第二十六話 聞いておくべき言葉



「う、ぬぬ……」

「どうした? 御大」

「いえ、お役に立てることが無いようで、少々、悔しい思いをしております」


 慰謝料の金額は決定した。

 利権関係の話に一切触れず、単純に金を吐き出させて交渉は終了となったのだ。


 何とか追加で策を浮かべようとするヘルメスの前に立ち。

 肩に手を置いて、クレインは爽やかな笑みを浮かべる。


「そうでもないさ。ヘルメス商会の輸送力は王国一だろ?」

「ええ、もちろんですとも」

「はっはっは、頼もしいなぁ」


 肩を何度も軽く叩き、気安い態度を取ってくる若造。

 これにはヘルメスの怒りが再沸騰しかけた。


 が、しかしクレインの背後にいる――得体の知れない女性騎士と目が合ってしまった。


 ヘルメスはブリュンヒルデが何を考えているのかが全く読めず、ここで仕掛けるのは下策だとすぐに思い直す。


 表面上は平静を装い続けるが、ヘルメスは内心で狂乱していた。

 どうして己の策が、こんなクズに避けられるのかと。


「一度失敗したら次は気を付けるだろうし、担当者もこのままでいい」

「さ、左様でございますか」

「ああ。御大のことは信頼しているからな。今後も頼りにしているぞ」

 

 ウィンクまでして見せたクレインは、ヘルメスの内心を想像できるだけに意外と楽しんでいた。

 事前の宣言通りに気楽な交渉だ。


 そして賠償金の額は金貨2万枚と決まり、それが月末までに支払われる。

 その取り決めが終わった頃、ヘルメスは思い出したかのように聞く。


「して、サーガの奴めには、いかような処分をされたのですか?」

「あいつは顔も見たくないからな。海まで運んで沈めてこいと命令したよ」

「ほっほ、なるほど、なるほど……」


 これもヘルメスからすれば、無駄でしかない。

 変わった処刑方法を楽しむ貴族もいるが、合理性の欠片も無いと思っている。


 そして彼はこれまでの流れを考えて、クレインも合理を理解しない人間だとあっさり納得した。


 道なき大森林を輸送させて海に投棄などと、自分の見ていないところで殺させるのに、何故そんな回りくどい処刑をするのか。


 先ほどまで仕事が忙しいとボヤいていた男の行動ではなく、わざわざそんな労力を割く必要があるのかと、問いただしたい気分ですらあった。

 

「まあ、今後は部下の教育もしっかり頼む」

「……お手数をお掛け致しましたな」


 対ヘルメス商会に向けて打てる対策。クレインが現時点で実行可能な作戦は、残すところあと一つだ。

 しかしそちらはまだキーマンの姿が見えないので、置いておくしかない。


 ともあれこの場での話は済んだ。

 席を立とうとしたクレインは――最後に、思い出したような顔をして言う。


「ああ、そう言えば。まだ聞いていないか」


 まだ何かあるのかと、ヘルメスはごくわずかに眉間へ皺を寄せる。

 すぐにでも追い払いたいところだが、あと数分の我慢と決めて、彼は聞く。


「……何をでございましょうか」

「ん、いやぁ。礼儀というか、儀礼的にというか」


 ここまでやれば最悪の場合は暗殺者が送られてきそうだ。

 そうは思いつつも、クレインには聞いておくべき言葉があった。


「まだ、謝罪されていないなって」

「え?」


 ここに来てから、誠意の見せ方などは色々と提案を受けた。

 しかし肝心の、謝罪の言葉は聞いていない。


「あのなぁ、悪いことをしたらまず謝るものだろうが。違うか?」

「い、いえ。まさに」

「そうだよな」


 分かりやすく催促されたところを見て。

 同じく席を立ったヘルメスは、怒りで爆発しそうな思考を抑え、震えながら頭を下げた。


「こ。この度は、誠に、申し訳ございません……でした」


 押しも押されもされぬ、大商会の会長が。国王ですら遠慮するほどの権力を持つ、国一番の商人が。

 どうしてこんな間抜けの、若造子爵に頭を下げねばならないのか。


「んー……。まあいいか。水に流そう」

「ほ、ほっほ。ありがたいことです」


 うっかり憤死しそうになるほど頭に血を上らせながらも、僅差で理性が勝った。

 言い淀みつつではあるが、ヘルメスはきっちりと謝罪の言葉を言い切った。


「よし、それじゃあ今後もよろしくな!」

「え、ええ。良しなに」


 目的を達成したついでに、怨敵へ散々嫌がらせすることができたのだ。


 晴れやかな顔をして帰っていくクレインとは対照的に、見送りを終えたヘルメスの顔には憤怒の表情が浮かんでいた。





    ◇





「はぁ……馬鹿のフリも意外と疲れるな」

「お見事です、クレイン様」


 煽りの結果がどうなるかは推して知るべきか。

 実はそうでもない。


「ブリュンヒルデから見ても、愚か者に見えたかな?」

「ええ、完璧でした」


 上司からの問いに素直に答えたのだろうが、完璧な愚か者と言われてはクレインも苦笑するしかなかった。

 だが、これはあくまで雑談だ。


 ヘルメスの考えを推測するまでもなく、今のクレインには確実な手が使える。

 自分が失敗を前提に間者の真似事をするよりも、よほど有効な手段が。


「あそこまで小馬鹿にされれば、何かしらの反応はあるはずだ」

「監視に移りますか?」


 彼は商会を出てからすぐに、横を歩くブリュンヒルデに向けて言う。


「ああ。多分すぐに動きがあるから、できるだけ早く戻ってくれ」


 ブリュンヒルデの本職は裏方仕事・・・・

 彼女から逃走しようとした時、クレインがどこにどう潜伏しようと無駄だった。


 動きを捉えて、音も無く侵入し殺害を達成してきた凄腕の暗殺者でもあるのだ。


 怒りで注意力散漫になった老人の目と耳を欺くなど、朝飯前だろう。

 そう判断して、クレインは盗み聞きを命じる。


「では、早速行って参ります」

「……用意がいいな」


 すると彼女は近場の路地へ入るなり、一瞬で服を脱ぎ捨てた。

 事前に話を聞いていただけあり、この展開へ既に備えていたらしい。


 ヘルメス商会を訪ねるとあって騎士団の礼服を着ていたブリュンヒルデだが、その下は黒ずくめの恰好だ。


 手にしていた鞄の中には黒い布がしまわれており、ターバン状に巻けば一瞬で、闇と同化してしまうほど存在感が薄れた。


「申し訳ございませんが、こちらを」

「執務室に置いておくよ」


 手早く畳んだ騎士服を鞄に押し込むと、それを地面に置いて彼女は消えた。


 試しにクレインが気配を探ってみれば、彼女は既に塀の上まで駆け上がっており、勢いのまま跳躍して屋根まで行ったらしい。


「……ま、ブリュンヒルデの腕はよく・・知ってるし。任せておけば大丈夫だろ」


 果たして狙い通りの状況になるか否か、それは確認するまで分からない。

 理想の流れが来ることを祈りつつ、彼は夜道を歩き始めた。


「これで逆効果なら、次はもう少し……煽りを控えめにしようかな」


 全ては作戦通りだが、その結果がどう出るか。

 現状ではまだ分からないので、失敗するようであれば匙加減が必要かもしれない。


 しかし何にせよ、調査結果次第だ。このプランではブリュンヒルデが、商会を一晩監視して帰ってくることになる。


 クレインは翌朝の報告を心待ちにしながら屋敷に戻り、祝杯を挙げてから、早めにぐっすりと眠った。


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