第六章 生存戦略・改
第一話 全速前進
「え、ええと、クレイン様」
「どうした、マリー?」
「あの、どうしてこうなったんでしょう?」
最初はプロポーズを冗談と思っていたマリーだが、クレインがノルベルトに対し――
「一年以内に領地の収入を倍にできたら、結婚を認めてくれ」
という冗談のような提案を大真面目にして。
それが通ってしまったのだから、もう大変だった。
「クレイン様がやる気になられたのは喜ばしいことです、ので」
「まだ納得していなさそうだな」
「使用人と主君の結婚を、そう簡単に納得できるはずがございますまい」
ノルベルトも、クレインが本気なことは分かった。
その上で、真顔で領地の収入倍増などという条件を、自らが切り出してきたのだ。
実績を見せれば周囲を納得させる自信はあるので、苦難を覚悟の上なら止めはしない。
そんな考えで、ノルベルトは了承した。
「あの、当事者である私の意志は」
「なんだ、マリーは俺と付き合うのは嫌か?」
「え、えーっと。いや、それはやぶさかでないと言いますか……」
彼女が随分前から自分に惚れていたことなど確認済みなので、クレインは強気に出た。
いつになく強引に迫られたマリーとしても、戸惑いつつも喜んではいる。
「よし、じゃあ最速でやっていかないとな」
今後の人生では自重も遠慮もしない。
失敗したことの全てを、完璧にできるまでやり直すくらいの覚悟があった。
「まずはハンスとバルガスを呼んでくれ。作戦会議だ」
クレインの中で序盤のプランは決まっている。
集まるまでの間に、作戦をどう説明するかだけを検討して、彼は動き出した。
◇
「で、何ですかい坊ちゃん。この地図は」
「ああ、この印が付いたところに銀の鉱脈がある。資材を運び入れて、今すぐに採掘場を作ってほしいんだ。早速で悪いけど道の整備から頼む」
集まった面々を見て、クレインはまずバルガスに、調査すら飛ばして鉱山の建築を命じた。
「いや、あの。調べてからの方がいいんじゃねぇかと」
「俺が個人的に調べた。確実にある」
「そ、そうですかい?」
自信満々に言い切られては、バルガスも言葉に詰まる。
しかし鉱山を作ろうとして、ダメでしたでは大損だ。
「でも、坊ちゃん」
「領地は安定してきたから、そろそろ改革していきたいと思っていたんだ」
一応止めようとはしてみたが、クレインの意志は固かった。
こうまで急ぐ理由だが、前々回までの人生であれば、最初の動き出しが最も遅い。
銀鉱床の調査にバルガスが数日をかけて、クレインと共に現地を視察して、そこから追加調査完了までに10日間ほどだ。
全て完了するまでは、最低でも2週間は必要になる。
更に、必要な機材を準備して、本格的な作業を始めるのに1週間かかる。
だから多少効率化しても、3週間のタイムロスは見なくてはならなかった。
「この地図を信じて直に建設へ漕ぎつければ、2週間は短縮できるんだ」
「2週間……そんなに急ぐもんですかね?」
バルガスたちから見れば、早くマリーと結婚したくて焦っているのかという印象だ。
人生80年のスパンで考えれば、2週間の短縮では何も変わらない。
しかし、実のところ期限は3年しかないのだ。
銀の収益が早期から手に入れば、全ての動きが早くなる。
多少無茶でも、クレインはここを譲る気はなかった。
「前々から用意していたプランを実行するだけだ。これで空振りなら今後は一切の無理をしないと約束するから」
「へいへい、分かりましたよ。今回はまあ、信じますか」
「じゃあ、次」
そこまで言うならと了承したバルガスに向けて、クレインは次の仕事を命ずる。
手渡したものは数枚の図面――農具の設計図――と価格表だ。
「これはヨトゥン伯爵領で制式採用されている農具だ。今後はこれを普及させたい」
「え? あの、坊ちゃん!?」
「お婆様が持っていた本の中に、古ぼけた設計図があった。盗んだわけじゃないんだから堂々と使おう」
もちろん嘘だ。前々回の人生で大まかな設計図を暗記してあり、それを会議までの間に図面に起こしていた。
農具一つで開墾の効率が段違いなのだから、最初期から準備をして、いずれ降りかかる食料問題に対し、自領で賄える分を増やしておこうという算段だ。
アストリとは何が何でも必ず再婚するくらいの心構えでいる。
彼の中では既に南伯の一門衆となることが確定しているため、先払いで拝借していた。
「責任は俺が取る。バルガスは鉱山の建築と同時に、鍛冶師にこれを作らせてくれ」
「ええと、価格表まで付いて。……ああ、忙しくなりそうだなこりゃ」
今稼働している鉄鉱山の生産品を、既存の農具から置き換えるだけで済む。
実現可能な計画ではあるが、生産ラインを丸ごと入れ替えるなら大仕事だ。
当然のこと激務が待っているため、彼は少し遠い目をしていた。
しかしどこまで納得したかは別としても、バルガスは受け入れたのだ。
ならばと、クレインは次の指示を出す。
「ノルベルトはこれをヨトゥン伯爵家に届ける、使者になってくれ」
「……こちらは?」
「畑の借地契約書。借りられるだけ借りるつもりだけど、向こうが貸せる最大まで交渉してほしいんだ」
続いて出てきたのは。毎回、やり直す度に結んできた契約書だ。
南伯の領地にある畑を一括で借りて、今夏にある冷害に強い北方種の穀物などを育てる計画であるが、目標とされる規模は今までの3倍だ。
