14回目 下準備
「ん? ああ、死んだのかな?」
クレインは目を覚ますと、調度品がしっかり消えていることを確認してから伸びをした。
問題は今日の日付が4月に戻っているかどうかだが、そこは恐らく大丈夫だと胸を撫でおろす。
「布団が冬物だし、8月でこの気温はない。成功したみたいだ」
着ている寝巻も冬物であり、4月に戻っていることは疑いようもない。
しかしクレインは冷静に状況を分析できていることに気づき、がっくりと肩を落とす。
「……死ぬのに慣れるのは嫌なんだけど」
直近2回は苦痛なく死んでいるものの、段々と命を投げ捨てるのが普通になってきている自分がいる。
このまま無事に平和が訪れてからも、平気で命を投げ捨てそうだとクレインは身震いをした。
「それにまた、死ぬ気で交渉しなきゃいけないし」
銀山を見つけて、王宮でそれを報告して、第一王子とのやり取りを潜り抜けて。領地を発展させつつ、またあの会合に辿り着く必要がある。
やることは分かり切っているが、しかしここで一つの問題が生じていた。
「もう道順はうろ覚えだ。下手にいじるわけにもいかないけど、どうするか」
4月に戻れるか否かという確認と、暗殺事件の犯人捜し。
両方に気が行った結果、会合を開くまでの道筋の精査を忘れていたのだ。
何度となく繰り返した、ここ数日をなぞるだけなら完璧にできそうだと思っているが、王子との交渉を終わらせてからの数か月は話が別だ。
「あの会合以外では、一度もやり直していないからな」
全てを同じようにできるかと聞かれたら、恐らく難しい。
そして前回の領地開発で上手くいかなかった政策を修正すれば、回り廻って会合では殺されない可能性も出てくるのだ。
何がどう影響するか分からない以上は、失敗も成功も踏襲する必要があるが、これは難度が高かった。
「まあ、大筋が一緒なら大丈夫だろう……多分」
既にリスタートしているのだから、今さら考えても仕方がないと彼は頭を切り換えた。
暗殺されなければ、もちろんそれに越したことはない。しかしもしも何も起きなければ、それはそれで裏切りそうな人間を抱えたまま進むことになる。
「できれば早いうちに犯人を特定したいところだが」
そうは言いつつ、前回は犯人の特定ができなかったことを思い出して、彼はまた凹む。
「……結局死んだしな」
最も動機がありそうな最大手と最弱の商会を除き、トレックから渡された胃薬にも手を付けなかった。
それでも死んだ。
容疑の一番濃そうなところから攻めたものの、結果としては全て空振りだ。
「だが、俺は諦めないぞ。絶対に犯人を炙り出してみせる」
まずは記憶が新しいうちに、前回やったことをメモに書き出さねば。
そう決意したクレインは、カーテンを開けて朝日に叫ぶ。
「やるぞ! きっと見つけてみせる!」
「……あの、クレイン様? 何を見つけるんですか?」
「えっ!?」
そして、やる気満々で空に宣言するクレインの背後には、ノックもせずに入ってきたメイドがいた。
朝日に吠える領主を見て、彼女はきょとんとした顔をしている。
「あ、ま、マリー。……夢、とか?」
「……クレイン様。私は応援していますよ」
そう言って、そっと扉を閉じ、彼女は出て行った。
見てはいけないものを見たような表情だったが、今回は勢いよく逃げて行かなかったので、クレインとしても追いかけられずに立ち尽くすだけだ。
「うおお……何だよ、夢って……!」
主人の、青春の恥ずかしい一ページを見てしまった。
というメイドの誤解を解けないままに、また一つ彼の黒歴史が増えることになった。
◇
「……なあ、ブリュンヒルデ」
「はい、閣下」
クレインは覚えている限りで前回と同じ道を辿り、ブリュンヒルデが秘書に就任するところまでは辿り着いた。
記憶を掘り返して、どうにか似た状況を作り出すことまでは成功したのだ。
彼女のことを最初はシグルーン卿と呼んでいたクレインだが、配下に対して遠慮し過ぎだと進言され、基本的には出向組のことを名前で呼ぶことになっていた。そんなところまで忠実に再現してある。
もちろん会話の内容に細かい違いはあれど、大体の部分は前回通りに進んでいるということだ。
「毒殺を防ぐ、いい方法はないかな?」
何とはなしに切り出したクレインだが、書類の決裁中に飛んできた話題としては変わり種だった。
どうしていきなり暗殺の話になるのかと、ブリュンヒルデはデスクから顔を上げて聞き返す。
