初回 領地滅亡



「とりあえずは、そうだな……身に覚えがないことを王宮に訴えよう」


 彼が選んだのは普通の解決法だ。味方の貴族が勝手に争うことは国が禁止している。


 アースガルド子爵家からラグナ侯爵家に対して、実際には何もしていないのだから、法務官が買収でもされていない限り勝訴は確実と言えた。


「そうだ。まずは手紙の返信。それで時間を稼いで、その間に裁判の用意だ」


 味方が争っても良いことなど何一つないのだ。王宮が間に入れば、流石に兵を退かせるだろう。

 それは極めて常識的な判断だった。


「……あの、クレイン様」


 普通でまともなやり方を選んだクレインだが、一方で執事の顔は急激に青ざめた。


「心配するな。正義はこちらにあるのだから、法廷で勝訴をもぎ取ってきてやろう」

「違います、何と申し上げればいいか……」


 クレインもそれなりに由緒ある家の御曹司であり、それなりに高水準な教育を受けている。


 その中から法律知識を総動員し、王宮に訴えるための算段を整え始めた領主の横で――執事は西の方角にある山の頂を指して言う。


「あれは、軍勢では?」

「は?」


 一拍遅れてクレインが振り向けば、山の向こうからぞろぞろと、大軍が行進してくる光景が見えた。

 それは一直線に、迷わずにアースガルド領の本拠地――領都に向かってきている。


「クレイン様ぁぁああ! 大変です!」


 彼らが敵軍を視認するのとほぼ同時に、衛兵隊長のハンスが屋敷の庭に転がり込むように乱入した。

 クレインの前に平伏してからすぐに、彼は悲報を叫ぶ。


「軍勢が攻めてきました! 既に開戦の狼煙が上がり――報告によれば、数は3万ほどです!」

「はぁ!? さ、3万!?」


 クレインが全力で兵を集めたとしても、集まるのは2000か、3000がいいところなのだ。これはどう考えても、しがない子爵家に対して投入する兵力ではない。


 ケチな小競り合いをするつもりなど一切なし。一族郎党まとめて滅ぼしてやろう。そんな意図が透けて見えるほどの数だった。


「しかも奇襲戦争か!」

「……残念ながら」


 通常であれば事前に話し合いが行われる。戦場をどこにするか、何日に開戦するか、どこで手打ちにするかなど、ある程度の台本を用意するのだ。


 味方が本気で殺し合えば笑い話にもならないため、小競り合いで終わる場合がほとんどであり、戦地から民間人を逃がす時間も設けられる――はずだった。


 しかし彼らが宣戦布告の手紙を受け取ってからは、まだ10分も経っていない。


「順当に考えれば、使者の到着が遅れたと見るべきだよな?」

「あの、いえ。ここまで準備万端ならば、意図的では」


 クレインたちはぼんやりと、そんなことを考えていた。

 しかし敵はもう動き出しているのだから、ハンスは叫ぶ。


「防戦は無理です! すぐにお逃げください!」

「使者を送ったところで無駄だろうな。……ここは逃げるしかないか」


 既に軍事行動を起こしているのだから、今さら平和的な話合いなど無理だ。

 そう判断したクレインは、馬を繋いである厩舎に向けて走り出した。


「冗談じゃないぞ、くそっ!」


 大した理由も無く国内に軍を送るなど、場合によってはお家取り潰しになるレベルの大罪だ。ラグナ侯爵家は戦争の決まり事も無視しており、違法な戦争を仕掛けてもいる。


 しかし被害者が全員・・亡くなっていれば、深く追及はされないだろう。


「開戦の通知は送ったのに、アースガルド家は防衛の準備をしていなかった。そのため勢い余って滅ぼしてしまった」


 そんな弁明をしたとしても、反論する相手が墓の下なら、王宮に罰金を払って終わりになりかねない。


 ――死人に口なし。


 その状況を作るために、少なくともこの街の人間は一人残らず抹殺されるだろう。

 クレインにも、これからの展開は容易に想像がついた。


「こんなことが……許されるのか」


 呆然とする彼らの前に、雪崩のように押し寄せて来る敵軍。それは平和な街を蹂躙して、あっという間に全てを呑み込んでいった。





 王国暦503年4月1日。


 この日アースガルド領は、奇襲戦争によって滅びた。


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