閑話 中間管理職の苦悩
時系列は八章末から半年と少し経った頃。
王国歴501年4月の話になります。
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「ハンス殿。本日の訓練は全て終了しましたぞ」
「む、ああ。ではいつも通りに礼をして解散を」
どことなく高貴そうな中年の武官が、今日の調練は終わったと報告にきた。
彼は昨年仕官してきた者たちの一人で、中央から派遣されてきた教官と共に、新兵を鍛えている男だ。
領内に練兵のノウハウなど無く、自分ですらまともな訓練を受けたことが無いハンスは全てを部下に任せる方針で進めている。
身分が高い何名かが自然と仕切るようになり、彼の負担は減っている一方で。野心に燃える若手からは蔑まれ、又は地位を狙われるようにもなっていた。
「隊長、本当にお飾りだよな」
「あれなら取って代わることも……」
聞えよがしに言うのは、騎士爵家や準男爵家出身の次男以降が主だ。
上の兄弟に何かあった時のため、スペアとして育てられたはいいものの。結局領地を継ぐこともできずに燻っていた者たちである。
男爵家以上ともなれば実家の家名を汚さないように言動へ気を遣うし、身分が高い人間の誰もが平民のハンスを見下すわけではないが――しかしハンスの苦悩は、直接のやっかみだけに留まらない。
元から何らかの繋がりがあるところでは、武官たちの派閥ができているのだ。
その関係調整も、トップである彼の仕事となる。
「……やりにくい」
例えば北部出身の者たちは私塾から引き抜いているので、元から顔見知りなことがほとんどだし、もれなく先輩後輩の間柄となる。
更に言えば上流階級出身が多く、今のところ目立った問題を起こしていないまでも取り扱いには特に注意が必要だ。
「北の奴らはまだ物分かりがいいんだが……。はぁ」
腕っぷしで採用されたランドルフやグレアムなどの平民組は平民同士で固まる。
しかし向上心が強いものの、名誉や地位にはそれほどの執着も見えない者たちだ。
合う合わないはあるものの、ここもそこまで問題にはならない。
平民同士がくっ付いても、派閥というよりは気の合う仲間でグループを作るくらいであり、政治的な問題は発生しえない。
少なくとも野心の目を向けてくることは少なく、貴族の側近であるハンスへの扱いも粗野ながら気は使われている。
「グレアム隊は気掛かりだが……そこはオズマ君に任せておけばいいだろう」
たまにグレアムの子分が酒場で諍いを起こし、喧嘩の仲裁にハンスが駆り出されることもあったが、今のところは何とか回っているので手間以上のストレスは無い。
しかも大抵は補佐官のオズマに出てもらえるので、ここもまあ我慢はできる。
「しかし中央出身者は……なあ」
片や中央から引き抜いた人間は元々政治的な取引で応援に来ているし、中央に居た頃よりもいい扱いが受けられそうなら、そのまま移籍するつもりの者も多い。
仮に軍事部門の上層部へ入り込めれば、宮中で下っ端役人をしているよりも確実に名誉と栄光と賃金が手に入る。
この点に関して言えば、どうせならトップを目指したいのは人情だろう。
だからいずれ帰るとは思うが、
むしろ任期付きなので失うものが少なく、より攻撃的な者もいる。
特に派閥を作るのも中央組だが、立場はどうあれ身分が違うのだから曖昧に笑ってやり過ごす以外の選択肢は無かった。
「まったく、あっちもこっちも自分勝手な奴ばかりだ」
更に言えば各地から集まった人材は生活習慣がバラバラな上に、武官は血の気が多い者が多数派なので、諍いが起きる度にハンスの出番が来る。
当事者たちに不満を残さず、ハンスに恨みを向けられない仲裁というのも案外難易度が高い。
「はぁ……まあ、やるしかないが」
クレインの拡大政策を回すなら、治安維持の衛兵や取りまとめ役はいくらでも必要だ。
主君が決めたことなので、最古参の自分が職務を投げ出すわけにもいかない。
そう諦めて、彼は練兵場の厩舎に繋いでいた馬に跨り帰路についた。
「今のところ個人の問題で収まっている分、移民や商会の相手をしているバルガスよりはまだマシな環境、かな」
そんな慰めにもならないことを思いながら、領都の東側にある訓練場から中心部へ引き上げていく道すがら。
途中から横に補佐官のオズマが並走し、明日の予定が確認されていく。
