第六十八話 クレインという男は、相当な策士のようだ



 王国歴501年、5月17日。

 アースガルド子爵軍は、侵攻してきた敵軍を領内で迎え撃った。


「雑兵には目もくれず、大将首を持ち帰ってこい!」


 クレインが全軍に下した指令は、言ってしまえばただ一つ。

 なるべく指揮官級の敵だけを討ち取ること。それだけだ。


「攻撃開始! 全軍、進め!」


 クレインが号令を下すと、目の色を変えた全軍が一斉に攻撃を開始する。


 そうして同じ王国の貴族たちの戦いが。

 味方同士の戦争が始まったのだが、しかし戦いにもならない。


 最前線を志願した連合軍の兵士――最後まで敵陣に残ったマリウスの部下――は一槍も合わせることなく、武器を放り投げて逃げ出した。


「こんなところで死にたくねぇよ!」

「助けてくれぇ!」


 彼らの脱走に、後列の数名が続く。

 それが呼び水となり、雪崩となって終わりだ。


「待ってくれ! 俺も行く!」

「お、俺も逃げる!」


 連合軍は前日からのグダグダで士気が最底辺な上に、兵の数も指揮官の数も激減して前線の統率が利かず――集まった敵軍は、接触の直前・・にはもう崩壊していた。


「逃げるな! 戦わんか!」

「ひ、退くな! 押せ!」

「くそ! これでは戦いにならんぞ!」


 連合軍の将が下す前進の号令に、誰も従わず逃げて行くのだ。

 こうなれば指揮官たちも逃げるしかなかったが、その背中には猛将たちが追い縋っている。


「待てやテメェ!!」

「逃げてんじゃねぇぞコラ!」

「逃げるなぁぁぁあああああッ! 首を置いていけぇぇえええええッッ!!!」


 開戦と同時に戦線が崩壊したのだから、立て直せるはずがない。

 誰もまともに戦おうとしなかったのだから、開戦から3分で追撃作業が始まった。


「死にたくなけりゃ武器を捨てろや!」

「降伏する者は伏せていろ!」


 しかし一般兵については、本当に追い散らすだけだ。

 少し小突けば連合軍の兵は降伏していくので、子爵軍は敵将を目指して進撃した。


「くそっ、話が違うではないか!」


 アースガルド家は金を持っているが、兵士はザコばかり。

 しかも領主に人望が無く、兵士が集まっていない。


 そう信じてやって来た貴族たち、特に発起人の男爵は梯子を外された。

 自陣営よりも遥かに多勢の敵が待ち受けていたのだし、国軍が布陣しているなどとは聞いていない。


 彼らができるものは善戦してからの和睦狙いだったが、兵士が誰も戦わないのではそんな目論見も達成できない。


「ええい、撤退するぞ!」


 この混乱の中にあって抵抗は無意味だ。

 彼はすぐに撤退の判断を下し、供回りの者だけを参集させた。


「兵士はどうしますか!?」

「捨て置け! 口減らしに丁度いいわ!」


 一応の盟主である男爵が、将だけを呼び戻して撤退の号令を下したのだ。

 中心となる軍が最も早く機能不全を起こしたのだから、この時点で決着もついた。


 この戦いに際して連合側の将兵はおろか、当主すらも勝とうと思っていない。

 そのため過去よりも更に、一方的な展開になっている。

 

