第六十五話 地獄へようこそ(後編)
アースガルド家は王家との間に、周辺の諸勢力が欲をかいて小競り合いを起こせば、庇護を受けるという約定を結んでいた。
現状を見るに、動員された連合軍の兵は全部で5000人近く。
戦争と言って差し支えない数なので、国軍への援軍依頼はできる状況だ。
「まあ、実際にはハリボテなわけだが」
本陣ではクレインが苦笑しており、その横でブリュンヒルデが各部隊への指示出しをしている。
クレインがこの場に用意した兵士は、実際には前線に布陣させた5000だけだ。
かと言って国軍に救援要請などしていない。
何故援軍を呼ばないのかと言えば、国軍に撃退させると、戦後交渉で新領地を手に入れる難易度が上がるからだ。
だから実際には子爵軍だけで対応することにしていたが、それではこの
「旗さえあれば軍勢に見えるから、外側だけを兵士にしておけばいいよ」
そんなことを言い残したビクトールは、5日前には別動隊として出陣していた。
つまり本物の子爵軍の後方で控えているのは、武装もしていない非戦闘員だ。
大量発注した旗を日雇い人夫たちに持たせて、兵士の後ろに並べただけとなっている。
「しかし、意外とすんなり騙せたな」
「高所を押さえていることが大きいですね」
外側の数列だけを兵士で固めた、見せかけの兵ではあるものの――それを確認できる高所は陣地で潰してある。
道を挟むように続く二つの丘にはそれぞれ陣地を構築しているが、そちらなど前列だけが兵士だ。
大量の旗は民間人を軍人に化けさせるためのものであり、数で敵軍を威圧するために用意されている。
「最後の隠密も送り込めました。全て予定通りに進んでいます」
「ああ、ありがとう」
旗による兵士の水増しで、一見すれば大軍勢が生まれた。
しかも一部には錦の御旗が翻っている。
動揺した敵陣の足が止まった段階で、作戦の第二段階だ。
「何か問題は?」
「いえ、どうやら無事に伝達できたようです」
「……連合軍の奴らは俺の顔すら知らないんだし、当たり前か」
普段からいがみ合っているのだから、各家同士でも交流が無いのだろう。
そう思い調べさせてみれば、やはり小領地間での行き来が乏しいことが明らかとなった。
近隣領主の顔すら怪しいのに、複数いるであろう伝令の顔など知っているはずがない。
だから適当に変装させたマリウスの配下を、離脱した家の伝令として敵陣に送り込み――適当な報告をさせている。
「実際に送り出した兵は東西で300ずつ、ここにいるのも5000と少しだけど」
「敵から見れば2万超え、ですか」
伝令に扮装した密偵からの出鱈目な報告を、真に受ければよし。しかし上層部が信じなくても特に問題は無い。
大慌てで駆け込み大声で報告すれば、周りの雑兵から勝手に話は広がっていく。
「ここまでは順調だけど、敵に動きは見えないか?」
「ええ、即座に攻め寄せてくることは無さそうです」
実際には国軍の援軍など無いどころか、後方の陣中にいるのは大半が民間人なのだ。
近隣の村から集めた人間が入り乱れて、ただの飯炊き係をやっているに過ぎない。
「国軍の旗があるだけでも、効果はあったか」
それでも敵から見れば、子爵家という格に分不相応な軍勢は――国軍のものという印象になる。
全てはこけおどしだが、敵陣の反応を見る限りでは上手く機能していた。
「部下に余計なことをさせるなとのご下命を賜っている。我々はただの見物人だ」
「そうしていただけると助かります。見ているだけで結構ですよ」
アレスに頼み近衛騎士を五人貸してもらったクレインだが、これは敵に、軍勢が増えた理由は「王国軍が援軍に来たから」だと信じさせるためだけの方策だ。
王国旗を輸送すること。
目立つところに、立派な鎧を着こんだ近衛騎士の姿を見せること。
ただそれだけの任務に、近衛騎士団長まで混じっているのだからクレインも驚いた。
王国の旗と適当な騎士が数名いれば完了する作戦だったので、近衛騎士団長などを送られても完全に過剰な人員となる。
「まあ、念には念をというのは分かるんだけどな……」
団長が持ち込んだアレスからの密書を見れば、全幅の信頼を置ける人間が少なく、王家に忠誠を誓う堅物を選んで送り出したと書かれていた。
王子からの命を受けた近衛騎士団長が来ているなら、確かに確実だろう。
しかし部下が何もしないように統制するだけなら、小隊長クラスでも構わなかったはずだ。
アレスも全力だなと思い苦笑するクレインだが、いずれにしても王都から来た騎士たちが戦うことは無い。
「しかし戦わないのであれば、何故我らを呼んだのだ?」
来た段階で任務は完了なので、あとは終戦まで滞在してもらうだけでいい。