「ハンス様。明日は午前に東地区の長屋の視察。子爵邸横の武官宿舎建築の進捗確認。午後に行軍訓練があります」
「そろそろ建築部門は切り離してほしいものだが……何とかならないか」
オズマは非常に安定感のある堅物だ。
優秀でも口数が少なく、必要なことしか喋らない。
「子爵が工兵隊の増員計画を立てておりましたので、むしろウェイトは増えます」
「……そうか。そうだな」
建築について学んでいる部下や、実地で使える者はそう多くない。ハンスも若手を何人か抜擢したが、指揮を任せられそうな者はまだいないのだ。
だから結局、彼が統括するのが一番早いし効率的になる。
「まあ、言ってみただけだ」
「そうですか。では次の予定ですが――」
オズマは愚痴にも正論で返すし、出てくる対応策が間違っていたことも無い。
正しいだけにハンスとしては、もう少し柔軟性が欲しいと思っていたところだ。
怪しい雰囲気のあるピーターとはまた別な意味でとっつきにくい存在であるが、しかし彼も有能なので、補佐から外すという選択肢はハンスの中に無かった。
「予定は以上となります」
「分かった、明日もよろしく頼む」
急に増えた仕事へのストレスや、身分が上の者たちからのやっかみ。
無駄に出世したことによるプレッシャーなどから、ハンスは今や胃薬を愛用している。
しかしたまには発散させたいという気持ちもあり、今日の彼は街の中心へ帰る道ではなく、鉱山へ向かう道を選んだ。
「どちらへ?」
「今日の晩はバルガスと飲みに行こうと思う。ここで解散だ」
オズマは命令に実直で素直な方ではある。
しかしハンスは如何せん、彼からもプレッシャーを感じていた。
無表情ぶりというのもそうだが、彼を含めた若手からは時折、政治とは無関係の圧力が飛んでくるのだ。
「帰るついでに、家へ連絡を入れてくれるか?」
「お任せを。奥方様にお伝えします」
プレッシャーの中身は、どんどん膨れていく虚像への敬意だ。
アースガルド領が大きくなるにつれて、ハンスの評価が上がっていく。
アースガルド子爵が重用している重要人物。
これだけ人材がいるのに、いくつも大きな仕事を任されている。
恐らく大層有能。
普段の覇気の無さは演技で、いざとなれば凄い。
オズマを始めとした一部の若手は、そんな目を向けてきているのだ。
実際には「気心が知れていて命令しやすいから」という理由での起用が多いものの、そこまで知っている人間は屋敷の使用人たちとマリウスくらいだった。
「明日もよろしく頼む」
「はい。お疲れ様でした」
しかし折角大人しく従ってくれる層を幻滅させるわけにもいかないので、ある意味粗探しをしてくる者たち以上に隙を見せられない。
完璧な敬礼をして去って行くオズマを見送ってから、ハンスは小さく零す。
「……どうしてこうなった」
昨年4月までのハンスは田舎子爵の下で、半分農民の名ばかり兵士長をやっていたのだ。
しかし大勢力となりつつある家で重鎮を任せられている男という風に、世間の目が変わりつつある。
若者から尊敬されているのは嬉しいとしても、嬉しさ以上に胃のダメージが深い。
立場の割りに能力が低いことは自覚していたからだ。
「ええい酒だ。酒で忘れよう」
下からは突き上げを食らい、上からは無茶な仕事が飛んでくる。
部下が変に有能揃いになってしまったので、仕事が成功してしまうのも問題だ。
敢えて失敗しようとは思わないまでも、成功した実績が積み重なるのだから、日を追うごとにどんどん激務が積み重なっている。
そんな日々のストレスを忘れるべく、ハンスは気心の知れた友人の元へ向かう。
行きつけの居酒屋で酒を浴びるほど飲み、全てを忘れるために。
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ただの平民が、身分の高い部下を大勢抱えている状態です。
中小企業で課長をやっていたら急に会社が上場して、部下に国土交通大臣の息子やら市議会議員の甥っ子やらが大挙してやってきたような状況でしょうか。
ついでに問題行動の目立つ元ヤンなども大量に指導しなくてはいけません。
給料は倍増しましたが、仕事の量や気苦労も当然増えています。
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