第二十九話 笑いが止まらない



「よし、ヘルメスは確かにそう言ったんだな!」

「はい。子爵家に残す人員を削減し、北へ送ると」


 散財して、破産しかけた上での大きな借金。

 借金で得た財力を、借りた相手にひけらかす愚行。


 あり得ない農業政策に、無礼なほどの上から目線。

 そして正面からの謝罪要求。


 クレインが徹底的に無能なボンクラ領主を演じた結果、ヘルメスからの監視は限りなく緩まった。


 これから始まる東伯戦への備え。その警戒がロクに為されず。

 農村で進めている最新農具への政策も、全くのノーマークとなったに等しい。


「ははは、完全に油断してくれたな」


 過去より大規模に準備をしても、その動きが敵に悟られる確率が下がったのだ。

 領内の敵対勢力が減ったのだから妨害の手も緩まる。


 クレインからすればこれは吉報でしかない。

 全てにおいて、いいことしかなかった。


「クレイン様のことは、簡単な計算もできない愚か者と酷評しておりました」

「うんうん、そこまでハッキリと報告してくれなくてもいいんだぞ?」


 陰で罵倒されて、これほど嬉しい気持ちになったのは人生初だろう。

 そんな気持ちでいるクレインは、明るい顔で今後のことを思い浮かべていく。


「資金問題は解決したから、まずは内政基盤を固めよう。鉱山開発は予定通りに」

「手配は完了しております」


 まず、会合の席である程度の増資があることを前提に、ブリュンヒルデの下で開発の手配が進んでいた。


 多くの商会を集め、特にヘルメス商会からは考えられ得る最高額を引っ張れたのだ。

 空になっていた子爵家の金庫が再び潤い、開発計画は予定よりも更に前倒しで進めることができる。


「農具の配備予定はブラギ会長とバルガスに相談……と、そろそろ武将を増やす用意もしていかないと」

「武官を採用されるのですか?」

「ああ。ウチが儲けているとうるさくなりそうなのが、すぐ北にいるからな」


 内政は一ヵ月の遅れを取り戻し、既に過去の発展度合いを越えていた。

 しかし子爵領の内情がどうであれ、敵が攻めてくる時期は変わらないだろうとクレインは見ている。


「彼らですか……」

「評判を知っていれば予想できるだろ?」

「ええ。慧眼かと」

 