「毒殺でございますか?」
「ああ、今まではそんなものと無縁だったが、これからは警戒する必要がある」
彼女と行動を共にするようになって1ヵ月が経ち、いくらか打ち解けたと思えるようになった頃。クレインは政務の合間を縫って、会合に向けて動き出すことにした。
第一王子の付き人をしているくらいなら、暗殺への対策には詳しいだろう。
そう思い尋ねてみたところ、彼女は思案顔になってから――すぐに提案を思いついた。
「そうですね……大抵の毒は銀食器で回避が可能です」
「なるほど銀食器か。そう言えば、そんな話を聞いたことがあった気がする」
毒殺など警戒したこともないクレインだが、高確率で一服盛られているのだ。銀の食器など屋敷には置いていないとしても、幸いにして銀自体は産出するようになっている。
材料を自前で用意できるのだから、あとは作るだけで済む。
「でも、うちの職人には食器の加工技術なんて無いからな……南伯にお願いしてみるか」
「遠い御親戚なのでしたか」
ブリュンヒルデから送られてくる視線を前に、クレインは心臓が飛び跳ねそうになった。
それは別に鋭い視線ではなく、ましてや殺気など感じられない穏やかな眼差しだ。
しかし人から向けられる感情に、敏感になっているクレインは――優しい瞳はそのままに――目の前の秘書から探りを入れる雰囲気が出たことを、微かに感じ取っていた。
「ああ、こちらとしては関係を望むべくもないと思っていたんだが、先代の南伯が、アースガルド家のことを気にかけてくださったようでね」
琴線に触れた部分はどこかと答えつつ考えてはみたが、視線の理由になどすぐに思い当たった。
第一王子の質問に「親戚付き合いは薄い」と言っておきながら、畑の賃貸借契約やその他の細々した取引は、領地の経済に大きく関わっている。
更に技術提供のお願いができるほどの関係があるのなら、王子に嘘を吐いたことになるのだ。
「この間、ご機嫌伺いの手紙を送ってみたら、予想よりも好感触だったんだ」
「左様でございますか」
前回の人生では、南方の大貴族であるヨトゥン伯爵家とは、冷害対策以外の関係を持たなかった。精々が日用品などの輸入と、持て余した資源を売却していた程度なので、特に問題視されなかったのだ。
しかし戦略資源の取り扱いに深く踏み込ませるとなれば、警戒されるのも当たり前だ。返答を間違えたら今夜にでも暗殺されるかと思いつつ、クレインは笑顔でお茶を濁していく。
「殿下から親戚付き合いは無いのかと聞かれた時に、今後は周りと良好な関係を築いた方がいいのかと思ってね。色々と手は打ってみたんだ」
「そうですね。今後のことも考えれば、友好的な関係の家は増やすべきです」
本格的に付き合いを増やせば、お嬢様との縁談が待っているだろう。だから大手商会を招き入れてからは、王都方面との取引をメインにしてきたのだ。
一応東方面にも手を広げてはいるが、主には王都の経済圏に入ろうとしている。しかし儲け話に全く噛ませないのも、親戚からの印象は悪いだろう。
バランスを取って、南との商売も増やすと言えば筋は通ると、クレインは何でもない風を装って答えた。
「商売一つでそこまで友誼を結べるとも思えないが、やっておくだけ損はないはずだ」
「ええ、良いことかと存じます」
内心では「セーフであってくれ。頼む。見逃してくれ」と大慌てのクレインだったが――どうにか秘書からの追及は
彼女は書類の処理へ集中し始めたので、クレインも技術指導員派遣のお願い、その手紙を書き上げていく。
「ヨトゥン伯爵領の特産品は農作物だが、職人への伝手はある程度持っているはずだ」
「左様でございますね」
むしろアースガルド家と付き合いのある家で、高い技術を持った集団との繋がりがありそうなのは、南伯しかいない。
考えが全く読めない第一王子を相手に借りを増やすわけにもいかないので、この選択は正しいはずだ。
余計な攻防を強いられたが、毒殺回避のための策を打つには必要なことだ。
心でそう念じて、クレインは己を納得させた。
しかし追及を避けられたものの、謎の緊張により彼の胃にはダメージが入っている。
最早相棒となりつつある胃薬に手を伸ばしながらも、彼は会談に向けた準備を整えていった。
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