第百二十六話 免罪符
「酷い有様だな」
「乱戦でしたので、そこは致し方ないかと」
奇襲を目論む敵を逆に奇襲できたのだから、制圧に大した労力はかかっていない。夜が明ける頃には全ての戦いが
しかし邸宅内での戦闘が主だったため、周囲の汚れと臭いが凄まじいことになっている。
館内の至る所に血跡が残り、庭の片隅には、埋葬されていない死体が放置されているほどだった。
「拘束者たちは牢に収監しております」
「分かった、俺が直接話を聞こう」
隠し通路から戻ってきたクレインは、迎えにきたピーターを連れて、旧館の東側にある地下牢へ赴く。
そこはピーターが知る限りでは小貴族たちへの仕置きと、ドミニク・サーガへの聴取。そしてヘイムダル男爵への尋問でしか使われていない場所だ。
あくまで裏の話し合いをするために使われていたが、今回は
「直々に訪れずとも、マリウス殿に任せておけばよろしいのでは?」
「全容も知りたいし、事態を把握するにはこれが一番早いよ」
「ふむ、左様で」
歩哨の横を通り過ぎて、彼らが階段を降りると、じめじめとした薄暗い地下室には、許容量を超える数の容疑者が放り込まれていた。
衛兵隊が運用している留置所や、通常の牢屋ではなく、重罪を犯した者を閉じ込めておく地下室だ。
先代の頃から数えても、ほぼ使われたことがなかった場所は今、建築してから初めての定員超えとなっていた。
「やけに多いな。ここまでとは思っていなかった」
「容疑が晴れれば出られるはずの者も、一緒くたに収監されておりますからなぁ」
檻の中にいる人間は二種類に分けられる。
既に容疑が確定している者たちと、まだ十分な証拠や証言が揃っていない者たちだ。
前者は尋問して、当初の予定通りに繋がりを吐かせていけばいい。
問題は後者。容疑が確定していない上に、数が多い方のグループについてだ。
「ぼ、坊ちゃん。自分は無実です! モーリッツを取り押さえようとしただけで――」
「アントンが急に襲い掛かってきたんです! 反逆だなんて、誤解ですよ!」
牢前の通路を進むクレインには、次々と弁解の声が掛けられた。しかし証言が対立しているからと言って、片方が嘘を吐いていると単純に割り切れるものではない。
出迎えのために取り調べを中断して、奥の尋問室から出てきたマリウスも、食い違う意見の多さに難しい顔をしていた。
「調査の進みは?」
「
「そうか」
収監者同士が喧嘩を始めるほど混迷しているため、未だに混乱を脱したとは言い難い。
その上でクレインは、ざっと思いついた可能性を整理するために、近場の牢を指してマリウスに意見を求めた。
「例えばだけど、あそこにいる衛兵の二人はどう見る?」
「聞き取りの内容と、会話中の態度。これまでの経歴を聞く限りでは……両者共に無実かと」
「ああ、うん。俺もそう思う」
前回の襲撃では、領主を守るために命を落とした二人の衛兵がいた。
致命傷を負いながらも、絶命する瞬間まで暗殺者の足止めをしていたところを見れば、忠義は疑いようもない。
その彼らが牢屋越しに互いを
「……夜間の戦闘だと、どうしてもこうなるか」
この場合はクレインが無実を信じる材料があるため、まだ救いがあった。
しかし実際のところ、罪状が確定していない者たちの中で、意見が対立している人間だけを大別しても3つのパターンがあるのだ。
片側が嘘つきの謀反人である場合。
そして両方が無実の場合と、両方が有罪の場合だ。
まず両方とも潔白の場合は、古株の衛兵二人を見れば分かりやすい。
彼らの主観では、裏切っていない自分を攻撃してきた対立者は、裏切り者だという証言になる。
「まあ、変な予断を入れるべきではないか。状況が状況なだけに、一応は推定有罪で動こう」
「承知しました」
次いで、計画の失敗を悟り、誰かに罪を被せようとしている場合。つまり片方だけが無実である場合は、クレインにとっては裏が取りやすい。
証言に食い違いがある人間を順番に、寝室前の護衛として配置すれば真実を知れるからだ。
裏切り者であれば行動を起こす。そうでなければ行動を起こさない。
すぐに判別できるため、これは回数を重ねればどうにかなる。
