第百三十話 賭場と借金



 クレインはアストリが輿入れしてきた際に、領内には年頃の若者が楽しめる娯楽が少ないと気づいた。


 しかし娯楽産業も、あくまで基本は商売だ。

 だからクレインは需要と供給が自然と釣り合うように、ほぼ民間に任せていた。


 むしろ領主が直接の指示を出して、公営の娯楽を用意することなど稀と言える。


 献策大会で行われた各種の催しはそれに近いが、あくまで民衆のガス抜きとしてのまつりごととして行った側面が大きく、あくまで単発の行事だ。


 要は規模が大きいだけで、年に一度の収穫祭などと同じカテゴリーの祭でしかなかった。

 では娯楽の少ない田舎に、非日常の刺激的な空間があればどうなるか。


「なるほどな」


 ここは裏路地の店とは思えないほど、煌びやかな内装をした酒場だ。半地下状の店内には煌々こうこうと蝋燭が灯され、むしろ昼間よりも明るい。


 ここはディーラーとの勝負を楽しめる、非公認で違法な賭博場だ。


 日没後に来店したクレインは店の一角に陣取ると、背後にマリウスを置き、グレアムと並んで座り、酒場のカウンターにカードを並べていた。


 もちろん治安が悪い場所ではあるが、傍らにはピーターの姿もあり、護衛の戦力としては申し分ない。

 そんな中でクレインは、数字とスートを揃えて役を作る、一般的なギャンブルに興じていた。


「グレアムの手は?」

「ブタだ。そっちは?」

「役なしだな」


 彼らの手はいずれも役なしノーハンドだ。

 何の役も揃っていない、てんでバラバラの手札になっている。


 対してディーラーは最弱ながらも、一応の役ができていた。


 どんな役であろうと役なしよりは強い。

 勝ちは勝ちで、負けは負けだ。


 賭け金を吐き出したグレアムは、つまらなそうに両手を挙げた。


「次のゲームはいかがですか?」

「やめだ、今日はどうにもツイてねぇな」


 クレインもグレアムも、一時は山のようにチップを積み上げていた。


 もともとの掛け金が大きかったこともあるが、序盤は信じられないほど順調に手が進み、着々と勝利を重ねていたからだ。


 しかし中盤に差し掛かった辺りから、徐々に手が入らなくなった。

 今ではディーラーが大した手でなくとも、それを下回る役しか揃っていない。


 だがグレアムとしては、勝負には運の流れやツキがあると解釈している。まあ、勝つ日があれば負ける日もあるだろうと、ある種の節度はわきまえていた。


 少なくとも数日前、この酒場に初めて訪れたときまでは。


 潮時だとぼやきながら、彼は残ったチップを幾らか換金して、勝負を切り上げる素振りを見せた。


「そちらのお客様は?」

「そうだな、どうするか」


 ディーラーはチップの追加購入を検討しているのだろうと判断したが、実のところクレインが考えているのは全く別の話題だ。


 調査はこの辺りでいいか。

 もう確信に至ったと見ていいか。


 彼の考えはそんなところだ。

 あごに手を当てて逡巡しゅんじゅんしたクレインは、やがてひらひらと手を振った。


「では、もう一勝負だけ」


 精々がその日の食事代や、晩の酒代を賭ける程度の遊びしか経験してこなかった領民たちが、いきなり人生を変えるほどの――目が眩むほどの――大金を掴んでしまえばどうなるか。


