼自身が何らかの技能を磨かざるを得なかったのは、配下に人材が少なかったからだ。


 今では内政官を育成する環境があり、武官を訓練する環境もある。

 これらは全て、戦乱を切り抜けるための用意だ。


 そして純粋な戦力の拡充だけでなく、今回のような謀略にも当然備えねばならない。


 人選から育成、配置までの全てはマリウスに一任してあったが、クレインは裏方の人材育成もそれなりに進めていた。


「一応、最後通牒さいごつうちょうはしておこうか」


 クレインの傍らに立つマリウスが合図を送ると、禍々しい灰色の覆面をした作業着の男女が三人、尋問室の後方に並んで立った。


「抵抗せずに白状した方が身のためだが、どうする? 場合によっては司法取引をしようと思う」


 壁際に並んだ拷問吏たちは、それぞれが工具を所持している。大工仕事に使うものばかりで、日常的に目にする工具だ。

 しかし行うことは倫理観にもとる、人間に対する日曜大工となる。


 それはやられる方も、十二分に理解していた。

 否、脅威に身を晒されている側の方が、より鮮明に末路を思い描いている。


 沈黙を貫いていた男の一人は、目を固く閉じて、短い決まり文句を告げた。


「こうなれば是非も無い。殺せ」


 ならばと拷問吏たちは準備に入ろうとしたが、クレインは手で制する。


「実は俺の方でも人員を用意してあるんだ。彼らの腕を試す前に、呼んでみてもいいかな?」

「承知いたしました」


 マリウスからすれば、主君がやることに異議を唱える理由は無い。

 旧館に応援を呼んだと告げられた彼は、言われるままに使いを出した。


 すると数分が経過した頃に、陰気で血生臭い空間には似つかわしくない、汚れなき白衣を着た男たちが入室してきた。


 白衣の男たちは、両手足を縛られた密偵たちの前に立ち、じろじろと身体つきを観察する。


「子爵様、こちらが被験体ですか?」

「ふむ、よく鍛えこんでおる。悪くはなさそうだ」


 この場の誰もが違和感を抱いたのは、被検体という呼び方だ。


 囚人でも死刑囚でもなければ、拷問対象でもない。検査の対象だと言う人物の顔を見て、マリウスはクレインに尋ねた。


「彼らはお抱えの薬師たちでは?」

「その中でも、研究熱心な人間だけを集めた」


 その言葉に薬師たちは苦笑した。要は倫理観よりも、学術的な興味が勝っている人間を選抜した、ということだからだ。


「薬師だけでなく、医者も呼んであるんだ」


 医療関係者の関係者の出番があるとすれば、拷問によって身体が傷ついてからのはずだ。

 つまり本来ならば、取り調べが済んでから登場することになる。


 まだ椅子に並べられたばかりの場に、彼らが現れた意味は何か。

 深く考えるまでもなく、マリウスは正解に辿り着いた。


「……なるほど、治験に使うためですか」

「その通りだけど、目的は薬の安全確認だけではないな」


 一般的な治験ならば、安全性を確かめるのが目的だ。実験を繰り返した完成間近の薬を、更に薄めて投与して経過を観察する。


 しかし今回は安全性が未確認どころか、どう加工しても薬にはなり得ない、劇毒の実験も行われる予定となっていた。


「まずは死刑囚に毒を盛り、致死量を迎えるまで、徐々に増やしていきます」

「俺も薬学には興味がある。資料がまとまったら一度見せてくれ」

かしこまりました」


 この場に医療関係者を集めた理由は、要するに治療そのものが拷問だからだ。


 薬効を調べるために、遅効性の毒を飲ませてから解毒薬の実験を行いたい者。生きたまま寄生虫を植え付けて、虫下しに効果があるとされる薬草を試したい者など。


 ここに集まったのは、世間一般では狂気の学者と呼ばれる人間ばかりだった。


 動機が人々を救う使命感であれ、単なる学術的興味であれ、人命を勉強の道具に使いたがっていることに違いはない。

 誰もがある種、道を踏み外した者たちとなる。


「ああ、安心してくれ。治療の体制は万全だからな」

「それは……」


 つまりは身体にどんな変化があろうとも、命を失うほどに体調が悪化しようとも、最大限に生かし続けるということだ。

 それは楽に死ねると思うなという、私怨も込められた宣言だった。


 否。実のところ彼らの末路は、これから始まる生き地獄の、更に一段階下にある。


「いざ医学発展のために、その身を捧げてもらおうか」

「待て待て、骨の素材は貰うぞ」

臓腑ぞうふはこちらに回してくださいね」


 医者たちは、既に囚人の大半が死亡することを見越して、競うように身体のパーツを求めていた。


 だが古今東西に関わりなく、死体に傷を付ける行為は、宗教や掟で禁止されていることが多い。

 ましてや死体の腑分ふわけ――内部まで切り刻む解剖など、もっての外だ。


「……我らの行いは闇討ちであり、道義に反することは認める。しかしそれは禁忌だろう」


 もちろん各個人の信仰や、所属する部族により戒律は違う。だが死者のもてあそびは、ほぼ共通の忌避行為とされていた。


 学問のためにと手を付ければ、異端者や異常者の烙印らくいんを押されて処刑される公算が高いため、研究したくともできない分野だ。


 それでも今回に限っては、聞き取り中に死亡した者たちは身体を切り刻まれ、学問の発展のために使用される予定となっている。


 つまりは領主が公認した、完全にクリーンかつ安全な環境での実験だ。


「地獄に落ちるつもりか!?」

「殺すなら、早く殺さないか!」


 相手が敵兵であっても捕虜であっても、死者を冒涜ぼうとくする行為は暗黙の――言うまでもなく――禁忌に触れる行いなのだ。


 通常であればこの人体実験に、許可が下りるはずがない。貴重な機会を無駄にしかねない囚人たちに向けて、余計なことを言うなという言外の視線が集まった。


 しかしクレインは取り付く島もない様子で、再度告げる。


「死体が領地の発展に役立つのなら、情報が取れなくても損は無いからな。吐かなければ投薬の上で分解するだけだ」


 クレインは暗黙にして当然の社会良識に対しても、今この場においては、紙くず以下の価値しか見出していなかった。


 彼の中では常識と倫理よりも、引き起こされた惨禍への復讐が、遥か上に位置付けられている。

 そのため一切の情を見せずに、迷いなく請願を切り捨てた。


「選択肢は与えたはずだ。口を割らない場合は、各々が信じる神に祈りを捧げてゆるしを得るといい」


 宗教上のタブーを強制的に侵させるという手法は、悪逆無道とも言える所業だ。


 しかしクレインからすれば、故郷と民草を守ることが最優先事項であり、自身の名誉が失墜しようと構いはしない。


 そもそも、情報収集が終わった段階で自害するつもりのため、全ての悪評は歴史の陰に葬り去られる。

 だから人の道を説かれようと、動じるはずもなかった。


「どれほど高尚な僧侶が赦しても、天からの赦免が与えられても、俺は許さない。だから好きにしろ」


 死体の欠損をいとい、白状する者も出てくるだろう。

 クレインはある程度の自白が取れると確信しながら、マリウスを促しつつ席を立つ。


「この場では限界があるから、実験場の手配を頼む。望むなら資金と機材を追加で援助してもいい」

「承知しました。ですがクレイン様、本当によろしいのですか?」


 取り調べの終了までには数日かかり、その間は生きていなければならないのだ。

 家臣からの反感を買い、これ以上裏切られては堪らない。


「マリウスも信心深い方か?」


 異論があれば諭すつもりでいたが、マリウスは真顔のまま、冷静に続けた。


「いえ、中央からの反感を買う可能性があるかと」


 地方では土着の神々を祀ることが多いが、中央の高位貴族たちは体系化された宗教を信奉していることが多い。


 それを加味すれば正論だ。しかし予想外の答えに苦笑しながら、クレインは再度尋ねる。


「だからその中央出身者として、何か思うところは無いのか?」

「私はアースガルド領の人間ですので、配慮は無用です」

「……分かった」


 迷いなく断言するのなら、クレインにも遠慮はない。

 相変わらず騒がしいままの、薄暗い地下牢を歩みながら彼は言う。


「進んで受けたがる人間がいない任務だから、任せてもいいか?」

「承知しました。今回の件が落ち着くまでは、参加する薬師と医師の管理まで承ります」


 クレインは高等教育を受けてきたため、宗教への理解は示している。

 もちろん弾圧などせず、信教による差別もしない。


 信仰心を進んで冒涜するつもりは無いが、しかし必要とあらば迷いなく冒すつもりだった。

 何故なら彼が信じているものは、神よりも人だからだ。


 要は目の前にいない神よりも、道を同じくする忠臣や、育ててきた人材の力を信じている。

 その筆頭であるマリウスが手配に戻る様を見送りながら、クレインは一人呟いた。


「いつか地獄に落ちる、か。滑稽な物言いだったな」


 彼は祈りを捧げて救済を待つのではなく、自らの手で全てを救うべく、足掻き続けてきた。

 だから領地を救うものは信仰ではなく、人同士の信用と信頼だと思っている。


 そして依然として、敵と比べれば手札も手勢も少ないのだ。行動のマナーやモラルが二の次になることなど、今に始まったことではなかった。


「死後の世界や地獄なんてものは、何度死んでも訪れないさ」


 自白を申し出た人間に聞き取りを行い、更なる拷問を課す。そして手に入れた情報を基に、また一から拷問を再開するつもりだ。


 公序良俗など今さら気にせず、誰にどうとがめられたところで止まりはしない。全てが解決するまでは、どれほど汚く残酷な手でも無限に繰り返される。


「だから今、俺のいる場所こそが地獄だよ。俺にとっても、お前たちにとってもな」


 道義に反する行いを続ければ、ろくな死に方をしないことは分かっている。それこそ今回の行状は、背信や暗殺を招くやり方だ。


 だが、惨たらしい殺され方なら、何度も経験してきたことだろう。

 そう思いながら、彼は望んで生き地獄の道を行く。


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