しかし呼ばれた側からすると腑に落ちない指示ではある。
部下を目立つところに並べてくれとだけ言われた騎士団長は、難しい顔をしながらクレインに真意を尋ねた。
「王国軍が介入したという噂を流せば、彼らも投降するのではないかと」
「ふむ、周辺の治安を考えればそれが一番か」
巌のような顔をした、白髪頭をオールバックにした騎士団長は鷹揚に頷く。
味方同士で戦い損害を出すくらいであれば、王家の威光で矛を収めるのが一番国益に適うからだ。
実際の作戦など説明できるはずがないので、クレインもここはもっともらしいことを言って前を見た。
もしも横槍が入ったなら、やり直して身分が低めの近衛を送るように言おうか。
そんな思惑でいるクレインの眼下で、敵軍がやっとこさ布陣を始める。
「とは言え、ここで降伏しては面子が立たない。奴らも一当てくらいはしてくるだろうが……子爵。攻めなくとも良いのか?」
「ええ、まずは使者を送りましょう。もしかしたら降伏するかもしれません」
連合軍の動きが遅く、明らかに動揺しているのが見て取れる。
今すぐ攻め寄せれば簡単に勝負が決まるとしても、クレインはそれをせずに布陣を待った。
「どうだろうな。評判を聞く限りでは怪しいと思うが」
「勧告を拒絶するようであれば戦いますよ。ですがその前に、もう一工夫を入れておきます」
戦いが始まる前に降伏勧告の使者を送り出し、同時に仕上げだ。
クレインが合図を出すと、この日のために増員されたランドルフの部隊だけが前に出る。
しかし前線に出たランドルフは打ち掛からず、精鋭だけを集めた自分の部隊へ振り返り、雷鳴のような大声で叫んだ。
「これより訓練を行う! 隊列変更!」
グレアム隊からは懲罰部隊と呼ばれるほど訓練が厳しいランドルフ隊だ。
やり過ぎなほど、みっちりと鍛錬していたのだから、実戦でも完璧に統制できていた。
「それでな訓練に合わせて、演奏も開始してくれ」
「承知いたしました」
彼らが前に出た段階で更に指示を出し、献策大会の際に雇っていた吟遊詩人を筆頭に、臨時で組織された音楽隊が楽器を鳴らす。
これは音楽の心得がある者なら誰でもいいと急ごしらえで作った部隊だが、彼らは戦いを前にして、とにかく派手な演武を始めた。
「方陣用意! 槍を構えろ!」
「ほう、よく鍛えている」
演奏に合わせて動き始めたランドルフ隊が、待機隊形から密集隊形へ移行して堂々と武器を構える。
一糸乱れない陣形変更は、騎士団長も感心するほど整っていた。
この光景を敵陣の兵士――貧民の寄せ集め――が見ればどういう印象を抱くか。
自分たちよりも明らかにいい装備を持ち、明らかに強そうな兵士が集まり、明らかによく訓練されている。
しかも数が自軍の4倍以上だ。
「個々の力で勝てない上に、数でも惨敗している――どう見ても勝ち目は無い相手に見えるはず」
片や連合軍の兵士は食い詰め者で、略奪を目的にやって来た人間が大半となる。
つまり戦いなど望んでいない層がほとんどだ。
口減らし目的に無理やり連れて来られた者が多いので、数で圧倒された上に、精鋭部隊の軍事演習を見せつけられた敵軍は完全にやる気を無くしていた。
「ここまで脅せば、末端の制御なんてできないだろうな」
「そうですね、クレイン様」
誰だって無謀な戦いで死にたくはない。当たり前のことだ。
示威行為で士気を挫くこと。それがランドルフに与えられた使命だった。
これらの作戦は全て、敵兵士の心を折るためのものだ。
「戦うとすれば明日だけど……戦いになるかな」
「今日は動かないのか?」
「もうじき日が傾いてきますし、降伏の期限は明日までとしました」
騎士団長は重ねて聞くが、クレインからすると焦ることはない。
領内まで敵を引き入れてしまえば、敵の首脳が逃げ出そうとしても捕まえる用意はできているからだ。
「降伏しないのであれば、明朝が決戦と伝えています」
「これを見て降伏しない者たちなら、要らないか」
最後通牒として降伏を促し、それでも歯向かうなら潰しても致し方なし。
あくまで平和的解決を図ったという証人に騎士団長が使えれば、それはそれで盤石と言えた。
そして実のところ、敵陣へ送る使者は志願制にして、斬られるか斬られないかの限界まで煽ってくるように命じている。
このまま無条件降伏をされるよりは、抗ってもらえた方が都合がいいからだ。
「ええ、全ては殿下にもご相談の上での行動です」
「ならば奴らの決断次第だ。見届けさせてもらおう」
斥候を出して慎重に進んでくるなら、途中でこの大軍勢が発見され、逃亡される恐れもあったが――そこはエメット以下数名が散々侮らせている。
