第八話 けじめ



「き、貴様、何をするか!」

「そうですね……。けじめですよ、これは」


 唐突に顔面を殴られて、椅子ごとひっくり返った王子の胸倉を摑み。

 強引に引きずり起こすと――クレインはもう一発、拳を見舞う。


「ま、また、殴り……」

「元はと言えば、王家のお家争いが発端だ」


 大抵の出来事は、王族の毒殺事件から始まっている。

 ヘルメス商会の動きを見れば、もっと以前から進行していた可能性は高いが、争いが表面化したのはそこからだ。


「ああそうさ。あっさりと騙されて、各方面を混乱させて」


 反乱を目論み、内戦を起こしたような輩を支援して。

 反乱軍を鎮圧しようと動いていたラグナ侯爵家を、妨害しにかかっていたのだ。


 大した勢力にはならず、障害になったかは怪しいとしても。彼が王女の策を一つでも見抜き、早々に対策を取っていれば、本来の未来からしてもアースガルド領は滅びていない。


「お前がもう少し、しっかりしていれば」

「な、何の話だ」


 王子の無能さが、彼の領地を滅ぼしたとも言える。

 そのことを思えば、クレインの拳にも力が入った。


「あんな惨状は、生まれなかったんだよ!」

「ぐはっ!?」


 騙されていたという点ではクレインも同じだ。

 しかしクレインに散々、偽情報を流したのも王子だった。


 最初から正しい情報が出てくれば、もう少し別な動きができたかもしれない。


 そもそも王子が正しい情報に基づいた判断をして、争いを王家とその周辺だけで終わらせておけば、クレインは一度も殺されることなく、今も平和な毎日を送っていたことだろう。


「散々回り道させられたというのは、個人的なことだとしても」

「だ、だから、何の……おぐっ!?」


 口を挟む隙さえ与えず、クレインは王子の横っ面を張った。


 よろける王子はひたすら混乱しているが、クレインは今日に至るまでの間で、溜めに溜めた鬱憤が一気に噴き出して止まらなかった。


「今ここにいるお前には、何の非が無いとしても。――落とし前は付けてもらおうか」


 前々回の人生までは宮中で王子の味方となり、侯爵家と敵対する道しか選べなかった。


 あの時点でクレインの側にも利があったのは事実だが、断れば殺される状況で、派閥に入る以外の選択肢はほぼ消滅していた。


 生存戦略の一歩目から間違った方向に進んでいたが、全ては王子のさじ加減一つだ。


 北侯と王子の派閥争い。それは王子の一方的な敵視から始まっている。

 否応なく対立を生み、勢力争いを仕掛けたのは彼の方だ。


「お前の選択で、俺の領民はおろか、王国全土で何十万と人が死んだぞ」


 大勢の人の生死に関わることとあって、クレインは努力や過程、含まれた事情や背景などの、一切を評価するつもりが無かった。


 彼とラグナ侯爵の間に、決定的な因縁があったのかもしれない。


 大元にある確執の理由がどうであれ、国家転覆を狙う勢力に利用されていたのだから、失点としか捉えられなかった。


「権力者が判断一つ間違えるだけで、どれだけの犠牲が出ると思っているんだ!」

「だから、一体、何のことだと聞いている!」


 クレインが怒りのままに鉄拳を叩き込めば、数歩下がって態勢を立て直した王子は、鋭い目で睨み返した。


 今語られたこと。それらは未来での話であり、今ここにいる彼は何もしていない。


 そうだとしても、仮にクレインが何も手を出さず、傍観者として過ごせば――放っておけば――必ず同じ未来はやって来る。


「王族の失策で犠牲が出るだと? そんなものは知っている! だから慎重に慎重を重ねて情報を……」

「取得元が間違ってんだよ、この馬鹿!」


 クレインが王子を殴ったことには理由もあるが、大半は彼自身が感じた怒りを、清算させるのが目的だ。

 だからクレインは、続けてもう一発顔面を殴りつける。


「東伯は少女趣味じゃない! 北侯は謀反を考えていない! それから――!」

「ぐっ、このッ! 気狂いが!」


 回り道をさせられた分の怒りは、もちろん上乗せされている。

 しかもそれらの誤情報がどこから来ているか。


 判断を誤らせた情報の数々は、王子を暗殺して覇権を握ろうとしていた、王女の勢力から流されていたものだ。


 彼は国の中枢にいるのだから、集めようと思えば、正確な情報はいくらでも集まったはずなのに、あっさりと敵の罠に嵌まっている。


 ともすれば、彼が周囲を巻き込みながら、盛大に自爆したとも言える。


 クレインからするとどれもこれも戦犯ものの大ポカだが、何にせよ、ここまで来ては王子も止まらなかった。


「ラグナ侯爵家の侵略は既に始まっておるわ! あの版図を見ても分からぬか!」

「それなら、版図が拡大した理由は?」

「り、理由……?」


 王子が怒りに任せてブリュンヒルデに命じれば、クレインはすぐに死ぬだろう。しかしまだ殺害の指示は出ていない。

 だから彼女は律儀に命令を守り続け、ドアの外から一歩も入ってはこなかった。


 そして王子としても、今すぐに処理をさせようとも思っていなかった。


 一国の王子が交渉の席で、弱小勢力の当主から意味の分からない理由で殴られたのだ。

 ここで逃げて、部下に反撃させるのはプライドが許さなかった。


「わけの分からぬことばかり並べて、何なんだ、貴様は!」


 だから王子は自分で殴り返す道を選ぶ。

 彼は拳を握り、生まれて初めて人を殴った。


 クレインの左頬には張り手のような、握りの甘い中途半端な拳が届く。

 しかし、その程度で怯むはずもない。


「こ、の、野郎!」

「うごっ!?」


 クレインは今までの人生で、武人紛いの訓練を積んできた。

 訓練で死ぬほど痛い思いをしたどころか、これまで散々死んできたのだ。


 素人の、張り手か拳かも分からないような攻撃。


 これで止まるはずがなく、即座に顔面を殴り返したどころか、追撃を入れていった。


「見える範囲で思考停止して、知った風な口を利くな!」

「おっふぅ!?」


 今度はボディブローが入り、王子の息が止まりそうになった。

 目を見開き、小刻みに震えている。


 さて、ここで勢力図の話が出たが、確かに北侯の勢力圏は王国最大だ。


 西方の領土を切り取って急激に拡張したところでもあるし、そこは麻薬の原料が採れる地域でもある。

 しかしそこは元々、西侯の勢力下にあった地域だ。


 3年後には、西と東で共同戦線を張っているような状態だった。

 領地を没収された家も、謀反に一枚噛んでいるのだろう。


 クレインはそう推測し、北侯が勢力を拡大したという一点だけを見ている王子へ怒鳴る。

 そして動きが止まったのをいいことに、もう一度ボディブローを入れていく。


「はぁ……はぁ、こ、この……!」

「どれだけの人を犬死にさせれば気が済むんだ、このアホ王子!」

「な、なんという、暴言か。私を誰だと思っている! このうつけがぁ!」


 クレインはこれまでに、王子が原因で十数回殺されている。

 そもそもの話をするなら、彼の選択と判断が、死亡原因の大半に関わっている。


 相手が王族とは言え、思い返せば最初から最後まで不満を持っていたため、すぐに熱くなったが。

 状況がよく分からないまま、王子もヒートアップする。


 互いに罵詈雑言をぶつけ合いながら、クレインと王子は本格的な殴り合いを始めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る