第六十七話 想定外の事態



「クレイン様、投降兵をまとめ終わりました」


 ブリュンヒルデから集計を受け取るクレインだが、結果は惨憺たるものだ。

 少なくとも敵軍から見れば。


「数は多かったけど、思ったよりも順調にまとまったみたいだな」

「はい。受け入れ準備はできていましたから」


 マリウス隊の10名だけを敵陣に残してあるが、扇動の結果については上々だ。

 しかし後から決心を固めて追ってくる者もいたので、明け方まで散発的に受け入れが続いていた。


 そのため朝になったら戦うと決めていたが、保護作業のために開戦の合図は遅らせている。


「……事前準備をしておいて良かった」


 炊事の煙を見せつけて、腹を空かせた兵士の心を折る作戦もあり、子爵軍の陣中にはこれでもかと食事を用意していたのだ。

 余るほどの食料と調理器具があるし、前日から多めに作っていたので不足は無い。


 捕虜たちは数か月ぶりのまともな食事を、涙ながらに掻きこんで大人しくしているので、それ自体は良かった。


「それで、保護したのは全部で何人になった?」

「1500名ほどです」


 敵の全軍を保護する用意はしていたので、予定通りと言えば予定通りだ。

 しかし夜逃げをしてくる数が予想よりも多かった。


 この報告には、ビクトールと一緒に絵図を書いたクレインすら引いている。


「ええ……。そんなに来たのか」

「はい。グレアム隊が扇動し過ぎたようですね」


 ビクトールの予想では800人ほどが降伏してきて、200人ほどが逃散する見込みと聞いていた。

 しかし実際には投降者が1500人と、予定の倍近くにまで膨れている。


 伝え聞いた予想と違う点は、脱走兵が土産を用意しようと騎士爵2人を討ち取ったところだ。

 グレアム隊が扇動した結果、悪政に恨みを抱えていた者の一部が暴走していた。


「当主は戦場で討ち取るか、捕まえるか。どちらかの予定だったけど……どうしようか」


 クレインは作戦の詳細を公にしていないが、アースガルド家は戦争の賠償として領地の割譲を迫る予定で動いているのだ。


 盤外戦術で殺害してしまうと、戦後交渉が上手く進むかはクレインにも分からないところだった。

 ――しかしブリュンヒルデは、特に動揺もせず冷静に意見を述べる。


「これは内乱ですので、子爵家には関わり合いの無い事件です」

「まあ、それはそうだ。……残りは男爵と準男爵が1人ずつに、騎士爵が2人か。戦場に4人も残っていれば大丈夫かな」


 連合の一部が内乱で崩壊したというだけの話だ。

 当初より8人の当主のうち、半数は討ち取る予定でいた。


 子爵家の人間が直接手を下したわけではないので、生き残った当主を捕えればそれで済む。

 そう片付けたクレインは、丘の本陣から自陣を見渡した。


 統制を失った兵がまとめて脱走してきたので投降兵の数が増えたし、その動きに釣られて保護を求めてきた数も増えている。


「マリウス隊とグレアム隊の密偵も帰還しているから。保護した難民と合わせると、敵陣から移動してきたのが1600人くらいだよな?」

「概算では、それくらいかと」


 兵士の離反と謀反によって、もう連合軍は半壊していた。

 しかし残った敵軍は、陣を解かないで開戦を待っている。


 名誉のために一戦交えるという方針に変更は無かったのだ。

 このまま夜逃げされるよりも、一戦交えた方が効率はいいので、クレインからすると有難いこととなる。


 残った敵軍を撃退すれば、それで話は終わるのだが――ここでクレインは首を傾げた。


「……どう見ても、1600人以上減っていそうなんだけど」


 東西の2家が脱落した時点でも、連合軍は4000超えの数を維持していた。

 密偵を含めて1600人ほど減っても、敵軍は2500人前後になるはずだ。


 しかしそれにしては数が少なく、半数が残ったか、残っていないかというところだ。

 腑に落ちていない彼にブリュンヒルデは言う。


「逃げ出した者の数も予想を上回ったようです」

「ああ、そういうことか」


 子爵家側に逃げてきた兵士は保護したが、それとは別に、やはり逃亡した者もいる。

 夜半に軍が崩壊した影響で、散逸した人間の数すら予想を超えてきていた。


 一部の者が謀反による混乱を、子爵軍が夜襲を掛けてきたと勘違いした結果でもある。


「山賊化すると大変だから、そっちも捜索の上で保護しないとな……」

「左様でございますね」


 食うや食わずで山賊になられても困るので、クレインとしてはさっさと敵軍を打ち破り保護を開始したいところだった。


 彼らが改めて敵軍を見れば、夜半の事件によって指揮官が削られたせいか、全体的にまとまりがない。

 朝になった頃には友軍が2つ、丸ごと消滅していたのだから落ち着きも無い。


