第六十六話 工作活動
アースガルド家から降伏勧告の使者はやって来たが、男爵は騙されたと激怒して斬り捨てそうになったし、他家の人間もすぐには乗れない。
言い掛かりで攻めたことは全員が承知の上なのだ。
意気揚々と攻め込んで、戦いもせずに降伏を受け入れる人間はいなかった。
連合軍の首脳部が、ここからどうするかを協議――罵詈雑言の罵り合い――している間に日も暮れてきて、最後には一応の結論が出る。
「名誉を守るため、多少でも戦っておかなければな」
「寡兵で一戦して武勇を見せ、侮りがたしと思わせねばならんか」
大軍を相手に善戦してみせて、引き分けに近い和睦へ持ち込むことが最上ということだ。
国に価値を認めさせれば処罰は有耶無耶にできる。
そうした彼らの目論見が共通見解とはなったが、具体的にどう戦うのかは宙ぶらりんのままだ。
力の限り戦う。方針はそれだけだ。
その決定が全軍に通達された数十分後。
夕飯の支度をする雑兵が一人、南の空を見上げながら呟く。
「これから……どうなんだろうな」
「どうって、何が」
少なくとも今すぐ降伏とはならず、一戦することは確定していた。
怒鳴り合いは陣幕の外に漏れて、兵士たちの間では顛末が一瞬で広がっている。
だから彼らは、出たとこ勝負の無謀な戦いに出ると知って更に士気を下げた。
「明日はあれと戦うんだろ?」
「まあ、戦うんだろうな」
敵方であるアースガルド軍と自軍を比較すれば、自然と溜息が漏れている。
子爵家は大軍で、見えている範囲でも自軍の四倍は下らないのだ。
「うちの領主様、何か考えがあんのかな?」
「あると思うのかよ。あっちには国が付いてるって話だぞ」
しかも兵士の中では「あの丘の向こうにも更なる大軍が待ち構えている」という噂が、まことしやかに囁かれている。
普通に戦えば勝ち目が無いことなど明白だった。
「だよなぁ……俺たちも反逆者か」
戦争の経緯を全く知らない下っ端でも、お上に逆らえば逆賊という理屈は理解できる。
地域で権勢を振るっていても、国と争えるはずがない。
そんなことは最下層の生活をしている貧民ですら、すぐに分かることだ。
そして軍事調練を見せつけられた際に、子爵家の兵士が精強そうで、装備も統一されているところは明らかとなった。
国が相手という以前に、軍隊としてどちらが強いかなど考えるまでもない。
「お偉いさんの意地に巻き込まれて死ねるか! 俺は逃げるぞ!」
「ま、待てよ。見張りに見つかったら殺されるぞ」
勝つ見込みのない戦いで、敗北後の条件を良くするためだけに磨り潰される。
そんなことを素直に受け入れる人間はおらず、所々で脱走兵が出始めていた頃だ。
「……なあ、ここにいる全員で逃げたら、見張りも捕まえきれないよな」
近場でそんな話をしているのだから、炊飯をしていた男も色々と考える。
「考えるとしても、これを食ってからだ」
「だな。食ってから考えよう」
男も逃げる流れに乗ろうとしたが、すきっ腹で逃げることはないだろうと言われればその通りだ。
彼も大人しく調理を続けたが、南から立ち上る煙の数からして圧倒的だった。
「あっちには食い物、沢山あるんだろうな」
「それはそうだろ。向こうの兵に瘦せっぽっちなんていなさそうだし」
2万人近い人間が立ち上らせる炊事の煙は、連合軍の煮炊きで出ているものの20倍はあろうかという数だった。
人数差はあっても5倍なので、単純に考えると4倍の食事が取れると見ていい。
動員数と財力の違いを見せつけるように、煮炊きの規模からして威圧感を放っている。
「薄くて味がしない粥だけじゃ、なあ」
彼らの食事も出来上がったが、陣中食という点を差し引いても質素なものだ。
溶けて無くなりそうなクズ野菜を見つめて、男たちからはまた溜息が漏れる。
同じ王国で領地が隣だというのに、格差が酷過ぎると厭戦気分が充満してきた頃。
暗い顔をしている兵士たちに、声を掛けて回っている男たちがいた。
「お前たちも来ねぇか?」
「脱走の相談か?」
「山に逃げても餓死するだけだろ。子爵家に保護してもらうんだよ」
保護してもらうという発想は、圧政で苦しんでいた彼らの選択肢からはすっぽりと抜けていたものだ。
逃げるか逃げないかという二択から、新しい案が掲示された彼らは戸惑う。
「保護って、敵にかよ」
「……無理だろ」
確かに保護されるなら、山野で生きるか死ぬかの生活をするよりもいい。
通行人の少ない山道で山賊をやるか、命懸けで故郷への帰還を試みるよりもずっと生き延びられそうな提案だ。
それでも殺し合いを明日に控えた敵が、快く受け入れるはずがない。
自分たちの領主を参考にすればそんな結論になる。
そんな不安をかき消すように、声を掛けた方の男――グレアムの子分は言う。
「俺は向こうに親戚がいるんだけどよ。景気が良過ぎて人手が足りないとかで、いつでも移民を募集してるって聞いたぜ」
