第7話 祭りのあと

 雨は一晩中降り続けたが、朝には晴れ上がり、穏やかな秋晴れの空となった。

 しかし美香の心境は穏やかとはほど遠く、様々な疑問が浮かんで、頭の中をぐるぐるしていた。

 何かが、つかめそうで、つかめない。そんなもどかしい感覚だった。

 ただ一つ言えること、それは、今日行う文化祭での劇がたとえ成功しても、晴れやかな気持ちには到底なれっこない、ということだった。


 完全に寝不足の状態で、のそのそ歩いていると、

「おい」

 美香にとっては地獄からの死者のような声が、背後から聞こえた。

 そうだった。

 数ある「嫌な予感」のひとつ、高橋少年の存在だった。

 美香が恐る恐る振り向くと、案の定、彼がスカジャンを両手に突っ込んで立っている。

「またなんかあったみたいだな」

「……!」

 そうだった。

 一昨日、紀子先輩の事故があった日の夜、校門の外で彼を見た。

 あまりにもタイミング良く。

 あなたの仕業じゃないの、と聞きかけてやめた。

 図星だった時の結末が怖い。

「また……誰かに何かあったのか?」

 ——白々しい…。

 美香は心の中でフンと鼻をならした。

 しかし表向きはしおらしく、話をそらした。

「今日、文化祭なのよ」

「それがどうしたんだよ」

「雅美先輩が出るはずだったの、劇」

 少年がピクンと反応して顔を上げた。

「14時から体育館でやるから、よかったら来てみてよ」

「なんで俺がそんな劇なんか……」

「雅美先輩が、命がけでやろうとしていたことよ」

 身重の体で、つわりに苦しんでも、劇に取り組んでいた。

「きっとこれが最後だって思っていたんじゃないかな」

 妊娠していると分かったうえで、それでも中絶をしていなかったということは。

 沈痛な面持ちで立ち尽くしている少年を置いて、美香はその場を離れた。


 朋美が、舞台の袖からそうっと客席を除いた。

「どう……?」

「来てる来てる。たくさん!」

 嬉しいんだか困っているんだか分からない調子で、朋美が言った。

 名もなき通行人の役ではあるが、朋美も美香もすでに村娘の衣装に着替え、スタンバイしている。

 玲子もすでにお姫様の格好をして立っている。

 ついこの間までは王子の姿をしていたので、身近で見ていた者にとってはギャップがすごいが、メイクも髪型もがらりと変えると、なかなかに美しく変身していた。

 急遽老け気味の王子役となった顧問の厚木も、朋美たち衣装担当が急ごしらえした衣装を何とか着こなしている。

 普段から練習にはついていたのでセリフも動作もほぼ問題なかった。

 もともと王子役の登場は後半からで、メインは姫との結婚式の場面である。


 館内が暗くなり、アナウンスが入った。

 いよいよ幕が上がる。


 美香たちは場面の必要に応じて舞台に出たり入ったりを繰り返していた。

 セリフはないので、中央で演技をしている者たちの後ろを何気なく行きかったりするだけである。

 時折、高橋が来ているか、ちらりと客席のほうを見るが、暗くなっているため何も分からなかった。


 まったく不可解な出来事が続いている、と舞台背景である農家の前を歩きながら考え事をする。

 そして何ひとつ解決していない。

 それとも、問題だと騒ぎ立てているのは美香たちや高橋だけで、警察や学校や世間は、もう単なる事故や自殺として、出来事を風化させているのでないか。

 もしそうなら。

 単なる高校生である美香たちにできることなど、ほとんど何もない。

 真相は、永遠に闇の中だ…

 美香は暗雲たる気持ちに襲われた。

 舞台の端まで来て、そのままそでに引っ込んで次の出番に向けて待機する。

 その時、美香の肩を玲子がそっと叩いた。

 見ると、口に人差し指を当てている。

 美香は黙って、玲子に頷いた。

 玲子は指でこっちに来て、と合図した。

「——どうしたの?」

 舞台を降りて、辺りに人がいない空間に来た時、小さな声で言った。

 朋美もそこにいた。

 玲子がすでに連れてきて、待たせていたらしい。

「今日、あんまり朝話す時間がなかったから今言うけど」

 そうだった。

 例によって、美香は集合時間より少し遅れたし、玲子も今日は一足先に登校していたので、今朝は待ち合わせで行っていなかった。

「昨日、ちょっと考えてたの、事件のこと」

「事件……どっちの?」

「どっちもよ」

「えぇ?」

 朋美が声を上げそうになり、あわてて両手で口を押えた。

「2つのこの事件は、無関係じゃないと思う」

「やっぱり事件なの?事故じゃなくて」

「事故なんかじゃない。ましては自殺なんかではないと思うわ。雅美先輩も、紀子先輩も、今日のこの劇を演じることに熱心だったでしょ」

「そ、それはそうだけど……」

 美香自身、これは事件だと決めてかかっていたくせに、いざ他の者の口からはっきり言われてしまうと、そうであってほしくない、という気持ちが勝ってしまい、認めたくなくなっていた。

「それでね」

 普段はクールな玲子が、珍しく熱心に身を乗り出して続ける。

「ちょっと試したいことがあるの」

「え…?」

 昨日感じた嫌な予感というやつを再び感じて、美香は眉をひそめた。


 劇は終盤を迎えていた。

 ついにお姫様と王子が、数々の障害を乗り越えて、晴れて結婚式を迎える。

 厚木も、なかなか白熱した演技を見せていた。

 当初、厚木が王子の扮装をして皆の前に登場したときは、客席から笑い声や、教師の名を呼び歓声が上がったりしていたが、物語が進むにつれ、皆それなりにまじめに観劇するようになった。

