51回目 全部だ



「なるほどな。領主への暗殺計画が、値引きで許されると見ているのか……。私の命も安いものだ」


 クレインがそう呟くと、支店長は慌てた様子で両手を前に突き出し、慌てて否定した。


「そ、そのようなことは、決して!」

「安値で品物を卸せば許されると思った。だから提案したんだよな?」


 揚げ足を取るような言い方で事実をあげつらい。

 金を払えば、貴族への暗殺未遂が許されると思っているのか? と、強めに追及していく。


 クレインへ毒入りワインを渡した、ただの実行犯。

 共犯であるサーガですら取り調べ後に殺されているというのだ。


 であれば主犯格のヘルメス商会――その責任者がどうなるか。

 そんなものは、考えるまでもない。


「しょ、商人の誠意です。これ以外のやり方を知りません」

「君のところの商会長が、「商人は信用を失ったらおしまい」という意見に同意していた記憶があるんだが」


 おしまい。このままでは死が待っていると見た支店長は、なりふり構わなかった。

 下手な動きをすれば護衛の二人から刺されるので、平伏しながら叫ぶ。


「全品六割で……いえ、七割引きでご提供させていただきますので、どうか――」

「そうか、分かった」

「えっ?」

「ではそこに、銀山に出資した分。投資金と権利の没収で手を打とう」


 食料だろうが日用品だろうが、半額を越えれば原価を割るようになる。

 大赤字を出すことは間違いの無い価格を設定すれば、クレインはあっさりと了承した。


 続いてヘルメス商会が領内へ投資した各種利権の中から――最も儲けの大きい、銀山の利権を剥奪すると宣言する。


「あ、あの……? 銀山も、で、ございますか」


 この流れで許されるとは微塵も思っていなかった支店長は、呆けた表情を浮かべた。

 しかし利権の没収による損害を想像して、彼の思考が止まる。


「何だ? 不服か?」

「い、いえ。そのようなことは……」

「結構。では手始めに、武具と食料品については今日中に買い取らせてもらおう」


 ヘルメス商会から財貨を没収すれば、間接的に北候の機嫌を損ねるかもしれない。


 だがこれは不始末の詫びとして、安値で品物を融通してもらうだけだ。

 しかも値引きは支店長が言い始めたことでもある。


 これくらいならば何も問題は起きない。

 そう判断して、クレインは商会の財産を買い叩くことに決めた。


「し、承知致しました。すぐに倉庫を、開放致します」


 買い占めが行われれば、ヘルメスから指示された東への補給が滞る。

 それはマズい。


 それでもこの場で殺されるよりはマシだと頷いたが、クレインの要求はそこで終わらなかった。


「在庫だけではない。店頭のものからアースガルド領に輸送中のものまで、全部だ」

「なっ……!」


 クレインが予想を上回る要求を叩きつければ、支店長の顔が青ざめた。

 それはヘルメス商会が東へ送ろうとしている支援物資の、全てを寄越せということに他ならない。


 王国の西、南、中央からやって来る物資はアースガルド領を経由していくのだ。

 今輸送中の物まで召し上げを食らえば、東への補給がほぼ途絶えることになる。


 それに応じれば、この場を凌いでも確実にヘルメスから消されるだろう。

 だから支店長は軌道修正を図ろうとした。


「あ、あの。どうか、在庫だけで」

「全部だ。男爵領に向かっている商隊も呼び戻せ」


 昨日も大規模な商隊を送り出しているが、それらはまだ再建築中の砦に着くか着かないかという位置にいる。


 ヘイムダル男爵領に入っていれば説得もできただろうが、まだ領内にいるのだから抗弁のしようがなかった。


 運ばれているのはアースガルド家の敵を支援する物資なので、クレインが差し止めるのは当然かと思いつつ。

 それが止まれば、何があったのかは一瞬で上司に露見する。


「なにとぞ、在庫の全てでご容赦を――」

