第百二十九話 報告と遊興



「先に送った報告書の通りなんだが、一応話しにきたぜ」


 グレアムは戦地を発つ前に先遣隊を送り、戦闘の内容を報せてきた。


 暗号化した文書を複数の部隊に持たせて、別々のルートで帰しているのだから、手順にも特段の瑕疵かしは無い。


 報告の速さも正確さも十分だったため、既に事情を知っている上でクレインは尋ねた。


「随分と分かりやすい書類だったけど、あれはグレアムが作成したのか?」

「んなわけあるかよ。送られてきた下っ端の中に、目端が利く奴がいたから任せてみた」


 グレアムの下には血の気が多い人間を集めてあるが、ならず者を寄せ集めただけでは軍隊にはならない。

 真っ当に運営できる人材も従軍させており、それらは正しく機能していた。


「俺でも完璧に理解できるくらいなんだから、上々だろ?」

「そうだな。様子を見てからだけど、少し出世させていいかもしれない」


 仮に上手くいかないようであれば、失敗を基にした提案やアドバイスをするつもりではあった。

 しかしそれは杞憂に終わったと思いつつ、クレインは先を促す。


「さて、まずは大きな被害が出なかったようで何よりだよ」

「前の戦いに比べれば、拍子抜けするほどあっさり終わったけどな」


 敵は軽装騎兵のみであり、数は最大で2000ほど。

 その条件で通行できそうな道はどこか。


 グレアムはこの考えを基に現地を調査して、敵軍の進軍経路を割り出した。


 開戦中でもない平時に、閑散とした田舎の山道を進んでいるのだから、敵軍としては警戒よりも速度が優先の強行軍だ。


 道なき道を突き進む騎馬隊を捕捉して、待ち伏せて、横合いから一突きするだけで大勢は決している。


 敵は本気で応戦してくることもなく、前衛部隊の一部を殿にして山脈の東側に消えていった。

 以上がグレアムの送付した顛末てんまつだ。


「退却ではなく、撤退なんだな?」

「ああ、斥候を深入りさせてみたけどよ、やっこさんらは完全に引き揚げてるみたいだぜ」


 態勢を立て直すための一時後退ではなく、各々の本拠地に帰還したということだ。

 敵軍は奇襲の失敗を悟った段階で、迷いなく被害を減らす方向に舵を切っている。


 自陣深くに誘いこんでの撃滅を目論んでいたクレインは、この結果に溜め息を吐きながら、椅子に深く背をもたれた。


「まあ前線付近の領地では、まだ武具や兵糧が補充不足だろうからな。無理をしてまで戦おうとは思わなかったんだろう」

「貯め込んだ分を根こそぎ燃やされてんだから、山を越えてちょっかいを掛けた段階で、それなりの無理はしてるんじゃねぇかな」


 騎兵は育成費用も維持費用も、歩兵とは段違いに高価だ。しかし今は高い安い以前に、東側でも物資が不足している。


 特に馬の維持に必要な、飼料が足りていないのが現状だった。


 と言うのも、王都までの進軍を見越してヘイムダル男爵領に保管した物資は、焼き討ちによって大半が焼失している。


 メインの補給拠点を壊滅させた結果として、東部勢力でも西側に位置する領地では、資材繰りに難儀しているようだ――というのが、直近の諜報結果でもあった。


「それならあの奇襲は、それなりに効果があったと見ていいな」

「だな。賭けには大勝ちってところか?」


 手が出せない位置にある予備倉庫や、更に後方から運ばれてくる予定だった分はもちろん無事だ。


 ヴァナルガンド伯爵軍から支給品を渡す仕組みだったことからも、参集した寄子たちの部隊には、それほど大きな影響は無かったと言えるだろう。


 それでも徴兵して出兵する以上、その人手の分だけ生産力が落ちる。そして年初の呼び掛けに応じた段階で、ある程度の軍需品も確実に消費されている。


「山脈の付近にある領地から、大隊以上の規模で騎兵を派遣するとなると……どこかからの援助が必要になるはずだ」

「親分からの支援を無駄にはできないってところか」

「その辺りだろうな、退いた理由は」


 作戦規模の割にはあっさりと退いた敵軍に対して、クレインは相手側のスタンスを推測する。


 背景として考えられるのは、物資関連に加えて上下関係だ。


 激戦となれば軍需物資の消費も増えるのだから、山越えによる運搬量の低下を差し引いたとしても、物資を潤沢に使うことがはばかられるという考えはあった。


 もちろん「機会があれば動け」という指示は上から出ていただろうが、情報伝達には東西のどちらからもタイムラグがある、難しい任務だ。


 基本的には近隣の領主、又は派遣された指揮官の独断で動かねばならない以上、過度の損害を嫌った可能性は十分に考えられた。


「失敗の確率も高い任務だから、指揮官が早々に損切りしたか。それとも領主が慎重策を唱えていたか。その辺りも聞いてみるとするか」


 敵地を横断する任務なのだから、作戦目標を話して、理解が得られていなければ士気は低くなるだろう。

 現地で突然、決死隊になれと命じられたはずがなく、元から志願制のはずだ。


 ならば一定の情報を持っているはずだと見て、新しい捕虜たちについても、尋問者のリストに追加されていた。


「捕虜だったらマリウスが連れて行ったけどよ、その、なんだ」

「気になるか?」

「まあ、そうだな。気になると言えば気になるか」