 結婚式の場面である。

 村人や城の人間に囲まれ、祝福され、二人の結婚式が晴れやかに行われている。

 牧師役の者について誓いの言葉を言い、玲子演じる姫が感激のあまり顔を両手にうずめている。

 皆がほほえましくその場を見守っていた。

 王子役の厚木が、姫を抱きしめようと、近づいた。

 玲子が顔を上げた。

「ひっ」

 厚木の顔が恐怖で歪んだ。

 玲子は客席を背にして立っているので、顔は他の生徒たちには見えなかった。

 しかし舞台側、村人などの役をしていた他の部員たちは、玲子の顔を見て悲鳴を上げた。

 美香も朋美もしっかりその場にいて、玲子の姿を見ていたが、さすがに息をのんだ。

 玲子の顔には、べったりと血が付いていた。

 厚木は、もうすでにがくがくと震えていた。

「……先生、どうして…?わたし、信じていたのに……」

 さきほどまで可憐な声で話していいた玲子が、一転して低い声で呟くように言った。

「な、何を言ってる…?わ、悪ふざけはやめろ……!」

「先生のこと、愛していたのに……あんなこと、するなんて……」

 玲子が低い声でゆらりと厚木に近づく。

 気の弱い厚木は、現実と幻の区別もつかずに、激しく首を振った。

 身体を震わせ後ずさりをし、うわごとのように言った。

「し、仕方なかったんだ、お、お前が産みたいなんて言うから……俺は、やめろと言ったのに!!」

「だからって、わたしを殺すなんて、ひどい……!」

「や、やめろー!来るなぁぁー!!」

 後ずさった厚木がつまずいて尻もちをついた。

 すかさず美香と朋美が抑えにかかる。

 厚木が腹を下にしてうずくまったところを、ドレスを膝までたくしあげた玲子がハイヒールで背中を踏みつけた。

「観念しなさい!」

「……」

 厚木は悔しそうな表情ではいつくばっていた。


「なに……これ、ロマンチックな話だと思っていたのに、コメディだったの…?」

 客席がザワザワしている。

 一件落着とばかりに美香たちが厚木の両腕をつかんで立たそうとすると、突然、

「うわぁー!」

 いきなり腕を振り払い、舞台袖の階段から客席に駆け下りた。

 他の生徒たちは何が起こっているのかまるで分からず、ポカンとしてなりゆきを見守っている。

「誰か!先生をつかまえて!」

 玲子が大声で叫ぶが、皆あんぐりと口を開けて座っているばかりだった。

 厚木がもう少しで体育館の入り口から逃げ出そうとするところを、いきなり横から何者かがタックルした。

 二人が組み合わさって倒れる。

「離せ、離せぇー!」

「そうはいくかよ!!」

 厚木を止めたのは、高橋だった。

「あんた、来てたの!」

 バタバタと追いついた美香が驚いて言った。

「ああ。まさかこの手で雅美を殺した相手を捕まえられるとはな」

「やっぱり来てよかったでしょ」

 すっかり打ち解けた様子で見知らぬ少年と話をしている美香を、玲子たちが不思議そうに見守っていた…。


 帰宅途中にある公園で、美香たちは道草をしていた。

 アイスを手に、ユラユラとブランコに座っている。

 文化祭が無事(?)に終わって、一週間。

 学園内はすっかり落ち着いた雰囲気を取り戻していた。

 しかし思いがけず美香たちが披露した大捕り物は、まだまだ生徒たちの間で語り草になりそうだった。

 すべての真相が明らかになった翌日の学園内では衝撃が走った。

 生徒たちの精神的なショックを考慮するというのを表向きの理由にして、学園はその後三日間を特別休校にした。

 実際は顧問の厚木に関する後処理や、二名もの死者を出したことを厳しく糾弾する世間や教育委員会に対する対応に費やした。

 そういう大人の事情はともかくとして、美香たちは、犯人が見つかり、捕まってよかったと安堵した。

