閑話 男たちの愚痴
「乾杯!」
「かんぱーい」
ハンスが鉱山に寄れば、ちょうどバルガスも仕事を切り上げたところだった。
互いに「言いたいけど言えないこと」が溜まっていたのはすぐに察せたので、彼らはすぐに、以前から行きつけにしている安居酒屋へ向かった。
ここは大衆食堂も兼ねているので、商業、内政部門の仕切り役であるバルガスと、軍事部門のトップであるハンスが訪れるような店ではない。
客層は出稼ぎ労働者や若い新兵ばかりで、仲良くテーブルを囲んだ二人を見て驚愕している客が何人かいるくらいだ。
そちらに目もくれずエールを飲み干せば、彼らは二人しておっさん臭い息を吐いた。
「かーっ、うめぇ!」
「ぷはーっ、一日の終わりはこれだよなぁ」
アルコールでストレスを洗い流すかのように満足気な顔をして、彼らはすぐにお代わりを注文していった。
そして乾杯が終われば早速雑談というか、愚痴が始まる。
「……で、ハンスの方はどうなんだ」
「……いや、大変だが」
彼らが領地で過ごして三十数年、一向に変化の見られなかった街並みが、ここ数か月で激変したのだ。
「大変って。そりゃあ、まあそうだろうよ」
政策を回す側の二人はもちろん、互いに振られた激務のことなど分かりきっている。
しかし部下や同僚に悩みを話せるわけも無いので、連れ立って来たわけだ。
「部下がなぁ。急に血気盛んな者が増えて……」
「しかもお偉いさんばかりだろ?」
「そうそう。しかも権力闘争しそうな方々ばかりだ」
そんな内情を職場で零せば、派閥争いが起きるか要らない諍いが起きる。
気心が知れている以上に、働いている部門が違うことが話しやすい要因にもなっていた。
「軍に行ったのは一旗揚げようって奴ばかりだからな。そりゃあ下剋上も狙うだろうよ」
「それはいいんだが、仮にも上司にあの目はないぞ」
身分が違うので、上司だろうが年上だろうが関係無い。
平民より下の役職なのが我慢ならないという意見の持ち主までいるのだ。
一応ハンスも従士の出身なので、地元ではそこそこの家だとしても。
精々が小さな地主レベルであり、最下級の貴族である騎士爵から見ても木っ端のような存在だ。
平民にこき使われる貴族という観点で見れば、文句が出るのも仕方がない面はある。
「鉱山まで視察に来た内政官も似たようなもんだ。アレと四六時中一緒と言われたら俺でも嫌だな」
「だろう? まったく……。で、最近そっちはどうなんだ」
そんな人員が大量に溢れれば、気苦労も分かる。
そう思いつつ、バルガスにも悩みはあった。
「出稼ぎ労働者の中でもな、鉱山なんて場所に来る奴は荒くれ者ばかりよ」
「まあ、危険で給料が高いところだからな。一攫千金……とは違うが、そういう気性の人間は集まるか」
鉱山の仕事は危険な代わりに給料が高い。
しかも体力勝負なので、力自慢で気性の荒い出稼ぎ労働者が多く割り振られていた。
「ああ。すぐ喧嘩するし、採掘班と整備班の仲がちょっとばかり怪しくてな」
「実働隊と内勤は、どこもそんなものか」
お互い畑違いのことをやっていても、以前までなら内情を良く知っていた。
しかし今では人間が増えた分だけ業務が増えたり細分化されたりして、深いところは知らない。
「ハンスのところで言うと、グレアムの子分みたいな奴がうじゃうじゃいる……って言えば分かるか。俺の苦労が」
だからバルガスが、なるべく分かりやすく現状を伝えようと思った結果がこれだ。
この例えを聞いたハンスは、自信満々に首を縦に振る。
「うむ。そんな空間は無理だ」
「だろうな。まあ元々そんな職場だ。問題児の数が増えただけでもあるけどな」
そんな愚痴を言い合ううちに酒は進み、ハンスは強めの蒸留酒を、バルガスは果実酒をどんどん空けていく。
いつしかハンスの前には空になった樽が、バルガスの前には空になったコップが積み上がっていった。
「クレイン様は急にどうしたんだろうな」
「マリーと結婚してぇんだろ?」
そして、最近の不満を暴露し合いスッキリした顔の男たちは、次の話題に移る。
最近のことと言えば、やはりクレインのことだ。
「確かに結婚の件はあるだろうけどな。それにしては、あの条件は少しおかしいと思うんだが……」
