55回目 死なない程度の大ダメージ



「ん? 何か雰囲気変わったなぁ」

「えへへー、分かります?」


 近々戻って来ると言っていたトムが朝方に現れて、マリーを見た第一声がこれだ。


「何かあったんか?」

「秘密です」


 そう言うマリーは終始ご機嫌なのだが、これを見たトムは一瞬で察する。


「そうか、こりゃめでたい。坊ちゃんと付き合ったんか」

「え?」


 クレインとマリーは子どもの頃から仲が良かったが、恋愛感情を持っていたのはどちらかと言えばマリーの方だ。

 それが旅の途中で結ばれたのなら、ご機嫌具合にも説明がつく。


 トムはそう思い頷いていた一方で、一応秘密にしようと思っていたことが一瞬でバレたマリーはあたふたしていた。


「いや、その」

「クラウスには黙っといてやるから、大丈夫だぁ」


 主人がメイドに手を出したというか、メイドが主人に手を出した状態だ。

 最悪の場合はメイドをクビになる可能性もあるのだが。


「ちょうどいいじゃないか。一年、二年旅行してれば、今さら引き裂くのも無理だってなるだろうし」


 付き合って二年にもなればどうなるか。


『今さら言われても』


 そう反論ができる。

 元々貴族の習慣などにうるさくないアースガルド領なのだから、積み重ねた既成事実があれば関係を認めてもらえる可能性は高くなるだろう。


「あう。まあ、その通りですね」

「良かったなぁ。小説なんかじゃ、幼馴染ってのは大抵噛ませになるし」

「誰が噛ませ犬ですか誰が!」


 一転してプンスカ怒るマリーの後ろから、少し遅れてクレインが降りてきた。

 二階から覚束ない足取りでやって来た彼は、少し疲れている。


「おはよう、坊ちゃん」

「……ああ、おはよう」


 ゆっくり休めていないところを見ると、何かあったのかと思うトムだが。

 まあ、マリーと付き合ったことで舞い上がり、よく眠れなかったのだろうと結論づけた。


「坊ちゃんの顔も見られたんで、ちょっと行商に行ってくっから」

「……ああ、気を付けてな」

「あの、坊ちゃん? 大丈夫か?」

「……ああ、大丈夫だ」


 どう見ても大丈夫ではないが、暗い雰囲気はいくらか消えている。

 単純に疲れているだけだろう。そう思いトムは帽子を被った。


「ええと。じゃあ、あとは任せるから」

「任せといてください!」


 さて、トムが去っていくのを見送ったクレインには二つの選択肢がある。

 朝食を取るか、二度寝するか。

 

