第百二十五話 前門の死神、後門の鬼
中央部と東部を隔てる山脈に監視網を敷き、軍勢の進路を特定すること。
事件の実行犯を確定して、犯人を基点に横の繋がりを調査すること。
クレインはその方針に基づき、まずは領地の北東部へ大隊規模の防衛部隊を送り出した。
現地での徴兵頼りにはなるが、やることが奇襲なら頭数さえあればいい。そして急造の軍勢を動かすならグレアムが適任と判断して、そちらは一任している。
今回の目的はあくまで索敵であり、完璧な撃退ができずともいい。
そう割り切りつつ、クレイン自身は刺客への対処に動いた。
「クレイン様。ご報告があります」
警備の人間を総入れ替えして臨んだ、事件発生当日の深夜。
彼は返事が返って来ないことを確認してから、後方に控えた相方と目で合図を送り合う。
「失礼します」
あまり大きな声にならないように努めながら、男は形式的な挨拶をした。
しかし目的はもちろん、クレインの暗殺だ。
警備は自分たちだけで、標的はぐっすりと眠りについている。ならばこれほど簡単な仕事もないだろうと、男たちは白い歯を見せながらベッドへ歩み寄っていく。
「さて、これで……」
成功を確信すると同時に、バキリと、彼らの背後で木が砕ける音がした。
その物音に振り返った瞬間。彼らは口を大きく開けたまま、恐怖と驚きで身体を硬直させる。
「厚遇されたことも忘れ、大恩ある主君に盾突くとは……」
クレインの身長は伸び続けて、今では180センチになった。
世間一般的には結構な高身長だ。
その彼が不自由なく使えているクローゼットですら、いかにも手狭そうに見えるほどの大男。
それがのそりと、衣服をかき分けながら出てきた。
彼は両目に殺意を
「貴様ら、覚悟は、できているのだろうな」
先ほどの破砕音は何だったのか。
木枠が素手で握り潰された音だ。
掌を開いてクローゼットの残骸を放り捨てると、大男は準備運動がてらにゆっくりと首を回す。
「あ、あっ」
「ら、ランドルフ……隊長?」
怒りで食いしばった歯の隙間から漏れる、沸騰した蒸気のような吐息。それは彼の臨界が間近であることを示唆していた。
――まるで、先ほどまで木材だった木くずが、自らの行く末と重なるようだ。
そんな錯覚に襲われた襲撃者たちは、わなわなと口元を振るわせたまま、化け物を見るような表情で固まっていた。
しかし先に入室して、ベッドに近い側の男が正気を取り戻す。
さっさとクレインを刺してしまい、すぐさま逃げればよいと。
「死ねぇ!」
彼は渾身の力を込めて、腰だめにした剣をベッドの膨らみへ突き刺しにいった。
しかし掛け布団が渦巻きのように一回転すると、手にした剣が絡めとられて、あらぬ方向に飛んでいく。
「え? な、何が?」
「やれやれ、物騒なことです」
背格好は似ていたが、クレインの代わりに寝ていた人物の方が筋肉質ではある。
影武者として用意された武官なのだから、体格がいいのは当然だ。
「よっこいせ……っと」
年寄りのような声と共に、男はゆっくりとベッドから降りる。
そして
「はてさてこんな夜更けに、武器を構えて主の部屋に侵入とは」
緩慢とした口調だが、その刃は既に敵の喉元にある。
いつでも始末できる態勢を整えてから、彼は呆れた口調で零した。
「ふむ、これは言い逃れできませんなあ」
前方には不吉な微笑みを浮かべた死神がいて、後方には表情だけで人を呪殺できそうな鬼がいる。
何故クローゼットの中に、ランドルフが収まっていたのか。
どうして子爵が寝ているはずのベッドに、護衛のピーターが寝ていたのか。
よりにもよって、アースガルド家が誇る最高戦力の二枚看板が、わざわざ主人の代わりに寝室で待機していた意味は何か。
おびき寄せられたのだろう。罠だと察した男たちは、顔を見合わせた末に、生存率が最も高そうな出口を目掛けて、一目散に走り出した。
どちらも相手にせず、武器を構えていないランドルフの脇を走り抜ける方が、
「ど、どけっ!! 刺しちまうぞ!」
「この期に及んで……神妙にしておけばいいものを」
ランドルフは常日頃から、愛用の朱槍しか使わない。しかしそれは彼の身の丈を超える長さのため、どう工夫してもクローゼットには入らなかった。
いくら剛勇の猛将が相手でも、一撃で首を跳ね飛ばされることはないだろう。
これなら生き残れるかもしれない。
「おのれ――」
刺客たちが生存への希望を抱いたのも束の間。
巨木のような腕が振り上げられた瞬間に、彼らは、咄嗟の想定が誤っていたことを確信した。
「おのれッ!