クレインが春先に宣言した「領地の収入を一年で倍にできたら、マリーとの結婚を許せ」という挑戦。
それだけの覚悟があるならとクラウスも受け入れたが、そこまで無茶なことを言わずとも、時間をかければ説得は可能だったはずだ。
それはバルガスにも分かる。
「確かにな。あんな厳しい条件を自分から言い出すなんて、どうかしてらぁ」
「それで本当に達成できたのが、大物と言えばいいのか何なのか」
むしろ一年で達成と言えば相当無茶をすることになるので、そのせいで少し渋られたくらいだ。
例えば「5年で倍」くらいに収めても、クラウスは首を縦に振ったはずだった。
「というか、もう鉱山部門の売り上げだけで去年の三倍は超えてるな」
「本当にか?」
「おう。なんなら作った銀貨の額だけでも倍に近いぞ」
クレインは前々から銀鉱床の存在を知っていたと言う。
ならば十分に勝ち目がある政策ではあったのだろうが、商会からの援助が無ければ相当厳しい賭けに変わりはなかった。
呆れるやら驚くやら、これにはハンスも複雑な思いを抱く。
「まあマリーの方は好きだったんだろうし、坊ちゃんの気持ち一つだったからな」
「これがクレイン様なりの覚悟か……」
しかし王家にまで協力を取り付けて、賭けに勝ったのだから何も言うまい。
バルガスはそう切ると、追加でやって来たワインのボトルを開けて言う。
「それはそうだが、あのクレイン様が……ある日急にあの有様だぞ」
「年度の節目で丁度良かったんだろ?」
クレインのことに関して言えば、推測材料は色々あっても推測の域を出ない。
適当なことを言うバルガスに呆れながら、ハンスもストレートの蒸留酒を空けていく。
ハンスの方は特に酒に強く、次第に飲む量に差ができてきたどころか、飲む単位が杯単位から瓶単位に切り替わっていたのだが。
「そう言えば」
「おう、どうした」
そこで、今度はふと、ハンスからバルガスへの疑問が出てきた。
「クレイン様をいつまで坊ちゃんと呼ぶんだ? もう一人前だと思うし、本人もやめろと言ってた気がするのと……ほら、外聞が」
クレインは既に田舎貴族ではなく、国の中でも大きな存在感を出し始めている。
しかも今の領内には、身分や上下関係にうるさい人間が増えたのだ。
領主へ気安くするところを見られれば、確実に反感を買うだろう。
バルガスにも遠回しな忠告であることは分かる。
「坊ちゃんのアレは、いつもの挨拶みてーなモンだろうが。それに周りのことなんざ、俺の知ったこっちゃない」
しかし分かった上で、彼は鼻で笑った。
「いいのか、それで」
「いいんだよ、それで」
グラスに注いだお代わりを一気に飲み干すと、今度は鼻を鳴らしてバルガスは言う。
「さっき自分で言ったろうが、坊ちゃんが急に大人びたのは春先からだって」
「言ったが、どう関係するんだ」
「あれよあれよと大物になって、確かにウチは大きくなったさ。……でもな、人間が急に、そんなに変われるものかよ」
元々のクレインは家庭菜園や園芸が趣味で、昼寝を愛する素朴な少年だった。
目を見張るほどの秀才でなければ、何かに秀でていたわけでもない。
「先代が生きてりゃ、今でもただの坊ちゃんだったんだぞ?」
「まあ、そうか」
年齢はまだ若く、春までは領地の外と折衝したことすらなかった。
政治のことなど分かるわけがないし、大商会や王家との交渉が上手く進んだだけで奇跡のような状態だろう。
実際のところを考えれば、クレインは何十年もやり直しを繰り返して、少しずつ前に進み成長してきていた。
しかしバルガスやハンスから見れば、ただのお坊ちゃんが急に激動の中へ飛び込んだように見える。
本人の行動の結果だとしても、たった半年で急激に立場が変わってしまったのだ。
それもクレインが持つ性質とは真逆の才覚。
権謀術数の能力が求められる世界に入り込んでしまっている。
「新しく来た奴らの全員が信頼できるわけでもなし。誰をどこまで信用していいのかも分からねぇだろ」
「……貴族出身者が増えたからな」
最近加わった外様からすれば、クレインの立場は新進気鋭の領地をまとめ上げる、貴族の「アースガルド子爵」でしかない。