 全軍で見れば戦闘員の半数が消えて、既に全滅と言っていいほどの被害を受けていた。


「残ったのは、ちょうど2000人くらいかな」

「隊列が乱れているので正確な数は分かりませんが、その程度でございますね」


 圧政に対して恨みを持っている兵士がほとんどの軍だ。

 忠誠心など皆無なので、煽ってやればすぐに逃げ出すことは計算していたが。


 いくら何でもここまで逃げるかと、立案者側のクレインですら困惑していた。


 ここにきて作戦の全貌を知った周囲の武官も、中央から追加で派遣されてきた近衛騎士たちも、眼前の光景には戸惑っている。


「はは、ここまで人望が無いとは、どこまで酷いまつりごとをしていたのか」

「これは戦いよりも、受け入れの方が手間ですなぁ」


 平然としている将も数名いるが、例えば初期から仕官している、どことなく高貴そうな中年の武官。

 そしてピーター辺りは談笑している。


「ああ、昨日の酒は美味かったな……」

「おいおい、これから戦うんだぞ?」

「大丈夫かよランドルフ」


 また、将軍としての活躍を夢見て鍛錬してきたランドルフは、大舞台での演武ができて感無量という顔をしている。

 近衛騎士団長からの評価まで受けられたのだから、昨夜は仲間たちと祝杯を挙げていた。


 今も遠くを見ている彼は、気が抜けたように穏やかな顔をしているのだ。

 これには地元から連れてきた仲間たちも、心配と呆れが半々くらいの目を向けている。


「あれだけ動けるようになるなら、俺の部下ももう少し鍛えるかねぇ……」

「いいんじゃねぇっすか、多少なら」


 サボり癖のあるグレアムにも思うところがあったのか、訓練に対して前向きになっている様子が見られる。


 和気藹々としているが――これはどう見ても、戦いを前にした雰囲気ではない。

 そんな光景を前にして、ブリュンヒルデはクレインを急かした。


「クレイン様、下知を」

「……まとめないとな」


 下士官は指示を待ち戸惑ったままだし、主力級は大物過ぎるのか、マイペース過ぎてまとまりが無い。

 この結果にはクレインも苦笑いだが、やることはまだある。


「全員席についてくれ。開戦の前に指示を出しておく」


 寝首をかかれた騎士爵たちが率いていた軍は消滅したし、戦場に残る他の4家からも相応の脱走兵が出たのだから、もう勝負にもならない。


 楽観ムードが流れるのは仕方がない面もあるが、全体に向けた指示は必要だ。


 これまでに弄してきた策から比べれば、大した作戦は無い。

 それでも戦い方には少しだけ工夫が必要となる。


「今回の戦いでは、指揮官以上の首に3倍の報酬金を出そう。捕えた場合は5倍だ」


 通常の規定で言うと、下士官を討ち取れば1ヵ月分の生活費が、当主を討ち取れば1年分の生活費が出るくらいの金額を設定している。


 しかし今回に限っては、身分がある人間を倒した場合の報酬金が大幅に跳ね上がった。


 離脱と内乱で、戦場に出た敵将の数が大幅に減っている。

 だから褒美は先着順になるし、全員には用意されていない限定品だ。


「中隊長候補についても、この戦いで戦果があれば正式な中隊長に任命する――が、逆に敵部隊を撃破した褒美は、規定の3分の1にする」


 そもそも敵兵士を倒しても、一夜の飲み代で消える程度の褒美となった。

 であれば目標は至極単純だ。


「功が欲しくば大物狙い。分かりやすくてよろしいですな」

「……なるほど、親玉を殺るしかねぇってわけか」


 ピーターは飄々としているが、グレアムはハンス隊からの独立も懸かっているので真剣だ。


 謎の威圧感を放つグレアムはさておき、武官たちの頭には「大物だけを殺る」というシンプルな命令が叩きこまれた。


「それから、逃げ出す兵は追わないこと。降伏した兵には手を出さないこと。注意点はそれくらいか」


 敵の兵士に配慮するような作戦指示に戸惑う武官もいたが、再編成して逆襲される恐れも無いのだから、雑兵に労力を使うのは時間の無駄でしかない。


 変な気を起こした小貴族たちとその側近を、確実に始末しろという命令だ。

 武官たちにも理解しやすい内容だったので、注意点も含めた周知はすぐに終わった。


「正面からの力押しに近いから、各自の武勇に期待するよ。……質問は無いな?」


 クレインが下した命令の意味は一つだけだ。

 彼は最後に、さらりと全員に念押しする。


「雑魚の首は要らない。当主と身内、側近だけを片付けてくれ」


 当主のクレインが一切浮かれず、冷静に指示を出したのだ。若年とは言え頼もしい姿に違いない。

 武官たちも気合を入れ直して、各々の持ち場に着いていく。


 最後の指示を出し終えて戦いが始まったのは――昼と夕方の間となる、中途半端な時間となった。


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