 不意に湧いたあぶく銭は、身を持ち崩させる。

 最初の勝利が呼び水となり、より大きな欲をかかせるだろう。


 そして適当なところで刈り取られる。


「残りのチップを全賭けオールインだ」


 クレインはこの賭場で、30分ほど勝負しては服毒という工程を、三度みたび繰り返した。

 全てのゲームで同じ金額をベットしてみたが、都合4回の収支はほぼ同じ額に落ち着いている。


 今回のゲームも例に漏れず、彼は前回までの勝負と同じように、何の役も揃わないまま最後のチップを失った。


「ギャンブルに嵌まる人間の気持ちも、少しは分かったような気がしたんだけどな」

「お連れ様の仰る通り、勝負は時の運ですね」


 当たるか外れるかの緊張感を味わうのが醍醐味だいごみなのだから、クレインの能力と賭博の相性は悪い。


 否、確実に勝てるのだから、度を越して良すぎる。


 眼前ではただ淡々と、今までに見てきた結果が焼き増しされているだけだ。

 それに負けたところで、いくらでもリセットできる。


 だから勝負に一喜一憂することもなく、何の感慨も湧かなかった。


「その時々の運か。それなら話は違ったんだが……」

「何か?」


 クレインが賭け事の社会見学をして、分かったことは3つある。


 まず、何も知らない初回であれば、ある程度は賭けを楽しめたこと。

 毎回、新鮮味がある勝負をできるのなら、癖になるのも理解できること。


 そして、この賭場ではゲームの勝敗が、ディーラーに操作されていることだ。


「イカサマだな」

「なっ――!?」


 クレインが呟いた瞬間。傍らのピーターが抜刀して、ディーラーの手首を斬りつけた。


 しかし彼にしては珍しく、斬られた腕からは一滴も血が流れていない。血液の代わりに、袖口に仕込んであったカードが数枚、すっぱりとカットされて宙に舞う。


 テーブルに飛び散った紙の切れ端を摘み、視線を手元に送りながらクレインは呟いた。


「どんな技を使っているのかは、いまいち見抜けなかった。まあ、知ろうとも思わないが……やはり力技が、一番早い」


 次いでクレインは、突然のことに仰天しているディーラーの袖口に目をやった。


 すると、さばいた腹から臓物ぞうもつあふれるかの如く、更に数枚のカードがこぼれ落ちてくる。


「袖口にポケットがあるとは、不思議な服だな?」


 何度繰り返しても勝負の結果はおろか、揃う役の強さまで一致していたのだ。

 勝ちも負けも完璧にコントロールされているのだから、疑わない方がおかしかった。


 イカサマをしている前提で、怪しい場所を斬ってみれば当たるだろう。

 という、当てずっぽう、または言いがかりに近い看破は見事に的中している。


「まあいい、さて……」


 要人が少しでも賭博に興味を持っていれば、遊びに来た時点で終わりだ。事前に情報を集めておき、狙った人間を負かすことなど造作もないだろう。


 そんなことを思いながら、クレインは右手を挙げる。


「制圧だ」


 言葉に被せるようにして、グレアムは瞬間的に、ディーラーの顔面を殴り飛ばしていた。

 客に扮していた彼の側近たちも、それぞれが思い思いに、好き勝手に暴れて店を潰していく。


「てめぇら、やり過ぎるなよ。半殺しまでだ」

「頭がそれを言うんですか?」


 子分たちなど可愛いものだ。店の酒瓶を拝借して、一口味わってから、壁に叩きつける程度の乱暴しかしないのだから。


 しかし偵察としてこの店に送られて、財布の中身が空になるまでイカサマされていたと知ったグレアムは、「何て店に送りやがった」というクレインへの抗議まで含めて、強めのおしおきを決行する。