全部が実れば、現在のアースガルド領では絶対に消費しきれないほどの量となっている。
「く、クレイン様……」
「一つでも失策をすれば、今後、何があろうと絶対に無茶をしない」
「そ……そこまで、仰るなら」
子爵家当主が断固として決定するのだから、最終的にはその判断が尊重される。
それにしても大暴れだった。
あるかも分からない資源の採掘体制を、いきなり整えにいき。
南の覇権を握る家の機密道具を、堂々と大量生産し。
その家が管理する畑を、根こそぎ貸してもらえるように交渉をして。
しかもまだ何かやる気だ。何も言われていないハンスは、戦々恐々としていた。
「あ、あの、クレイン様。私は何を?」
「ハンスには移民と大工の管理をしてもらう」
「移民を呼ぶのは、まあ、分かりますが……大工?」
アースガルド領での数少ない職業軍人筆頭。そのハンスが大工の管理をさせられると聞いて、唖然とした顔をしていた。
が、クレインの
「ああ、衛兵隊は一時的に解体する。ハンスは指揮をしながら、大工の親方仕事を覚えてくれ」
「ほあっ!?」
どうせ領地に人が増えるまでは、大した事件も起きない。であればもっと、衛兵隊を有効活用する道があるはずだ。
そう考えた結果がこれだった。
「戦いに向かなさそうな衛兵には、大工仕事を覚えさせるんだ」
「え、いや。クレイン様」
「畑仕事も減らして、とにかく家を……長屋を大量に増やしていこう」
出稼ぎ労働者が住む場所の確保は急務となる。
大商会が不動産事業に力を入れてからは、混雑も緩和されたとはいえ、移民受け入れの当初は大混雑していた。
それこそ鉱山の詰め所で、雑魚寝を強いるほど住居が足りない。
住居の問題が解決されれば労働者の不満が減り、治安は良くなるのだ。
後々住宅不足で悩むことにもなるので、これはやらない理由が無かった。
少なくともクレインの中では。
「最終的には工兵でも目指してもらおうかな」
「何に使うんですか、そんな兵科……」
「まあいずれ必要になるよ」
現状では不要だが、将来的には東伯戦を見据えた砦の建築も待っている。
だからアースガルド領に元からいる衛兵たち。気性が穏やかで戦いに向かない半分農家のような兵士は、工兵として育てようとしていた。
これだけでも度肝を抜かれていた家臣たちへ、クレインは更なる
「で、俺はその間に王国北部へ行ってくる。それが終わったら王都に寄るから、これから2ヵ月くらいは留守になるかな」
「これだけ命じて、どちらへ!?」
「人材獲得の旅」
鉱山の調査や整備を完全にバルガスへ任せれば、初期の準備は今までと1ヵ月半ほどのズレで済むだろう。
多少時期が前後しようと、全く問題は無いと判断していた。
「ということで。俺が不在の間は特に、全力で頑張ってほしい」
「どういうことですか……」
ハンスに振られた仕事は特に意味が分からないとしても、それらは全て重要なことだ。
しかし配下たちからすれば、意味不明なことには違いない。
「むむ」
「なぁ」
「いや……」
ノルベルト、バルガス、ハンスの三名はしきりにアイコンタクトを交わしている。
クレインは正気なのか。共通の疑いが生まれたが――残念ながら彼は、どう見ても正気だった。
「じゃあ、マリーは連れて行くから」
「お待ちくださいクレイン様。マリーとはまだ……!」
「結婚がまだ先なのは分かっているけど、北で暮らすなら従者が必要になるからさ。……ああそうだ、アイテール男爵に紹介状を書いてくれ」
止めようとしたところで更なる仕事が振られ、ノルベルトは絶句した。
異論を挟む余地が無いほど自信満々に仕事を振ったものだから、思わず頷いてしまった。
クレインは側近たちの戸惑いを一顧だにせず、手を挙げて堂々と言い放つ。
「なりふり構っていられない。さあ、全速前進だ!」
何をそんなに生き急いでいるのか。
何か悪いものでも食べたのか。
色々と異論は挟みたい家臣たちであったが、そこはもう勢いだ。
説得力に欠ける政策を、クレインは勢いだけで強引に承諾させた。
「よし、じゃあ旅支度だな」
「あの……まさか」
「ああ。まだ日は出ているし、1時間後に出立する」
「ええっ!?」
つまり1時間以内にクレインの旅支度を整え、馬車の手配をし、その間にアイテール男爵への紹介状を書くのがノルベルトの仕事だ。
「さあボヤボヤするな。やると決めたら全力だ」
その言葉は、己に言い聞かせる面もあった。
しかし何はともあれ、彼は今までの人生で積み上げてきた全てを利用する。そう決めたのだ。
今回の人生は最初から、全速前進の全力全開で、立ち止まることは無い。
全てのことで最高の結果を出すべく、クレインは進撃を開始した。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
採掘体制が整うまで
3週間 → 1週間
南の畑で育てる寒冷地品種
生産量3倍
衛兵隊は解体。ハンスは大工へ。
区切りがいいところなので、☆の評価をいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
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