第八章 武力強化編・改

第三十二話 再獲得



 季節は秋の中頃。

 不作の影響が目に見えて出始め、全国的な不景気が加速していたある日のこと。


「アースガルド子爵のお屋敷は、こちらに相違ないかーッッ!!!」


 日の出と共にクレインの屋敷の前に訪ねて来て。仁王立ちしながら、大声で呼びかけている男が一人。


 この迷惑な男こそ、後に子爵家で最強の軍を率いる男、二つ名は剛槍のランドルフだ。


 身長は二メートルほどの大男で、肩幅が広く、分厚い筋肉で覆われた逞しい胸板をしている。


「お、仕官希望者か?」

「いかにも! 拙者はアースガルド子爵の招きに応じて馳せ参じた! お目通りを願おうかッッ!!」


 誰がどう見ても歴戦の猛者といった風体の男は、左手に朱槍、背中に風呂敷だけを持って馳せ参じた。

 門番役をしていたチャールズが手紙を検めると、確かにクレインの署名がある。


「はいよ、ちょっと待ってな」

「子爵にお伝えしてきます」

「ああ、頼むわ」


 自分たちも含めて、夏から大量の仕官者が集まり始めていたのだ。

 特におかしい部分は見当たらないので、チャールズは取次の兵を走らせた。


「しかしアンタ、随分腕が立ちそうだな」

「そ、そうか?」

「おう。真面目にアピールしておけば、採用は間違い無さそうだ」


 チャールズは門下生の中でもビクトールと距離が近く、時折隠れ家の方を見回る関係で武官扱いとなっていた。


 しかし彼は武官や門番の仕事を希望していない。

 だからアースガルド家には、本気で武官が増えてほしいと願っていた。


「俺は内勤希望なんだがね。武官が増えなきゃ移籍は難しそうだから、個人的には応援するぜ」

「う、うむ」


 チャールズも働き口を紹介された時点では、文官枠で働こうと思っていた。

 しかし今のアースガルド家は過去と打って変わり、文官ばかりでバランスが悪い。


 仕官した門下生には文官しかできない者が多いので、兼任可能な彼は武官に回されている。

 そんな経緯があって今、門番をやっていた。


 真っ先に推薦されたエメット、チャールズ、オズマの三人が武官の中心となったものの、他に戦働きできそうな人材が、現状では客分のブリュンヒルデしかいない。


 衛兵隊も大工仕事を得手とする者ばかりが増えており、大規模な野盗が現れれば戦力的に不安が残る状況だ。


 そんな点も鑑みて、チャールズはランドルフが採用されることを切に願った。


 彼らが取り留めのない世間話を続けていると、やがて取次に走った衛兵が戻ってきて、屋敷の方を指して言う。


「子爵がお会いになるそうですので、ご案内しますね」

「お、これからすぐ面接みたいだな。頑張れよ」

「ああ、ま、任せておけッ!!」


 緊張した様子のランドルフに、漠然とした不安を覚えながらも、何はともあれ、チャールズは彼らを見送った。


「門番じゃサボれないからな……あの威圧感なら適任だろうし、早いところ俺と変わってほしいもんだ」


 呑気な門番はあくびをしながら武運を祈り、平和な朝が過ぎていく。




    ◇




「ではランドルフ。仕官に応じるということでいいんだな?」

「無論。今日からでも働かせていただきたい!!」


 ランドルフは過去と同様に、熱意が空回り気味だった。


 彼は前傾姿勢を通り越して、テーブルを乗り越える勢いで、クレインとの握手を求めている。


「そう焦らずに、契約書は交わしておこうな」

「む、あ、ああ。そうですな」


 彼が求めるものは二つ。まずは安定した賃金だ。


 いかにも傭兵然とした、腕一本で一攫千金を狙いに行くような風体であるのに、彼は堅実な職を求めていた。


「いずれ衛兵隊を任せる予定だが、まずは副隊長待遇から始めようと思う」

「では、それでお願い致す。サインはどこへすれば――」

「話は最後まで聞こうな?」


 手紙を送った日付は過去より少し早かったものの、会話の内容は最初に仕官しに来た時と何ら変わらない。


 懐かしいものを覚えつつも、扱いは手慣れたものだ。

 クレインは落ち着いた態度で、雇用契約書をランドルフの前に出す。


「まずは賃金の交渉からにしよう」

「う、うむ」

「給料だが、毎月金貨8枚の俸禄を予定している。そこに加えて危険手当として、都度の働きを見て賞与を出すつもりでいる」


 小作農として働いても平均して月に金貨5、6枚の収入になることを考えると、経験も実績も無い浪人に与える俸禄としては良い方だ。


 クレインとしては彼がどれくらい働けるか知っているので、すぐに給与を上げて良いとは思っているものの、急に上げれば反発がある。


 だから条件面でも、過去と何ら変わり映えはしなかった。


「いずれは創設予定の軍で、指揮官を任せようと思っているんだ。将軍候補だな」

「せ、拙者が、一軍の将に?」


