51回目 クレインの罠



 不動の王者と言えるほどの経済力を持っていたヘルメス商会だが、最近では勢いに陰りが見えている。


 クレインがそこまで露骨にはやっていないとしても。

 領内外への流通の大部分を、飛脚便で有名なヘルモーズ商会に振り。

 領内へ回す武具だけでなく、鉄製品の製造管理の一部をブラギ商会へ任せ。


 その他にもトレック率いるスルーズ商会を軸にして、中小の商会まで――友好的なところに儲けさせる体制になっていたのだ。


「クレイン様。ヘルメス商会の支店長をお連れしました」

「よし、通してくれ」


 今やアースガルド家は王都から東、そして南北に延びる巨大経済圏を築いている。


 突如現れた経済圏の中心にいる家から大きな商売へ噛ませてもらえないのだから、流石のヘルメス商会も苦戦していた。


「よく来てくれた」

「ご無沙汰しております、アースガルド子爵」


 まあ、実際には他と比べて少し景気が悪いというくらいで、好景気の恩恵には与れているのだが。

 何はともあれ。

 今日のクレインはそんな商会の支店長を呼び出して、話をつけようとしていた。


「ああ、まずは座ってくれ」

「ええ。失礼します」


 というより、一度話はした。

 そして、目の前の男に殺された。


 50回目の人生で、一度内密の話をしたところ。

 話が終わってからすぐに、錯乱した支店長が持っていた護身用のナイフで暗殺されたのだ。


 こればかりは油断していたとしか言えないが。

 どうせ生き返れると、大した感慨も無くリスタートをしたところだ。


 今回は「二週間前」からやり直し。

 徹底的にやってやるつもりで彼を呼びつけていた。


 一応反省を活かして、今回は商談の席なのに武官が同席している。

 それも最高戦力である、ランドルフとピーターを横に置いた上での話し合いとなった。


「本日は衛兵たちが忙しそうにしておりましたが、何かあったのですか?」

「ああ、少し物騒な事件が起きたから……警戒させているんだよ」

「左様でございましたか」


 ついでに。絶対に逃がさないため、屋敷を衛兵隊で包囲済みだ。

 主な武官はほぼ招集して、屋敷の警備に宛てている。


 一応献策大会の時に聞いた、怪しい話術も試してみる予定のクレインだが。

 目の前の男が下手な動きをすれば、この場で仕留めるつもりだった。


 しかしそうとは知らない支店長は呑気なものだ。

 呑気な顔で応接室に入ってくると、勧められるままにソファーへ腰かけていた。


「それでは早速――」

「商談の前に、これを見てもらおうか」


 商戦に出遅れた分をここらで挽回したいと思い、前のめりになっている支店長を軽くいなし。

 クレインは調書・・を応接室の机に並べていく。


「こ、これは?」

「サーガ商会が、ヘルメス商会と共謀して私を暗殺しようとした。という証言だ」

「ぬ、濡れ衣です。そんなものを一体誰が!」


 慌てて手に取る支店長だが、取り調べを受けた者の名はドミニク・サーガ。


 今回の歴史では逮捕されることもなく、ブリュンヒルデに即殺された人間だ。


「サーガ商会長は、すぐに始末なされたはずでは……」

「大事な情報源なのに、殺すわけがないだろ。怪しい奴が多かったから、殺したフリをしたんだよ」


 これはもちろん嘘だ。

 即死していたので、サーガから話は聞いていない。


 ――少なくとも、今回の人生では。


 これはサーガが生存して、取り調べを受けた時の内容を思い返しながら。

 自白の内容を、クレインが適当にまとめた書類である。


「あんな小物が領主の暗殺なんて企てるわけがないのだから、裏どりのために生かしておいた。……で、得られた証言がこれだ」


 ヘルメス商会の経営するレストランで起きた事件。

 その全貌は既に知られている。


 何故この時期になって急に持ち出してきたのか。

 様々な可能性が彼の頭を巡ったが、答えは当然出なかった。


「その……ですね」


 そして経緯はどうあれ、問題は内容である。

 書かれていることが事実なのだから支店長も慌てていた。


 しかし、すぐに否定しなければ余計に怪しまれるとばかりに。支店長は咳払いをして切り出す。


「事実無根です。厳重に抗議したいと思いますが、サーガ商会長は今どこに?」

「……さあ? まあ、その後は察してもらえると助かるね」

「は、はは。なるほど」


 ヘルメス商会の従業員は誰もが遠巻きに見ていただけだ。

 運び出されていくサーガがまだ生きていましたと言われても、真偽は分からない。


 近くで見ていたのはジャン・ヘルメスのみであり。

 支店長は「サーガが暗殺に失敗して死んだ」としか聞いていなかった。


「中々、興味深い話だと思わないか?」

「い、いえ。ええと、はい。その」


 そして彼にとって重要なのは、そこではない。

 己が関与している暗殺計画が、一から十まで漏れていることである。


 読み進めるごとに動揺は大きくなり。

 仔細は既に知れていると見て、最後には取り繕う余裕も消えていた。


 しかし言い訳に失敗すれば命はない。

 だから支店長は、最大限に頭を回していた。


「は、はは。お戯れを。よくお考え下さい。我らが子爵を暗殺をしても、利益など出ませ――」

「そう言うと思って、こんなものも用意した」


 次に出てきたのは、アースガルド家に売る予定だった食料品を勝手に東へ流した件についての報告書だ。