「総当たりに変わりは無いけどな」
「総当たり……ですか?」
「ああ、調査法を考えていたんだ。まあ深く気にしないでほしい」
最後に両方とも裏切り者の場合では、例えば別勢力が送り込んだ密偵同士が、勝手に衝突した場合などが考えられる。
それこそ小貴族家の縁者が家臣に入り込んでいた場合や、銀山を所有するどこぞの領主が、隙あらば商売敵を消そう――という考えで動いていた可能性もある。
少なくともクレインの中で確定するまでは、どんなに小さな可能性も否定はできないのだ。
だからこそ彼は、無実が確定した以外の全員を、順に試していくと決めた。
「それで実際のところ、どれくらいの数が離反したんだ?」
「そこまで多くはありません。屋敷で衝突していた武官の証言は、大半が誤認という印象です」
マリウスの報告に、クレインは安堵と呆れの溜息を吐いた。
まず安堵した理由は、思っていたよりも規模の小さな反乱だったからだ。
自分の前に現れた敵と、同数程度の人間が各所に配置されていた場合は、50名を超える家臣が謀反に参加している――と、安易に推定していた。
しかし蓋を開けてみれば、敵が撒いた火種が
「夜間戦闘を避けるべきなのは、こういう理由からだよな」
「珍しい事例かと思いますが、兵法の初歩ではあります」
今回は個人対個人の争いに近かったが、これが軍勢単位で起きたなら、互いに全滅するまで止まらなかった可能性すらある。
裏取りの重要性を再確認しつつ、統制不足と過大な恐れを
「まあ、一件一件を丁寧に調べていく方針で――」
ここまでのクレインは、意識の大半をマリウスとの会話に割いていた。
周囲の声は聞き流していたが、戸に手を掛けた瞬間に、ふと足を止める。
「……マリウス。ここにいる奴らには見覚えが無いんだが」
「オズマ殿が捕縛した、屋敷の周辺に潜んでいた予備戦力のようです」
「つまりは本職か」
この状況では絶対の信頼を置ける人材が少なく、人手が足りないがための取り逃がしは多かった。それでも何人かは職業軍人のような、高度な訓練を課された密偵も逮捕できている。
そんな人間が集められた牢を、クレインはまじまじと眺めた。
「完全に整理できてはいませんが、奥に行くほど容疑の濃度が高い者たちです」
「なるほどな」
マリウスは事前に聞き取りを行い、より陰謀に近しいであろう人間を牢の奥側に配置している。
屋敷に潜入していた工作員もいるだろうが、大半は
「そうだ。だから俺はここにいる人間とは、会ったことも話したこともないはず」
だが、どこかで聞いた覚えのある声がした。
周囲から聞こえてくる悪態と
そして彼は、やがて一人のごろつきに目を付けた。少し人相が悪い以外には、特徴の薄い男だ。
「どこかで俺と会ったことはあるか?」
「無ぇよ。飲んだ帰りに、屋敷の前を通っただけだっての」
グレアムの指揮下にいるような、ただの素行不良者。
治安が悪い地域によくいるような、態度の悪い男。
見た目にはそれだけだ。実際にこれまでの人生で、彼とクレインの接点は一度しかない。
だが、殺され方に特徴があれば話は変わる。人を覚えるのが苦手なクレインでも、記憶を掘り起こすだけの材料があれば話は別だった。
「そうだな……。そんな金があるなら税を下げろと、言ってみろ」
「は?」
男は人生の中で、そんな発言をしたことなどない。少なくとも
そのため当然の如く困惑している。
横にいるマリウスが怪訝な顔をして、ピーターが曖昧な微笑みを浮かべる程度には、客観的に見ても意味が分からない要求だった。
「初対面だと言うのであれば、確認してみよう。さあ、早く」
「そ、そんな金があるなら税を下げろ」
「叫ぶくらいの声で言ってみろ」
要求通りに叫んだ男の言葉を
「引っ込め……と、叫べ」
「何なんだよ一体! 何の意味があるんだよ!」
「いいから早く」
クレインは真剣とも真顔とも取れない顔をしている。発言の意図が分からないまでも、拒否をすれば心証を損ねて、襲撃者にカウントされる可能性が上がるだけだ。
だから男は要求された言葉を、周囲の収監者たちまでもが困惑する中で、順に叫んでいく。