「ほげっは!?」
屋敷中に轟くような咆哮と共に、風が吹く。
渾身の力を込めた鉄拳で、真っすぐに顔面を撃ち抜かれた刺客は、顔を起点にして宙を一回転した。
彼らの誤算とは、ランドルフは武器を持っていないのではなく、武器が要らなかったことだ。
不慣れな得物を使うことなどない。彼ほどの体格と筋力があれば、無手の拳で命を奪える。
しかし今回は手加減を命じられていたため、怒りで我を忘れた分と相殺されて――見た目からは半死半生――生死の
「うむ、生きてはおるようです」
人の顔面が粉砕されたにもかかわらず、穏やかにころころと笑うピーターの姿を見て、逃げ遅れた方の男も抵抗を諦めた。
このままでは殺されるだけだと思い、彼は愛想笑いを浮かべながら両手を挙げる。
「へ、へへ……」
「賢明ですな」
降参を受け入れたピーターは、構えた剣をゆっくりと下ろした。
そして下段から、無抵抗となった男の左足の腱を目掛けて、神速の剣を振り抜く。
「……え?」
一拍置いて血が噴き出し、次いで悲鳴がこだました。
「ひぃいい!? な、なんで!?」
「逃げられても困りものですので。……さて、
ピーターは備えてあった麻縄で手際よく手足を拘束すると、流血させた男を放置して、殴打で気絶した男も捕縛しにかかる。
その頭上ではランドルフが、月に吠える狼の如く猛り狂っていた。
「この
「はい、どうどう」
暴れ馬を御するように、ピーターは穏やかな笑みを浮かべたまま、ランドルフに両の掌を向けた。
そのおどけた動きはあまりにも場違いだ。さしものランドルフも我に返り、荒い息を整えるために深呼吸をした。
「……まあ、いいだろう。他を
「ええ、そのように」
ベッドの裏側に隠していたランドルフの槍を回収して、彼らが寝室を出ると、アレスの客間からも仕事を済ませたベルモンドが出てきた。
傍らにはマリウスもいるが、いずれも返り血を浴びている。
「いかがでしたかな?」
「うむ。大過なく事を済ませたところだ」
前回の襲撃と違いがあるとすれば、まずクレインは軍議を行っている旧館ではなく、新館の寝室に戻ったことだ。
彼は寝室に入ると、
マリーとアストリ、アレスの部屋にも同様に伏兵を配置した上で、クレイン以外は既に屋敷からの脱出を済ませている。
要人を同時に襲撃できると踏めば、決行までのラインが大幅に下がると踏んでの配置だ。
目論見通りに捕縛してから、彼らは廊下の先に目を向ける。
「さて、では諸君……参るとしようか!」
先頭に立つベルモンドは長剣を抜き放つと、勢い勇んで真夜中の廊下を駆ける。
目指すは階下に集まってくるであろう、敵対者たちの群れだ。
彼は
「はっはっは! これだ。これこそが実戦の高揚よ!」
出会った端から敵を斬り捨てていく彼の目は、
その様を見て、ピーターは呆れたように眉を下げる。
「やれやれ、もういいご年齢では?」
「……士気が高いのはいいことです」
「では、黙認と」
「ええ、まあ」
本来であれば宰相にでもなっていたはずの男が、子爵邸の暗殺騒ぎの渦中に飛び込み、殺し合いの最前線で蛮勇を振るっているのだ。
相槌を打つマリウスも何かがおかしいと思いながら、言葉を濁しつつベルモンドの後に続く。
「一人も逃がさぬように、立ち回りましょう」
敵方に本職の人間が少ないこともあり、襲撃が事前に分かっていれば対処は容易だった。
マリウスが手近な敵を二合目で始末すると同時に、更に続くランドルフは、戦闘前に一応の念押しをする。
「なあマリウス。向かってくる者は全員、打ち倒してもいいんだな?」
「ええ、クレイン様がそのように手配してくださいました。ご自由に」
新館の付近には、裏切るかどうか怪しい人間のみを配置した。確定はしていないが恐らく敵側だろう、という者たちだ。
もし味方ならば、この状況で上階に近づこうとはしない。側近たちが勢揃いしているのだから、敵対もしないはずだ。
だからベルモンドに加勢をすれば味方で、掛かってくれば敵という分け方でも構わなかった。
「ならば話が早い。見分けるのも一苦労だからな」
謀反は予定通りに決行されたが、決起の直前に捕縛された者もいるため、前回よりも規模が小さくなっている。
そして旧館は、信頼できる人間のみで構成された、完全武装の衛兵隊に取り囲まれた頃だ。
発生からいくらも経たずに、暴動は収束する見込みとなっていた。
不利を察しておずおずと下がる覆面の男たちに向けて、ランドルフは再度、野獣のような眼光を向ける。
「生きて帰れると思うな!! この、
ランドルフは右腕一本で槍を振りかざし、ただ力に任せた、圧倒的で暴力的な槍を振るう。
剣で防ごうとすれば剣を圧し折り、籠手で受ければ腕ごと胴体を持っていく。
槍に引っ掛けられた襲撃者たちは、次々と空中に放り上げられていった。
「やっぱり化け物じゃねぇか!?」
「た、助けてくれぇ!!」
「逃げるな卑怯者がぁぁぁぁあああああああああッ!!」
技巧などどこにも無いが、威力だけは過剰なほどにある。
防いでも致命傷を負う上に、攻撃範囲も尋常ではない。相手にした瞬間に死ぬと分かっているのだから、彼には誰も近づかなくなった。
しかし全てを薙ぎ倒していく様を見て、ピーターは肩を竦めながら呟く。
「さて、生け捕りにせよ……というご命令でしたな」
背後関係を調べるためにも、易々と殺すことはできない。どんな下っ端であろうと、声を掛けられた経路から情報が落ちるケースもあるからだ。
ピーターもそれを理解しているため、峰打ちを心掛けて剣を振るう。
「彼らは尋問。いえ、拷問で苦しむことになるのでしょうね」
残り僅かな人生を苦しみながら終えるのは、哀れなことだ。
彼の信条としては、ここで命を絶っておきたいところだった。
しかし今回の命令と相反する上に、周囲には人が多いと見て、ゆるゆると首を横に振る。
「できればひと思いに送って差し上げたいところです。ですが……やはり雇い主の意向には従っておかねばなりませんか」
ピーターは残念そうな表情を浮かべて、溜息を吐いてから――破れかぶれで襲いくる敵を全て、一刀の下に無力化していった。
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