第五章 真相解明編

52回目 領主とメイド



 古ぼけた時計の鐘の音が響く。

 アースガルド家の屋敷に伝わる、由緒正しい古時計だ。


「あー、もうこんな時間!?」


 朝一番の鐘を聞き、メイドの一人が慌てて屋敷の二階へと向かう。

 領主を起こすのが、数年前から続く彼女の役割だからだ。


「お、マリーはまた遅刻か?」

「朝飯のつまみ食いばかりしてるからだよ」


 周囲の使用人たちが、走り去る彼女の背中に軽口を放れば。

 彼女は走りながら振り向き、抗議の声を上げていた。


今日は・・・していませんー! ちょっと用事があったんですってば!」


 ロングの茶髪を振り乱して階段を駆け上がった彼女は、一目散に、廊下の途中にある領主の部屋を目指した。


「ふぅ。さて、と」


 軽く息を整えて、廊下の鏡で身だしなみを整えて。

 服に乱れが無いことや、髪が跳ねていないことを確認し。

 彼女は鏡に向かって笑顔を浮かべた。


「よし、バッチリ! クレイン様ー、おはようございまーす!」


 彼女の目から見た領主は寝坊助だ。

 子どもの頃から朝に弱く、放っておけば起きてくるのは昼食前になるだろう。


 だから先代アースガルド子爵からの命令――当時は、幼い彼女へのお願いという形で――いつの頃からか、彼女がモーニングコールを担当することになった。


 先代夫婦が亡くなってからもそれは変わらず、彼女は今日も、領主である少年のお付きメイドとして目覚ましに来た。


「……」

「ああ、クレイン様。もう起きてらしたんですか」


 普段は寝息を立てている領主が、今日は起こしに来る前から起床していた。

 珍しいこともあるものだと、一瞬驚いたマリーではあるが。


「さ、今日もいい天気ですよ」


 そう言いながら部屋のカーテンを半分だけ開ける。

 もう半分を開けるためにクレインが起き上がり、二度寝を防ぐという作戦だ。


 これをやる前は、意地でも二度寝や昼寝を続けようとする少年に困ったものだが、今では自力で起きられるくらいにまでなったのか。


 領主としての自覚が出てきたのだろうかと、一瞬そう思ったものの。


「……いえ、たまたまですね」


 きっと気まぐれだ。領主には三日坊主なところがあるので、多分明日からはまた元の寝坊助に戻るだろう。

 そう考えつつ水差しを交換したマリーは、ここで異変に気付いた。


「あれ? どうしたんですか、クレイン様」

「……」


 既に目を覚ましている領主がベッドから起き上がらず、呆然とした表情で虚空を見つめている。

 目の前で手を振ってみても反応なし。どう見てもぼうっとしている。


「クレイン様ー? わ、全然動かない」


 何かショックな夢でも見たのだろうか。

 そう思い顔を近づけてみたマリーは、彼の前に身を乗り出して言う。


「ほら、早く起きないとイタズラしちゃいますよー」


 笑顔でそう言ってみるが、彼からの反応は無かった。

 それが悔しかったのか、数分の間、色々と気を引くような動きをしてみて。


 しかし反応に乏しかったため、彼女は最終手段に打って出る。


「くくく、いいでしょう。こうなったらえっちなことをします。ウブなクレイン様が度肝を抜かれるようなやつです」


 耳年魔なところがあるマリーは、領主の前でしなを作ってセクシーなポーズを取ってみたり。

 腕を取って身体を押し付けてみたりしたものの、それにすら無反応だった。


「えっと。あの、お身体の調子が悪いんですか?」

「ああ、いや……何でもない」


 ここまでくれば本気で心配していたマリーは、不安気に領主の顔を覗き込み。

 至近距離で見つめ合って、ようやく反応があった。


「今は、王国歴500年の、4月1日か?」

「え? ああ、はい」

「……やっぱり、そうか」


 しかし顔色は悪く、心ここにあらずといった状態だ。


「なるほど。悪い夢でも見ましたか」

「悪い夢。……そうだな。あれは悪夢だったよ。もう二度と、経験したくないと思えるくらいに」


 彼が抱いている感情は何だろうかと、マリーは考えた。

 よくは分からないがマイナスの顔をしている。


 恐れのような気もするし、怯えのような気もする。

 寂しさのような気もするし、諦めのような気もする。


 それはマリーに、過去の光景を思い出させた。

 領主が両親と死別した頃、夜に一人で空を見上げていた彼の姿だ。


「――大丈夫ですよ」


 その時は黙って抱きしめた。

 だから今回もそうする。


 彼女は領主の頭を抱きかかえると、子どもをあやすように、ゆっくりと掌で頭を叩く。


「大丈夫です。悪い夢なら、そのうち忘れてしまえますから」

「……マリー」

「子爵家の当主様が、こんな格好悪いところを見せられませんか?」


 そう言うと、彼女は靴を放り捨てて。

 行儀が悪いが、メイド服のままベッドの上に移動し、彼と共に寝転がった。


「大丈夫。私は朝からとても忙しくして、少し眠いので」


 私は何も見ていません。

 私はだらしがないメイドです。

 主人の部屋で、サボって寝ようとしています。


 そんなことを言いながら、彼女は領主の頭や背中をぽんぽんと、軽く叩き続ける。


「ええ。そうですね、こんな抱き枕があればちょうどいいなと思ってます」


 そう言いながら、マリーは領主を寝かしつけようとした。

 しかしクレインは、この状況にただ戸惑っていた。


「悪い夢なんて、もう一度寝れば忘れますよ。だから、今日はお休みしましょう」

「違うんだ。俺は、ただ……いや、どうして4月に……?」


 何が起きたのか把握できていない彼の顔には、呆けた表情が浮かぶばかりだ。


 年頃の男の子が、年頃の女の子と間近で接しているというのに。

 そこに気が回らないくらいには、余裕が無い。


「もう、仕方のないクレイン様ですね。こんな美人メイドが添い寝しているのに、上の空だなんて」


 余程怖い光景でも見たのか、それとも領主の仕事でお疲れなのか。

 そこはマリーにも分からない。


 女子と触れているドキドキというよりは、恐怖による緊張からくるような浅い呼吸を繰り返す領主の手を握り、彼女は笑いかけた。


「何だか凹んでいるようなので、今日は特別大サービスです。二度寝も許してあげますし、お勉強もナシの方向でいきましょう」

「……マリー」

「当然私も寝ますが、これは業務上仕方の無いことなのです」


 そんな軽口を叩きながら、彼女は領主が再び眠りにつくまで、手を握り続けようと思い。


「ついでだから、これも。ほら、懐かしいでしょ? ……ね? クレイン様」


 穏やかな夢が見られるようにと、領地に伝わる子守唄を口ずさんでいた。


 外は春の陽気だ。これなら昼まで寝ていられる。


 今日も平和で何事も起きない日常が続いているのだから、たまにはこうして、何も考えずにサボってもいいだろう。


 そんなことを思いながら、メイドは歌い続けた。



― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

 時は王国歴500年4月1日に巻き戻りました。


 憎悪を叩きつけられて消耗したところで、積み上げてきたものが何故か全部リセットとなり放心しています。


 戻った原因はごく単純ですが、それに言及する前に一話挟みます。

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