第百三十三話 一人だけの世界
調査しては精査して、推理しては考察して、クレインは何度も人生をやり直した。
しかし最初のうちはがむしゃらに集めていた情報でも、大量に集まれば整理と分析が必要になる。
そして処罰対象者の傾向ごとに、分類せねばならなかった。
何故なら個別の処理が必要な集団と、一定の判断基準で、まとめて始末してもいい集団があるからだ。
「情状酌量の余地がない層には、そろそろ処罰を固めようか」
可もなく不可もないベッドに横たわったクレインは、ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯りの下で、終わりを見据えたプロファイルを始めた。
「まずは、遊ぶ金ほしさに裏切った層か。……考えるまでもない」
敵方の策略に嵌められた者がほとんどだとしても、今となっては何一つ信用できない。
捨て駒扱いのため情報にも期待できず、情状酌量の余地も無かった。
だから全員が即時処分の対象だとして、すぐに頭を切り替える。
「次は敵方の誘いを出世の好機と捉えて、義理よりも野心を優先した層だな」
アースガルド家での出世が望めないと見て、手土産を持って他家に……と考えていたグループだ。
最初から裏切り者と数えていた、アレスの近辺から出向した役人もここに分類される。
「好条件と見て決断したのなら、栄転させるだけで裏切りを阻止できる。だけど、わざわざそんな配慮をするまでもないな」
無数に降り注ぐ難局を打破するために、指揮官や責任者は何度も入れ替えてきた。
あらゆる手を尽くしながら、適材適所を検討してきたのだ。
現在の能力から伸び代まで含めて、人材への評価は済んでいる。
主力になりえる者や、一芸に特化した奇貨は手元に
今さら新たな逸材が発掘されるとも考えにくい。
何よりこのグループにも、条件次第では裏切るという、信頼面での絶大なマイナスがあるのだ。
だからわざわざ高待遇を与えてまで、引き止めたいと思う人間はいなかった。
「能力や才覚を問わないなら、信用できる人間を置いた方がいいに決まってる」
領地に必須の人材でもないのだから、個々人の事情を個別に細かく考えるまでもない。
謀反に加担していれば、情け容赦なく問答無用で始末していく。
要は金ほしさ、権力ほしさという浅ましい理由であれば、まとめて切るということだ。
そうと決めた上で、クレインは次のグループに考えを移す。
「問題は俺の統治方針に反対する、保守派のことだ」
一方で、急激な変化に反対している層には、処刑以外の選択肢も必要だった。思想が違うだけで有能な人間や、統治に必要な人材が混じっているからだ。
そしてこのグループには移民があまりおらず、旧来からの領民が主だ。
近隣の領民から信頼されてきた指導者を、安易に処刑しようものなら――より先鋭化された思想を持つ村が誕生しかねないので、過度な処罰は考えものだった。
「そもそも地方の人間はあくまで、将来の工作を見越した予備戦力なんだ。
大前提として、拡大路線を転換することはできない。
外敵から身を守るためには、どうしても最大限の発展を考えねばならないからだ。
しかし領民たちの命を守るために動いているのだから、反対意見を唱えた領民を、気軽に切り捨てれば本末転倒にもなる。
進退に迷っている段階なら警告を。謀反を考えただけで、実行にまで及ばなかった場合には、地位と財産の没収で済ませる道も考えていた。
「いずれにせよ、強烈な
謀反を現実的に計画している相手を、丹念に説得するほどのリソースは無い。
だから短期間で決着できることも、粛清回避の条件だ。
とは言え暗殺を画策した時点で、最低でも更迭以上の処罰は確定している。
「コントロールできそうなら、まずは監視を付けて動向を窺うのが最良か?」
仮に失脚したとすれば、恨みによって裏切る確率が高くなるだろう。
ならば敵方は何かの折に利用するため、手を切らずにキープしておくはずだ。
となれば接触してきた人間を尾行して、また新たな情報を得る機会がある。
