プロローグ
プロローグ 物語の始まりに
子爵家当主の寝室としては、質素な部屋。
無駄な装飾品が無く、少しだけ殺風景な印象を覚える空間。
王国歴500年4月1日に戻り、目を覚ましたクレインは静かに口を開いた。
「……そういうことだったか」
領地は滅ぶべくして滅びた。その理由を知った彼は、荒れるでもなく目を閉じる。
そして冷静に、始まりから情報を整理した。
「南伯は言っていた。女性が王位に就いたことはなく、跡目争いなら王女の存在は考えなくてもいいと」
しかし真実は真逆だ。跡を継げないからこそ、王国を転覆させて新王国に君臨しようとしている。
各々の間にどういった取引があるかは明らかになっていないが、例えばヘルメスには叙爵の見返りが用意されていた。
「計画後はどう国家運営をするのか。細かいところは分からないけどな」
王女の反乱に加担した人間を中央に引き込むのか、それとも他に絡んでいる貴族の誰か、例えば中央にいる王女派閥の人間を要職に起用していくのか。
計画の細かい点はさておき、黒幕の存在は知れている。
「北侯は無関係で、ただ奴らに踊らされていただけだ」
ラグナ侯爵家は偽情報を掴まされ、与り知らないところで敵対認定をされていた。
その情報の出所はヘルメス商会であり、会長のジャン・ヘルメスが主導して行ったことだ。
「王宮を通じて大義名分を得てから、正当に攻め込んだ。向こうはそう考えるだろうな」
侯爵家からすれば奇襲をしたのではなく、アースガルド家の謀反を知り、やられる前に攻勢を仕掛けたという認識だった。
平和に北侯の傘下入りを目指すなら、弱小勢力のままでヘルメス商会と渡り合う必要がある。
「そんなことは無理だし……もう、やるつもりもない」
ヘイムダル男爵は、計画が成った暁には子爵として封ぜられると言っていた。
しかしヘルメスに関して言えば、それはおかしいこととも言える。
「奴の財力なら地位くらい、金で買えるはずだ。ここにはまだ何か事情がありそうだな」
豪商が身分を買うことなど珍しくもない。
今までは平民としてやってきて、ここにきて急に爵位を望むのは何故か。
それはまだ分からない。
分かっているのは現時点で既に北侯を裏切り、東側勢力の一員となっていることだけだ。
「東伯と東侯は随分と前から手を組んでいたようだし、計画は多分、もう始まっている」
東伯の御用商会を追い出し、代わりにヘルメス商会を据える計画は現時点でかなり進行している。
商売の妨害を受けて、サーガ商会は既に青息吐息だ。
下手をすれば王国歴499年よりも前から、計画が始まっていた可能性がある。
「他にも協力者はいるだろう。あの五人が敵の全てというわけじゃない」
そして王女の計画は、単独犯では為しえないものばかりだ。公爵家まで含めた、王族の毒殺に協力した者は必ずいる。
第一王子の暗殺を手助けした者も確実にいる。
「敵対勢力の炙り出しもしないと」
差し当たり、王子の遺臣として仇を討とうとした者たちだ。
こうして見れば明確な裏切り者がいる。
例えば墓参りの場にいた騎士の一人は東に縁があると言い、北を裏切り東と同盟を組ませるという、無理がある計画を猛烈に押していた。
東側に付こうとした全員が裏切者とは言えないまでも、何名かには王女の息がかかっているだろうとクレインは見立てた。
「殿下の手駒に内通者がいる可能性は高いけど、北侯のところにもいるだろうな」
謀略は完全に、東側が先手を取っている。
大きな動きとして、まず、アレス王子と北侯の離間工作は完璧に成功していたところだ。
「王家と協力して東を防ごうとしていたのだから、国王と北侯は同陣営だろうが」
しかし王子との仲を裂くことに成功し、中央でゴタゴタを起こしていた。
あろうことか、北侯こそが謀反人という意見を王子に信じ込ませて、当の王子は本当の謀反人に支援を送っていたという始末だ。
そして東西の連携ができているだけでなく、南伯への脅しにも成功している。
南侯がどちらに付くかは未知数だが、戦力では反乱軍の方が上でもある。
第一王女。
東伯。
東侯。
ヘルメス商会。
これが東側の戦力として数えられる、主な敵ということは判明した。
問題は調略の手が、どこまで伸びているかだ。
「殿下にその考えを吹き込んだ奴が誰か。それも調べつつ、殿下と北侯に何とかして手を結ばせるか。難易度が高いな」
中央を一枚岩にして、王女の遺臣を排除してしまえば体勢は整う。
ラグナ侯爵家は西と戦い、アースガルド、ヨトゥン連合軍は東に意識を割くことができる。
そうして敵を防ぐことは大前提だ。
前々回の人生で組んだものと同じような同盟は、確実に必要となってくる。
「南侯は領地に引きこもりだが、動きには注意。あとは西侯が東と同じ目的で動いているか、それとも別な目的があるかだな」