 もちろん情報漏洩のリスクを考えて、末端の兵士には何も知らせていない可能性はある。

 だがグレアム隊は士官級の人間も捕らえているので、最低限の成果は期待できた。


 ある程度の事情を知っていそうな人間を捕らえたのだから、聞き込み自体は当然だ。


 しかし捕虜を連行していくマリウスの様子や、道中で見聞きした子爵邸での出来事を加味したグレアムは、珍しく口を濁した。


「別に教えても構わないけど、どうする?」

「いや、何も聞かねぇことにするわ」


 自分が捕虜の扱いを知ったところで、何が変わるわけでもない。ならば気分が悪くなるだけ損だと思い、グレアムは皮肉気に笑いながら首を振る。


「ともあれ賞与は出るんだろ? それなら細けぇことは気にしないで、今日は上等な酒でも飲んでくるとしますかね」


 あれこれと教育はされているが、頭脳労働が得意分野になるはずがないのだ。

 それこそ報告書作成のように、誰かに任せてしまえば済むことも多い。


 だから彼は現地の状況を伝えるに留めて、自分の領分ではない、策謀の裏側までは見ないことにした。


「なるほど、酒か」

「節度ってやつは守らせるつもりだが、何か問題が?」


 一方で宴会の予定を知ったクレインは、ふと思案して、ややあって頷く。

 彼は未処理だった案件の対処を、グレアムに任せることにした。


「街に出るつもりなら、もう一仕事してもらおうかと」

「仕事、ねぇ」


 密偵たちは邸宅だけでなく、街中でも騒動を煽っていた。

 結果として領都の治安が悪化しており、見回りの人手が欲しい状況ではあった。


「子分を派遣する分には構わねぇが、俺が出てもいい案件かよ?」


 ここも人材が足りなかった頃ならばいざ知らず、今では衛兵と軍人の役割が切り分けられている。


 たとえば街中を巡回する警邏けいら。要するに警察としての業務は、隊長のハンスと副官のオズマが主に回していた。


 そこいくとグレアムは軍人なのだから、今では平時に限り、持ち回りの見回り部隊を送るくらいだ。


 マリー、アストリ、アレスらを警護するためにハンスが離脱している以上、軍部の最高位に近い自分が現場にまで出張ると、指揮系統に問題が出るのでは。


 そう思い、乗り気しない様子で彼は続けた。


「それにこう言ったらなんだがな。荒れてる場所に俺の部下を送り込んだら……ほら、むしろ治安に悪いだろ」

「その自覚があるなら、根性を叩き直してやってくれ」

「できる限りでやってるっての」


 大抵は街中で乱暴を働いた人間だが、グレアムの配下には犯罪の罰として労役させられている者も多い。


 より洒落にならない本物・・と暮らさせることで、悪の道を諦めさせるという意味では、グレアム隊は更生施設のような役割も持っていた。


 しかし揉め事の仲裁に向かわせた先で、更なる揉め事を引き起こす有様だ。

 彼らの役割は暴力犯罪が発生した際に、それを上回る暴力で制圧する特殊部隊に近い。


 そんな部隊を繁華街の警備に行かせようものなら、任務を放り出して酒を飲み、酔っぱらった挙句に酔客すいきゃくと喧嘩――というシナリオも、今のグレアムであれば想像できた。


 だがクレインは軽く笑いながら、考え違いを訂正する。


「向かうのはグレアムの周りにいる何人かでいいよ。手当を上乗せするから、指定した店で使ってほしい」

「貰えるもんは貰うけどよ、どこに行けって?」


 クレインは壁際の本棚から街中の地図を取り出すと、番地と共に店名を伝えた。

 何の店だったかと思い返すグレアムだが、言われてみれば答えは簡単だ。


「ここが賭場らしいんだ」

「ああ、そういや聞いたことあるな」


 グレアムの情報網と言えば主にならず者のネットワークだ。公営ではないアングラな遊び場についても、時折耳にはしていた。


 しかしここで言う治安の悪さとは、反乱や暴動に繋がるか否かであり、素行や行儀が悪いという意味ではないはずだ。

 何故ここが指定されたのかを考えるグレアムに対して、クレインはさらりと言う。


「今度遊びにいく・・・・・から、下見に行ってほしい」

「……は?」


 今は遊んでいる場合ではない。そんなことは自分が注意するまでもなく、緊急事態の対処に当たっていた領主が誰よりも分かっているはずだ。


 であればこのお使いは何か。

 どんな裏があって、賭場での遊興を命じられたのか。


 それは――そんなことは――グレアムにはどうでもいいことだった。


「まあ、いいや。豪遊するだけの駄賃が貰えるってんなら、とりあえず貰いますかね」


 しみったれた裏事情など、聞けば聞くほど酒が不味くなるのだ。

 何かを聞くなら明日でいいと合理的に判断して、グレアムは金子を懐にしまった。


「それなりには渡したけど、豪遊したければ自腹を切ってくれ」

「へいへい、分かりましたよっと」

「特に見てほしいところはメモ書きしておいたから、よろしく」


 遊ぶ金が用意されて、正味ただ遊んでこいというのだから、有難く受け取るだけだ。

 月収の数ヵ月分になる金の袋を渡された彼は、特段の異議を挟まずに退室した。


 そしてまあ、とりあえずは羽を伸ばすかという思考で、細かいことは考えず夜の街に繰り出していく。


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