第二話 再び北の街へ来て
クレインが今回の人生を歩み始めて一ヵ月半ほど。
今の彼が何をしているかと言えば。
「ビクトール先生、剣の稽古をお願いします」
「そうだねぇ。今日はもう暇だし、やろうか」
再び北の街へ来て、ラグナ侯爵家の本拠地の郊外にある、とある私塾へ弟子入りしていた。
入門してから既に一ヵ月ほどが経つが、今回は別に留学が目的ではない。
とある目的のため、一ヵ月でビクトールに免許皆伝と言わせてみせる算段だ。
「しかし勉学だけじゃなく、剣にも手を出すのだから大した向上心だよ」
「何でも学んでおくものです。いつか役に立つと思うので」
「はは、それは教える側の言葉だね」
今日の授業は既に終わり、付き人として来たマリーは前世と同じく、アイテール男爵から紹介された別荘で待機している。
だから前の人生よりも少し駆け足で進むくらいに留まり、そうしている間にも子爵領では、拡大に向けた器作りが進んでいた。
「剣術の基礎はできているようだから、あとは実践あるのみ。早速やろうか」
「よろしくお願いします」
今のクレインは身長が伸びる前であり、鍛えた筋力も元に戻っているため、そこまで体格は良くない。
だが、綺麗な剣を振るうと褒められていた。
「クレイン君に剣の才能は無いと思うけれど……。うん、これなら一定の水準には行けるはずだ。きっと基礎を教えた先生が良かったのだろうね」
「はは……。そうですね」
剣を教えたのはビクトールなのだから、間接的に自画自賛になってしまった。
それには苦笑いをするしかないクレインだが、ビクトールが上段、中段、下段と軽やかに剣を振っていくものの、クレインは捌けている。
「ま、いいや。少し速さを上げるよ」
「はい」
まだ体力が無くとも、その動きを三年間繰り返したクレインには余裕があった。
剣術指導の合間にクレインは、これから先必要になりそうな知識の吸収を続ける。
「そう言えば、先生。洗脳を解く方法はご存じですか?」
今やクレインよりも豊富な知識を持つ者は珍しく、その貴重な一人がビクトールなのだ。
だから何か効果的な方法を知らないかと水を向けてみれば、彼はきょとんとした顔で答えた。
「洗脳? やり方は色々あるけれど、妙なことを聞くね」
「ただの興味です」
前々回の人生で、ピーターはブリュンヒルデが洗脳されていると言っていた。
今後の人生で再び味方に付けるのなら、どこかで対策は必要だろう。
ブリュンヒルデと共に過ごしたのが三年以上前なので、安全策としての期待もありはするが、ともあれ、口元のカイゼル髭を撫でながらビクトールは言う。
「ふむ……まあ、一番早いのは別な洗脳で上書きすることかな」
「例えば、どのようにですか?」
物知りなビクトールであれば何か知っているかと思い聞いてみれば、彼はいくつかの対処法を知っていたので、候補を示していく。
「盲目的に主人を信じ込むように刷り込まれていたなら、その依存先を自分に変えるとかさ。それなら流れの方向を変えるだけだから、大きな労力はかからない」
雑談をしながら、ビクトールはクレインが受けられるギリギリの剣を振り、その方法が彼女に使えないと思ったクレインは更に聞く。
「他には、何かありますか?」
「洗脳というのは、都合がいいように考え方を変換されて、その考えに固定されていることだからね。常識を破壊してしまうほどの衝撃を与えるといいよ」
さらりと言うビクトールだが、ブリュンヒルデの内面については何も知らないクレインには、それですら難しそうに見えた。
「まあ、どう話すかは相手の育ってきた環境や思想、価値観、性格で変わるかな。それでも重度の洗脳状態なら……説得は止した方がいい。というか話し合いを避けるべきだ」
「え?」
話をせずに考えを変えるという、頓智のようなお題が出てきた。
しかしクレインも問答には慣れているので、すぐに言葉の意味を察する。
「ああ、会話の応酬を。するなと、いうことですか」
「そうそう。下手をすると意固地になってしまうから」
クレインは息が上がってきているが、ビクトールの方は涼しい顔だ。
よそ見をして、例え話を考える余裕すらあった。
「洗脳というのは絡まった糸のようなものだからね。一本や二本の糸なら
この例えで、糸の本数は洗脳の深さと同義だ。
期間をかけるほどしがらみが増え、解除が困難になっていく。
「洗脳された期間よりも長い期間寄り添い、長期的に
強引に考えを変えようとするのは、その糸を強く引っ張ることだ。
より強く考えが凝り固まる。
だから長い時間をかけて、自然と考えを変えさせるのが一番いい。
そうは言いつつも、時間を掛けられない理由があるなら、一度全て破壊してしまうのが早いと彼は言う。
「そうなったら一度燃やした方がいいんだよ。つまりは相手の話に一切合わせず、今までの価値観を全て破壊するのが先ということさ」
「なるほど」
そんなことを語りながら、ビクトールは剣を引いた。
「緩やかに戻していく方が、身体への負担は少ないからね。どの手を取るかはやはり状況次第かな」
ブリュンヒルデに「暗殺はいけないことです」と説いたとしても、どうにもなりはしない。
仕事だからだとか、忠義のためにだとか、様々な理論武装で反論されるだろう。
そして説得に失敗すればより反発され、逆に深みに嵌まっていくというのは、容易に想像がつくことだった。
それこそ、王子が仕えるに値しない人物だと思わせるくらいの無茶が必要になる。
「心に傷を負った者が相手なら、懇々と話を聞いてもいいのだけれど、ね。単なる催眠や洗脳の類なら、有無を言わせずに振り回すくらいの方がいいかなぁ」
クレインは、秘書の精神を揺さぶるようなカードを持っていない。
であれば共に過ごす日々で信頼を積み上げ、情を湧かせて絆すしかないのだろう。
それと近しいところまでは、前々回の人生で到達していた。
そしてブリュンヒルデに使えなくとも、彼はその知識を別な方向に使えそうかと、頭の中で計算する。
「なるほど、いいことを聞きました。……衝撃」
「考えが固まっているほど反動は酷いから、無茶はいけないよ?」
短期間でも話しながら全力で剣を振ればクレインの体力が持たない。
そのギリギリを見極めるのが上手いと言うか、人を良く見ているというか。
ビクトールは、やはり指導者として一流だ。同時にダメ人間でもある。
それは前回の人生で確認済みだった。
そこを念頭に置きつつ。クレインは今までの動きを大幅に変えて、まず北へやって来た目的。
北で行う計画の仕上げを、今ここで行うと決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます