55回目 進軍の理由



 初回の人生とは、細かなところで色々と違いがある。

 だから、進軍の予定時期が早まり――王国歴503年3月30日よりも早く、侯爵家の軍勢が到着する可能性もあった。


「マリー、旅支度をしよう」

「え? もうですか?」


 軍勢は既に王都で集結済みというのだから、進軍を始めれば三週間以内には子爵領へ到達する。

 だからクレインは、家に帰るなり急ぎで旅支度を始めた。


「トムとは途中の街で合流するように動く。明日の朝に出発するからそのつもりで」

「ええっ!?」


 クレインがそう宣言をして、マリーは驚いていたが。

 宣言通り、彼らは翌朝の乗り合い馬車で街を出立した。


 その数日後に、何とか途中の街でトムと合流して。

 途中の行商も諦めてもらい、一路王都を目指す。


「王都は嫌いで寄りたくないと言っていたのに、どんな心境の変化で?」

「まあ北で色々あったのさ」


 答えにならない答えを受けつつ、トムは荷馬車を走らせた。


 そして王国歴503年1月14日。

 まだ雪が残る中で、クレインは王都に辿り着いた。


 街の空気がどこか張りつめており、まだ軍勢が留まっていることはすぐに察しがつく。

 間に合ったことに安堵しながら、彼は適当な理由をつけて離脱を図った。


「マリー。お小遣いを渡すから、好きに買い物をしてくれ」

「はーい!」

「坊ちゃんはどこへ?」

「人と会ってくる。トムはマリーに付いてくれ」


 帰りは積載量を減らしてもらう可能性が高いので、そこは子爵家で補填することを約束し。

 別行動を取ったクレインは適当な酒屋に入って、店主に話しかけた。


「なあ。最近なんだか、軍人さんが多くないかな?」

「ん? ああ、近いうちにまた戦争だってよ」


 何も知らない若者を装い、世間話から始めてみたところ。

 王都の住民の間では既に討伐軍の動きが噂になっており、王家からもいくらかの兵を出すことは、既に決まっていると知れた。


 酒屋の主人はある程度世情を知っていると見て、クレインは情報を引き出せるように誘導していく。


「アースガルド領を攻めるってやつか」

「なんだ知ってんのかよ。まったく、内乱ばかりで嫌になるぜ」


 途中の貴族家からも兵を送り、総勢三万に近い数で攻め寄せること。

 軍隊がどのルートで進軍するかなど、詳細な動きまで噂になっていた。


 庶民からすれば、軍勢の動きが自分たちの命と生活に直結するのだから、かなり盛んに情報のやり取りが行われているらしい。

 それを知ったクレインは興味本位という風を装い店主に尋ねる。


「一回見てみたいな、軍隊ってやつ」

「北の空き地にいるけど……見張りもいるし、近づくのは無理だぞ?」


 北候軍がどこへ駐屯しているのかもすぐに分かった。

 そこはピーターと共に墓参りをしたエリアから近い場所だ。


 森へ寄らずに北西方面に進めば、一万ほどの軍勢が集結できるスペースがある。


「まあ一度行ってみるよ」

「兄ちゃん、警備が結構厳しいんだ。見物で死ぬなんてバカらしいって」

「ちょっと見るだけさ」


 クレインはその店で適当な酒を購入するとすぐに、王都の郊外へ向かう駅馬車を探した。

 幸いにしてすぐに乗れたので、三十分もあれば駐屯地まで着けるだろう。


「これが一番現実的だ。気合を入れていこう」


 通りを歩く通行人の数が徐々に減り。

 逆に軍人の数が増えてきて、遠くに天幕の山が見えてきた頃。


 普段よりも運行距離が短くなっている馬車は駅よりも手前で停車して、クレインはそこから歩いていくことになった。

 そうして進み始めたクレインは、道を封鎖していた兵士から早速止められる。


「そこの男、止まれ!」

「ここから先は一般人立ち入り禁止だ」


 軍勢の動きを完全に伏せることはできないが、密偵を警戒して見張り番をつけるのは当然だ。

 しかしここは正面突破で行くしかない。そう決めたクレインは笑顔で答える。


「怪しい者ではありません。ランドルフ将軍にお目通りを願いたく」

「……ええと、お前は商人か?」

「将軍閣下はお忙しいんだ。御用商以外は通せない」


 堂々と正面から訪ねる間者もいないだろう。

 手土産を片手に訪れたクレインは商人かと思い、兵士たちは追い返そうとした。


