第二十五話 愚直な直球



 高価な調度品などを買うくらいなら穀物や農具の方が欲しい。

 そんな田舎の家なので、物欲が薄いのはヘルメスにも理解できた。


 しかし調子に乗った若造子爵が、必要以上に物資を買い集めたと見て、攻めあぐねていたところへの直球だ。


 ヘルメスが誘導していた、誠意の割引価格によるシェアの獲得と利権の確保。

 その流れから突然外れて、彼は面食らった顔をしていた。


「金銭でございますか」

「条件優遇というのは、領地の将来を考えると有難いんだがな……それが一番簡単だろ?」


 今後も関係を切りたくない。だから継続して支払える形にしてくれ。

 ヘルメスはそれを建前として、利権を絡めとる狙いで動いていた。


「しかし我々も、今後とも長いお付き合いを続けていきたいものでしてな」

「そうだな、俺もそう思っている」


 一時の慰謝料を得るよりも、こちらの方が確実に得をするのだ。この流れで進めることは確定だとヘルメスは思っていた。


 しかしクレインは利益を把握した上で、一切付き合わない。


 交渉の最後には金銭での賠償が追加されることなど、今のクレインは知らないことになっているのだ。

 だから優遇条件など全て斬り捨てて、全部を賠償金に回そうとしていた。


「今日の昼に増資を決定したばかりじゃないか。別に付き合いを切るつもりはないよ」

「ふむ……しかしですなぁ、それは何とも」

「何か懸念でもあるのか?」


 ただ慰謝料を支払っては、商会への見返りなどゼロに等しい。

 まずはのらりくらりと躱していく方針を定めたヘルメスも、超一流の商人だ。


 軌道修正を図る前に、クレインの意図を見極めようとするのも忘れない。

 是非についての返答を一旦避けて、心情的な面から切り込んでいく。


「これを言ってはおしまいですが、当商会なら金銭など簡単に用意できるのですよ」

「それで?」

「安易に済ませては、誠意に欠けるかと」


 大変な道を選んだ方が真心は伝わる。

 正しいと言えば正しいが、それが嘘だと分かっているクレインにはお笑いでしかなかった。


「ははは、なんだそんなことを気にしていたのか」

「そ、そんなこと……?」


 表面上は王家の紹介でやって来た友好的な大商会だ。

 躾のなっていない従業員が暴走しただけで、今後も付き合いは続く。


 何を当たり前のことを。とでも言いたげな顔をしてから。

 もっともらしい建前を、クレインは愚直な直球で破壊しにいった。


「簡単な方が、手間が省けていいだろ?」

「……え?」

「最近仕事が増え過ぎてな。手早く済ませられるなら、そっちの方が助かるんだ」


 文官がいくら増えても、半年前と比べれば仕事の量が三倍ほどになっている。

 そう続けたクレインは嫌そうに顔をしかめていた。


 面倒な仕事はいくらでもあるのだから、さっさと処理できた方が楽だ。


 ヘルメスから見ても、確かに正しいことは言っている。

 しかし問題はクレインの態度だった。


「正直なところ、誠意がどうこうとか、割引で流通がどうだとか、面倒なんだよね」


 あっけらかんと言うが、ヘルメスにはもう理解ができない。


 自分が殺されそうになった事件を、さっさと金で解決しようという性根。

 しかも理由は面倒だから。


 貴族的な思考をまったくしていないどころか、発言が徹頭徹尾てっとうてつび、間抜け過ぎる。

 これでは意図して暗殺を回避したのかも怪しい。


 多少有能な田舎の貴族という評価がされていたが、急転直下だ。

 能天気な田舎の青年という評価へと変わり、警戒度は限りなく引き下げられた。


 会食後の態度など、読み切れない部分はあったが――大馬鹿者だったからか――と、納得できてしまう有様だった。


 凡愚ぼんぐ。ヘルメスの頭にはその一言しかない。


 張る必要のない罠を仕掛け過ぎたと直感したが故の徒労感がその身を襲い、それこそもう付き合うのも馬鹿らしいくらいだと思い始めていた。


「あの……まあ、子爵がそれでよろしいのであれば」

「俺はそれで全然構わない。早速契約を交わそう」


 慰謝料の支払いに、契約を交わすという言葉は使わない。

 言葉選びのセンスの無さすら、今のヘルメスにはイラつきに変換された。


 慎重に慎重を重ねて対応してきた切れ者の若手。

 その正体がこれかと、ヘルメスは失望からくる怒りすら覚えている。


「では、金貨1万枚でいかがですかな」

「うーん、もう一声!」


 かなり政治的な話も絡むはずなのに、野菜の値切りをするのとそう変わらない声色だ。

