50回目 引っかかっていたこと
「夏の作付けには間に合うか微妙だが、開墾計画だけは進めておこう」
「ええ、お任せ下さい」
バルガスは鉄の採掘と加工の指揮まで執ることになるので、農具普及係の候補から除外。計画を具体的に動かすにあたって、クレインはまとめ役に執事長のクラウスを選んだ。
周辺の村に知己が多い彼なら上手くやるだろうと農業政策の責任者に抜擢したが、彼は改めて驚いていた。
「しかしまさか、当家が南伯に続き、北侯とも友誼を結べるとは……いやはや驚くばかりです」
「そうだな。俺も、夢にも思わなかったよ」
クラウスは先々代のアースガルド子爵が現役だった頃から仕えている。
だからこそ、最近の変化は嬉しい変化だと捉えていた。
交通の便がいいだけで、ただの田舎だったはずの領地が、たった二年半でこれほどの力を持ったことに、感慨深そうな表情を浮かべている。
その一方でクレインは渋い顔だ。
「しかし、皮肉なものだな。仮想敵を北侯と定めて王子の下に付いたのに。その働きが認められて、今度は北侯の部下とは」
「何を仰いますか。北侯とは対等の同盟ですし……その、殿下への義理立てはもう十分になされたと思います」
文官の派遣は、国王が直々に命じたことだ。
文官を数名増やした王子だが、それが監視であることは彼も気づいている。
商会の派遣は第一王子が後押ししたことだが、しかし大した利権の無い子爵家に、新規の販路を求めた商会がやって来るのは遅かれ早かれの問題だった。
資金供与という形で援助していたことも知っているクラウスは、当然クレインを擁護する。
「でも、どうにもすっきりしないんだよな」
「であれば殿下が遺した家臣たちを厚遇されてはいかがですか? 今も留まっている者は、育成などで活躍していることですし」
「……そうだな。そうしよう」
彼らがそんな話をしていると執務室のドアがノックされて、メイドのマリーが姿を現した。
「クレイン様ー。お客様がお見えになりましたよ」
「誰が来た?」
「武器商のブラギ商会です。支店長が鉄の取り扱いについてご相談があると」
「分かった。じゃあクラウス、指示書だけ書いておいてくれ」
毎日のように来客が現れるので、休む暇も無い有様だ。
指示を出して、彼は早速部屋を後にしようとしたのだが。
「ん? どうしたマリー」
「えっと、ああ、いや、その……大丈夫ですか?」
マリーはクレインの袖を掴み、心配そうな表情を向けた。
しかし疲れ気味ではあるが、倒れそうなほどでもないと。そう判断して、クレインは何でもないように笑う。
「これが終わったら少し休むから、大丈夫だ」
「そうじゃ――いえ、分かりました。ハーブティーのご用意をしておきますね」
「ありがとう。じゃあ行ってくる」
そう言って部屋を後にしたクレインの背後では、マリーだけでなく、クラウスも不安気な表情をしていた。
「かなりお疲れみたいですけど、大丈夫なんでしょうか?」
「うむ、何と言うか……単純な疲労だけでもなさそうだな」
大物との接触が増えた分、気苦労も多いのだろう。
そう
「まあ、我々はクレイン様のご負担を、少しでも軽くするように努めるだけだ」
「そうですね。……何か、息抜きができればいいんですけど」
表情や仕草から見られるのは些細な変化だが、屋敷でずっとクレインを見てきた二人からすれば、小さくとも確実に異変が見えていた。
クラウスは、少しでも多くの業務を受け持つこと。
マリーは、何か息抜きの方法を考えること。
各々にできることをして、領主を支えていこう。
そう締めくくって、彼らも各々の仕事を始めた。
◇
「クレイン様。何かお悩みですか?」
「え? いや、そんなことはないけど」
全ての仕事を片付けて、今日も一日が終わろうとしている。
新しい屋敷ができるまでは別居と決めたアストリに、お休みの挨拶をしようとしたところで、彼女はクレインの顔を覗き込んで、まじまじと顔を見た。
「そうですか?」
「ああ。むしろ心配事がどんどん片付いていくからね。悩みは少なくなっているよ」
「ふむ……少し、座って話しましょう」
そう言って、彼女はクレインを自分の部屋に引き入れた。招き入れるというよりも、半ば強引に連れ込んでいく。
「え? ア、アスティ?」
「いいから、ここへお掛け下さい」
断る理由も無いので、部屋の入り口側の壁に接したソファーへ座り。
アストリはクレインの両頬を、両手で挟み込んで言う。
「最近はお顔が晴れませんね。どこか、影があると言いますか」
「にゃにを」
「私と実家のことで気を揉んでいるのかとも思いましたが、仲は良好ですものね」
クレインの頬をぐにぐにと揉みながら、彼女は斜め上を向いて思案を続ける。
「領地の問題も解決に向かいつつありますし、東伯に対しても北侯と手を結びましたから心配はいりません。私の実家も力になってくれるはずですし」
