第三十話 先生に密告
「先生、ようこそアースガルド子爵領へ。長旅お疲れ様です」
ビクトールの背後には六名の人員がいたが、そちらは一旦置いておき。
見たこともないほどニコニコと笑うクレインと、多少驚くブリュンヒルデ、そして何かを悟ったビクトールの三名が顔を合わせた。
「あちゃあ……」
「どうしました?」
「いや、来るのが少し早かったかと思ってね」
クレインはいい笑顔のまま、師と力強く握手を交わした。
しかし出迎えを受けた方は、参ったような顔をしている。
「いえいえ、一番いい時に来てくださいましたよ」
「と、言うと?」
「少しばかりお願いしたいことが」
初手から不穏な雰囲気を感じていたのか、ビクトールは呆れ気味に笑っていた。
「……はは、やっぱり厄介ごとじゃないか」
「まあまあ、お手紙を書いていただくだけで結構なので」
働きたくないので、基本的には隠居。
何か問題が起きた時のみ、相談役として話を聞く。
隠れ家に隠棲し、日がな一日釣りを楽しみ。
夜は一人、誰もいない静かな環境で眠りにつく。
そのスタンスで来たというのに、到着から数秒で仕事を振られそうな気配があるのだ。彼の戸惑いも当然ではあった。
「手紙。……まあ、内容によるかな」
「そうですね。まずは彼らにも軽く挨拶をしてから、向こうで茶など一杯」
門弟には最高で伯爵家の人間までいる。
クレインとしても無下に扱うわけにもいかず、丁寧な自己紹介が行われた。
そうは言っても。事前情報は十分にあったので、特に問題は起こらない。
配属先などの詳しい話は後日にする予定だったこともあり、顔合わせの場はすぐに解散となる。
彼らの住居へは、子爵家の使用人が案内をしていくことになったが。
「で、先生。どちらへ?」
「やっぱり駄目か」
そこにこっそり紛れて離脱しようとしたビクトールを捕まえて、クレインたちは庭の傍にあるテラスへ向かった。
◇
「なるほどね、東伯と東侯に不穏な動き。そこにヘルメス商会も絡んでくると」
ビクトールにもブリュンヒルデと同程度の情報を話してみたが、彼は大して驚きもせずにハーブ茶を飲んでいた。
国家転覆級の反乱。突然その話を聞かされてもなお、彼は余裕の態度である。
これに呆れるか、頼もしいと思うかは人それぞれだろう。
ブリュンヒルデは前者。クレインは後者の印象を受けていた。
それでも彼女はヘルメスの言葉を伝えたきり何も言わないので、問題なく話は進む。
「調べによると、次にヘルメス商会が狙っているのは北なんです」
「黒い話も噂程度には聞いていたよ。……それでも、そこまでやるとは予想していなかったな」
未来で自白された罪状と照らせば、麻薬の密売と奴隷貿易が北での主な収益だ。
商会で普通に稼ぐ収益も大きいが、裏の事業ではそれを上回るほどの収益を叩き出すことだろう。
「しかし。こうなると西侯も真っ黒だね、どうも」
「麻薬は分かりますが、奴隷もですか?」
西侯勢力圏だった地域の一部では食用となる実が自生しており、それは乾燥させて燃やすと幻覚作用がある。
これについては明確に出所が分かっていた。
麻薬の群生地が、元々西侯の勢力圏というのはクレインも知っている。
が、一方の奴隷についてはどこで捕まえているのか。
その点に関して、ビクトールはすぐに答えまで辿り着いた。
「あそこは不自然なまでに流民へ厳しいんだよ。でも、捕まった流民のその後。処遇を聞いたことがない――ということは」
「そういうことですか」
ランドルフ隊の数名が移民前に抱えていた不安でもあるが、治める領主の方針によって、住所不定の民に対する扱いがまるで違う。
流民への扱いの厳しい地域、その例として挙げられたのが西侯の領地周辺だ。
流民への厳しさがどの程度かという点は懸念になっていたし、そこは移民をする上でのネックだ。