バルガスらが古くから知るような、名家のお坊ちゃんではないのだ。
統治の結果だけで判断をする者がいれば、当人の能力で判断する者もいる。
繋がりが全く無いところへ移籍してきたのだから、内面まで評価している者はまだ少数だろう。
気を許せない、知らない人間が周囲へ大量に現れたとも言える。
「だからさ、変わらねぇものが一つくらいあってもいいと思うぜ、俺は」
「それが坊ちゃん呼びか」
「おう、親しみやすいバルガスおじさんは健在だってな、ガハハ!」
そう聞けばハンスにも理解はできた。
隠密担当のマリウスが、クレインの暗殺を警戒して裏側の警備体制も強化しているくらいだ。
ハンスはおろか、クレイン本人ですら知らないところで暗闘もあると言う。
状況も環境も、何もかも激変しているのだし、それは大なり小なりクレインの負担になるだろう。
今まで通りの部分があってもいいとは、ハンスにも思える。
「余計な気苦労を掛けないのは、家臣の務めか」
「そういうこった。柄じゃねぇが、今や俺も正式な内政官だからな」
街並みは変わり、道を行く人も見知らぬ顔が増えた。
半年前とは何もかもが違う。
ならば昔のクレインを知る自分たちくらいは、変わらなくてもいいのでは。
それがバルガスの主張だった。
「……そうだな」
ハンスとてクレインを、当主というよりは親戚の子どものような目で見ていた。
子爵家を守ることもクレインを守ることも、今まで通りでしかない。
ただ、やり方が変わっただけだ。
ハンスも元は田舎の一衛兵隊長なのだ。出発地点を考えれば仕事を変に気負わなくていい気がしたし、むしろ下剋上が起きればこの激務から解放される。
そう思えるくらいにまで気楽になった。
やはり持つべきものは飲み友達か。
そんなことを考えていれば、座る二人の頭上から声が掛けられる。
「あら。ここにいたのね」
「ん、おう。ブラギ会長か」
声の主は少しばかり露出の激しい美女、ブラギ商会長だ。
彼女とて、どう考えてもこんな安居酒屋に来るような身分や見た目はしていないが、さも当然のようにバルガスの横へ腰を下ろした。
「バルガスさん、先週の件……どうかしら?」
「明日でいいだろ、飲んでるのに」
「相変わらずツレないわねぇ。結構な儲け話なのに」
王都で洗練された、垢抜けた美女。それをあしらう鉱夫の親分というのも奇妙な絵だが、バルガスの中では女よりも酒と友人である。
しかしハンスからすればまた違う。
「私はもう帰りますから、お話があるなら店を移しては?」
「あら、いいの?」
「ええ、今日は早めに切り上げようと思っていたので」
ブラギからすればバルガスは変に劣情を向けてこないし、取っつきやすい人間だ。
硬派で頑固なガテン系の男だが、これで良好な関係は保っている。
「おいおいハンス、一軒目で終わりかよ。まだいつもの半分も飲んでねぇのに」
「ふふっ、いいじゃないバルガスさん。楽しく飲みましょ」
そんな二人の関係性をよく知らないものの、ハンスは一見して好感触を持っているようだという印象を受けた。
だからこの年齢になっても独身のバルガスに、少し気を使う。
「明日は朝から視察だからな。すまんが会長と続けてくれ」
勘定をテーブルの上に置いて、ハンスはすぐに店を出た。
飲み足りないバルガスは、恐らくブラギと商談がてらに飲むのだろう。
「変わらないものがあってもいい。そうは言っても、変わった方がいいこともある」
いつ死ぬか分からん鉱夫が家庭を持てるか。などと豪語していたのも昔のことで、今やバルガスは危険の少ない管理職だ。
結婚適齢期は過ぎているが、遅過ぎるということもない。
「大商会の会長を落とせるとも思えんが……まあ、挑戦は大事だな、うむ」
クレインの挑戦は成功したので、主君は幼馴染と身分を超えた結婚をするのだろうと考えつつ。
だったらついでにバルガスも、そろそろ身を固めていいのではないか。
そんなことを思いながら、ハンスは軽い足取りで家までの道のりを歩いた。
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