50回目 川遊び



 数日後。

 クレインはアストリや配下たちと共に、領地の西側を流れる川へ来ていた。


「クレイン様ー! どうですか、この水着!」

「ん? ああ、似合ってるぞ」


 大きな河川の傍らにビーチチェアのようなパラソルを差し。

 少し豪華なバーベキュー会場の横で、彼らは夏の終わりを楽しんでいる。


「えへへ。最近は忙しくて、使わないまま夏が終わるかと思いましたよ」


 マリーが着ているのは少しばかり露出の多い、ビキニタイプの水着だ。


 白地に赤やオレンジの糸が縫われ、花柄にしてあるもので。買ったはいいがクローゼットで眠らせていたものを、引っ張り出してきたものになる。


「忙しかった分、ボーナスは出したろ?」

「……お金よりも休暇が欲しいと思ったのは初めてでした」


 そう呟くマリーに対し、火起こしをしていたトレックも激しく同意する。

 勢いはそれほどでもないが。目を閉じて、何度も首を縦に振っている。


「はは……本業の他に顧問料やら手当やらは付きましたが。ええ、金より休みが欲しいと何度も思いましたとも」

「おいおい、商人が言うことじゃないだろ」

「商人の仕事だけならまだしも、今じゃ私も文官扱いですからね」


 そう言って肉を焼く準備をしている彼は、バーベキューの計画担当だ。

 今日飲み食いする食材の手配や下準備などの一切を取り仕切り、執事のような仕事をしていたため。


「トレック様、ワインを川で冷やしておきました」

「トレックさーん、警備の方のスケジュールなんですが……」


 メイドや使用人たちは屋敷の上役へ接するような態度で、トレックの元へ指示を聞きに来る有様だった。

 御用商が屋敷の人間に指示を出すことなどあり得ないが、これもいつものことだ。


 内政面での意見や実行、管理。

 ついでに文官や使用人への指示出し。

 戦では各種の軍需物資を補給。

 普段は他領から領内への物資流通を担う立場だ。


 彼の仕事は最早、オールマイティ過ぎて所属が分からなくなっていた。

 何でも卒なくこなす優男は、心なしか少しげっそりしている。


「あー、まあ。見習いたちにも仕事を振るからさ、秋まで頑張ってくれよ」

「どうせ手すきになったら、新しい仕事が入ると思うんですが」

「……それは否めない」


 何はともあれ、楽しい野外食事会の準備は滞りなく進んでいる。


 トレックは普段よりも幾分かラフな服装をしており。

 クレインの方もベージュのハーフパンツに七分丈の白シャツが一枚と、完全に夏の装いをしている。


 開放的な姿に似合わない、どんよりとした表情を浮かべるトレックから目を逸らし。

 クレインは空を見上げる。


「それにしても、今日は暖かくてよかったな。普通に真夏日だ」


 クレインは右手を挙げて、掌を太陽に透かしてみている。

 今日を楽しみにしていたのか、マリーも横で手を挙げてニコニコと笑っていた。


「ええ。水温もちょうどいいので、少し泳ぎませんか? あ、ポロりはナシですよ」

「うん。そこは期待してない」


 あっさりと流されたことが不満なのか、頬を膨らませるマリーの右頬をつつき。

 彼女をからかって遊んでいれば、何故かしな・・を作って離れた。


「ああもう。お触り禁止ですー。えっちな目で見るのもダメですー」

「アスティの前では言わないでくれよ? そういう際どい冗談」

「流石にそこまで命知らずじゃないです」


 アストリ本人が温厚だとして、付き人たちは生粋の使用人だ。

 主人に無礼があれば何らかの形で抗議があるか、落とし前を付けにくるだろう。


 むしろアースガルドの緩い雰囲気を改革しようと、マリーを皮切りにした綱紀粛正が起きかねない。

 その場合は恐らく、屋敷で留守番中のクラウスも全力で協力するだろう。


 最悪の場合は、クレインの再教育プランまで練られるかもしれないのだ。

 両者ともそんな事態は回避したいと思いつつ。


「お待たせしました」


 冗談を言って遊んでいれば、急遽建てられたログハウスで着替えを終えたアストリがやって来た。


「どうですか? クレイン様」

「え……ああ、とても似合うよ。うん、綺麗だ」

「……あ、ありがとうございます」


 彼女は白いワンピースに、つばの大きな麦わら帽子を被っている。

 避暑に来た名家のお嬢様そのままの恰好を見て、クレインも微笑む。


 そして普段と違う装いに、夫婦共に気恥ずかしそうにしている横では。


「私の時とリアクションが違いますけどー」

「私もそろそろ、嫁さんが欲しいですね。羨ましいですよ――ええ、本当に」


 マリーとトレックが少しばかり不満げな表情をしていた。


 陽のオーラと負のオーラが混じり合うバーベキュー会場付近がこの有様として。

 今日は護衛たちも交代で休暇を取る予定だ。


 既に思い思いに散っている家臣たちが、何をしているか。

 恥ずかしさを紛らわせがてら、クレインが目線を一周させてみれば。


「鍛錬あるのみだ! 水練をするぞッ!!」

「よくやるぜ、まったく。それじゃあ休暇にならんだろうに」


 何故か完全武装して、訓練する気満々の場違いなランドルフと。

 釣り人の恰好をして、それに呆れているグレアム。

 この二名がまず目についた。


 意地でも護衛に付こうとする者たちが何名かいたのだが、業務命令で無理やり休暇を取らせたところ。