 クレインと一緒に戦争を観戦していた際、彼女も小貴族連合の悪評を把握していたと言っていた。

 最下級の貴族の悪評が中央に伝わるなど相当だが、実際にはそれよりも下を行く。


 いつもの微笑みに陰りが見え、珍しく疲れた顔をしていたことはクレインも覚えている。


「まあ、奴らが動いても所詮は前哨戦。本命は東伯だ」


 秋には目ぼしい人材へ大量に手紙を送る予定なので、内政と同時進行で武官の招聘に向けた組織作りをしていく必要もある。


 しかしクレインが今後の算段に思いを馳せる一方で、ブリュンヒルデは疑問を呈した。


「易々と攻め寄せますでしょうか? 彼らの背後には敵勢力もいますが」

「そこなんだよな……」


 初回の戦争でも、過去に行われようとしていた決戦でも、後方を脅かす東方異民族への備えを一切考えないような、大兵力を送り込んできた。


 軍事行動が現実に起きると知っているクレイン以外には、無理な予測でしかない。

 同時に、東側の詳細を知らない彼も理路整然とした説明はできなかった。


「後背にどんな対策をしているのかは分からないけど、そこはサーガからの情報に期待かな」

「左様でございますね」


 ブリュンヒルデには、東伯、東侯が中心となり反乱を目論んでいること。

 アレスの側近がかなりの割合で裏切っていること。

 最終的には反乱の鎮圧を目標にした、共同戦線を張る予定なことを伝えてある。


 それ以上詳しいことを話すには、まだ準備が足りていない。


 ブリュンヒルデの事情をピーターから聞き出し、彼女が嘘を吐いている理由を知ってからだ。

 クレインは内心で、今後の方針をそう決めていた。


「で、その堅苦しい話し方は……まだそのままか」

「申し訳ございません。適度に崩せるよう努力します」

「努力と考える時点で硬いんだよなぁ」


 そしてクレインがこんな軽口を叩けるのも、浮かれているからだ。


 なにせヘルメス商会を利権に噛ませるために大金を吐き出させ、賠償金を上乗せし――東では大量の不良債権が待ち受ける状態に追い込んだ。


 いくら権力があっても、活動資金を削られては謀略も仕掛けにくくなる。

 つまり敵の行動力と影響力を、いくらか下げることには成功していた。


 そもそも大本命である、東側勢力の補給体制作りへの妨害。それを達成した時点で一定の成果はあったと言えた。


「まあいい。アースガルド支店に追加予算は無いんだよな?」

「ええ、そのようです」

「しかも有能そうな敵が消えてくれるんだ。考えていた以上にいい成果だよ」


 子爵領内に限って言えば、賠償金の支払いで領内への工作費用が消えた。

 そして「取り敢えず店を回せればいい」というくらいの、どうでもいい人材ばかりが残ることにもなった。


 全国的にはまだまだ余裕があるだろうが、足元の敵は大幅に弱体化したのである。


 ヘルメス個人にも嫌がらせをした上で頭を下げさせ、しかも彼が一連の爆弾に気づくのは一月以上先の話だ。

 仕掛けた作戦は全て完了しており、それは時間差で効果を発揮してくる。


 この商談以降は領内でヘルメスの姿を見ることも無いので、直接の反応は見られない。

 気づいた時にどんな顔をするのかは、想像して楽しむしかないとしても。


「あー、すっきりした」


 窓から吹く風を浴びて、満面の笑みで伸びをするくらいには上機嫌なクレインだった。


 しかし東でどれだけ混乱が起きるかはサーガの腕次第だ。

 失敗するようであればやり直し、助言を与えてから送り出す必要もある。


 ともあれ現時点で打てる手は、ほぼ打ち切ったと言える。

 あとは時間経過を待つだけだ。


 敵の資金で勢力が拡大できるとあり、クレインは笑いが止まらない状態だ。

 敵側の金で迎撃の装備を整えるつもりでもあるので、してやったりという顔をしている。


 そして、新たに得た資金で具体的にどう政策を回すかは、事前に決めていた。


 ブリュンヒルデと共に政策の段取りを相談していたクレインが、午前の執務を驚くほど快調に進めていたところ。


「失礼しまーす」

「ん、何かあったか?」

「先触れの方と一緒に、お手紙が届いていますよ」


 執務室にマリーが現れ、クレインへ一通の手紙を差し出した。

 そして、差出人の名前を見た彼は――少し悪どい顔をする。


「そういや、まだ一つ残っていたか」

「……まだ策があったのですか?」

「これはオマケだから、わざわざ言うこともないと思ったんだけどね」


 ブリュンヒルデは意外そうな顔をしているが、本当にみみっちい嫌がらせが一つ。

 彼の到着と共に実行可能となる。


「取り敢えず、エメットを迎えに行かせようかな」

「どなたでしたっけ?」

「顔と頭が良さそうな武官だよ」


 エメットはアースガルド家へ推薦された私塾卒業生だ。


 ビクトールに先がけて到着していた仕官者の一人だが、彼は騎士爵家の出身ながら能力が高く、文武共に高水準の男という評判だった。


「……聞いた話だと、マリウスと似ている気もするんだよな」

「どなたです?」

「ん、ああ。仕官予定者の一人だよ」


 マリウスは時間経過で自ら仕官しに来るので、何も嘘ではない。

 そんなやり取りをしつつ、クレインは仕事を中断して席を立った。


「クレイン様、どちらへ?」

「ちょうどいい。ブリュンヒルデも顔合わせをしておいてくれ」


 手紙の内容は、子爵家へ紹介できそうな人材のスカウトが終わったこと。

 数名と共に旅をして、本日の午後に到着することの二点が書かれていた。


 確かにそろそろ到着してもいい時期ではあったが、差出人は彼の師だ。


「ビクトール先生を出迎える。マリーはテラスにお茶の用意を」

「はーい」


 文官が十四名に、武官が二名。

 文官と武官を兼任できそうな者が四名。


 合計二十名の人材を獲得したビクトールが数名のお供を連れて、ようやく子爵領にやって来たのだ。

 急ぎでちょっとした頼み事もあるので、彼は笑顔のまま先生を出迎えに行った。


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