第七十七話 ハッピーエンドへまた一歩



 朝食を済ませたクレインは身なりを整えてから、お供を連れて屋敷の玄関へ向かった。


「クレイン様、急ぎの案件が――」

「悪い。外出してくるから、クラウスかブリュンヒルデに頼む」


 併合した領地に関する報告書を上げに来たレスターとすれ違ったが、心ここにあらずといった様子のクレインは急いで厩舎きゅうしゃを目指す。


 彼の後ろに並んでいるのはマリウス、ハンス、オズマの3名だ。

 特にハンスは、珍しく真剣な顔をして付き従っている。


「ようやくこの日が来たんだからな。これ以上、後ろ倒しにはできない」


 まだ仕事は残っているが、小貴族戦の処理は一段落している。

 兼ねてよりいつにしようか迷っていたが、折よくバルガスからの連絡があり、作戦を実行に移せる日が来た。


 もうじきヨトゥン伯爵家からの使者が到着するというタイミングでもあるので、今しかない。

 そう判断したクレインは近場の家臣たちに根回しをして、すぐに行動を開始した。


「今日は晴れて良かったですね」

「ああ、苦労したからな」


 ここ1週間ほどは雨が多く、2日前までは断続的に降り続いていた。


 しかしロケーションが良い日を選びたいと思ったクレインは、本来であれば3日前に行おうとしていた作戦の日程をずらすため、一度人生をやり直して今日を迎えている。


「この時間ならまだ通行量は少ない。一気に駆けよう」


 向かうのは鉱山の手前にある鍛冶街で、具体的に言うとブラギ商会の工房だ。

 バルガスに命じて、一番腕のいい鍛冶師と細工師を探させた結果、彼女の商会に白羽の矢が立った。


「道中で不測の事態が起これば、我々で対処します」

「……武運を祈ります」

「分かった。頼りにしているぞ」


 クレインだけは余所行きの綺麗な恰好をしているが、他の面々は武装してある。

 必要最小限で、連れていても目立たない人選をした結果がこれだ。


「クレイン様。今日は私もやる気ですよ」

「ハンスは空回りしそうだから、ほどほどにな」

「うぐっ……ま、まあ、行きましょう」


 ハンスを先頭にして、4騎で南の山裾やますそを目指す。

 と言っても領内は平和なもので、道々で何かが起こることもない。


 順調にブラギ商会の工房に着くと、先乗りしていたチャールズとバルガスが手を振っていた。


「おーい、こっちこっち」

「坊ちゃん! できてますぜ!」

「ありがとう。早速現物を見てみよう」


 馬を繋ぐのはマリウスとオズマに任せて、クレインはすぐに工房に立ち入る。

 用意されていたのは2つの小箱で、中身を確認したクレインは満足そうに頷いた。


「いい出来だな」

「そりゃもう。サイズは小物屋から聞いてありますし、一切の手抜きを許してないもんで」

「その分、割増料金は貰ったけどねぇ」


 大手商会が抱える最高の職人が、子爵家内政官のトップと、商会長の監視を受けながら作ったのだ。

 その出来栄えにはクレインにも文句は無い。


「じゃあ、あとはこれを持って――」

「まあ落ち着きなって。……ほら、忘れ物だ。せっかく作ったんだから忘れないでくれよ」


 あとは工房からほど近い、街はずれの丘に向かうだけという段階になり、チャールズが追加で大きめの箱を取り出した。

 中身は今朝の段階で、彼が手配しておいたものだ。


「そうだった。完成品に気を取られ過ぎたかな」

「雰囲気も大事だ。こっちを先に渡した方がいいと思うぜ」

「ありがとう。そうするよ」


 へらへらと笑う兄弟子から追加の物資も受け取り、用意は整った。

 クレインたちは工房を後にして、飲み屋と鍛冶屋が連なる街を抜けていく。


「では、我々は周囲を固めております」

「坊ちゃん、応援してますぜ」


 丘まで行けば、そこからはクレイン一人だ。


 南へ向かうにつれて標高が高くなっていくので、北を見れば領都が一望できた。

 遠くに見える街並みを眺めながら、彼は時間を待つ。


「大丈夫だとは思うけど……」


 面と向かってこういうことをするのは初めてなので、クレインにもそう余裕があるわけではない。


 しかし多くの人間を巻き込んで、無理をして今日一日のスケジュールを全て空けたのだから、失敗するわけにもいかなかった。


「緊張するのも久しぶりだな」


 空は晴れ渡っているが、今日の風は涼しい。

 昼寝でもしたくなるような気候の中で、待ち人がやって来た。