 ランドルフは「これが俺の楽しみ方だ」と言わんばかりに。

 鎧を装着した上に、槍まで持って泳ぎ始めた。


 そして川の真ん中付近に立ち。

 水中から来る暗殺者が居れば串刺しにせんとばかりに、肩を怒らせて仁王立ちだ。


 水深がそれなりに深い位置で。肩から上だけを水面から出して、鬼の形相をしている男。

 それに付き従う数名の配下。


 とまあ、川の中央付近は異様な雰囲気だった。



 一方のグレアムは部下と共に遠くの岩場で釣りをするようなので、正しく楽しもうとしている。

 彼も武器は携帯しているし、上流で見回りがてらに釣りをする予定なのだが。流石にランドルフほど本格的な仕事モードではない。


 で、陸の方がどうかと言えば。


「某の番がきたら起こして下さい。……ああ、不届き者が現れたら自分で起きますのでご心配なく」

「私も……完全に離れる訳にも参りませんからね、本でも読んで待機しましょうか」


 少し離れたパラソルの下で昼寝を始めた、ビジネスカジュアルのような服装をしたピーター。


 上から下まで黒一色の、ジャージのように動きやすい恰好で椅子に座り。

 伝記物の書物を読み始めたマリウス。


 この二人はバーベキュー会場の脇で休んでいる。


 しかし休みつつも、二人の周囲は空間が歪むほど異様な雰囲気を放っていた。

 不穏な気配という面ではランドルフといい勝負だ。


 寝ながら警戒している凄腕剣士。

 諜報部をまとめる暗部の長。

 両名の周りは、自然と人が避けて通るようになっている。


 この二人はこの二人で場違いなのだが。常在戦場の心構えなので、身の安全という意味では頼もしい存在だ。


「まあ、ほどほどにしてほしいところではあるけど」


 そして川の対岸にはハンスや衛兵が見回りをして、警護の範囲は意外と広くなっている。

 少し物々しい雰囲気の中での行楽だ。


「うーん。去年までの川遊びとは大分違う気がするんだけど。楽しんでいると言えるのかな、これは」


 軽装とは言え、武官は各々が武器を携帯している。

 何かあれば総員がすぐ戦闘態勢に入れるし、ランドルフなどはもう完全武装状態でスタンバイ中だ。


 かくして様々な面で万全の態勢での休暇になっているのだが、何か違うのでは。

 と、クレインは微妙な表情をしていた。


「まあ、好きでやっているんですから、好きにやらせておけば満足じゃないです? 私は遊ばせてもらいますけど」

「マリーはブレないなぁ」


 マリーは特にはっちゃけているが、文官たちや使用人もそれなりに楽しんでいる。


 非番の者は川辺に足を浸したり、ボール遊びをしていたり。

 貴族のご一行とは思えないリラックスぶりだ。


 ここのところ誰も彼も忙しかったので、たまにはこれくらい緩くてもいいだろうと思うクレインは。

 視線をアストリに戻すと。自分たちは何をして遊ぶか、ふと考える。


「軽く泳ごうかとも思ったけど、そうだな……。アスティと一緒に釣りでもしようか」

「クレイン様。この下は水着ですので、泳げますよ? こう見えて泳ぎは得意です」


 そう言ってチラリとワンピースをはだけさせたアストリは、下にスクール水着のようなものを着ていた。

 貴族のお嬢様が、人前になるべく肌を晒さないようにと作られたものだ。


 しかしクレインは目の前の光景にときめくと共に、何となく背徳的なものを覚えて――


 ――ついでに、とある死因を思い出した。


「そ、それじゃあ泳ごうか。ランドルフの近くで、足が届くくらいのところに行こう」

「ええ、是非」


 妻の水着姿に興奮して死んだなど、末代までの恥だ。

 というか彼らの間に子がいないので、クレインが最悪の末代を迎えてしまう。


 屋外でだらしない顔をしていれば、妻はおろか周囲からの株も下がるだろうということで。

 色々な理由から煩悩を封印するべく、彼はポーカーフェイスを維持する。


「よし、女性の衛兵を周りにつけよう。呼ばせるから少し待っていてくれ」

「うふふ。ご配慮ありがとうございます」


 貴族的な意識が薄いアースガルドのやり方に合わせて、彼女も使用人や民に気安く接している。

 そのため庶民からの人気は高く、支持率で言えばほぼ百パーセントというところを維持していた。


 各々が自由に過ごしている川遊びの光景は、統治の縮図でもあるのだ。


 しかし男の兵士がアストリにデレデレすると、クレインとしてもイラつきはする。

 だからこれは気遣いからだけの処置でもなかったのだが、何はともあれ、ほどなくして数名の女性兵士が彼らの元へやってきた。


「さ、行きましょうクレイン様。マリーさんと……トレックさんもどうです?」


 アストリも垣根は低いほうで、良家のお嬢様ではあるが人懐っこい方ではあった。

 彼女は笑顔でクレインの手を引き、近くにいたマリーとトレックも誘う。


「はーい! 行きましょうクレイン様! アストリ様!」

「私はカナヅチなので、肉を焼いていますよ。皆様でどうぞ」


 何はともあれ、仕事中の者以外は思い思いに楽しませつつ。


 クレインは久しぶりの休暇として、水浴びとバーベキューを楽しんだ。


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