 指揮官と言えば普通は名家の出や、側近の家から選抜された者が就く地位だ。


 彼の夢は自分の腕で武功を挙げ、一廉の武将となることではあるが、しかし出世は遥かな道のりであり、平民からの叩き上げでは将軍が最高位となる。


 それも滅多に無く、指揮官まで叩き上げるのは数万人に一人ほどの割合だろう。


 まだ何の功績も立てていないランドルフに、初対面の段階から既に出世させる予定という話が出てくる。

 そんなことは通常あり得ないので、この発言にはランドルフも目を丸くしていた。 


「任せても大丈夫そうだからな。そこを目指して頑張ってもらいたい」


 国内で最も人材の層が厚いラグナ侯爵軍で将まで辿り着いたところを見れば、才覚は十分過ぎるほどある。

 それを知っているだけに、クレインも以前より早期から任せるつもりでいた。


「まあ腕っぷしだけでは任せられないから、少し勉強をしてもらう必要もあるが」

「承知致した。励むとしよう」


 うんうんと頷くランドルフは、雇用契約書に再びのサインを試みた。

 しかし話はまだ終わらない。


「あとはこれだな」

「これは?」


 クレインは今回の人生でも、ランドルフの妻のために治療薬を用意してあった。

 トレックが仕入れた薬は効き目が良好な分、それなりに値が張るものだ。


「奥さん、病気なんだろ? 馴染みの商人から特効薬を取り寄せたから、使ってくれ」

「……え?」


 薬効が広いとは言え、特効薬は言い過ぎたかと反省するクレインだが、しかしこの薬が効くことは今までの歴史が証明している。


「これはプレゼントだ。契約金代わりと言ってもいいな。定期的に仕入れるから、使い切ったら教えてくれ」

「何故、拙者の妻が病だと……?」


 彼らは初対面なのだから、療養の環境を必要としているという事情は、本来まだクレインは知らないはずだった。


 しかし今となっては、どうとでも誤魔化せる内容だ。


 特に今のランドルフは緊張と混乱で判断力が落ちているので、クレインは平然と言う。


「噂で聞いただけだよ。で、どうなんだ?」

「た、確かに妻は、病ではあります」


 安定した職があり、アースガルド領は療養の環境としても悪くない。

 そして薬が安定して手に入る。

 

 しかも領主が一介の平民を気遣って配慮までしているのだから、これで裏切る理由は無いだろう。

 クレインへの忠義が一番篤い者が誰かと言えば、間違い無くランドルフだった。


「なら、受け取っておけ。効き目は保証するから」

「お、おお……」


 過去には、彼が率いる軍がアースガルド領を滅ぼしている。


 しかし将軍を罷免されるどころか、軍法会議で処刑される可能性に目を瞑ってまでクレインのことを逃がそうとし、子爵領に住む人間も逃がせと、堂々と言える男だった。


 つまりは、恩をきっちりと返すタイプの人間だ。

 一度忠義を受ければ、義理人情という面でこれほど頼もしい将もいない。


 それにあの進軍が誰のせいで起きたか、今のクレインは知っている。

 恨むべき相手は他にいるのだ。


 だからクレインは彼を雇い入れるのに、何の不満も不安も無い。

 むしろ真の敵を倒すために、彼の武力は必ず必要となると思っていた。


 そんな裏を知らないランドルフはと言えば、薬の瓶を抱えて号泣している。


「ぐ、ぐおおおおお!! 拙者如きに、このようなご配慮をいただけるとはッ!!」


 彼が仕官に失敗すること十数回。

 ようやく声が掛かった先で好待遇かつ、家族への気遣いまで受けられたのだ。


 そんな前提もあり、今回も忠誠を受けられたのだろうと、クレインは胸を撫で下ろす。

 何はともあれランドルフに不満など一切無く、アースガルド家は彼の再獲得に成功した。


 ランドルフは以前までと何も変わらず、雇用契約書を摑むと、汚い字で猛然と名前を書き殴ってから宣言する。


「粉骨砕身、全身全霊でお仕え致す所存ッッ!!」

「よろしく頼むよ、ランドルフ」


 そうは言っても、暑苦し過ぎるのはやはり考えものだ。

 これから定期的に、彼の友人や知り合いが仕官をしに来るが――全員暑苦しい。


 初回の盗賊討伐を終えれば、彼は故郷に戻り引っ越しの準備をするだろう。


 そのタイミングで友人たちにも移民を勧め、ランドルフの待遇を聞きつけた腕自慢たちが勝手に押しかけて来る。

 不景気さは相変わらずなので、武官志望者たちが山ほど現れることも既定路線だ。


「一連の流れが分かっているんだし、なるべくまとめて来るように伝えようか」


 独り言を呟くクレインだが、号泣中のランドルフはまったく聞いていない。

 しかし仕官の効率化も、これから先はやらねばならないことだ。


 屋敷の人間の精神面と、自分の安眠を守るための対策もひっそりと立てていた。


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