つまり許すことはできないし、役目を続投させることもできないが、命は奪わず監視付きの生活をさせても利は得られるのだ。
そのため政治的にも心情的にも、これがクレインの中で最もバランスのとれた解決策となった。
「裏切り云々を抜きにしても、いつかはやるべきことだったんだ。一度で終わらせてしまわないと」
古くからの住民に配慮した政策も打ってきたが、それだけではこの先を乗り越えられない。
体制の強化という面を見れば、再編成は必須だった。
時がきただけと結論づけて、クレインは思考をまとめるための独白を続ける。
「何らかの責任者や、まとめ役についてはこんなところかな。市政の間者についても調べは付いたし、そろそろ最終確認に移ろうか」
己の言葉に再認識するが、調査は締めくくりに入ろうとしている。
地方では
「実行犯はどんな理由があろうと消す……という前提だけど、線引きもある程度は見えてきた。この方針で始末を始めよう」
時間が経つことで、冷静に処罰を検討できるようになった。
月日が経つことで、アストリを殺害された怒りは恨みに変わった。
だからこそクレインは、罪が軽い人間にやり直す機会を与えて、恨みを抱いた相手への――苛烈な処罰とのバランスを取ることにした。
これは詳細な調査を進める中で、為政者として今後を考えた結果だ。
「確実に始末すると決めた人間だけでも、30人を超えているからな」
相手は盗賊団や民間人ではない。役人や村長、顔役や地主といった、有力者を多分に含んだ数だ。
人材を補充する前のアースガルド領であれば、家臣はほぼ全滅。
統治が不可能になり、そのまま滅亡していたほどの数だった。
それだけの人数を逮捕して、
ここから
「すぐに処理する組と、後々で処理する組。大戦の気配があるまでは、生かしておいてもいい組……くらいには分けるべきか」
始末した分だけ配置替えが発生するので、領地も当然のことながら弱体化する。
民衆にも多大な動揺が広がるだろう。
そのため狙うのは、現状の処理能力で収集がつけられる、限界の一歩手前までだ。
一時でも処刑を先送りにして、改心しなければ後々で殺すという妥協も必要だった。
むしろ、だからこそ
どこまでがセーフで、どこからがアウトなのか。
その判断は求められるが、言ってしまえばいつものことだと彼は笑う。
「これは領主の権利と義務だからな」
領内のことに限って言えば、三権は全て領主に属している。
司法も立法も行政も、全てだ。
極論を言えばどんな事柄に対しても、クレインは誰に伺うことなく決定を通達できる立場だった。
「復讐の権利だって俺にある。だから結局は感情論だ」
事実として破壊工作と暗殺の計画が存在しているのだから、確固たる証拠を家臣と民衆に掲示できれば、大量処刑への納得が得られると踏んでいる。
そのため最終的には、クレインが感情的に許容できるか否か。粛清後の混乱と弱体化をどこまで防げるか。それだけの問題ではあった。
「裏切り者を一人残らず始末したいのに、領民の殺害も極力避けたい。……我ながら
現実的に見ても、地元有力者の遺族に恨まれれば、より発見しにくい間者が生まれるだけだ。
しかし情状酌量したケースを見せておけば抑制に繋がり、無慈悲な領主というイメージの払拭にも役立つだろう。
そして、情けをかけた上で裏切るのであれば、それは失っても惜しくない人材だ。
幼少期から仕えていた家臣であろうと、始末にあたり罪悪感は無い。
論理的に整合性が取れない部分があろうとも、その辺りで手打ちだ。
対外的にも内面的にも、折り合いの目処はついた。
「覚悟はもう決めているし、リストアップも終わった。できることは全部、やったはずだ」
真偽不明の人間には、何度も何度も飽きるほど審問を繰り返した。
敵か味方か定かでない人間は、身近にはもういない。
――何も起きなければ、裏切り者はいないのかもしれない。
そんな安直な考えも既に捨てていた。
目に付いた全ての人間を疑い、調べて、何もなければ別な角度から調べて、やり直して、また疑う。
クレインはそんな歳月を過ごし、自分一人だけの世界で戦い続けてきた。
