第二十八話 最悪手(後編)



 政策の柱である銀山利権には噛めたし、もう一方の農業政策は領主の個人的な趣味に近い形で動いている。

 そう判断したヘルメスからすれば、いよいよ子爵領には何も見るところが無い。


 過去では他の商会も台頭していたため、そこを牽制する意味でも子爵家へ多めの人員を振っていた。

 しかし出資金で圧倒的な割合を占めた今では話が変わる。


 大勢の商会が参入している土地でまともに商売をするよりは、利権の上がりだけを受け取る形の方が儲かるのだ。


 であれば管理要員として、ある程度の裏方が分かる人間を数名配置すれば用は足りる。

 それは至極合理的な判断だった。


「あの、会長、それで賠償金はいかがしますか?」

「何?」

「支払ってしまえば、アースガルド支店の金庫は空に近くなります」


 そして話は、先ほど中断した賠償の件に戻ってくる。


 月末までの支払いとなれば金庫は空になるが、それでは運営費用が足りなくなる。

 支店長としては、できれば支払いたくない。


 何だかんだと理由を付けて支払いを拒否するか。

 むしろ相手が田舎の子爵くらいであれば、催促に対して恫喝で返せばいい。


 ヘルメス商会ほどの勢力があれば踏み倒しなど十分に可能なのだ。

 何が言いたいのかを察した年嵩の従業員も、それに追従しようとした。


「そうです。あの程度の小僧に、そんな大金を支払う必要など――」

「少しは自分で考えろ! 払うに決まっておるだろうが!」


 だがヘルメスはそれを拒否して、部下たちを怒鳴りつけた。

 ここでもクレインの術中に嵌まっている彼からすれば、その選択肢はもう取れない。


「支払いが遅れてみろ。財産の没収くらいは平然とやるぞ、あの小僧は」


 クレインには既にボンクラ貴族のイメージが付いている。

 しかも歳相応に分別が無く、何をするか分からないガキだと思い込ませたのだ。


 商会の対応が気に入らなければ、その男がどういう行動を取るか。

 ヘルメスにはそれが想像できるだけに、不払いの選択肢は無い。


「そんな横暴をするでしょうか?」

「当たり前だ! 考えなしの人間がやることなぞ、決まりきっておるわッ!」


 横暴な貴族や短慮な貴族は、それを実行する。

 それはヘルメスが今までの人生で何度も見てきた光景だ。


「欲深い者は目先のことにしか意識が向かん。あの愚物ならばやるぞ」

「は、はぁ……」


 もちろんヘルメスはそういった手合いを、残らず破滅させてきている。

 やろうと思えばクレインのことを破滅させられる力は持っているのだ。


 しかし動くにしても、今は時期が悪い。


 一大交易路計画を潰せば、他の商会からマークされることになるだろう。

 大仰な動きをして注目されるのが悪手なら、王子からの不興を買うのも悪手だ。


「愚図が……。これまでに一体、子爵領へいくら投資したと思っている」


 それに、既にヘルメス商会は子爵領へ根を下ろし始めていた。

 何も無かった子爵領への設備投資に、現時点で金貨5万枚は使っている。


 慰謝料が支払われなければ、どうなるか。


「やるとなれば店舗や在庫の接収、鉱山開発への投資金の没収。それから利権への遮断も考えられ得る」


 慰謝料を払わなければ手切れとなり、銀山や鉄鉱山を始めとした事業からの分配金も消える。

 そんな危険を冒すくらいならば、金貨2万で手を打つ方が賢い。


 しかも慰謝料の額は、銀山からの上がりをせしめれば数年と経たずに回収できる金額だ。


 それに慰謝料を支払えば、領内でもこのまま普通に商売ができる。

 事を荒立てるくらいならば、素直に詫びの金を払った方が確実に安くつく状況だ。


 言われてみれば確かにという顔をしている部下二人へ向け、ヘルメスは大仰に溜息を吐く。


「目先のことしか見えぬ者ばかりか。何故、先の得を考えられんのだ」

「……申し訳ございません」


 ヘルメスは利権を得つつ、クレインのことを操り人形にする予定で動いていた。

 だから多少の先行投資は織り込み済みだ。


 ここで金を払うこと。それ自体は想定していた通りでもある。


 得が出ない選択を取られた上に、生意気な態度を取られて頭に血が上っていたところはあった。

 しかし重要拠点の権利関係を掌握できたという意味では、作戦に大きな変更は無い。


「利権さえ残れば後々にいくらでも絞れる。それだけあれば釣りが来るわ」

「ええ、本当に……仰る通りかと」


 東侯、東伯とも、「事前に得ていた権利は反乱後も引き継ぐ」という密約を交わしている。

 仮に反乱が失敗すれば、素知らぬ顔で権利を行使し続ければいい。


