第六十八話 待ちわびた使者



 マリーと結婚することを領内へ正式に発布する準備を進めているが、噂が回るのが早く、発表前から祝賀が届いたりもしていた。


 そんな日々を1週間ほど過ごすうちにも、やるべきことはやっている。


 まず、ビクトールからはアレス救出作戦、ひいては王都行きの承諾が取れた。

 鉄火場に向かうことは告げたが、彼曰く、「たまには旅行もいい」とのことだ。


「クレイン様ー! お客様ですー!」

「来たか」


 ビクトールは王都へ派遣する予定の人間に先駆けて、一度北に戻ると言い残して旅立った。


 ブリュンヒルデやレスターも王都行きの用意は始めていたので、事前準備には特に問題は無い。

 かねてからの予定通りに人を送り出している。


 王都方面の問題が片付いたなら、あとはクレイン個人の問題だ。

 マリーと結婚する他に、もう一つ本命の作戦が残っていた。


「アースガルド子爵、ご無沙汰しております」

「ええ、お久しぶりです。直接お越しになるとは、何か重要なお話ですか?」


 来客を聞いて応接室へ行けば、クレインが待ち望んでいた人物がいた。

 本来の時期通りに、ヨトゥン伯爵家からの使者が到着したのだ。


「まあまあ、お話に入る前に……まずは近況のご報告でも」


 南からの商隊と共にやって来たのは、ヨトゥン伯爵家の文官だ。

 三代に渡り伯爵家に仕えてきた重鎮であり、南伯の懐刀とも呼ばれている人物でもある。


 彼は今年の収穫が例年通りのため、食料の買い付けを前回通りに行えること。

 外国産の麦などを輸入できる算段が整ったので、そちらも融通できることなどを告げてきた。


 もちろん嬉しいニュースなのだが、重要な話・・・・が待っているとなれば、クレインはもう内心でソワソワしている。


「なるほど。今年は安定していそうで何よりです」

「そうですな、ははは」


 笑顔で相槌を打つクレインは、今日のために作戦の段取りを組んでいた。

 要は順番の問題だ。


 アストリと婚約を結んだ直後にマリーとも結婚したいと言えば、南伯の不興を買いかねない。アストリとていい気はしないだろう。


 だから使者が来るであろう時期の直前に、マリーとの結婚を確定させた。


 伯爵家から婚約が提案された時には、素直に事情を話した上で、アストリを正妻に迎えることで話をまとめようとしている。


 その後は平等に愛する自信があるので、残る問題は懐刀とのやり取りだけだ。


「それで……今日のご用件は、それだけではありませんよね?」

「もちろんですとも」


 マリーとの結婚を発表する時期が早過ぎると、婚約を提案してこない可能性もあると考えた。

 だからこのタイミングがベストと踏み、予定通りに使者は来訪してきた。


 全てが狙い通りに進んでおり、クレインの中では非常に順調な流れとなっている。


「当家としては、今後も良きお付き合いを続けていきたいと考えております」

「はは、それはこちらも同じことです」


 クレインの常識では一夫一妻という意識だったが、高位貴族はそうではない。


 妻や夫が複数いることは当たり前で、目の届く範囲なら愛人すら許すという、信じられない価値観をしているのだ。


 先方の認識がそうなら、クレインとてもう遠慮はしない。

 マリーとアストリをまとめて幸せにする決意は、1年以上も前から固めていた。


「では」

「ええ」


 南伯としても東伯には娘を渡したくないし、目ぼしい縁談は全滅している。

 その裏を知っているクレインからすると、勝利は半ば確定しているようなものだった。


 ようやくここまで戻ってきたかと感慨深い気持ちで世間話を聞いていると、使者は襟を正して、いよいよ本題へ入っていく。


「本日は当家より、両家の得となるご提案をお持ちいたしました」


 商売は順調だが、この先何があるかは分からない。

 ならばもっと踏み込んだ内容まで話しておくべきだ。


 そんな前置きをした上で、使者は――


「いかがでしょう、アースガルド子爵。当家と通商協定など結ばれては」


 という、クレインが全く予想していなかった変化球のカードを切ってくる。

 これは今までの歴史を振り返っても初めての提案だ。


「はい喜ん……ん? え、ええ?」

「どうされましたか?」


 婚約の話だと思っていたクレインは、身を乗り出して握手する勢いだった。


 しかし予想外の肩透かしを食らった彼は空中でつんのめり、奇妙なポーズを取ってしまう。


「え、あ、あはは。いえ、失礼。それは具体的にどのような?」


 使者の前で変な動きをしてしまったが、まずは状況把握だ。

 何がどう転んでこの流れになったのか、まずは言い分を聞かなければならない。


「では主な内容ですが……。今後は3年単位で、作物を定期購入にいたしませんか?」

「定期購入ですか」

「ええ。アースガルド領は目覚ましい躍進を見せておりますが、今後も食料の輸入は継続して行われると思います」


 クレインが焦る一方で、にこやかに語る使者には一切の動揺が無い。

 今日の予定は本当にこれだという様子に見えていた。


 彼はクレインに渡したものと同じ書類を手元に用意して、何事も無く話を続けていく。


「当家はアースガルド家のために他領への輸出を絞っておりました。しかしいつ終わるか分からない契約では、いささか不安が残ります」

「なるほど。定量で仕入れる契約を交わせば、翌年以降の計画が立てやすくなるということですね」


 この提案自体はクレインにも理解できる。10万人を楽に養えるほどの食料を仕入れているのだから、ある年に突然、依頼が来なくなれば領内の経済が大混乱だ。


 期間を区切ることで、年次計画が立てやすくなるという面はあった。