「食い物はいくらでもあるし、税も安いんだってよ」
そんな美味い話があるのか。
顔を見合わせた男たちの横で、口裏を合わせるように――マリウスの部下が言う。
「それ、本当らしいな。さっき騎士爵家の方でも聞いたぞ」
「マジかよ」
「ああ。今なら難民扱いで保護してくれるらしいから、今夜のうちに逃げるって聞いた」
適当に集められた雑兵は同じ村の者同士で固まっていたが、付き合いがあっても精々が隣村までだ。
脱走を促しているのが子爵家の人間などと、分かるはずがない。
だから噂話を素直に信じる者が多かった。
「いや、でも見張りがいるし」
「あいつらは領主の側近だ。裏切るはずがないぞ」
何となく希望は見えてきたが――それでも脱柵が見つかれば、死罪は免れない。
一か八かの賭けに尻込みする者へ、グレアムの子分は重ねて言う。
「脱走希望者が何人いると思ってんだ」
「囲んでぶっ殺して、土産にすればいいだろうが」
「えっ」
グレアムの子分たちは血の気の多いことを言うが、その通りだ。
明日の戦いまでに陣を離れたいと思っている者が大多数なことなど、互いの顔色を見ればすぐに分かる。
「いいじゃん、どうせならお貴族様まで殺っちまおうぜ」
「うぇーい」
「……犬死にするよりマシか」
「そうそう。食わせてもらえるかもしれねぇんだから、俺は賭けるぜ」
ここで善良な民たちは再び顔を見合わせたが、密偵たちの言っていることはもっともだ。
使い捨てにされて死ぬか、山で飢え死にするか、運よく賊として食っていけるか。
そんな選択肢しか無いなら、移民に賭けてみる方が未来は明るい。
「できるだけ大勢で逃げよう」
「そうだな。隣村の奴にも声を掛けてみるよ」
粗末な食事を取り終わった兵士たちは三々五々に散り、賛同者を集め始めた。
脱走に消極的な者はいても、密告をするような人間はいない。
大抵は同じ境遇で徴兵されているし、気持ちは分かるからだ。
兵士を脱走させる計画は順調に進んでいるが、マリウスの部下はここで、頭が痛そうな顔をしてグレアムの子分たちに振り返った。
「……おい、保護の話は俺から切り出すんだろうが」
説得は上手くいったが、それは結果論だ。
マリウスが言い含めた筋書きからは、少し外れた展開になっている。
「それに俺たちの任務は脱走の手引きだ。敵陣で反乱を起こせとまでは命じられていないだろう」
グレアムの子分たちが適当に展開した話を、本職の密偵が軌道修正した結果が今だ。
何度このやり取りをしても台本通りにいかないので、密偵の方はもう呆れている。
「へへ、すまねぇ」
「うぇーい」
「グレアム隊を上手く使えと言われたが……。まあいい」
元山賊だけあって、貧民の演技だけは完璧だからな。
そんな言葉を飲み込み、密偵の男は次いで脱走兵をまとめる準備に入る。
「下手に山野へ逃げられて、野盗になられても厄介だ。まとめて投降させるように調整していくぞ」
3ヵ月ほど前から小貴族家の各領地へ分散配備されていた、流民に扮した密偵たち。
彼らは応援でやって来たグレアム隊と共に貴族家から捕獲――徴兵されて、軍の中に入り込んでいた。
口減らし目的で死地へ送られているのだから、連合軍兵士の士気が高いはずがない。
偽兵や王国旗で心をへし折り、厭戦気分が蔓延すれば話は早かった。
誰もが思っているが、言えないこと。
軍からの離反を勧めて回るだけでいい。
希望者たちの間を取り持ち団結させるだけで、脱走兵の数は膨れ上がった。
「最悪の場合は、引き留めようと追ってきた軍とそのまま夜戦になる。気を引き締めろよ」
「おう、暴れる方なら任せとけ!」
「うぇーい」
彼らは内部崩壊を煽るだけ煽り、混乱に乗じて脱走兵と共に帰還する。
その予定で今日まで過ごしてきた。
夜半となってこの作戦が実行された結果、6家の当主たちがどうなったかと言えば様々だ。
早い段階で騒動に気づいたが、収拾しきれなかった者。
側近や正規兵を動員して、ある程度の督戦に成功した者などは良い方で。
「な、何をする!」
「うるせぇ、よくも好き放題してくれやがったな!」
「てめぇの首を土産に、褒美を貰うんだ!」
今まで敷かれた圧政の恨みを晴らすために襲い掛かられ、寝首をかかれた当主までいる。
逃げることを決断できなかった兵士たちは、どうしていいか分からず立ち往生していたが――そのうち脱走の流れに乗る者が増えていった。
悲喜こもごもの結末を迎えながら、翌朝が訪れる。
――――――――――――――――――――
作戦④
密偵が脱走を煽り、逃亡兵を増やす。
敵軍兵士は口減らし目的で集められた、忠誠心ゼロの兵士が多いです。
偽兵などの威圧で士気が崩壊しているので、皆で逃げようと言われたら簡単に逃げました。
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