「ほとんど反撃されなかったな」

「動揺が大きかったのでしょう」


 戦争の様子を小高い丘の本陣から見ていたクレインは、勝ち戦を当然のような顔をして見ていた。

 だが、敵の戦力は詳細まで暴き終わっていたので、これは順当な結果でしかない。


「まあ、うちの軍にやる気があるのはいいことか」

「ええ。士気が高いに越したことはありません」


 今回の戦いでは敵将が大幅に減ったことにより、人数分の獲物が用意されていない。だから褒美は先着順だ。

 しかもランドルフのように、数名の指揮官を討ち取る者までいる。


「死ねぇぇぇえええっ!」

「う、うわあああ!?」


 だから子爵軍側は功を得ようと、以前にも増して苛烈な攻撃をする隊が多かった。

 怒涛の如く攻め込んでいるので、相手は敵前逃亡と降伏が相次いでいる状態だ。


「バカ野郎! ザコなんざどうでもいいから、敵の親玉をりにいくぞ!!」

「へ、へいっ!」


 この状況で転んだ敵兵にトドメを刺そうとする配下は、もう叱責対象に入っている。

 何でもいいから、誰でもいいから指揮官を討ち取ろうと、全軍が全速力で前進していった。


 特に部隊としての独立がかかっているグレアム隊は必死だ。

 ヒラの兵士を相手に時間を使おうとする部下を、殴り飛ばす勢いで進んで行く。


「この分だと大半はここで討ち取れそうだな。首実検が楽しみだ」

「クレイン様。不穏な発言は、慎まれた方がよろしいかと存じます」


 軍事部門は歴史が浅く、頭角を現せば出世は思いのままということもあり。各自が己の人生を懸けて――本気で殺しに来たアースガルド軍。


 そこに報酬を上乗せまでして攻撃対象を指定したのは、何も未来の領民を救おうという義務感だけが理由ではない。


 決戦までの期限は二年を切っているのだから、ここは大きな効率化が狙える最後のポイントだ。

 被害が少ないままで領地を得られれば、その分東側と戦う際の戦力が増える。


 上手く指揮官級の人間を討ち取っていけば、東伯戦の前に挟むであろう反乱勢力を潰すまでの期間を、大幅に短縮することもできる。


 だからクレインとしても、ここには危ない発言をするほど力が入っていた。

 しかしブリュンヒルデに諫められて、ふと我に返る。


「ああ、うん。そうだ。別に血が見たいわけじゃない」


 気を取り直して戦場を見れば、敵軍はどこもかしこも壊滅状態だった。

 貴族お抱えの指揮官や、果ては当主本人まで討ち取られていっている。


 初陣の者からすれば目を覆いたくなるような惨状ではあるので、初めて戦場を見るはずのクレインが――ここで冷徹な発言をすれば、ただの怖い人だ。


 そう自覚したクレインは、落ち着いて対処することを心がけていく。


「何はともあれ、順調だな」

「ええ。それにしても敵方は兵の質が悪いですね。飢餓状態の者が多そうです」


 対するブリュンヒルデからすれば、何だかんだと言いつつクレインも冷静ではないと見えるので、ここで話題を少し変えた。


 彼女が言う通り、敵陣営の兵士はほとんどが飢えている。

 彼らも含めて、領民への救済事業は急務だった。


「戦後の配給もすぐに実行するさ。トレックからは聞いているだろ?」

「はい、クレイン様。そちらも準備は終わらせてあります」


 トレック、マリウス、ブリュンヒルデの三名は諜報の過程で、特に食料が不足している地域を把握し終わっている。


 だから救済策の指揮を執るのに適しているだろうと、当面のブリュンヒルデは内政官の仕事がメインとなる予定で動いていた。


「死人に口無しというのは、あまり好きな論理ではないけど。あいつらを生かしておくよりも幸せな統治にしていこう」

「……そうなると、いいですね」


 クレインは何気なく話を続けていたが、ここでブリュンヒルデが、幸せという単語に反応したように見えた。

 遠い眼差しをしており、彼からすれば少し気になる反応だ。


 しかし彼女の事情をピーターから聞き出すとすれば、南北と同盟を組み終わった辺りを想定している。


「ああ、それでもまずは、これを終わらせないとな」


 現時点ではピーターから心からの忠誠を得られていないと見ているので、彼女の琴線がどこにあるかについても、今は観察するだけに留めつつ。


 戦況へ目を戻せば、過去よりも撤退の判断を選ぶ敵部隊が増えていた。


「撤退だぁ! 準男爵様を守れぇ!」

「怯むな、立て直せ!!」

「一旦後方へ下がるぞ。退却だ!」


 敵の中にはその場に留まる者や、逆侵攻に出ようとする者も少数ながらいる。

 しかし相変わらず、引く、留まる、押すと各家でバラバラの動きをしていた。


 まとまりかけた端から、またすぐに戦線が瓦解しているところに変わりは無い。

 それでも以前と比較すれば、全体的に逃げ腰となっていた。


「いたぞ! 大将首だ!」

「狩れ! 刈り取れ!!」


 そして我先にと逃げようとしている中で踏み留まり、馬上から指示を出す将は恰好の的だ。

 これも過去と変わらないが、子爵軍には狙い撃ちの指令が出されているため、指揮官に襲い掛かる勢いが違う。


「うぉぉぉおおああああ!! 敵将! 剛槍のランドルフが討ち取ったりぃぃ!!」

「畜生、持って行かれたか!」


 彼らに向けて、野獣のような雄叫びを上げながら迫るランドルフは今回も変わらず。

 クレインが遠目に見ても、かなり目立っていた。


「親分! あっちに身分が高そうな奴がいます!」

「でかした! 殺せ!」


