２回目 夢なら夢で
「今日が王国暦５００年の４月ってことは……３年前に戻っているのか」
クレインは一度、自分が死んで領地が滅んだこと。それを現実として考えてみた。
そして新聞を見ると一面記事には、王都で起きた大事件の後始末が終わったと書かれている。
「そうか。そう言えば今は、
クレインが治めるアースガルド領は、
つまり新聞記事ですら最新情報ではなく、実際の日付と若干のタイムラグがあるのだ。
しかし正確な日付が分からなくとも、騒動そのものは彼も覚えていた。
「年初には王族を狙った毒殺事件が起こり、第二王子と第一王女、その他王家の傍系に当たる公爵家の人間が、一斉に殺害されたと」
首都で上を下への大騒ぎしていても、アースガルド領は平和なものだった。今のクレインもそうだが特に変わらない日々を過ごしている。
何にせよこの事件を知った
「これで事件が解決した――と思いきや、後にもう一波乱あるはずだ。具体的に何があったのかは知らないけど」
相変わらず遠いところで、雲の上の人たちが争っているな。
それくらいの感覚で、過去のクレインは気にも留めなかった事件だ。
王座を巡った争いとされる物騒な事件は、10年ほど前から折に触れて続いており、今に始まったことではないため、彼は完全に部外者の立場で眺めていた。
「古いところだと血の十日間事件とか、青い河事件とか。首都の方は色々と物騒だったみたいだし、近寄らなくて正解だよな……」
クレインは詳細を知れる立場ではなく、たとえ介入が可能な立場であっても、わざわざ巻き込まれにいくはずがなかった。
そのため知っているものは行商人からの噂話程度であり、詳細は分からないとしても、この毒殺事件がアースガルド領の滅亡に関係してくることを、今の彼は知っている。
「確か粛清された家が持つ土地や利権を、いくつかの家が吸収して。１年くらい経ってから問題が再燃するはずだ」
未来で知り得た情報を整理していくために、クレインは筆を執った。
「第一王子派から第二王子への攻撃かと思いきや、第一王子も毒を食らい、一時期は危篤になっていたらしい、っと。これは無差別テロだったのかな」
あわや王子たちが全滅という事態だが、やがて第一王子が回復したため、長らく続いた継承権争いは終わりを迎えた。しかし暗殺に関連した問題はまだ続く。
権力争いに決着がついたため、王族暗殺の主犯と思しきグループから財産を没収したついでに――元、第二王子派閥に所属していた家の財産まで奪い取ってしまったのだ。
結果として、最後には内乱まで計画されることになる。
「その計画が発覚してから、二度目の粛清が起きて。いくつかの家が更に勢力を伸ばすと――最後にはあの日に繋がっていく」
目下最大の懸念であるラグナ侯爵家は、どちらの粛清でも大幅に勢力を伸ばしていた。彼らの敵対勢力が次々と没落していき、貴族の領地や商人の利権を丸ごと呑み込んでいったからだ。
「まあ、そんな陰謀に敢えて触れることはないとして」
ラグナ侯爵家の他にも、粛清や内乱で明らかに得をしている家がいくつかあり、全く政治に明るくないクレインでも分かるくらいに、あからさまな陰謀の臭いがしている。
しかしそれに首を突っ込んでどうこうする気は、彼にはさらさらない。
大事なのはあくまで、自分の領地のことだけだ。
「王都のことに興味はないとして。基本方針は、そうだな……」
クレインは考えを書き出していき、数分して方針が定まる。
箇条書きにされた目標は、当たり前とも言えるシンプルなものだ。
「俺は死なない。領民の皆殺しを防ぐ。領地を滅亡させない。大まかな方針はこの辺りかな」
４つめの目標に、ラグナ侯爵を倒す――と書き加えようとしたが、それには二重線が引かれた。
現時点でも総兵力に数十倍の差があり、３年後にはその差が更に広がっている。領地の生産力にも同程度の差があるので、仕返しは現実的に難しいという結論だ。
そのため大まかには、誰も死なずに済む幸せな未来を掴もう。という方針を立ててはみたが、彼我の差を改めて思い浮かべたクレインは渋い顔をした。
「いや、しかしこれは、もう詰んでいるような……？」
子爵家と侯爵家では地力の差があり過ぎる。クレインが多少内政を頑張ったところで、ラグナ侯爵家に勝てる未来はおろか、足止めできる未来すら見えなかった。
商業力や農業生産高に、兵力と身分。勝てる項目など何一つ思い浮かばない有様だ。
「かと言って何もしなければ、滅亡待ったなしの状況ではある。どうしたものか」
打開策が見えずに、クレインはひとしきり悩んだ。数十分ほど思案を続けて、机の前でああだこうだと唸ってはみたが、しかし一向に名案など浮かばない。
「どう考えても、厳しい状況なんだよな……ん？」
考えが停滞しているうちに昼時となったが、ここでふと、表から笑い声が届いた。
彼が気分転換に窓の外を覗いてみると、表ではマリーの他数名の使用人が庭で洗濯をしている。
「ちょ、ちょっとトムさーん！ 止めてくださいよー！」
「ははは、マリーは懐かれとるなぁ」
「わ、笑いごとじゃ……あー！ やめてぇ！」
行商人のトム爺さんが、メイドの一人と世間話をしている隙に、彼の馬がマリーの頭を鼻でつついて遊び始めた。
小柄なマリーは鼻先で押される度に、身体を大きく揺らして困っている。
「……平和だな」
王都の貴族であれば、この光景を見れば使用人のクビを切りそうなものだ。しかし領土の南側を未踏の大森林で囲まれた、田舎の雰囲気に溢れるアースガルド領では普通の光景だった。
歴代の領主からしてのんびり屋が多く、使用人ともフレンドリーで気安い貴族が治める土地柄だった。
「そういやマリー。またつまみ食いで怒られたらしいなぁ」
「な、なんのことでしょう？ つまみ食いなんてしてませんよぉ」
クレインは別につまみ食いなど咎めない。洗濯中に世間話をしていても気にしない。
子爵家の中で礼儀にうるさいのは、執事のノルベルトくらいだ。
「はぁ……ほどほどにせんと太るぞ」
「失礼な！
表から聞こえて来る会話も、流れている空気も平和そのものだ。
それに釣られて、彼は思わず笑ってしまった。
「マリーも
３年後に領地が滅ぼされるなどとは誰も、夢にも思っていない。何らかの手を打てるのは自分だけだ。
それを再確認したクレインは大きく伸びをして、もう一度机に向かう。
「さて、どうするか」
突然の戦争に巻き込まれて、記憶が飛び飛びになるほど凄惨な光景を見てきた。
そんなクレインも庭先のやり取りを見て、ようやく本当の意味で日常に戻ってきている。
「これが夢なら夢でもいいさ。
多少なり穏やかな気分になったことで雑念が抜け、頭が先ほどよりもアイデアが出るようになった。
その後数分して、彼は名案を思い付いたとばかりに手を打つ。
「そうだ、結婚しよう」
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