サマ・・してんなら、落とし前だよなぁ」

「た、助け……あああ!?」


 グレアムは獲物を見つけた肉食獣のように微笑むと、鼻血を垂らして尻餅を着いているディーラーを掴み、バーカウンターに向けて放り投げた。


「お客様、おやめくださ――おい! やめねぇか!」

「あぁん?」


 インテリアも兼ねた酒瓶が、十数本もまとめて落下して、積まれていた酒樽はあらぬ方向へ転がっていく。

 そんな状況では、高級店気取りの装いはすぐに剥げた。


「その酒樽がいくらすると思ってんだ!」

「値打ちものか? じゃあ賞与として……じゃねぇ、証拠品として押収だな」

「なんだこの――へぶっ!?」


 その後もグレアムは、誰よりも派手に暴れた。

 水を得た魚の如く、清々しいほどの横暴ぶりだった。


 ソファーを放り投げて窓ガラスを叩き割るわ、重厚な机を持ち上げて、手頃な店員を殴るための打撃武器にしているわと、手が付けられない有様だった。


「かっぱらうのは、こいつら片づけてからっすよ?」

「分かってるっての。オラ、お前らにもくれてやるから、キリキリ働けや!」

「うぇーい」


 ギャングやマフィアのような集団が現れて、何の脈絡もなく店内で暴力沙汰を始めた際の、接客マニュアルなど無い。

 相手の心が折れるのと、事態が新たな局面を迎えるタイミングは、ほぼ同時だった。


「君たちは完全に包囲されている。大人しく縄に着くことだ」


 大騒ぎが始まってからすぐに、衛兵隊を率いたオズマが店に立ち入った。

 兵士が来たのなら、チンピラたちはすぐに逮捕されるだろう。


 一部の従業員はそんな希望を見出したが、すぐに何かがおかしいと気づく。


「ご協力、感謝します」

「おう、いいってことよ」


 器物破損のオンパレードを繰り広げている悪人面の男たちが、何故か衛兵から敬礼を受けて、感謝までされているのだ。


 何も知らない従業員からすれば、何の冗談だと言いたくなる気持ちは分からないでもない。

 だが事実として、彼らの突入目的は全くの真逆だ。


「違法賭博の現行犯で、全従業員を拘束する」


 またしても、そこかしこから短い悲鳴が上がるが――今度はピーターの番だ。

 彼は悲鳴を上げなかった人間の逃げ道を潰し、優先的に捕縛していった。


 事前にこの場面を想定して、冷静に動いている時点で、準備を重ねた密偵であることは半ば確定だからだ。


「……何度も申し上げましたが、直接来るような場所ではありません」

「分かってるよ、マリウス。でも一度、見ておきたかったんだ」


 隠れて賭博をすることが、ここまでされるほどの重罪かと言えば違う。


 本来であれば立ち入り検査を受け入れて、問題があれば罰金を支払うか、摘発されて罪を償えば済むはずだった。


 では何故ここまでしたのかと言えば、ここが敵勢力の最前線基地だったからだ。


「証拠を押さえるついでに、部下に向こう・・・のやり方を学ばせておいてくれ」

「承知しました」


 謀反に乗った使用人の数名から、この店の借金のカタに、協力させられたという情報を得ていた。

 だからもちろんクレインは、この店がどういうところかを、事前に知っていた。


「遊ぶ金欲しさ……か。やるせないな」


 勝ちに味を占めた人間は、賭博にのめり込む。


 ほどほどに遊ぶという過程を知らないのだから、いきなり底なし沼だ。

 ディーラーの気まぐれで勝たせてもらい、順当に負け続ける。


 何せここは、敵対勢力のフロント企業なのだから、アースガルド家の使用人は狙い撃ちだ。


 そして首が回らなくなり、裏社会の借金取りに追われたとしても――家族や職場の人間に――おいそれと相談できるはずがない。


 貴族家に仕える人間が、違法な賭博で借金をこさえたとなれば、信用問題で失職しかねないからだ。

 自分に非がある正当な脅しを受けているのだから、強く出られるはずもなかった。


「小さな悪事や不正から始めさせて、後戻りできないところまで引き込む。まるで蟻地獄ありじごくだ」


 最初からアースガルド家の近辺を狙わずに、交友関係がある人間から順に落としていく。そして友人を連れてこさせる代わりに、借金を棒引きするというシステムだ。


 何度も繰り返して、屋敷に手を出せる人間に当たるまで続けた。その結果として、使用人の寝返り工作に繋がっているのだから、ある意味では敵側の妙手だった。


「遊ぶ金欲しさに裏切り……ですか。救いようがありませんね」


 つまり使用人の一部は、借金を理由に裏切っていた。しかもそれは生活苦や、家族の治療費などが原因ではなく、遊興によるものだった。


 貴族としての教育を施されたマリウスからすれば、理解が及ばない範囲の愚行だ。


 収監された使用人たちの顔を思い出して呆れる彼に、クレインも浮かない顔で相槌を打つ。


「果実酒すら飲んだことがない人間に、いきなり蒸留酒を樽で飲ませるようなものだろう。中毒性に抗えないのも、仕方がないことだとは思う」


 忠義よりも金を選んだと言えば、大抵の人間は呆れる。

 だが大抵の人間は、目先の欲に抗えないのだ。


 こんな揺さぶりが原因で、幼少期から仕えてきた家臣を処分することになったのだから、クレインにもやるせない以外の感情は無かった。


 ともあれ、似たような店は何軒かある。


 だからやることは、主要戦力を連れて怪しい店に乗り込み、過剰なまでに叩き潰した上での情報収集だ。


「賭博、ハニートラップ、薬……随分と手広くやってくれたみたいだが」


 情報を知っている人間が夜逃げする前に、素早く潰さねば――という焦りは、クレインの中には無い。

 何故ならこうした強襲作戦と、彼の能力はすこぶる相性がいいからだ。


 クレインはやおら席を立つと、半ば制圧が完了した店を後にしながら呟く。


「毎回、一つずつ消していこう」


 誰もが使命や大望を抱いて生きているわけがなく、身の回りの全員が清廉せいれんであるはずもない。

 どんな理由で離反するかなど人それぞれなのだ。


 さりとて敵方の謀略が着々と進み、心が弱い人間が順に篭絡されている状況を、よしとはできない。


 むしろこの状況を利用して、何かしらの有利な盤面を生み出せないか。

 そんなことを考えながら、彼は騒がしい夜の繁華街を抜けて、帰路についた。


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