「クレイン様ー!」

「……来たか」


 屋敷の人間にはクレインが出発して30分が経った頃に、マリーを送り出すように言い含めていた。

 クレインの姿を認めると、彼女はやや駆け足で近づいて来る。


「どうしたんです? こんなところに呼んで」

「ああ、まあ、ちょっとのんびりしたくて」


 彼女はいつも通りにクレインを起こしてから、いつも通りに屋敷の掃除などをしていた。

 そこで突然、外出するように命じられた上に、指定された場所が丘だ。


 周囲には何も無いのでマリーは首を捻っていたが、のんびりしたかっただけと言うなら話は分かる。


「お昼を持ってきた方が良かったですね」

「少し遅い時間になるけど、レストランを予約したよ。ほら、トレックが新しく開いたところ」

「それって、私もご一緒できるやつです?」


 マリーの趣味は雑貨収集と食べ歩きだ。

 街を練り歩けば、新規の店に関する噂は大体耳に入ってくる。


 スルーズ商会の新店は富裕層向けの店で、そうそう行けるところではない。

 そもそもまだオープンしたてで予約が取りにくい時期ではあるが、そこはクレインが手を回してあった。


「ああ、二人分の席を予約してある」

「やった! 一度は行ってみたかったんですよ」


 クレインの奢りで高級店に行けると知り、マリーは途端に笑顔を浮かべた。

 ご機嫌な彼女は街を見下ろして、指を指す。


「新しいレストランって南地区ですよね?」

「ああ、ここからそんなに遠くないな」

「そうですか……。この街も変わりましたね」


 釣られてクレインも、もう一度街を見渡すが――確かに見える景色は様変わりした。

 数年前までは鉱山までの道など、畑が広がるだけの畦道あぜみちだったのだ。


「前に見下ろした時は、20年くらい景色が変わっていないって……バルガスが言ってたか」

「畑が少し広がったくらいで、街並みは同じままって話でしたよね」


 クレインの父の代では大きな改革は起こらず、畑が少し南に拡張されたくらいだ。

 それが今や鉱山の近くにまで店が立ち並び、住宅街も増えている。


「上から見るとやっぱり綺麗にできているな。頑張った甲斐があるよ」

「頑張ったのは、主にハンスさんですけどね」

「区画整理の指示を出したのは俺なんだ。少し誇らせてくれてもいいじゃないか」


 人口も建物も急激に増加することを見込み、早い段階から区画整理を始めていた。

 その成果は既に現れており、新しく開発された地区は特に整然としている。


 現場で工事の指揮を執ったハンスの成果でもあるが、これは今までの人生で上手くいかなかった部分を、クレインが修正した成果でもあった。


「そうですねぇ。王都から大手商会を呼ぶと聞いた時は、どうなることかと思いましたけど……最近では毎日が楽しいです」

「それなら良かった」


 街づくりも改革も、全ては順調に進んだ。

 その結果としてアースガルド領は大きく躍進している。


「税収も上がりに上がって去年の4倍くらいになって、まだ上がっているところだ」

「いいですね、大金持ちじゃないですか」

「うん、それはそうなんだけど」


 店が増えたのもそうだし、経済力がついたのもそうだ。

 クレインからすると、まだこれは本題に入る前の前座ではある。


「で、日頃の感謝を込めて、こんなものを用意した」

「おっ、おおー……。これはまた、気が利くようになりましたね」


 クレインは大きい方の箱を空けて、花束を取り出した。


 手配はチャールズに任せており、彼は他の使用人からマリーが好みそうなものを聞き出してから、自分でブーケにまとめている。

 伯爵家の御曹司が本気でけたのだから、贈り物のクオリティとしては十分だった。


「こんなふうに花を贈るのは、初めてだな」

「ええ。もっとくれてもいいんですよ?」

「喜んでくれるならいくらでも贈るけど、今日は特別でね。もう一つあるんだ」


 機嫌がいいマリーへ向けて、クレインは小さい方の箱も差し出した。

 すると彼女は、少し驚いた顔をして固まる。


「え、あ、あの……」

「約束、憶えてるだろ?」


 王国暦500年4月1日に、クレインはとある約束を取り付けていた。

 「1年で領地の収入を倍にできたら」という条件付きだったが、それは既に達成されている。


「俺と結婚してくれ」


 普段は贅沢をしないクレインが、大金をかけて用意したもの。

 それは婚約指輪だ。

 

 時期や都合が悪く、ちょうど1年の節目とはならなかったが、クレインはこの日を随分と待った。

 片やマリーは気恥ずかしそうにしながらも、指輪をじっと見つめている。


「……あの告白。一時の、気の迷いとかじゃなかったんですね」

「当たり前だろ? これから先も、変わらず傍にいてほしいんだ」


 初回の人生では、何も無ければマリーと結ばれそうだった。

 しかし時期は訪れず、領地は滅亡して、長い遠回りをした。


 北へ逃避行をした人生では事実婚の関係になったものの、正式なお披露目ができたわけでもなく、なし崩し的に関係が完成していた。


 幾多の人生を経て、彼はようやく自分の口で、正しい手順でプロポーズに臨む。


 断られはしないと思っているが、それでも緊張しながら返答を待つと、マリーは目を逸らして街を眺めた。


「街が大きくなって、人が増えて、政治的な話も出てくるようになって。クレイン様も今や、本当に偉い人ですよね」


 これは、断わり文句なのか。

 クレインの心臓が跳ねたが、マリーは視線を戻してクレインを見つめ返す。


「ここから先はどこかの貴族とか、大手の商会とかから。色んな縁談がくるはずです」

「それは、あると思う」


 マリーとはこの場限りの関係ではないのだから、クレインも嘘は言わない。


 アストリとも関係を修復するつもりだし、受けるつもりがなくとも、どこかからの縁談は持ち込まれるだろう。

 

「私と先に結婚したら、あとから迎えた奥さんは気分が良くないと思うんですよ。それがクレイン様の不利益にならないかなって――」

「そんなことはどうでもいい。どうとでもなるし、どうにかする」


 事実としてクレインが南北と同盟を組むところまでいけば、誰からも文句は言われない体制ができる。


 南伯は愚痴をこぼすかもしれないが、それくらいだ。

 むしろ娘に、貴族の重婚は普通のことと教えている手前、彼が一番反対できない。


「だから、結婚しよう」

「ああもう、強情ですね」


 既に家臣たちは説き伏せてあるし、ハンスやバルガスといった古株の者たちは、文句を言う者を誅殺しに掛かりそうなほど後押ししている。


 あとはマリーの気持ち次第で、明確な返答を待つばかり。

 そうと決めて、クレインは真っ直ぐに彼女を見た。


「いつからそんなに押しが強くなったんですか? 絶対にどこかでヘタれると思ったのに……」


 今までの彼らは幼馴染の領主とメイドという関係だったが、一歩踏み出すなら関係が大きく変わる。

 立場のことは考えたし、照れくさいのも当然だ。


 確かに迷いはしたが――気持ちだけであれば――もう随分と前から決まっている。


 だからマリーは少し躊躇ためらいながらも、クレインの前に左手を差し出した。


「じゃあ、指に付けてください」

「きちんと答えを聞いてからにしたい」

「ああもう、分かりましたよ……」


 数年分の想いを込めて。

 意を決して、彼女は叫ぶ。


「私もクレイン様が好きです! 結婚しましょう!」


 山彦やまびこが聞こえるほど大きく、彼女は宣言した。

 クレインからの求婚を受け入れて、夫婦になると。


「は、はは」

「なんですか、ふふっ、いきなり笑い出して」


 色々な感情が噴き出して、二人は笑いが抑えきれなくなった。

 昔から気楽に付き合えていたのに、改まった雰囲気が続いて耐えられなくなったというのも大きいが。


「まあいいです」


 ともあれ余裕ができたマリーは、自分の指に収まった指輪を見てから、高らかに宣言する。


「身分があるので、正妻の座はあとから来た誰かに譲りましょう。ですが私をないがしろにすると、バルガスさんやハンスさんがクレイン様に凄いことをします!」

「酷い宣言だな」


 漠然としている上に、全く怖くはない。

 だからクレインは微笑みながら返答した。


 対するマリーは右手を腰に当てて、左手の人差し指をクレインに突き付けて、更に続ける。


「ついでに使用人たちが動いて、クレイン様の晩ごはんが一品減ったり、お部屋の掃除が甘くなったりと、様々な不幸が降りかかるでしょう」


 クレインとマリーは喧嘩したことなど無い。

 身分差もあってのことだが、互いへの感情が悪化したことすらなかった。


 しかし以後は、クレインが選んだ政略結婚の相手次第で影響があるかもしれない。

 夫婦喧嘩だって起きるかもしれない。


「俺、領主なんだけど。皆マリー側か?」

「皆から愛されているマリーさんですから、人望は厚いんですよ。まあ、そういうことを避けるためにも、ええと……」


 未来に関する不安ならいくらでもある。

 それでも彼女は、彼と共に生きる道を選択した。


 だから半分は冗談で。

 しかし半分は本心から、彼女は結論を言う。


「大事にしてくださいね?」


 クレインは返事の代わりに抱き締めて、その後しばらくの間、抱擁ほうようを続けた。


 何となく一歩を踏み出せずに、ずっと停滞していた関係が進展を見せたこと。

 それはクレインが思い描く、幸福な未来への第一歩でもあった。


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