北伯と西伯は外国への備えのために兵を動かせないので、優先順位は落ちる。
調べるとすれば南侯と西侯だけだ。
しかし西侯については北侯に、南侯については南伯に調べさせた方が労力は少ないだろう。
方針はそう定まる。
「敵の姿は見えたんだ。あとは徹底的に調べよう」
明確に敵となった中で、調べる相手は4名だ。
クレインは既に、ヘイムダル男爵のマークは外していた。
「男爵なんかはどうでもいい。あんな奴は山越えをしたピーターにでも倒させればいいんだ」
そう、倒すべき主な敵は4人だ。
彼は宿敵である4人の顔を、順番に思い浮かべていく。
「東伯、ヴァナルガンド伯爵」
王国最強と
随分と因縁を抱え、前回までの人生で最大の障壁となってきた。
「東侯、ヘルヘイム侯爵」
東伯、ヴァナルガンド家と深い関わりがあり、この家も東部異民族との戦いで鳴らした精鋭部隊を持つ。
兵力ではラグナ侯爵家に劣るが、名門だけあり動員数は侮れない。
策謀にも長け、戦で大敗したことは無いとされる武断の勢力だ。
「ヘルメス商会、会長。ジャン・ヘルメス」
金の力を振るい、裏で人を陥れる古狸。
王国全土に影響力を持ち、意向一つで大物貴族すら破滅させる権力を持つ。
「姫が死にかけていた時でも損得の話をしていたんだからな。アレは本物だ」
人の命や尊厳など、一顧だにしない魔人のような男だ。
クレインが許しておけない人間の筆頭でもある。
「そして最後に、第一王女アクリュース」
反乱の要となる女。
生きているだけで大戦の大義名分となる女性だ。
「誰がどこまで手を入れているかは不明のままだが、王女は間違いなく中心にいる」
王族を滅ぼすほどの毒殺事件を起こし、王子と北侯を仲違いさせ、東の勢力と結んで国家転覆を図っているのだ。
彼女に限っては、中央に潜む勢力ごと倒す必要もある。
また、彼女に対してのみ敗北条件もある――と、クレインは考えていた。
「敗北条件は、王女を殺せないまま王国歴503年の3月末を迎えること。いや、再び王女が術を発動させることか?」
仮にクレインと王女の二人が、同時に過去へ戻れることになればどうなるか。
一国の王女と一介の地方貴族では取れる手段に差があり過ぎる。
確実に謀殺されるだろう。
王女に再び術を使われると勝ち目は無い。
それだけは絶対に阻止せねばならないと、戦略も定まった。
「誰か一人でも仕留め損なえば火種が残る。確実に始末しよう」
最悪の場合、ヘルヘイム侯爵はラグナ侯爵に任せてもいい。
東侯には大した因縁が無ければ、地理的にも遠いからだ。
しかし前世までで、強烈な因縁のある3人。
東伯、王女、狸爺。
その3人だけは己の手で決着をつけると決めて、クレインは起き上がる。
「そうだ。あいつらだけは、俺の手で」
いつものようにカーテンを開けて、上る朝日を見つめながら、クレインは決意した。
彼は前回の人生で見えなかったもの。終着点のことを思い浮かべる。
「ああ。ここまで本当に長い、回り道だったよ。先の見えない旅だった」
クレインはこのやり直しに終わりが見えず、絶望していた。
しかし今は違う。初回の記憶を取り戻し、やるべきことは明確になっている。
「生き延びるだけじゃ駄目なんだ。それでは足りない」
ただ生存するだけの戦略では不足だ。
生き残るのはあくまで前提であり、生き延びた先で何をするか。重要なのはその点だけだと思いつつ、彼は最終目標を思い浮かべる。
「俺たちが生き残ったまま、あの3人を倒した時」
策謀を仕掛けてくる者たち。
彼らを一人残らず倒し、平和を勝ち取った瞬間。
「それが、この旅が終わる時だ」
倒した先の未来に何があるのか。また、どこぞの遺臣や暗殺者に命を狙われないか。
そんなことは未来になれば分かることだと、クレインは割り切った。
全ての迷いを断ち切り、進むべき未来が見えたのだ。
その節目で何をするか。
彼はまず、朝日に向かい。強欲な誓いを立てていく。
「アスティは取り戻す。今度こそ添い遂げてやる」
まず、己を慕う妻の顔を思い浮かべて、今回の人生では絶対に離さないと決めた。
次に初めての部下と、古くから仕える側近たちのことを思い浮かべる。
「トレックにはいい相手を見つけてやらないとな。ノルベルトには安心して引退してもらいたいけど……まだ先だ。あと、ハンスとバルガスには死ぬほど働いてもらう」
次いで武官たちの顔を思い浮かべると、懐かしい記憶が流れていく。
「マリウスやピーターも、傍にいないと違和感がある。困窮に喘いで畑仕事に精を出すグレアムなんて見たくないし、ランドルフには俺の下で将軍を目指してもらおう」
クレインの主観では3年以上会っていない者がほとんどだが、共に過ごした日々の記憶は鮮明に残っていた。