「では最後に……うるせぇ、領主の腰巾着が」
「うるせぇ! 領主の腰巾着が!!」
要領を得ない要求もこれで最後だと思い、男は指示された通りにセリフを読み上げた。
これは周囲の誰が分からないとしても、クレインにとっては重要な確認だった。
「ああ、そうか。そういうことか」
彼が思い返すのは三回目の人生だ。
領地の北部から反領主の声が上がり、領内全域に一瞬で広がった結果、反乱が発生した。
それは人材の確保と献策のために、大金を使った直後のことだ。だから当時のクレインはこれを、社会不安の中で派手な動きをしたために、反発を招いたと判断している。
しかし先頭に立って声を上げていた人物が、今回の襲撃に参加していた――敵方の――正規の密偵であるのなら、話はまた変わる。
「そうだよな。政策や発言に、少し気を使うくらいで防げるのなら……最初から反乱なんて、起きるはずがないよな」
人生を追う毎に改革の数が増えている以上、領民が抱える不安は増したはずだ。
少なくとも変化を嫌う、保守的な領民からは不満の声が噴き出るはずだった。
しかし三回目の人生以外では、暴動や抗議活動は一切発生していない。旧来からの領地では不穏な動きどころか、小さな火種すら無いままだ。
ならばそれは誰かの手によって。例えばこの牢屋にいる密偵たちの手によって引き起こされた、人為的な騒動だったのだろうと予想がつく。
「以降は早々に王宮と契約したから、下手な動きはできなかった……といったところか」
中央からの関心が向いた以上、事をどう転がそうとも裏を取られて、反乱の動きを気取られる。
減税策を打ち出したことで、反アースガルド家の世論も作りにくくなった。
そして銀鉱脈の発見により、奪い取れば大きな利益が得られるようにもなった。
であれば大々的な破壊工作を敢行するよりも、まずはクレイン個人を始末して、領地の
始末できなかったとしても損は無く、
実際にヘルメスからは、ワインでの毒殺未遂が起きた謝罪のついでに、融資を持ち掛けられていた。
これは大量の貸付金によって依存させ、支配しようとする動きだ。
「そうか、それならいいんだ」
一連の流れが何を意味するのかは、クレインにしか分からない。
だからこれは彼の個人的な感情にしか影響を及ぼさないが、それはこれまでの行い全てと、これからの行動に対する免罪符になる。
「自分の未熟さを認めるいい機会にはなったけど、ずっと気にしていたんだよ」
命を狙われるときは、クレインの殺害が誰かの利益になるか、計画の邪魔になったときだ。
それは今も昔も、変わらない要因だった。
そして裏側が分かれば、彼が抱く事件への印象も、これまでの行動への評価も大きく変わる。
「だけど俺は、
彼は故郷と、そこに住む人々を守るために殺され続けてきた。
その守るべき存在に殺害されたことは、彼の心に暗い影を落としてきた。
しかしそれが暴動の末の事故ではなく、敵方の謀略による故意の殺人であったとするならば、また一つ彼の
「やはり、全ての元凶はお前たちか」
「さ、さっきから何を言って……」
クレインが発した言葉の数々は、どれも会話が成り立つものではない。
しかし周りの戸惑いなど、数十秒後に自害する彼にとっては、最早関係なかった。
彼にとり重要なことは、平和が壊れるときはいつも、誰かの悪意が介在していたという事実だけだ。
この事実は彼にとっての救いであり、幸か不幸か、自らの行いを正当化する材料にもなる。
「それなら方針に変わりはない。同じことが二度とできないように、根絶やしにしてやろう」
どうしてその結論になるのか。今の問答は何だったのか。周囲にそれを語る意味は無い。
クレインの取る道は情報収集と、今回の事件に関わった人間の排除。それだけだ。
「何を言っているのかは分からないと思うけど、大いに私怨があるんだ。……特に厳しい取り調べをするから、そのつもりで」
クレインは今後の取り調べを円滑に進めるためにも、一度リセットをかける。
肌身離さず持ち歩いていた毒薬を取り出して、彼は何ら
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