 しかし、東側とは戦前の権利を持ち越す約束しかしていないのだ。

 一度失効すると復活できるかは怪しい。


 どこにどう転んでも損は無いが、利権の剝奪だけは後々の不利益となる公算が高い。

 彼が避けるべき事態はそれだけだった。


「……フン、まあいい。既に覇権は取った。次の動きはまだ先だ」


 国盗りに成功すれば、ヘルメス商会だけで全てを賄うのは不可能となる。

 いくつかの商会を生かす必要はあるし、権力の独占を防ごうとするのは自明。


 ましてや貴重な銀山利権を、ヘルメス商会へ一極集中させるなどあり得ない。


 ただでさえ東の経済を牛耳り、彼らのお膝元で影響力を増す予定だ。

 むしろ他の商会を支援して勢いを削ごうとする確率の方が高いだろう。


 将来的には味方との化かし合いも待っている。

 そうと考えれば、ここは安全策を選んでおく以外には無かった。


「子爵家の財貨など、いずれ搾り取ればいい。利権だけは保持していろ」

「畏まりました」


 いずれ統治者が交代した時に、利益が出る体制作り。

 その基盤さえ作っておけば、ヘルメスにもこれ以上の用は無かった。


 南への圧力は値上げと売り渋りだけで済むので、人員は不要。

 東の接収はドミニク・サーガが始末された以上、簡単に終わる。


 懸念だった子爵領は捨て置いて構わないと判断されたし、王都の買収は順調に進んでいる。

 これらには何の不安も無い。


「となれば、残るは北の地だ」


 いずれ最大の敵となるラグナ侯爵家に対しては、妨害をしつつ金を儲けるつもりでいる。

 具体的には麻薬と、奴隷売買で荒稼ぎする予定だ。


 裏の事業で儲ける体制は既に動き始めているし、北侯にも配下の貴族にも、気づいた素振りは無い。

 そろそろ計画が始動できる時期だろう。


「目ぼしい者は連れて行く。人が足りなければ現地雇用なりで何とかせい」

「……畏まりました」


 放っておいても放蕩経営で傾くであろう子爵家に、有能な人材を張り付けるなどあり得ない。

 北部の手伝いに回した方が儲けられるのは確実だ。


 そして子爵家への追加投資分は流石に王都の金庫から引っ張るが、アースガルド支店を運営する費用は枯渇した。

 支店長が言った通り、金貨2万枚と言えば金庫にある資金のほぼ全てだ。


 あとはもう端数しか残らず、役人の買収費用や密偵の活動費など出せない。

 その上で人員まで持っていかれれば、店舗の運営にすら影響が出るだろう。


 だが、ヘルメスの中での結論は決まった。

 子爵家など捨て置き、戦力を北侯周辺に集めると。


 それに反論できる材料など、部下たちは持っていないのだ。

 だから散々な財務状態で運営することも、人員を持っていかれることも、受け入れざるを得なかった。


「北での活動は順調だ。そちらを見ている方がまだ楽しいわ」


 麻薬などで荒稼ぎし、悪評をラグナ侯爵家に擦り付ける計画。

 それを大規模化すれば、子爵領で細々と商売するよりよほど大きな稼ぎとなるだろう。


 だが、結果としてこの決断が――ヘルメスにとっての最悪手となる。


 ヘルメスは用意周到な男だ。

 実際に彼の計略は、クレイン以外の敵にはほぼ隠し通せていた。


 本来の未来であれば、王家と侯爵家すら気づかないほど巧妙な手を打ってきたし。それで天下へは確実に近づけたのだ。

 そして仮に、クレインがこれまでに打った策が全て成功したところで、致命傷には程遠い。


「フン、どいつもこいつもボンクラばかりよ。北侯とて最大勢力などと言われておるが……今に没落させてくれる」


 大勢を見れば局地的な作戦に過ぎず、今回の仕込みはあくまで戦術上の勝利を狙うものだ。

 後の戦いを有利に運ぶための布石でしかない。


 ヘルメスが仕掛ける戦略的な策謀。

 大掛かりな計略は阻止できないはずだった。


 ――しかしこの翌日、本来の歴史には存在しないはずの動きが起きる。


 クレインとしてはここまでが大規模な作戦で、最後の一つはほんのオマケ。

 少し嫌がらせができればいいか。

 それくらいの温度感で、あまり熱を入れていない作業が残っていた。


 その嫌がらせが一番の打撃になるとは。

 この時点では誰も、思いもしていなかった。



――――――――――――――――――――


 アースガルド支店の予算が賠償金で大幅に削減。

 追加予算は無く、経営規模も縮小。

 →領内での密偵が活動不能に近い状態へ。


 商会の人員を、北部の裏工作に回すことを決定。

 →優秀な順に、大部分がアースガルド支店から北部支店へ離脱。

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