 クレインの考えは二度寝に寄っていたのだが。

 マリーはそっと近づくと。


「続き、します?」


 小悪魔のような笑顔で、そう聞いた。


 しかし今のクレインからすれば、その笑みは悪魔軍総大将の大悪魔か、戯曲に登場する魔王が浮かべたもののようにも見える。


「寝たい」

「え、寝たい? やだもう、お盛んなんですからー!」

「いや、純粋に眠たい」


 盛り上がって始めたはいいものの、マリーは止まらなかった。

 一晩中ノンストップだ。

 仮にクレインの体調が悪ければ、ドキドキし過ぎて心臓が止まるという、最低の死に方をもう一度といったところか。


 最初は優しく愛を注いでくれるものと、言ってしまえばロマンティックなことを想像していたクレインだが。

 ――想定の三倍くらい激しいことになり、しかも長丁場だった。


「可愛かったですよ、クレイン様」

「俺が言われるのは……何か違う」


 精魂尽き果てた状態の彼に、べったりとくっ付くマリーはご機嫌だ。


 お互い初めてではあるが、クレインは精神面だとかなりの年長者となる。

 これならリードできるかと思ったクレインだが。


「いやあ、意外と下手でギャップがいいというか」

「俺の自尊心を殺す気か?」


 まあ結果として、ベッドの上では彼女が女王様だった。

 そんなこんなで、死にはしないものの心に大ダメージを負いつつ。


「……まあいいや。次からはもっと穏やかにな」

「へへっ、次もあるんですねぇ」

「……もう何も言うまい」


 疲れた様子のクレインは、まだ寝足りないとばかりに二度寝へ向かった。





    ◇





「やあ、クレイン君。今日は遅かったじゃないか」

「遅刻しました。すみません」


 たっぷりと二度寝して、午後の遅い時間から私塾へ向かったクレインだが、今日は宿題を多めにした分、講義は早めに切り上げられている。

 クレインが着いた頃には、今日の仕事を終えたビクトールが庭先で木刀を振り、修練をしているところだった。


「基本的には自由参加だし、いつ来てくれてもいいよ。今日はこれから暇だから個人授業でもいいし」


 彼はそう言って笑うし、実際にもいつ来てどれくらい学ぶかは自由となっている。

 サボる者は少ないが、そこは予定と相談だ。


 ここでクレインがよくよく庭先を見れば、片隅にある倉庫には木刀や小手が数セットしまわれており。授業で使われた形跡がある。


「この塾は、剣も教えているんですか?」

「武官志望の子が多い年はね。今年は文官志望の子と、商家志望の子しかいないけど」


 そう言うビクトールは堂に入った構えで素振りをしており、武官たちの鍛錬を眺めたことがあるクレインからすれば、中々の手練れなのかとも思える。


「では、一手御指南を願います」

「君は本当に雑食だねぇ。ま、向上心があるのはいいことだけど」


 そう言いつつクレインは木刀を手に取り、二人は正面から向かい合った。


「今日は何かいいことでもあったかな?」

「分かりますか」

「うん。少し明るくなったみたいだ。雑念が入ると怪我をしやすいから、鍛錬をするならいい傾向だよ」


 そんな雑談をしながら、準備運動がてらに軽く剣を振り。

 上段、中段、下段と剣を振るビクトールに対して、クレインは剣を合わせていく。


「先生の剣筋は綺麗ですが、どこかの流派で修行を?」

「いくつか、かじるくらいかな。免許皆伝まで行った流派は三つだけだよ」


 一つの流派を極めるだけでも、簡単なもので数年、高名な流派なら数十年とかかる。

 三つ修めているだけで十二分に達人なのでは。

 そう思いつつ、クレインは念のために聞いてみた。


「もしかして、ピーター・フォン・シグルーンをご存じですか?」

「剣聖の? 何年か前に手合わせをしたきりだね」

「そうでしたか」


 どうやら彼の流派とは関係が無く、深い交流も無いらしい。

 ここで情報収集はできないかと諦めたクレインに対して、ビクトールは軽く言う。


「クレイン君は、彼の剣を見たことがあるかな?」

「ええ、一度だけですが」

「一度だけでは……よく分からないだろうね、あの剣は」

「そうですね。あまり参考にはなりませんでした」


 遠目で見たことなら何度かあったし、二十数名を斬り殺す様は間近で見た。


 しかしピーターの剣技は隔絶し過ぎている。

 クレインの腕では、見て学べる点、参考にできそうな部分すら無かったほどだ。


「じゃあ、折角だから再現してみようか」

「え?」


 そう思うクレインに、ビクトールは提案をする。

 ピーターの剣技を真似て、実際に見せてみると。


「見様見真似だけど、僕にもできないことはないよ」

「ええと、では試しに一度、お願いします」


 書生風の恰好をした塾の先生が、剣聖の剣技を真似る。

 何とも無理がありそうな話だが、レベルがいくつか落ちるならむしろ、見切れるかもしれない。

 そんな軽い気持ちで、クレインが了承すれば。


「危ないから防具を付けてもらおうか」


 一度剣を止めて、ビクトールが倉庫から取り出してきたもの。

 それは戦場で実際に使われるだろう、重装騎兵用の鎧だった。


「あの、これフルプレートアーマーですけど」

「これなら万が一のことがあっても、死にはしないさ。本当だったら走り込みのために用意していたものだけれどね」


 重すぎて、クレインの体格では自由に動けなくなるくらい本格的なものだ。

 慣れない鎧を着こむのに十分ほどかけて、準備が整ったところでビクトールは言う。


「他流派の技だし、試すのも久しぶりだからね。寸止めにしようと思うけれど……失敗したらごめんよ」


 にこやかな笑顔でそう伝えてから、ビクトールはピーターと同じような抜刀の姿勢を取り、クレインはそれを防ぐという流れになった。


 剣の出所をよく見て、防御しようとしたのだが――


「――あがッ!?」

「あっ」


 木剣が抜かれると同時に、反射的に反対側へ移動したのが災いした。下段から振り抜かれた剣はクレインを追い、防御の剣もすり抜けて頭部に直撃する。


 剣の冴えはそう変わらないように思えたクレインだが、もちろんピーターの時と同様に、この剣筋はほぼ見えていない。


「あちゃあ……動くなと言っておけばよかったかな」

「う、ぐぐ」

「立てるかい、クレイン君。……あれ? おーい」


 達人のような風格を出すなら、寸止めに失敗しないでほしい。

 クレインもそうは思いつつ、ビクトールは剣の腕も一流ということが判明した。


 これは習う価値がある。明日からは剣も習おう。

 しかし、危なくない範囲で。


 そう決めたクレインは、死なない程度の大ダメージを負って気絶して。

 見たところ大した怪我ではないと、ビクトールの手によって家に配達されることになった。


「やあ、お届け物だよ」

「……ただいま、マリー」

「またですか!?」

「はは、訓練中の事故というか。ま、冷やしておけば問題ないよ、うん」


 少し足元がフラついているものの、鎧は着こんでいた。精々たんこぶができる程度の怪我ではあるが、安静にした方がいい体調ではある。


「もう、へっぽこなのに無茶をして!」

「……マリーから俺への評価、実は結構散々だよな」


 だから付き合い初日のマリーから手当てを受けつつ、その後はたっぷり怒られることになった。


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