「あ、あの、手」
ひとしきり可能性を上げてから、彼女は両手を離して呟く。
「やはり、殿下のことでしょうか」
「ん……ああ、いや、それは」
「夫婦に隠し事は無しですよ」
そう言いながら、彼女はクレインの隣にちょこんと腰かけて。
前を向きながらクレインの言葉を待った。
誤魔化すか、はぐらかすか。
そのどちらも選べず。結局、クレインは考えざるを得なかった。
ここ数か月、ずっと胸の内に抱えた
「確かにね。思うところはあるよ」
「……どのように、ですか?」
「仕えてきた主をあっさりと捨てて、敵に降ったも同然なんだ。それは……色々と葛藤はあるさ」
それが事実だとしても、実際には少し違う。
多少でも親交があった王子を助けるべきなのではとも思うし。色々あったが、仕えていた者たち、秘書を始めとした部下たちを助けたくもある。
その思いはあるが、今の彼にはこの先の未来を見てみたいという思いの方が強かった。
権威はあるが実力の無い王子よりも、最大勢力の侯爵家に付いた方が生き残る確率は高くなる。
もしかしたら彼らの屍の先に、自分が思い描いた未来があるかもしれない。
そんな打算で人生を進めていたのだ。
「どうにか助ける手立ては無かったものかと思うけど、状況を見ればこれがベストな気がするんだ」
「それは……そうですね」
助けようと思えば、過去に戻って助けられるかもしれない。
しかし、見捨てることに決めて進んでいる。
このまま平和な世が来れば、クレインは彼らを切り捨てるだろう。
物事が順調に進むにつれ、その考えが確信に変わりつつあった。
「援助を受けた分の借りは返したはずだし、この先のことを考えれば最良の選択をしたとは思っているんだ。だけど、正直に言えばすっきりしない」
「そう簡単に割り切れないのが人情ですよ」
状況を見れば最高と言える。領地を発展させるための人員や、商会を大量に呼び込めたことで急速に発展できたのは事実。
そしてこの先も王子の下に付き、ラグナ侯爵家と事を構えるよりは。侯爵家と手を組む方が安全なのは間違い無い。
王子たちからは何度も殺されてきたし、助ける義理もあまりない。
見捨てる理由を考えれば、いくらでも思いつく。
しかしアストリが言うように、区切りをつけることは難しい問題だ。
知り合いを切り捨てるのだから、罪悪感は確かに残っていた。
「まあ、悩んだところでどうしようもないんだけどさ」
これが普通の人生だったなら、そろそろ悩むのを終わらせることもできただろう。
しかし彼には過去に戻り、暗殺を防ぐという手段がある。
事件から半年近くが経ち。今になってもまだ、
その気になればできるとしても、利益のためにやらない。少なくとも、未来で彼らの助力が無ければ切り抜けられないような事件でも起きない限りは、下手に状況を変えて助けるべきではない。
王子が生存していれば、引き続き北侯とは敵対関係になるのだから。
自分でそう決断したことが、彼の抱える不快感の源泉だ。
しかし全ては領地のため、彼は自らの決断でその道を選んだ。
そんなことをアストリに話せるわけがない。
だからクレインも、本当の本音までは打ち明けなかった。
「……分かりました。今は、深くは聞きません」
「……そっか」
まだ何かあるだろうと察しつつ、アストリも深くは聞かない。
クレインの肩に頭を乗せて、前を向きながらこぼすだけだ。
「クレイン様。一度遊びに行きませんか?」
「遊び?」
「ええ。もうすぐ夏が終わりますから、その前にどこかへ」
思えば政務などに追われて、デートらしいこともしていない。
忙しくすれば多少の悩みなど忘れられると思い、オーバーワーク気味でもあった。
気を使ったところもあるだろうが、確かに夫婦らしいことを。若しくは恋人らしいことをしていい頃かもしれない。
そう思った彼は、アストリの頭を撫でながら言う。
「今からだと、避暑地へ行くにも時期が悪いから……川でレジャーでもいいかな?」
「ええ。生家の近くには海しかありませんでしたから。川遊びは初めてです」
ここで彼も気づいたが、アストリくらいの年代で遊びに使える娯楽施設は少ない。
更に言えば、領内で高貴なお嬢様を連れ歩けるデートスポットとなると、レストランなどの大人向け施設しか思い浮かばない。
「それは良かった。この辺りだと秋は山の行楽くらいしかできないし、他にも楽しめそうなものを作ろうかな」
「いいですね。そちらも楽しみにしています」
アストリが微笑み、釣られてクレインも笑う。
若者向けの娯楽も用意するべきだろう。何がいいか。
クレインは地区計画の一環として、仕事の延長線のようにも捉えているが。
しかし考えに暗さは無く、胸の内は少し軽くなったような気がしていた。
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