第二十七話 最悪手(前編)



「ふざけるなよ、あの小童めが!」


 クレインたちが去った数分後のことだ。

 ジャン・ヘルメスはここ十数年で一番の荒れ方を見せていた。


 クレインに出したティーカップを壁に投げつけて叩き割り、応接室の調度品を手で薙ぎ倒し。

 ソファーを蹴り飛ばしたついでに、正座させられた支店長の肩を蹴飛ばして叫ぶ。


「あの愚図が! 無能が! 何も苦労を知らぬ世間知らずの小僧が、この儂をコケにしおって!!」


 物という物に当たり、無抵抗な部下二人まで散々に殴りつけ、更に数分が経った頃。

 体力が切れた彼は肩で息をしながら、ようやく止まった。


「はぁ……はぁ……! 許さんぞ、小僧が。いずれ目にモノを見せてくれるわ!」


 彼は東侯の計画、その全貌を知っている。

 その計画を実行するにあたり、子爵領が邪魔になることもだ。


 懐柔して味方に付けられそうなら、それでも良し。

 役に立たないと見れば、敵の戦力を磨り潰すための肉壁に使う予定で動いていた。


 しかしそこすら飛び越えて、積極的に滅ぼしてやりたいと思うほど。クレインの反応が腹に据えかねている。


「か、会長。暗殺者を送りますか?」

「そうです、すぐに手配を致します!」


 これ以上怒りをぶつけられては堪らない。

 だから部下二人は、ヘルメスへおもねるように怒りへ同調しようとした。

 だがそれは火に油を注ぐ結果となってしまう。


「そんなことをして何の得があるか! この無能どもがッ!!」


 結果としてその言葉はヘルメスが両名を見限り、アースガルド領ごと処分することを決定づけるものとなった。


 子爵など消そうと思えばすぐにでも消せるのに、何故。 

 そう言いたげな支店長をもう一度蹴飛ばし、ヘルメスは怒鳴る。


「愚図が余計なことを考えるな! 言われたことだけやっておけば良い!」

「ひぃっ!?」


 言われた通りに暗殺計画へ協力した結果が今だ。

 彼らからすればこの展開は理不尽でしかない。


 しかしヘルメスは不良在庫の処分よろしく、使えない部下はトカゲの尻尾切りに使うことを基本に動いている。


 処分の事実を盾に譲歩を迫り、使えない部下を上手に使い利益を生む常套手段。

 今回はその手を封殺されてしまった。


 首でも並べて主導権を握れたはずのところを、クレインが子爵家で取り調べをして、彼が処理を決めると認めてしまったのが運の尽きだ。


「どこまでも役に立たん奴らめ。いずれ・・・と言っておるのが分からんのか」

「え、ええと……」


 処刑の一つも要求してくるかと思いきや、完全に無視をしてノロケ始め。

 挙句ヘルメスの次善策も面倒だからと流し。


 この二人はこのまま子爵領へ置いておくという結論になってしまった。


 言い換えればカードとして使えず、何ら交渉の役に立たなかったのだ。

 彼らが助かったことすら怒りの燃料になる有様である。


「……最優先にすべきは利益だ。あんな小僧を相手に、不要な諍いを起こすな」


 ヘルメスとて五十以上も年下の小僧へ仕掛けた策謀を外し、挙句コケにされて怒り心頭の様子ではある。

 しかしどれほど荒れようと、彼の行動哲学は一貫していた。


「へ、へへ。よくよく考えればその通りです。はい」

「まさに会長の仰る通りで」

「……チッ!」


 先ほど確認した通り、この状況でクレインを殺せても何ら利益は無い。

 それどころか。派手な動きで注目されれば計画が露見し、不利益を被る可能性が高い。


 大枚を叩いた東での商戦。

 中央で使った賄賂と労力。他商会への敵対買収費用。

 北で使った工作費。

 これから南で生じる損害。


 まだ利益を上げていない作戦の数々。

 その全てを無にするかもしれないのだ。


「もういい、この領地での商いは適当に回せ。余計なことはするな」


 中央から探りを入れられることは避けたい時期でもあるし、この場面での暗殺は愚策でしかない。


 ご機嫌取りのために、金を失わせようとする者たちなど論外だ。ジャン・ヘルメスからすればそんな部下は粛清対象でしかなかった。


「え、あの。それで、賠償はいかように……」

「どこまで頭が回らんのだ! あの小僧も、貴様らも!」


 ヘルメスはそう憤慨しながら、今度は二人の顔面を順番に殴った。

 もうどうしようもないくらいに、怒りが収まらない様子を見せている。


 ――彼からすれば、仕掛けたのは完璧かつ簡単な策謀だ。


 子爵家で消費する財貨は今後加速度的に増えていく。

 無期限で二割引きという条件ならば、遅くとも二年で元は取れるのだ。


 子爵家をヘルメス商会無しで回らないほど依存させる。

 まともな損得勘定ができる相手なら、確実に罠へハマる予定だった。


「面倒臭いだと!? そんな理由で蹴ることか! あのボンクラがぁ!!」


 読み書き計算ができる者ならば、どちらが得かは数秒で分かる。

 だというのに、クレインはあり得ない選択をした。


 自分が用意した罠が、相手の頭が悪すぎて発動しなかった。

 王子と同じ穴のむじなだ。クレインという男は無能でしかない。

 今のヘルメスはそう考えている。


「あんな小僧、見張る価値も無い! 追加の人員は全て北に振る!」


 そして、この発言を引き出すこと。

 子爵領を見張る必要が無いと思わせ、今後の監視を緩くすること。

 これがクレインが思い描く、理想の展開だった。


「し、しかし。それでは商いにも影響が」

「たわけが! 大した動きができるわけでもなし、この領地に何の価値がある!」


 今日までのクレインの動きを見れば、ヘルメスからはそれなりに有能と見えていた。

 天下取りをする障害になるかもしれないので、警戒順位は上だったのだ。


 更に言えば、過去のクレインはサーガの毒殺を見破った上に、王子へ送った報告書の中で東側の陰謀を一部暴いている。

 それが内通者から知れたので、勢力に見合わないほどの間者を動員していった。


「ここにこれ以上の投資はせん。これは決定事項だ」

「は、はぁ……」


 しかし今は違う。ヘルメスからクレインへの評価は最底辺だ。

 そしていくら大商会でも人員には限りがある。


 地政学上で重要な地点と言っても、肝心の領主があれだ。

 無能なボンクラが治める領地へ力を割く必要性は薄いと判断された。


「追加の予算も取り止める。銀山利権からの上がりで運営しておけば問題なかろう」

「あの、運営費は足りるかもしれませんが……。それでは役人への買収費用が足りません」

「そうです。それに密偵を動かすにも――」


 反論しかけた支店長をすかさず殴り、落ち着きを取り戻しつつあったヘルメスは、再び声を荒らげる。


「だから何を調べろというのだ! 政策はゴミ、領主はクズ、家臣もボンクラ揃いの弱小領地だぞ!」


 子爵領に注力するくらいであれば、他の仮想敵を妨害する計画に力を入れた方が間違い無く合理的だ。

 ヘルメスはそう思っていたし、やり取りを目の前で見ていた二人にも反論の余地は無い。


 クレインはどう見ても、頭の足りないお坊ちゃん領主だ。

 そこに対策の必要があるかと言われれば、確かに無さそうだった。


 そう見せることがクレインの作戦だなどと思いもせず、ヘルメスの関心は、既に他の地域へ移っていた。


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