 これは年初の戦争の分と、今現在も輸送されている分に分けられている。


「こんな調査報告も上がってきているのだが、どう説明するつもりかな?」

「あ、あの! それは……!」


 彼は密輸の件も、上手く隠せていると思っていたようだ。

 事実、かなり巧妙な隠ぺいが為されている。


 しかし二週間前へ戻ったクレインは、密偵を総動員する勢いで商会を調べさせていた。


 彼らの横流しを完全に裏どりした結果。

 それが数十枚に及ぶ資料という形で、支店長の前に、ゆっくりと叩きつけられた。


「この件については、私も非常に遺憾であると思っているし。南伯も激怒している」


 今回のクレインは、ヘルメス商会が最初から敵だと思いながら動いていた。

 だから北候と同盟を組んでからも監視させていれば、不安は的中だ。


 これからまた攻めて来ようとしている東伯軍に対して、前回を越えるほどの便宜を図っている。

 そこも完全に調べがついた。

 商会を見張っていたマリウスの部下が、きっちりと利敵行為の記録を完了している。


「っ……。い、いえ、これは何かの間違いです!」

「サーガもそう言っていたな。そのあとすぐ、お前たちの会長から裏切られたが」

「うっ」


 前回の人生ではクレインが深く追求しなかったため、支店長も生きている。

 しかし、事件を暴けば末路は同じだ。

 毒を混入させた実行犯と共に、ヘルメスから手討ちにされる。


 今回も、こうして事件が明るみに出た以上。

 己が辿る道は死しかないと、彼は悟った。


 こうなれば三択だ。


 クレインを殺害して逃走するか。

 すぐに逃走するか。

 それとも何とかして許しを請うか。


「さ、これを見て。君はどうしたい?」


 しかし襲い掛かるには難易度が高い。

 クレインの背後には一対一の戦いで、達人級の腕前を持つピーターと。

 不穏な動きが無くとも、今すぐに飛び掛かりそうな――修羅の顔をしたランドルフがいる。


 前回の人生では狂乱してクレインに襲い掛かったものの、ただの商人が歴戦の武人に勝てるわけがない。

 彼もいくらか冷静になり、すぐに殺害を諦めた。


「あ、あの、ええと」


 では逃げるかといっても、それも無理だ。


 部屋の外には案内役を務めていたマリウスがいる。

 屋敷の外にはグレアムが部下を率いて陣取っている。

 そして街中には、ハンス率いる衛兵隊がいる。


 目の前にある状況と、ここに来るまでに見かけた外の様子を鑑みれば、逃げ切ることなど不可能。

 一瞬でそう計算できた。


 であれば、彼に残された道は――


「た、大変、申し訳ございませんでした!!」


 許しを請う道。選べるものは平謝りだけだ。

 椅子から転げ落ちると、彼は地面に頭を付けて平伏した。


「ああ、うん。謝罪は受け取った」

「で、ではっ――!」

「謝るのは当然だな。それからどうするんだ?」

「え?」


 謝るのは当然。それで、これからどうする。

 ある意味順当な流れではあった。


 誠意を見せねばここで手討ちにされることは間違い無い。

 しかし支店長ができることなど、一つしかない。


「あ、それは……。そ、そうです、当商会の品物を格安でお譲りしましょう!」


 ここでお決まりの手というか。

 領内に格安で品物を卸すという提案が持ち出された。


 しかし今回は、そんなものでは収まらない。


 ヘルメスはその提案をする前に、責任者をきっちり処罰して。

 自分は全く関与していないと主張し。

 クレインの手にも明確な証拠がなく。

 商会長を暗殺するデメリットも考慮した上で、一度思い留まったのだ。


 暗殺に関与したことが知れた以上、その程度で許されるはずもなかった。


「格安、ねぇ」

「え、ええ! 全品半額で! 倉庫の在庫から、お好きなだけ!」


 さて。クレインが何故今になって、暗殺計画のことを持ち出したのか。


 どうせ敵に回るなら、搾り取ってしまえという目論見はもちろんある。

 が、もう一つ根本的なことに気づいたからだ。


 クレインがヘルメス商会を潰せないのと同様に。ヘルメス商会側も、クレインを叩けない。

 そこに思い至ったが故の攻勢だ。


「……ふーん」

「お、お詫びの印に、何かご所望のものがあれば! ツテを全て使い、必ず手に入れて見せますので! どうか!」


 今のアースガルド家は北候と同盟関係にあり。

 仮にクレインが急死すれば、大混乱に陥る。


 西へ多めに戦力を振ったというのに、背後を守る味方が急に消えたとすればどうなるだろうか。

 ラグナ侯爵家の戦略は、一から練り直しのレベルにまで打撃を受ける。


 下手をすれば侯爵家滅亡の事態に陥るのだから、もうクレインのことは排除できないのだ。


 この状態であれば、ヘルメス商会がいくら北候と懇意だと言っても、多少悪どいやり方が許されるだろう。

 そんな計算の元で、クレインはヘルメス商会に喧嘩を売った。


「なるほどな。領主への暗殺計画が、値引きで許されると見ているのか……。私の命も安いものだ」

「え、あの、そ、そういうことでは……」


 今までの仕返しをするために、クレインは万全に準備をしてきた。

 震える支店長へ満を持して、クレインの罠が牙を剥く。


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