男爵は彼らの目論見通りに、慎重策を唱える者を臆病者と
大物風を吹かし、見栄のために軽率な軍事行動をしてきたのだ。
「偵察も出さずに進んできたのが運の尽きだ。命脈は尽きたな」
子爵軍の姿を目視した時にはもう手遅れだ。
それに途中で引き返したとしても、これから辿る結末に大差は無い。
「彼らが取れる手は夜襲くらいかと思いますが、夜もこのままの配置でよろしいのですか?」
後方に戻る騎士団長を見送ってから、ブリュンヒルデはクレインに聞く。
しかしそこも、考慮するほどの不安点ではない。
「夜襲よりも夜逃げしそうだけど、何も決められない可能性が一番高いかな」
「……そうですね。警戒だけはよく命じておきます」
「まあ、そう身構えなくてもいいよ」
調子のいいことを言って連合を組み、調子に乗って進軍を続けさせた男爵が他家から吊るし上げを食らうことは目に見えていた。
内輪揉めを始めて、何も決まらない可能性が一番高い。
それがビクトールとクレインの共通認識だし、ブリュンヒルデにもそれは分かる。
しかし無策に見えても不安だろう。
安心させておこうかと、クレインはそこにいくつか付け加える。
「もう身動きは取れないよ。そもそも情報が錯綜して、対策を考えるどころじゃないはずだ」
敵は1000や2000と認識していて、現れたのが2万超えとなれば相当な混乱が生まれる。
それ以外にも、男爵へ事前に伝えていた別動隊の数は、東西合わせて1000人。
実際には600人で、偽報では5000人と一貫性の無い報告を上げているのだ。
正しい情報と誤った情報、それに疑わしい情報が入り乱れている。
何を信じていいのか分からない状況は既に完成していた。
「それに連合軍が作戦を決められたとしても。それを実行できるかどうかは、また別な問題になるから」
「左様でございますね」
彼らにできることは精々が、歩調を合わせて軍を前に出すことだけだった。
突然の状況変化に烏合の衆が対応できるはずがなく、全体としての方向性を打ち出して実行するのは至難だ。
指揮系統が各自で分かれているのだから、全軍で夜襲をするという合意形成ができるとは到底思えない。
単独で仕掛けても返り討ちに遭う可能性が高いし、それ以前に、どこを狙うのかという問題もある。
そもそも王国の旗を掲げる軍に、夜襲を決断できるほど勇気のある当主はいないという前提もあった。
「まあ、講和を持ち掛けてくる家にだけは警戒しておこう。使者が来ても間者として捕えてほしい」
「承知しました。では、そのように手配を取ります」
マリウス隊のほぼ全員が出払っているので、防諜体制は無い。
しかし使者をクレインの元へ到達させなければ済むので、ブリュンヒルデが護衛の増員を命じるだけで最後の対策も終わった。
「もう詰みだけど、こうなったのは全部が自業自得だよ」
ここでクレインは改めて敵陣を見るが、何も考えずに破れかぶれで攻めてくる様子も無い。
敵はただただ動揺している。
「わざわざ明日の朝まで待ってやると伝達したんだ。ははは、日暮れまで存分に揉めるといい」
誘い出しが成功した時点で終わりだ。
山のこちら側に引き込んだ段階で、どんな足掻きを見せようと挽回する術は無い。
「……さて、地獄へようこそ」
ここからであればどう転んでも敗北はあり得ないので、クレインは悠々と夜を待った。
――――――――――――――――――――
作戦①密偵による偽報
マリウスの部下A「北東の子爵軍は2000人です!」(実際は300人)
マリウスの部下B「北西の子爵軍は3000人です!」(実際に300人)
男爵の認識は本隊1000人、別動隊1000人(各500人)
他の当主たちの認識は本隊2000前後。別動隊についてはよく知らない。
作戦②偽兵の大軍勢
子爵軍の動員可能数は6000人で、最前線に配置された5000人の部隊は本物。
後方の12000人は大半が非武装の民間人で、軍旗を掲げて兵に見せた偽物。
作戦③偽装王国軍
中央で王国の旗を掲げているのは子爵家の人間で、兵士は偽物。
前に立っている近衛騎士たちは本物の国軍構成員で、旗と武将だけは本物。
作戦④軍事演習による威圧
この部分だけは全部本物。ランドルフ隊はよく訓練されています。
精鋭が官軍に見えたとすれば、それは相手の勘違い。
総じて言えば、デタラメな情報をバラ撒いて首脳陣を混乱させ、兵士をビビらせるための作戦です。
事前準備も正解も見ていない連合軍には、何が正しいか分からない状態。
正しい情報と誤った情報を交互にどうぞ。
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