 くすぶる怒りを煽るように、クレインの能天気な声が響き渡った。


「……も、もう一声、ですか」

「さっきの案と比べたら損しているじゃないか。買い放題なら、1年あれば超えそうだし」


 金庫を空にする放蕩経営をしておいて、その言い草はなんだ。

 大体その資金は今日借りたものだし、まだ入金すらされていないではないか。


 などと、ヘルメスにも色々と言いたいことはあった。

 しかしぐっと堪えて、彼は反応を返す。


「ほ、ほほ。ええ、そうですな」

「だろ? そこいくと、倍でもいいかなと」

「……倍、ですか」


 不穏な表情が前面に出てきたジャン・ヘルメスだが、彼がここまで怒りを覚えたのはいつ以来か。

 余計な出費さえなければ、今すぐにでもクレインを殺害したい衝動に駆られていた。


 対するクレインは、能天気な口調ながらも冷静だ。


 ヘルメスの目元と頬が痙攣し、ようやく余裕の表情が崩れたところを見て、表情の微細な変化から怒り具合を観察している。


「不服か。この金額は厳しかったかな?」

「いえいえ、そのようなことは」


 クレインとしてはこの程度の怒りなど既定路線だ。

 どうせ殺されることはあり得ないと、強気を崩さなかった。


「では、金額はこれでいいとして……ん? どうした? 御大」


 今回は調査をすると宣言し、ヘルメス商会へ堂々と乗り込んで交渉をしている。

 表面上は商会側から賠償を言い出した上に、そのやり取りをしているのは近衛騎士の前だ。


「い、いえ。何か誠意を見せられる面が、他に無いかと思いましてな」

「気にしないでくれ。俺はこれで構わないから」


 クレインが構わないとしても、ヘルメスはそうではない。

 これでは毒殺に失敗した分は、ただ損をしたことにしかならないからだ。


「まあそう心配するな。今後も友好的にやっていこうじゃないか」

「は、はは……」

「御大のことは信頼しているんだぞ? 頼れる大商人だからな!」

 

 絶望的に話も策も通じないところを見て、やはり殺すかという考えが、ヘルメスの中で台頭してきていた。


 しかし随行しているブリュンヒルデには、ヘルメスの息がかかっていない。


 仮に用心棒を差し向けても、彼女の寝返り工作に失敗すれば、あっさりと撃退される公算が高い。

 そして説得の方針も、すぐには思いつかない。


「話はまとまったな。ブリュンヒルデ、契約書は持ってきたか?」

「いえ。調査とお聞きしておりましたので、そのようなものは」


 そもそも今回のアレスは暗殺指示を出していないどころか、彼女へ純粋に護衛命令を下している。

 事実として、荒事となれば一瞬でヘルメスの首が飛ぶ状態だった。


 歯噛みをしながら打開策を考えるヘルメスだが、対するクレインは速攻ができる。

 金額は折り合ったのだから、それを結論にして合意を結ぶだけだ。


「クレイン様。内密のお話ですので、公的な書類は残さぬ方が無難かと存じます」

「そういうものか?」


 そもそもの話になるが、ここでクレインを殺せば誰がやったかは明白だ。

 仮にブリュンヒルデを買収できても、数々の出費が待ち受けている。


 まず事件を揉み消すために、王宮へいくら賄賂を払うことになるかも分からない。


 他の大手商会も偽りの交易路計画に本腰を入れようとしているので、そこを黙らせるためにもかなり念入りな工作が必要となる。

 付き合いのある貴族を動員することにもなるが、これだけで相当の痛手だ。


「まあ口約束でもいいか。殿下の紹・・・・介で来た・・・・御大が、約束を破るわけがない」

「ほ、ほほ。もちろんですとも」


 次に政治的な神輿として担いでいるアレスのことだが、彼はクレインを有力な味方と見ている。

 しかも全幅の信頼を置いている節がある。


 王宮に潜ませた間者から、その報告は既に上がっているのだ。


 せっかく上手く騙せているところに、不信感など抱かれてはたまらない。

 たかが地方領主を殺したくらいで国盗りがご破算になるなど、それこそ間抜けもいいところだ。


「よし、それでは慰謝料として金貨2万枚で頼む」

「早急に、ご用意致します」


 諸々の処理にかかる費用や手間を考えれば、選ぶ道は一つしかない。

 我慢して、慰謝料を支払うことだ。


 どう考えてもここは、賠償で済ませて損切りするのが最も安上がりだろう。

 そう計算できてしまうが故に、思考がそこに寄る。


 ヘルメスは内心で怒りつつも、他に取り得る手は咄嗟に考えつかなかった。


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