第九話 方向性が、何か違う
唐突に殴り合いが始まって2分ほど経ったが、これは完全にクレインが優勢だった。
今日は元々、事を構えるつもりでここに来た者と、突然殴られた者。
覚悟の違いもあったが、場数が違った。
「いいように踊らされて、恥ずかしくないのか!」
「うっぐぇっ――!?」
顎に
彼は今までにあった、全てのことを清算する勢いで連打していった。
「王女の話を信じて、アンタが個人的に暗殺されるならそれでもいい。国中巻き込むような浅慮をするな、この無能王子!」
「ぐへっ!? ぐおっ!? だ、だから、何の、話」
一介の子爵が王子へ馬乗りになり、暴言を吐きながら顔面をボコボコにしているのだ。
これは間違いなく異常事態だった。
しかしブリュンヒルデはこの状況でも突入してこない。
忠実過ぎて、命令を完璧に守っている。
彼女にはもっと一般人に近い感覚を身に着けてほしいし、常識を学んでほしい。
そう考えた瞬間、クレインの真下にいたのは――マウントポジションを取られて散々に殴られ、口と鼻から血を流している王子だ。
「はぁ……はぁ……。あー、ごほん」
クレインはこの国で最も尊い人間の一人が、涙目になるまで殴り続けた。
どう考えても、一国の王子にしていい対応ではない。
ブリュンヒルデに常識が欠けているのは確かだろうが、冷静に考えれば自分の行動が、常識外れどころか狂気の沙汰だったことに気づく。
「何と言うか。つまりですね、殿下」
内心でやり過ぎたと反省しつつ、わざとらしい咳払いをしてから、クレインは王子の上からどいた。
「もっと考えてから行動していただきたい」
「言い……たいことは、それだけ、か?」
「本音を言えば、もう少し」
「まだ、あるのか」
そもそもの話が、味方集めが難航していたまではいいとして。その間、側近の誰もが北侯との対立に異議を唱えていないこと。それはそれで別な問題がある。
情報収集能力のある部下がいない。
配下には王女の息がかかったものばかり。
無能なイエスマンしかいない。
等々、ろくでもない可能性ばかりであり、掘れば掘るほどマイナスの材料が出てきそうな部分でもあった。
「例えばですが、東伯と東侯と北侯と王女と、あとは……ヘルメス商会長と、その他北侯の文官辺りにも、殿下は共通の評価をされていました」
「……どういう評価だ」
間者を一掃することは無理だとしても、王子の意識改革をしない状態では、どうにも先へ進めない。
だからこの拳は、状況打開への第一歩でもあった。
「あらゆる勢力から、無能呼ばわりされる程度には滅茶苦茶でしたからね。未来の殿下は」
「もう、不敬と言える段階でも、ないな。……誰を処刑すればいいのだ、私は」
この光景は、クレインが考えてきた作戦とは大分違う。
さてどうするかと彼が悩んでいれば、大の字に寝転がった王子は少し恨めし気な顔をしていた。
急に殴られて、組み敷かれて、ボコボコにされて。何が起きているのか一切分かっていない王子だが、同時に一つ理解もしていた。
「未来で、それほど私は恨まれる……か」
「恨んでいるのは少数派ですよ。利用できて喜んでいる層がほとんどですね」
「なお、
元々、クレインに時間遡行の術が掛かったことは信じかけていた。
そして、こんな後先考えない蛮行をするのは、いざとなれば過去に戻ればいい。
それができる証拠だとも思えている。
クレインの言葉に一切の嘘が無い様子を見て、彼も殴り合いの途中から、未来での自分の評価が散々なことは察していた。
「はぁ……。私へのお目付け役は、ブリュンヒルデで構いません。秘書として派遣してください」
「この状況で、味方入りの話をするのか」
「好きなだけ殴らせてもらいましたので、その分は働きますよ。約束通りね」
王子が不敬罪のことを言い出せば、それでクレインは詰むかもしれない。
しかし王子は何の力も持っていないのだから、回避しようと思えばできる。
そもそも、やり直してしまえば何とかなる。それは事実だ。
それにしてもどうしてこうなったのか。
クレインはビクトールの助言に従い、王女派閥からの
すなわち、常識が吹き飛ぶほどの衝撃を与えることが、目的ではあったのだ。
「……いや、これじゃ無理か? 先生が言っていたのとは、方向性が違うような」
王子を徹底的に揺さぶり、話をする体制はできた。
あと一押ししてから、説教をする程度の計画だったのだ。
しかし初対面の相手が、無償で協力を申し出るなどと、王子の価値観では怪しむべきことだ。
師が相手の尺度に合わせるなと言っていたこともあり、クレインはとにかく振り切ってみた。その結果がこれだ。
「うん、何か違う気がする」
人材は北の街で募集をかけており、国王に依頼した分と合わせれば十分に揃う。
アレス王子の側近を送られずとも回るため、本格的に何も願うことが無かった。
だからクレインは、本気で願い事のことを考えて、思いついたことが今までの清算だ。
喧嘩腰で接して一発二発殴るくらいならアリだと、そう思いながら登城したはいいものの、これはどう見てもやり過ぎだった。
要望の言葉が口を突いた次の瞬間に手が出て、あとは盛り上がった流れでしかない。
衝動的に、感じるままに行動してこうなっていた。
「……思ってたよりも、ストレスが溜まっていたのかな。まあ何度殺されたのかって話だけど」
王子が原因で領地が滅びて、自分も際限なく殺されてきたのだ。
熱くなったのは仕方ないと思う一方で、冷静に考えれば熱くなり過ぎだとも思っている。
クレインは殴っているうちに興奮し過ぎて、気づけば自分でも引くほど殴った。
しかもアホ王子だの何だのと、散々に言っているのだから、どう見ても交渉は失敗だ。
「この展開は、流石に無理か。次は顔面を殴る直前から始めよう」
「……待て」
計画を超えて大暴れしてしまったので、次回はもう少し冷静になろうか。
そう思い自決を図ろうとしたクレインを、王子は止めた。
「まだ、聞いていない。時を遡るなら、知れぬだろうが」
「何を?」
興奮が残っているのか、未だに敬語が抜けているクレインだが、王子は満身創痍の身体をよじって態勢を変えると、何とか
「未来の話は、一切が意味不明だった。時渡りの件は信じてやるから――」
「
「……信じるから、詳しく聞かせろ」
それなら先に治療をと、そう思わなくもなかったクレインだが、王子が未来の出来事を信じると言い、話ができる環境は整ったのだ。
気が変わる前に、話を済ませてしまいたいという気持ちはあった。
「これはこれで、目標達成なのかな」
「もう、いい。最初から話せ。大したことのない話であれば、殺す」
とにかく、問題があればやり直せばいい。話を聞いた王子がどうしようと構わない。
それは見てから決めればいいことだ。
もう前に進むと決めたのだから、この先は、自分が何回死んでも構わない。
そんな判断で開き直ったクレインは、居住まいを正した。
彼は初回の人生から始まり、今後訪れるであろう事件を大まかに説明し始める。
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