「うん。浮浪者ならまだしも、不作の影響で離農した農村の人間が……都市部で日雇い仕事をしていただけでも捕まることがあるとか」
「出稼ぎ労働者まで逮捕ですか? そこまで行くとやり過ぎですね」
すぐさま定着しなければ逮捕の上で処刑という地域もあり、その不安が子爵領に無いと宣伝するだけで一苦労だった思い出もある。
過去にランドルフたちから話を聞いていたクレインも、言われてみればすぐに得心がいった。
「まあ、口減らしのためかと思っていたんだけどね。捕まえてからは鉱山奴隷にでもしているのかな」
誘拐した貧民から人権を剥奪して、薄給で危険な労働に就かせるという手はある。
どうせすぐ死ぬので使い捨てだ。
効率よく使い潰す非情な司令官がいれば、結構な利益を生む。
そして今のご時世、浮浪者などどこにでもいる。
周辺の領地でも流民が目立っていないのは、子爵領くらいのものだった。
西侯やヘルメス商会からすれば天国のような状況だろう。
人権無視で効率的に動かせる駒が、そこら中に転がっている状態なのだから。
「で、先生」
「はは、初手から重い相談がきたなぁ」
奴隷狩りが行われると予想される地域は、ラグナ侯爵家の勢力圏から少し外れる。
その罪を無理やり擦り付けるのだから、ヘルメス商会の発信力は大したものだと認めつつ。この問題へも何らかの対処は必要だ。
侯爵家からすれば、新規に切り取った領地――まだ安定していない地域――で問題が起きるため、情勢を考えれば手は出しにくい状況ではある。
しかしこれを放っておけば、本来と同じように悪評を撒かれる可能性が高い。
悪評を我慢できたとしても、薬物の売買が横行すれば領地全体の生産力が下がってしまう。
そして侯爵家に痛手を与えたい場合、どこに手を広げるのが効率的か。
それが想像できるだけに、ビクトールも渋い顔をしていた。
「麻薬を流行らせるなら。どう考えても僕の地元が標的だよね」
「中心になるかは分かりませんが、候補の一つには入ると思います」
ビクトールが私塾を開いていたのは、ラグナ侯爵家の本拠地である街だ。
侯爵家が禁制品で、薄汚く荒稼ぎ。
その噂に信憑性を持たせるなら、そこで流通させるのは自然なこととも言える。
「のんびり隠居を楽しんでいる間に、故郷の人間が薬漬けになっていた……というのは笑えない状況だよ、まったく」
現状で東側勢力、西側勢力共に最大の仮想敵が北侯となる。
東西が手を組んでいるとすれば、これは共同作業だろうとクレインは見立てていた。
北侯の領地、その中心部で麻薬を流行らせて生産力を下げ。
ついでに金を稼げて。
悪評まで撒けるならば――敵からすると、やらない理由が無いくらいだ。
「クレイン君はアレス王子と手を組んで東側を抑えたい。それなら北と南が味方になる。だったら弱体化されては困る……という風に繋がるかな?」
「その通りです。最終的には南北と同盟を組むところまで進めたいですね」
事情を聞いてげんなりとしたビクトールだが、彼も頭は回る方だ。
クレインが何を頼みたいのかは、この時点でもう理解していた。
「そこで、僕の持つ縁故の出番というわけだ」
ビクトールの私塾からはラグナ侯爵家へ大勢の人材を輩出している上に。彼が採用担当の文官へ話をできる立場にいるとは、今のクレインも聞いている。
彼の推薦があれば、侯爵家への仕官がほぼ確実と言われるほどだ。
それくらいの信用を置かれているのだから、伝達役としてこれ以上の人材はいないだろう。
遠く離れた領地を治める、聞いたこともない子爵が連絡を入れるよりも。
侯爵家の家中から信頼されているビクトールから伝えた方が、情報の確度を上げることができる。
だから、彼を経由して侯爵家に注意を促すこと。
言ってしまえば先生への
それが今回の仕上げとなる嫌がらせだった。
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