「もう一度言おうか。全部だ」


 輸送の指示を出したのが商会長なのだから、それに歯向かえばどうなるのかは容易に想像がついてしまう。


 あとから送る分は、どうにか搔き集めれば誤魔化せるかもしれない。しかし急に物流が途切れれば、どう頑張ってもリカバリーは不可能なのだ。

 だから彼は、もう必死だった。


「取引先との信用に関わりますので、せめて昨日の分だけでも!」

「信用? この状況でその単語を選ぶとは、君は中々ジョークのセンスがあるな」

「うぐぅ……」


 立場は完全に、アースガルド家が上でヘルメス商会が下になった。


 切れのある煽りを見せたクレインは足組みをしながら、床で小刻みに震える支店長を余裕の態度で見下ろしている。


「今もなお利敵行為を続けているのだから、このままでは南伯だけでなく北候まで敵に回すぞ」

「そ、それは……」

「彼らを納得させるだけの、罰は必要だよな? ……分かるだろ? 全従業員の命は君の肩にかかっているんだよ」


 このまま物資を買い占められればヘルメスから睨まれる。当然殺されるだろう。


 この踏み絵の結果次第では、二つの大勢力も即座に敵へ回るだろう。

 彼はそう思っている。


「う、ああ……、あ、ああ……」


 ヘルメスが個人的に誰とどう繋がっているのかなど、クレインとて全く知らない。

 実際にはヘルメス商会を潰すことなど、到底できはしない。


 あくまで脅しだが、しかしここまで追い詰められた一支店長にその推測はできなかった。


 ――全方位を敵に回し、八方塞がり。


 目前の武人たちに勝てる気がしなければ、屋敷も包囲されている。

 国中に喧嘩を売ってもいる。


「まだ死にたくはないだろう? 今なら俺がとりなしてやる」

「し、子爵……」


 もうどこにも逃げ場は無い。

 そう判断して、へなへなと力なく項垂れた支店長の肩に手を置き、優しい口調でゆっくりと、クレインは語りかける。


「……安心していい。安心していいんだ。当家に利益をもたらすなら、俺は君の味方になろうじゃないか。身の安全は保障するよ」


 この状況に叩き落したのはクレインなのだが、今となっては、この状況を何とかできるのはクレインしかいない。

 支店長はそう思い込んでいる。


 これは献策大会で小耳に挟んだ、洗脳の一種だ。


 人心掌握術という名目での献策ではあったのだが、要は不安を与えて恐怖を煽り、その後唯一の・・・解決策を掲示すると、人はそれに飛びつく。


 そして、徹底的に周りは敵だと思い込ませて、自分だけが味方なんだと優しく説く。


 今の立場ならば使えるかと思い、怪しい学者から聞いた説を、クレインも半信半疑で実行してみた。

 そしてどうやら、効果は覿面だ。


 支店長はクレインの顔を見て、一筋の希望を見つけたような顔をしていた。


「大商会で支店を任されるくらいだから、どうしたらいいかの判断はできるな?」

「……はい」


 実際には、全ての黒幕はジャン・ヘルメス。

 支店長など、情勢次第で尻尾切りにされる哀れな駒の一つだ。


 そこに大した恨みなど持っていなかったクレインだが、何はともあれ脅しは成功した。


 前回は脅し過ぎてやけっぱちになってしまったものの、今回は丁度いいところで脅しを止められている。


 まだ迷いは見えるが、現実的に見て要求を呑む以外の手は無いだろう。

 そう分かるが故に、クレインは余裕の表情をしていた。


「あ、いえ。ですが、既に送った分までとなりますと……」


 それでも全面降伏では、後にヘルメスからどんな目に遭わされるか分かったものではない。

 だから最後まで悪あがきを続けようとした支店長に対して、ダメ押しだ。


 クレインは余裕の表情で紅茶を飲み。 

 にっこりと笑ってから、再度言う。


「全部だ」



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