クレインは関わりがあった全ての者たちの顔を、順番に思い浮かべていく。
「ついでだ。ブリュンヒルデや王宮からの出向組。王子の命まで、まとめて拾っていこう」
王宮から来た人間との間には、大した義理は無いかもしれない。
だが知り合った以上、黙って見捨てるのも夢見が悪い。
そしてブリュンヒルデに至っては謎だらけだ。
最も傍にいた割りに何も知らず、不明点ばかりが残っていた。
「なんだかスッキリしないし、これは俺の安眠のためでもあるな」
優先順位はもちろんある。例えばアストリと王子のどちらかを選べと言われたら、クレインは確実にアストリを選ぶだろう。
しかし、拾えるものは全て拾っていくと決めた。
「そもそも王女と敵対する勢力なら、誰でも大歓迎だ」
過去に敵対した者たちの命を救い、今度は最後まで味方の陣営に付け続けると決めて、最後に領民のことを考える。
「皆の仇は討つ。感情論だろうが何だろうが、それは必ず果たす」
保護すべき者たちを殺させないのは当たり前だが、それよりも自覚すべきことがあった。
アースガルド領に住む二万の領民。
最後まで付いてきた家臣たち。
「――俺に立ち上がる力を与えたのは、彼らの命だ」
王女の行為など、ただのきっかけに過ぎない。
自分の身に宿った力は、それは彼らの命によって得られた力だと思い、拳を握る。
彼が守るべき存在、その身と魂が彼にやり直す力を与えた。
今のクレインはそう考えている。
「今までの人生で犠牲にしてきたもの。志半ばで、死んでいった者たち」
今までの人生で出会った全ての人間。
犠牲の全てを思い浮かべて、彼は誓う。
「
最初から総力戦だった。
この命は自分一人のものではなかったと思いながら、クレインは瞼を閉じる。
過去に積み上げた犠牲、
もう戻れない過去を。前回までの人生で重ねてきた、犠牲の重さを。
その全てを受け止めて、戦うことを誓う。
「全ての目標を果たしたら、俺自身の仇討ちも果たせるからな」
今までの人生で殺されてきた分、痛くて辛くて苦しかった分。利息まで含めて、まとめてツケを支払わせてやろうか。
そう結論付けてから、彼は伸びをした。
「さて、所信表明はこんなところか」
方針は明確になったが、個々の手順はまた練り直す必要がある。それでも終わりが分かれば、具体的な方策を立てていくだけだ。
何度でも繰り返し、やり直し、確実に終わりへと向かえる。
そして今回の人生で、クレインが真っ先にやること。
それを思い浮かべる前に、マリーがモーニングコールにやってきた。
「おはようございまーす! ……あれ? 今日は早いですね」
既に起きているクレインを見て、珍しいものを見る目をする彼女は。
いつもと変わらず、まったく普段通りのままで、彼の前に現れた。
「ああ。悩みがスッキリしたからか、今日は寝覚めが良くてね」
「悩み? まあ、ご機嫌ならいいですけど」
彼女の命も当然守り切る。しかしそれと同時に一つ、やるべきことがあった。
マリーの仕事である、もう半分のカーテンを開け終わり、クレインの枕元に水を置き。
その様を見届けたクレインは、コップ一杯の水を飲み干してから彼女に言う。
「なあ、マリー」
「なんです?」
この言葉を使うのは、二度目の人生以来か。
そう思いながら、彼は少し、表情を柔らかくして言う。
「結婚しよう」
二度目の人生で口に出した、思い付きの独り言ではない。
今、現実に、彼の目の前にいる女性へのプロポーズだ。
全員が幸せで、平和に終われる未来を目指すと決めた以上、そこには当然――クレイン自身の幸せも入っている。
「え? ええっ!?」
彼女も、いずれ生まれてくる子どもの未来も守り通す。
アストリに土下座をしてでも、マリーも手に入れる。
彼はもう、そう決めていた。
そんな決断を知らないマリーは突然の告白――を飛び越えた求婚に仰天しているが、慌てる彼女を尻目に、クレインは上機嫌で朝食に向かう。
「もう自重も我慢もしないって決めたんだ。さあ、まずはノルベルトに話をつけようか」
「ちょ、ちょっと待って……クレイン様!?」
各種の目標が定まれば、あとは突き進むだけだ。
逃げずに全てを勝ち取っていく。全てにおいて最上の結果を出し、望む未来を摑み取る。
そう決意したクレインはもう止まらない。
かくして彼は、失われた時を取り戻し――
今ここに、クレイン・フォン・アースガルドの物語が始まりを告げる。
――――――――――――――――――――
ただ生き残るだけでは足りません。
彼らを陥れ、理不尽に滅ぼしてきた者たちに落とし前をつけること。
それが彼の目標。この物語のゴールとなります。
次回、弱小領地の生存戦略!
第一話「全速前進」
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