「ご注文には目を通しました。今回は北方品種という縛りが無いようですし、今後も同じであれば、生産から出荷までの全てを当家で処理できます」

「ふむ……」


 取引が打ち切りになるリスクを避けるために、アストリとの婚約を提案してきた。これが表向きの理由だったのだから、ここで話が出ないなら別な要因がある。


 まさか東伯との結婚に舵を切ったわけではないだろう。


 しかし東伯との関係が裏事情なのだから、そちらに何かしらの変化が生じた可能性は十分にあるとクレインは推測した。


「アースガルド家にとっても、当家がいきなり売り渋ることを防げる。そんな意味では安全策と言えます」

「それはいいですね」


 手元の契約書の内容確認や、それによって予想される今後の展開。


 アストリは今どういう状態なのか。

 どうして提案内容が変わったのか。

 過去と違う要素は何か。


 クレインは色々な要素をせわしく分析し、想像しながら会話を続けるという忙しい事態に陥った。


「来年以降はこの価格で3年ほど。まとめ買いの分は多少お安くなります」

「そうですか……」


 提案自体は政治的に当然のものなので、受け入れつつ話を進めていく。


 しかし一向に婚約の話は出てこず、話を15分ほど続けてから確信したが、どうやら使者には熱意が無い。


 以前までの懐刀を知っているクレインからすると、後ろ向きな雰囲気があった。


「いかがでしょうか。この契約に関して、何かご意見は?」

「それは構いませんが……」


 契約書に調印すれば、定期契約の話だけで終わりそうな気配が漂っているのだ。

 裏事情は判然としないが、話は確実に終わりかけている。


「定期契約を結ぶくらいであれば、もっと簡単な方法があると思いますよ」

「……どのような方法でしょうか?」


 こうなれば、ただ待っているわけにもいかない。

 相手の反応を見るためにも、クレインは直接切り込むことを決めた。


 クレインとアストリが婚約を結べば、こんな安全策など要らないという直球の話を。


「アストリお嬢様には、許婚がいらっしゃらないとお聞きしました」

「……ええ、そうですね」

「関係を太くしていくのに、一番確実な方法が縁談だと思うのですが」


 ヘルメス商会からの締め付けに遭い、特に鉄が不足しているとはクレインも知っている。

 ヨトゥン側からアースガルド側に要望があるとすれば鉱物資源だ。


 食料不足の影響は各地に色濃く残っているので、先方からすると、出荷する穀物などの取引先はいくらでもある。


 しかしヨトゥン伯爵領内の需要を全て満たせるほど鉱物を買い付けできる先は、現状だとアースガルド領くらいしかない。


 互いの求める物が違い、需要を満たすだけの量を持つのも互いのみ。

 歳も比較的近く、縁談を進める上での悪材料は無いだろう。


 何より先代ヨトゥン伯爵がクレインのことを気に掛けていたので、家臣団から当代伯爵への後押しがあれば、縁談は通るはずだった。


「子爵は当家のお嬢様に、婚約を申し込まれると」

「ええ、伯爵のご許可が得られるのであれば」


 クレインが縁談を提案するのも、別に不自然なことではない。

 しかし使者の男は警戒した様子で、言葉にどこか凄みが出てきた。


 場の空気が一気に張りつめ、クレインは謎の威圧感に襲われ始めている。


「子爵は、アストリお嬢様をご覧になったことがおありですか?」

「そうですね、お美しい方だったと記憶しています」

「左様でございましたか」


 取引の話をしている時は友好的な素振りを見せていたにも関わらず。話が縁談に飛んだ瞬間から、突如として剣呑な雰囲気になったのだ。


 事情が分からないまでも――いや、事情が分からないからこそ、クレインはもう一歩踏み込む。


「いかがですか? まずはお見合いからでも」

「お見合いから、ですか」


 クレインが何気なくそう言えば、使者の男は身を震わせ始めた。

 そして何かを耐えるかの如く、声を絞り出して言う。


「ええ、口さが無い者もおりますからね。巷では様々な噂が飛び交うものだと、理解はしていましたとも」

「……はい?」


 使者は、分かっているだろうと言いたげな声色だ。

 しかし彼が何が言いたいのか、クレインにはさっぱり分からない。


「あの、この提案に何か問題が?」

「問題と、言いますか……」

「何も無ければ、一度提案だけお伝えいただきたいです」

「ほう……」


 クレインが繰り返すと、使者は数秒沈黙した。


 提案への反応を示さず俯きがちに無言でいる姿。それがクレインの不安を駆り立てていく。


「婚姻関係があれば、両家にとってより良い関係を築くことができると思いますが」

「婚姻か、はは……婚姻、とな」


 この反応は確実に何かがある。

 使者の反応を伺いながら、クレインは再度押してみた。 


 そうしたところ、次の瞬間――使者の男は烈火の如く怒りを燃やし始めた。


「ええい、その手に乗るか! このれ者がぁッ!!」

「ええっ!?」


 彼は一瞬で顔を深紅に染め上げると、全力で、応接室のテーブルを殴りつける。


 しかも交渉相手であるクレインに罵声を浴びせており、どう見ても大激怒しているのだ。


 何が起きているのかはクレインにも全く分かっていない。

 だが、突然の蛮行に、彼はただただ驚くしかなかった。



――――――――――――――――――――


 次回、第九章「全面戦争編」エピローグ 「開戦の狼煙のろし


 第一巻が発売しました。

 また、そう遠くないうちにコミカライズが始まる予定です。



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