「この日々も、そろそろ終わりかな」
怪しい動きをしていた村や集落は、軒並み調査済みだ。
各地の有力者すら超えて、今は市井の民にまで調べを進めていた。
適当な理由をつけて領民の家に泊めてもらい、殺されなければそこの住民は白。
殺された場合はもちろん黒という分け方だ。
こんなやり方で、敵が見つかったのかといえば――もちろん見つかっている。
宿泊先の近隣に、間者が紛れていた事例が何件か発生していた。
無防備に泊まれば、街の反対側くらいにまでは殺しにくる。生活圏外であれば来ない場合もある。それはまちまちだ。
だが最低でも町内単位、区画単位では調べられたのだから、当初の想定よりは殺害回数が抑えられているし、宿泊時の状況変化も簡単に済んでいる。
「人に調査をさせるよりも、俺自身で体感する方が確実だった。少なくとも今回に限っては」
数日、あるいは数分の人生を重ねてきたが、長く生きたとしても1週間だ。
それまでに何の動きもなければ、1週間目の節目に自害を図り、また初日からやり直す。
新たな間者を発見した場合、最低でも3回は死んでみた。
状況を変えて、また死んで、生き返ってと繰り返し続けていた。
仮に、もしもこれが果てしない地獄であれば、彼もいずれ諦めただろう。
しかし明確なゴールがあったことで行動は止まらず、怒りも風化しなかった。
「人が住んでいる場所を全て見て回れば、それで終わりだったんだ。何てことはない」
そもそも地方の民間人から、裏切り者が見つかる確率など1/1000もなかった。
突き詰めた再調査が必要な相手も、何らかの役職持ちに限られている。
都心から離れるほど調略の本気度が低くなる以前に、寒村ではよそ者が目立つため、聞き込みだけですぐに怪しい人間を特定できたことも大きい。
「領都で重点的に調べるところは決まっているから、もうすぐだ」
徹底的に潰すとすれば、鉱山と産業の関係者だ。
民間に潜んでいる工作員は、その二つの業種に集中している。
それは事件直後の聞き取りで明らかになっていたため、クレインは悲嘆に暮れることなく呟いた。
「……さて、今回も
この言葉と共に寝室のドアを見るときは、大抵がモーニングコールの前だった。
しかしそこにマリーの笑顔はなく、現れたのは暗い表情の暗殺者だ。
「ここに留まるのも5回目だけど、これ以上は変化しないみたいだな。この街での調査はこれで最後にしよう」
襲撃を誘発させた場合は――薬の効果が現れるよりも先に、暗殺者から刺殺されることが多い。
喉を切り裂かれた激痛と共に飛び起きて、そのままトドメを刺されることなどザラだ。
宿の食事に半端な劇毒を盛られて、焼け付くような痛みの中、
しかし確実さを優先するために、服毒による痛みの軽減など、とうの昔に止めている。
そのためクレインはもう、惨殺されることにすら慣れきっていた。
「……もう少し、あと少しなんだ」
マリーの声で目覚めて、何でもない朝を迎えること。
アストリと共に仕事を片付けながら、忙しない一日を過ごすこと。
空いた時間にテラスでお茶を楽しむこと。
視察も兼ねて、買い食いしながら街を歩くこと。
少しだけ遠出をして、温泉や川遊びを楽しむこと。
――取り戻せたはずの、当たり前の日常までが遠い。
そんな考えを打ち消すように、クレインは小さく首を振った。
「いや、今はまだ……考えないようにしないと」
「何をぶつぶつ言っていやがる! 死にやがれ!」
クレインにとってみれば、襲撃者の顔ぶれが変わらないことだけ確認できれば十分だった。
だから既に、目前の刺客はおろか、今回の人生からも興味を失っている。
しかしやるべきことだけは、何も変わらなかった。
「家族の安全のためにも、終わりの時を迎えるまで手は抜かない。完全に、完璧にやり遂げるさ」
情報を集め終われば、半年ほど時を巻き戻すことになるだろうか。
どこから再開するかを具体的に思案しつつ、彼は見慣れた太刀筋の凶刃に倒れた。
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