 それが先輩たちへの何よりの供養になると思っていた。

「玲子はさ、いつ厚木先生が犯人だと分かったの」

 アイスを食べ終わり、棒を口にくわえたままの美香が聞いた。

「確信したわけじゃないのよ。いろいろ考えていったら、厚木先生が怪しいなって思ったの」

「えぇ?確信なかったのにあんなことしちゃったのぉ?」

 朋美が驚いた。

 あの時、劇も中盤に差し掛かったところ、玲子によって美香と朋美は緊急招集がかけられた。

 そして玲子が一晩考えた「作戦」の話を聞き、半信半疑ながらも、実行するに至ったのである。

 小道具の血のりを服の袖の手首に仕込み、タイミングを見計らって顔に塗り付けた。

 結果は、吉と出た。

 気の弱い厚木は恐れおののき、雅美の霊が玲子にのりうつったのだと思ったらしい。

 逃走しようとしたが失敗、あえなく逮捕となった。

 その後自らの罪を認め、二人の生徒を殺害したと自供した。

 そこからはもう学園中大騒ぎである。

 なぜか、美香たち三人は再び学長室に呼び出され、こっぴどく叱られた。

 なんの処分も受けなかったのが不思議なくらいであるが、美香たちにしてみれば、犯人を挙げることに協力したのに、なぜ咎められるのか納得いかない。

 いわく「生徒の分際で…」だの「警察に何も話さず、自分たちだけで解決しようとするなど…」だの。

 オトナの彼らからしたら、まだ子供(だと思っている)の自分たちに先を越されたのが悔しかったのか。

「まぁ…それもあるだろうけど、単純に危険だったからじゃない?厚木先生が逆上したりして、わたし達に向かって来てたらケガさせられたりしていたかも知れないんだし…」

「でもどうして、玲子は先生が犯人だってわかったの」

「最初に違和感を持ったのは、合宿所で、雅美先輩が消えた日の朝よ」

 玲子が記憶をたどるように目を上げた。

「わたし達で、厚木先生を呼びに行ったでしょ」

 扉を開けた厚木があくびをしながら出てきた。

 その時はいていたズボンの裾が、布の色が濃くなって湿っていたように見えた。

 それまでベッドで寝ていたのなら、ズボンが濡れるはずがない。

「ええ?玲子、そんなこと一言も…」

「何気なく、ふと目に留まっただけだったの。あんまりにも小さなことだったからその時は気にしなくて…」

 当時は、それよりも雅美先輩の失踪のほうにすぐに意識がいった。

「でも、後から、朋美がプールで濡れたり、美香が雨に濡れたりするのを見て…あれ?ってなって、だんだん違和感が大きくなってきて」

 何だか自分たちがいつも水浸しみたいじゃないかと、美香と朋美は複雑な顔で互いを見た。

「それと、傘ね」

 倒れていた雅美先輩の側に傘がなかった。

 だからやはり当時の朝は雅美に連れがいたのだと思った。

「でも…それだけじゃ厚木先生が犯人だとは…」

「紀子先輩が屋上へ行った時、誰かに会う様子だって言ってたでしょ」

 朋美がうなずいた。

「劇のことでって言ってたから…他のみんなは帰ってたし、だからてっきり玲子のことだと…」

「あの時間帯、他の演劇部のみんなは片づけを終えて、とっくに帰っていた。あたし達以外で、劇に関わってる人間と言えば」

「厚木先生…」

 玲子が頷いた。

 なぜ紀子まで殺したのか。

 厚木の自供によると、あの日の朝、紀子は連れだって崖の方へ歩いていく厚木と雅美を偶然部屋の窓から見ていたのだという。

 その時はさして疑問に思わなかったが、後になり、雅美の事件になり、思い当たったらしい。

 そして、厚木を脅迫してきた。

 既婚で子供もいる厚木に、金銭や服などの要求をした挙句、志望大学への内申書を改ざんするように言われたらしい。

 その事実を学長室で聞き、美香たちは絶句した。