 まともに抵抗している者は数少ないが、抵抗していなくとも、指揮官であれば討ち取られるか捕らえられるかで急速に数を減らしている。


 そんな戦場から目を逸らして、クレインはブリュンヒルデに尋ねた。


「もうすぐ戦いは終わりだけど、伝令はまだ来ていないか?」

「そろそろ来てもいい頃ですね」


 戦場には似合わないほど呑気にクレインが確認するのと、丘の東方から伝令の騎兵が走って来たのはほぼ同時だ。


「ハンス隊、作戦目標を完遂致しました!」


 ビクトールが別動隊へ振った作戦は、時間差で3回、3か所で発動する予定だった。

 伝令を本陣へ迎え入れてみれば、クレインが予想していた通りの内容を持ってきている。


「騎士爵はどうなった?」

「オズマ様が乗り込み、捕縛しております」

「分かった。後方でゆっくり休んでくれ」


 それから間を置かずにバルガスから送られてきた伝令も到着し、ハンス隊とほぼ同様の成果が伝えられた。


 細かい戦果は走り書きの書状に記されていたが、大筋では同じ結果だ。


 どちらも自軍への被害がゼロのまま、領主やその側近を討ち取り、敵全軍を接収するという結果に落ち着いている。


「バルガス隊は降伏を拒んだ当主と、敵将5名を討ち取ったようですね」

「準男爵を討ち取ったのはチャールズさんか」

「順当な結果かと」


 攻めてきたのは8家だが、前日の謀反で当主が2人討ち取られている。

 今日の会戦で、更に1人の騎士爵が乱戦中に討ち取られた。


 その上で戦場にいた準男爵2人を捕えて、東西の別動隊がそれぞれ、当主を討ち取るか召し取るかしたのだ。

 準男爵2人と騎士爵5人を処理して、7家にはカタがついたことになる。


「で、どうやら男爵は撤退したようだと」

「軍の指揮を放棄し、供回りの者だけを連れて逃げたようですね」

「手は打ってあるし……まあいいさ」


 後腐れなく、今回の作戦で一網打尽にするという戦略目標に変更は無い。

 こうなれば、あとはビクトールの仕上げを待つばかりだ。


 ともあれ開戦から30分もしないうちに敵将が全滅し、戦争終了となった。

 それを確認したクレインは淡々と呟く。


「ここも予定とそう変わらないな。3人捕らえただけでよしとしよう」


 敵陣での謀反など子爵家には防ぎようがないと言えるし、捕らえるように命じた以上は、敵当主を討ち取ったのも事故だ。


 平和的解決をしたがっていたという証人に騎士団長を使えるのだから、やり直してこれ以上捕える必要も無かった。

 あとは戦場の捕虜をまとめて保護すれば、戦いは終わりとなる。


「お見事です、クレイン様」

「今回は敵が弱かったおかげだよ。情報戦に勝てた時点で、こうなることは分かっていたから」


 もちろんクレインは、この状況をほぼ完全に予想し切っていた。

 彼が予想外だったのは逃亡者の数くらいだ。


 今回についてはブリュンヒルデに誤魔化す必要は無いし、何よりアレスが作戦の全貌を承知の上で行動している。


「まあ色々と思惑はあるけど、詳しくは殿下に送る書状を見てくれ」

「拝見してもよろしいのですか?」

「ああ。というよりも、間者対策でいつも暗号化か何かしているんだろ?」


 アレスの周囲から怪しい者を引き抜いて、下っ端としてコキ使っているのが現状だ。

 しかしクレインをアレスの墓場へ呼び出した者たち以外にも、王都に潜伏している者はいるはずだと睨んでいる。


 それはクレインとアレスの共通認識なので、動きを馬鹿正直に掴ませるわけがない。特に側近であるブリュンヒルデには、何かしらの処理を言い含めているはずだ。


 そう指摘すれば、彼女はやはり微笑んだ。


「やはりご慧眼ですね」

「持ち上げなくてもいいよ。君に見られて困る内容は書いていないから、存分に見てくれ」

「いえ、その……」


 疚しいことなど何も無いのだから、見ろ。

 そう言われたブリュンヒルデは少し困ったように眉を曲げたが、クレインは強気だった。


「冗談さ。真面目な話をすると、そろそろ殿下と連携する必要も出てくるからね。近況を知らせるように伝えておいてくれ」

「畏まりました」


 新規の領地を建て直せば、次に待っているのはヨトゥン伯爵家との交渉だ。

 そしてヴァナルガンド伯爵家の襲撃へ繋がり、最終的にはアレスが暗殺される。


 敵勢力の動きが活発化するまでに、そう時間は無い。


 クレインも徐々に警戒を強めているところではあったが、しかし余裕の表情は崩さずに言う。


「この結果を見たヘルメス商会や東伯が手を打ってくるかもしれない。ここから先が本番だから、気を引き締めていこう」

「はい。クレイン様」


 戦いの前から内政政策を用意していただけあり、戦いにおける影響もかなり小さく抑えられる見込みとなっている。


 ここでの勝利は当然。

 後々の影響まで考えて行動する方が重要だ。


 そう語るクレインは今回の戦いを通過点としてしか見ておらず、大局を見据えた上で行動していたと言える。


「……なるほど」

「何か言ったか?」

「いえ、何も」


 様子を間近で見ていたブリュンヒルデとしては、クレイン・フォン・アースガルドという人物は相当な策士だという印象に落ち着く。


 しかしクレインの人物評価が過去よりも更に上方修正されていたことを、当の本人はまだ気づいていなかった。

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