55回目 俺はアースガルド子爵を知らない



「軍人は、目の前の敵を倒すだけだ」


 硬い顔をしたランドルフは、ぶっきらぼうに言ってから酒を注ぎ、クレインから目線を外しながら続ける。


「どう戦うかを考えるのが役割であり、戦う理由を考えるのは主君の領分になる」

「何も知らないままに、戦うと?」

「そうだ。俺には槍働きしかできない」


 あくまで担当するのは戦術であり、戦略を考えるのは軍師や当主の仕事。

 そう割り切ったランドルフは先ほどまでの笑顔から一転、つまらなさそうな顔で酒をあおる。


「では、いつから準備していたんですか」

「将軍」

「用意を始めたのは昨年の秋……10月頃からか。王都で越冬して、雪解けと同時に総力を挙げて攻めろという指令が来ているんだ」


 ガードナーが止める声には聞こえないふりをしているのか。

 素知らぬ顔をしてランドルフは語る。


「それは侯爵閣下からの命令で?」

「ああ、直々のな。……直接伝えに来たくらいだ。何か大きな戦略構想に基づいた作戦なのは確実だろう」


 ランドルフはあっさりと侯爵家の動きを明らかにした。

 これは、ともすれば裏切り行為だ。


 降格だけで済めばいい方で、下手をすれば軍法会議に掛けられて処刑もあり得る。

 だからガードナーは、身を乗り出してランドルフを制止しようとした。


「ランドルフ閣下、それ以上は聞き逃せません」

「俺とて疑問は持っている。ただの愚痴でもあるさ」


 アースガルド領から出せる兵数など、たかが知れている。

 そこに何故、王都周辺の勢力まで巻き込んだ大部隊で攻め込まねばならないのか。


 出兵を決めた理由が分からなければ、これから待っているであろう蹂躙の光景も予想して、ランドルフは暗い顔のままだった。


「一つ言えるとすれば、恐らく狙いは子爵領以外にある」

「戦いの理由そのものは……アースガルド領には無いと?」


 アースガルド領は二、三千の兵しか集まらない規模だ。

 そこに周辺の家も巻き込んで、三万という大軍を編成している。


「ああ、それが何かは知らんが。目的がある以上、侯爵も止める気は無いだろう」


 戦略構想が不自然であり。何か、アースガルド家を滅ぼす以上の目的があるはず。

 それがランドルフの推測だ。

 そしてその見立ては副官から見ても正しいことのようで、ガードナーの表情は途端に険しくなった。


「閣下、話し過ぎです。冥途の土産にしても限度がある」


 一通り語り終えたランドルフの横で、副官のガードナーは動く。

 彼は腰の剣を抜いて立ち上がると、その切っ先をクレインへ向けた。


「まあ、武器をしまえ」

「しかしこの男は――!」


 しかし副官を片手で制すと、今度はランドルフがクレインの前に立ち、何か迷ったような表情をした。

 そして彼は、一拍の呼吸を置いて語る。


「俺は、己が何のために戦うのかを知らず。子爵がいかなる人物かも知らない」


 先ほどまでは気まずそうに目を逸らしていた。

 だが、今度はクレインへ、力強く目を合わせて言う。


「ましてや子爵領のことなど、知りもしない。俺は何も知らんのだ」

「それは……」


 知らなければ、滅ぼしても罪悪感は覚えないというのか。

 クレインがそう思い、表情の影が濃くなった瞬間。


「どうも違う風に取られたようだな」

「と、言うと?」


 ランドルフはガシガシと頭を掻き、今度こそ本当に困ったような仕草をした。

 そして、「貴族風のやり取りはこれだから嫌いなんだ」と呟いてから。


「もう一度言うぞ? 俺はアースガルド子爵の顔を知・・・らない・・・


 そして、表情を真剣なものにして。

 クレインのことを真っ直ぐ見つめて告げる。


「――そして少年の名前も、まだ聞いていない」


 そこまで言われればクレインにも察しはつく。


 ランドルフもガードナーも、既にクレインの正体が敵対する子爵家の当主と感づいている。彼はそれを知った上で、見逃すと言っているのだ。


 かなり直接的な表現ではあったが、ランドルフにはこれ以上の話し方が思いつかなかった。

 だから彼は言い方などどうでもいいと開き直り、真面目な顔のまま話を続ける。


「確か少年の故郷は、アースガルド領だったな」

「……ええ」

「大事な人がいれば、今のうちに連れて逃げろ」


 それはつまり、クレインをこの場から見逃すだけではなく。

 領地を攻め滅ぼしてからも、行方を追わないという意味だ。