 このことは、犯人の検挙に功労したということで密かに教えてもらったのである。

 もちろん他の生徒たちには固く口止めされている。

「はあ…だけど、雅美先輩が厚木先生の愛人だったなんてねぇ…」

 朋美が何とも言えない表情で空を見上げ、ブランコを揺らした。

 あんな男の子供でも、雅美は産もうとしていたのか。

 しかし厚木はお腹に芽生えた小さな命ごと、雅美を死に追いやったのだ。

 あんな気弱そうな厚木が…生徒と不倫だなんて。

 人は見かけによらないものだ。

 あの高橋っていう人だって、最初は得体のしれない男の子で怖かったけど、でも…

「あ!そういえば美香、あの男の子とはどういう関係だったの!?」

 美香はビクッとして身構えた。

 まさに今、その子のことを考えていたのだから。

 玲子と朋美は、あの少年と美香の関係について誤解しているらしく、ニヤニヤしてこちらを見ている。

 美香はため息をついて、合宿所で少年を見かけたいきさつから、始業式の朝に拉致(?)されたことなどを話して聞かせた。

「えーっ!じゃあ雅美先輩、二股かけてたってわけぇ?」

 朋美が声を上げてから、周囲で遊んでいる子供たちとその母親たちの存在に気づいて、あわてて口を押えた。

「いちおう、厚木先生とそういう仲になってからは、高橋って子とは別れようとしていたみたい。でもその子のほうが雅美先輩のことを忘れられなくて…」

「モテる人はとことんモテるのねぇ…」

 と、朋美はうらやましそうにため息をついた。

「…でも、ちょっといいなって思ってたんでしょ、美香も。あの高橋って人のこと」

 玲子がニヤニヤしながら美香を見た。

「な、なに言ってるの。そんなことあるわけないでしょ!」

 分かりやすく顔を赤くし、ブランコから立ち上がった。

 事件の後、久しぶりに昨日会った彼の顔を思い浮かべた。

 例によって朝の登校中に美香の前に現れ、警察に追われなくなったどころか、犯人逮捕に協力したと感謝されたと苦笑いしていた。

 確かに、体育館から逃走しようとしていた厚木を体を張って止めたのは、高橋だった。

「ありがとな」

 高橋は照れくさそうに礼を言った。

「あんたのおかげだよ、何もかも…」

 ふと、顔が熱くなるのを美香は感じたが、いつものように、

「わ、わたしはただ、雅美先輩のためにやっただけだから」

 とそっぽ向いた。

「ああ…そうだな」

 笑いながら、高橋は手を振って行ってしまった。

 いつもは自分が彼から逃げるように立ち去っていたのに…美香は高橋の後ろ姿を複雑な気持ちで見送っていた。

「お、男なんて、なんぼのもんだっていうのよ!」

 高橋の姿をむりやり振り切るように、美香がこぶしを上げた。

「わたしには友情がある!演劇がある!お、男なんていらないんだから!」

「え~あたしはカッコいい男の子がいたら、付き合いたいなぁ~」

「美香って、そんなに演劇にのめり込んでたっけ?」

 玲子が冷静に問いただした。

「い、いいじゃないそんなこと今は!それより中間試験がもうすぐあるんだから、早く帰って勉強しなくちゃ!」

「え~?美香って、そんなテスト結果とか気にするタイプだったっけ…」

 朋美も冷静に突っ込んだ。

「あーもううるさいうるさい!!」

 逃げるように足早に歩き出す美香を、玲子と朋美が笑いながら後を追う。


 秋の風が爽やかに吹き、三人はワイワイ言いながら公園を後にしたのだった。

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謎解きは舞台の上で 綾波 碧 @greenfiona

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