「しかし約束があります。三年前に薬を売っていた行商人、赤茶色の髪をした少年が訪ねてきたと将軍へお伝えください」


 この流れを予想していたクレインは何かを言われる前に畳み掛けて、この返答には彼らも顔を見合わせた。


「お前が、例の?」

「どうだろうな……特徴は確かにそうだけど」


 本当に将軍の客人なら、追い返せば叱られるだろう。

 しかし兵士たちが面倒臭がり、報告をしなければそれで終わりだ。他の言い回しを試すか、別な手段を取る必要がある。


「まあ、一応確認するか」


 少し間が空いたものの、クレインの考えは杞憂に終わる。

 配下の兵にもランドルフの逸話は知られているようで、念のため一人が確認に向かった。


 そうして、もう一人の兵と待つこと十数分。

 戻ってきた兵士は奥を指して言う。


「通していいそうだ」

「いいのかよ」

「間者だったら斬り捨てるだろ。相手はあの剛槍様だぞ」

「まあ、こいつじゃ無理か」


 二年半に渡り鍛えたクレインの体格もそれほど悪くはないのだが、ランドルフに勝てるかと言われれば普通は無理だ。

 だから相方の男もそれ以上は言わず、クレインの方を向いて短く告げる。


「付いて来てくれ、案内する」

「よろしくお願いします」


 先導を始めた兵士のあとに続き、クレインは駐屯地に足を踏み入れた。





  ◇





 一番豪華な天幕に入れば、ランドルフと副官の男が椅子に座り待っていた。


「閣下、その青年が?」

「ああ、彼がそうだ。よく来てくれた!」


 クレインの顔を見るなり、ランドルフは勢いよく立ち上がった。

 そのまま猛然と近づくと、一回り小さいクレインの両手をがっしりと掴んで言う。


「少年から貰った薬で妻は持ち直せた。礼を言うッ!」

「話には聞いてますよ。奥さんが元気になったようで何よりです」


 前回までの人生では、完全に良くなったのは二本目の瓶を使い切ったくらいの時期だ。

 しかし薬が一本でも見違えるほどに良くなったらしい。


 妻の命の恩人が、ひいては自分が世に出るきっかけを作ってくれた男が目の前に現れたのだ。

 普段は威圧感全開の顔をほころばせて、彼はクレインに椅子を勧めた。


「さあ、まずは座ってくれ。それからの話をしよう」


 クレインも手土産の酒は持ってきたものの、ランドルフが用意したものの方が遥かに上等だった。

 だからそちらを開けたのだが、副官の男はしかめっ面をしている。

 

「ガードナーは飲まないのか?」

「私は遠慮しておきます。護衛でもありますので」

「少年が俺を害するわけがあるまい。さあ、飲め」

「ううむ……」


 ガードナーの歳は四十の中頃であり、ベテランの将校だ。

 口元にはちょび髭を蓄えたいかにも二番手といった風体の男は、勧められた酒をチビチビと飲みながら、胡乱げな表情でクレインをじっと見つめている。



 何はともあれ、そのまま三人で酒を飲み。

 主にランドルフが会話を回して、時折クレインが相槌を打つこと三十分ほど。


 出てきた話題はランドルフの武勇伝が主で、今回の作戦に関する話題は出なかった。

 しかしそろそろ頃合いかと見て、世間話を装いつつクレインは切り出す。


「ランドルフさん」

「ん? おお、なんだ。急に闘志を燃やして」


 身構え過ぎたのかランドルフは何かを察して、ガードナーは剣に手が伸びる。

 それにも構わず、クレインは続けた。


「アースガルド領を、攻めるんですよね」

「……そうだ」

「何故、攻めるんですか?」


 それは一種の軍事機密に当たる。普通の軍人ならば漏らすことはあり得ない。

 口外すれば罰則は当然あるとしても、恩人からの質問だ。


 ランドルフは真摯に答えようとしたが――その答えは、クレインが予想もしていないものだった。


「……知らん」

「は?」

「俺に下された命令は、アースガルド領をことごとく破壊せよ。それのみだ」


 そもそも将軍ですら進軍の理由を知らない。

 つまり彼らは攻め込む本当の理由も知らないままに、アースガルド領を滅ぼすのだろう。


 クレインの頭はそのことを理解しきれず、思考は一瞬の空白を迎えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る