「閣下、それは明確な背信行為です!」

「背信? 何がだ。俺に与えられた任務は「アースガルド子爵領の壊滅」のみ。その後がどうなろうと、管轄外だろう」


 管轄外などと、ランドルフらしくない言葉が出てきたな。

 クレインがそう思う一方で、ランドルフは早く行けとばかりに手を振った。


「攻め込むのは3月の後半だ。恐らく末頃になる。故郷が滅びる姿を見たくなければ――それまでに可能な限りの人を逃がし、少年も逃げろ」


 話は終わりだと言わんばかりに背を向け、ランドルフはガードナーとクレインの間で仁王立ちをした。

 彼は副官の方を向いて、追わせないと言わんばかりに立ち塞がっている。


「恩に着ます」

「返しただけだ。礼には及ばん」


 そうして天幕から出て行こうとしたクレインの背中へ。

 最後にランドルフは、振り向かずに声を掛けた。


「少年。アースガルド子爵に会うことがあれば伝えてくれ。不義理を許せと」

「子爵のことは、知らないのでは?」

「……聞くだけ野暮だろう、そこは」


 なおも抗議の声を上げるガードナーをランドルフが抑えている間に、クレインは駐屯地から走り去った。




 駐屯地から出たクレインは、ここで得た情報をまとめる。

 将軍ですら、進軍の目的は知らない。

 アースガルド家へ出すには過剰な戦力であることは、彼らも自覚している。


「つまり北侯は、何か別な目的を持ち動いている」


 そして、その準備が始まったのは王国歴502年の10月頃。

 何があったかを知るには、そこに戻り調査をする必要があるだろう。


 しかし、ただでさえ敵対認定をされているのだ。

 いつからその状態なのか分からない以上、いたずらに過去へ戻っても仕方がない。 


「真相を確かめるなら……もっと確実な方法は、ある」


 しかし過去へ戻らずとも、一つ手はある。

 そこに考え至った時、クレインは呆れのような表情を浮かべて、冬の曇天を見上げた。


「領地が滅びてから、侯爵家がどう動くかを見届けることだ」


 つまり、領地の虐殺を防がず、死んでいく領民たちを見捨てる決断をすること。

 計画が上手くいった場合に、その後侯爵家がどう動くかを見定めること。


 クレインが生き残り、真実を確かめれば――ラグナ侯爵家の目的が見えてくる。


「これが、罰なのかな」


 自分一人が幸せになる未来ならあった。


 今回の人生ではあわよくば。誰も知らない土地で、幸せになることができそうだった。

 ランドルフは見逃すと言っているのだから、今からでもそれはできる。


 しかしその幸せは、数千、数万人の命を犠牲にして成り立つものであり、その考えは思い浮かべるだけで大罪だ。

 自分が動かなかった場合に何が起きるのかを、彼は断片的に覚えているのだから。


 領民が無差別に虐殺されて、故郷が火に包まれる光景を思い返せば、逃げようなどと思えなかった。

 全てを捨てて今すぐに逃げるという選択肢は、彼には選べない。

 

「もう風化しかかった、虐殺の記憶……か」


 クレインの主観では十数年前の話になる。初回の人生以降も凄惨な死を遂げてきた彼の中では、記憶に朧げな部分も多くなっていた。


 しかしそれがもう一度、現実のものになろうとしている。

 少なくとも、今回の人生でも滅びは避けられないものとなった。


 過去から目を背けて、可もなく不可もない幸せを掴み取ろうとしたこと。

 クレインはその罪を、目前に突き付けられた気分になっている。


「せめて、できるだけ避難させよう。侯爵家の傘下に入れない以上、最期まで見届けるのも……俺の仕事だ」


 いずれにせよ。領地に子爵が不在という状態を継続すれば、本来の状況からは大きく外れる。

 北に留学していた時点で既に外れてはいるが、本来の人生ではクレインも大したことをしていない。


 今からでも本来通りの歴史に近づけるため。

 本来の未来で、侯爵家が何を考えていたのかを知るため。


 クレインは、急ぎ故郷に帰る決意を固めた。



― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

 ミステリ風に言うなら、クレインは信頼できない語り手の部類でしょうか。

 この作品のジャンルが歴史でも推理でもなく、ファンタジーなことを確認しつつ。この先もお読みいただければ幸いです。

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