第三十一話 徹底的に叩き潰す



 ビクトールの影響力は、クレインから見てもかなり大きい。

 北側勢力へ警告を入れるなら絶好の人物だ。


 名門貴族の伯爵が、下にも置かない態度で入塾の相談に来るくらいの指導者。

 人脈はもちろんのこと、各家との繋がりにもかなり太いものがあるだろう。


「お願いできますか?」

「うーん……」


 問題は、親族の腹部にボディブローを入れて悶絶させるという、かなりの喧嘩別れをしてきたこと。

 そのせいで彼が実家から追われていること。


 そして、ただでさえ門下生を招集するという、派手な動きをした直後だという点だ。


 子爵領へ人を呼び込んだのだから、本人がここにいると予想されている可能性が高い。

 そんな中で北部への連絡役を引き受けてもらえるか。そこがこの作戦のネックだ。


「まあ、注意喚起をするだけなら、大した手間でもないね」


 クレインはビクトールが断る可能性も考えていたが、結果としてはあっさりと引き受けられる。

 ビクトールは苦笑いを浮かべつつではあるが、首を縦に振った。


「ありがとうございます。ヘルモーズ商会の会長には、手紙の出所を誤魔化すように言っておきますから」

「それが無難かな」


 これから始まる予定の悪行に関する情報を、事前に北側勢力へ流し。

 ヘルメス商会が行う策略を、未然に食い止めるという予防策が実行可能となったのだ。


 彼の縁故を利用すれば、かなりの確度を持った情報として伝わるだろう。


 将来的に北侯と同盟を組む流れで進めているのだから、味方が弱くなっても良いことは無い。

 むしろ北にも、早いうちからヘルメス商会を叩いてほしいところですらあった。


「人道的にも道義的にも、伝えない道理は無いさ。手紙一つで防げるなら安いものだよ」

「そう言っていただけると助かります」


 現時点ではヘルメス商会と侯爵家との関係も、表面上は良好そのもの。

 しかも相手は国一番の大商会なので、一斉検挙も難しいだろう。


 だが、網を張っていればどこかに掛かるはずではあるし、被害が小さくなるだけで儲けものだ。

 クレインはそれくらいの温度感でいたし、ビクトールもごく軽く承諾した。


「どこに何通送ろうかな。西側へは少し多めに送った方がいいのだろうけど」

「匙加減はお任せしますよ」


 悩みどころなのは、どのような内容で、何通の手紙を書くかだ。

 下手をすれば買収されている貴族家もありそうなので、人選は慎重に行う必要があった。


 それでもクレインに、北側の詳細な情勢など分からない。


 それこそビクトールに任せておいた方がいい分野だと判断し、早々に丸投げの態勢に入るが――弟子がそんな姿勢なのだから、先生の方は相変わらず苦笑いのままだ。


「はぁ……。本当に、大変な時期に来てしまったのかもね」

「はは、まあまあ」


 教え子が張らせていた密偵が、ジャン・ヘルメス本人の自白を拾っていたのだ。

 しかもその密偵が第一王子の近衛騎士で、直に話を聞いた限りでは嘘も見えない。


「代わりにお約束通り。三食昼寝付きに、別荘付きの待遇ですよ」


 相談役として楽隠居をしに来た先で、いきなり飛んできた依頼がこれだった。


 しかし問題の深刻さから真剣に悩んでいるビクトールの前でも、クレインはやはり笑顔だ。

 ここまで堂々と仕事を振られれば、逆に諦めがつく。


「どうせならそこに、暇潰しの本も付けてもらおうかな。子爵家の蔵書でもいいけど、何冊か借りていきたいところだね」

「ええ、喜んで」


 書斎の本は全て読み終わっているので、クレインからすればまとめて献上しても惜しくはない。


 貴族の蔵書には貴重品もあるが、これまでの人生で暗記するほど読んできた本だ。

 仕事の対価として渡すなら安いものでしかなく、彼は笑顔で承諾した。


 それを見たビクトールは、追加でもう一つ頼みを口にする。


「あと、どうにも宿が取れなかったんだ。しばらく泊まらせてもらえると助かるよ」

「そこも手配は済んでいます。ハンスという大工・・を紹介するので、別荘の間取りはまた後日、彼とご相談ください」


 出稼ぎ労働者が爆発的に増加したため、宿屋は今どこも満室だ。

 そもそも安宿ばかりで、彼の格に合いそうな高級宿など領内に存在しない。


 だからどの道。ビクトールが自分好みの土地を見つけて隠れ家を建築するまでは、屋敷に逗留させる予定で動いていた。

 このお願いもクレインからすれば予定通りでしかない。


「そこが話の通りなら、細かいことはいいかな」

「ええ、任せてください」


 ともあれ彼の役目は文官たちの引率兼、クレインの相談役だ。


 基本的に働かせないという条件をあまり破ると、彼の権利である「好きな時に出ていける」という条項を行使されてしまう。

 初日から頼ることになったので、配分を考えるという課題も残った。


「じゃあまずは、この手紙から片付けようか。気になって仕方がない」

「ではレターセットをお持ちしますね」


 この作戦はビクトールを通じて、北侯周辺の家にヘルメス商会の悪事を密告するだけだ。

 ヘルメス商会の裏事業体制が、現時点でどの程度準備が進んでいるかが分からなければ。ラグナ侯爵家の具体的な動きにも期待はしていない。


 公爵家に警戒してもらうだけで随分と謀略を防げるだろうし、牽制で多少の打撃が与えられればそれでいい。

 できれば数名ほど、重役クラスが逮捕されてほしいという程度の望みだ。


「さて。しかしこれは本当に少し迷うなぁ。どうしていこうか」


 だが、ビクトールからすれば地元が壊滅するかしないかという話だ。

 かなりの数の、人命がかかった問題でもある。


「まあ、徹底的に叩き潰した方がいいとして、だ。その方向は……」


 彼からすれば、薄暗い陰謀は全て粉砕していく必要がある。

 街に出る被害を減らすどころか、できれば被害者ゼロで収めたいのだ。

 だから彼は、熟考の末にどうしたか。


「――いいや。書けるだけ、書いてしまえ」


 やる気の無い声とは裏腹に、ビクトールは本腰を入れて取り組むことにした。

 その後は結構な時間をかけて、各方面への手紙を丹念に書き上げていく。



 クレインとしては、密告作戦はあくまでオマケのつもりだったのだ。

 最低限、敵が動きにくくなればいい。

 そんなみみっちい嫌がらせで、妨害策の一つと考えていた。


 しかしビクトールは手紙で、一体誰に何を、どう説明したのか。

 調査の末、ラグナ侯爵家を含めた北部貴族たちからは、この情報が事実だという判断が為された。


 結果が出るのは意外と早く、三ヵ月後のことになるが。

 話はクレインが予想もしていない方向へ転がる。


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