別れ

「……………」


安い木で造られた薄暗い天井。

大きな影を作ってゆらゆらと揺れる蝋燭。

外から聞こえる鬱陶しいくらいの強い雨の音。


「あっ、起きたんですね」


男が目を開けたそこには、先程死守した人間が居た。

どうやら次は自分が助けられたらしい。

男は溜息をついてその人間の方に目をやるとその手は真っ赤になっていた。


「……手を温めろ」


「こんな時まで人の心配をするんですね」


少年は男の命令を無視してタオルを冷水に浸けた。


「食料も荒らされてて底を尽きそうだし街どころかどこもかしこももう全壊でこれくらいしか出来ないですけど……」


少年がタオルを絞りながらそう言うと男は唇をう強く噛みながら窓の外を見ていた。

男のその顔は悔しそうにも、苛立っているようにも見えた。


「すまない」


男の口から出た言葉はそれだけだった。

少年は彼のその言葉に過剰に反応する。


「どうしてあなたが謝るんですか。あなたは俺を守ってくれた。悪いのは全部あの魔女でしょう!」


だが、昂った少年とは逆に男の反応は冷ややかなものだった。


「……そうかもな。どちらにしてもあいつを殺さなきゃこの世界は元には戻らない」


男は包帯巻きにされた身体をゆっくりと起こしてハンガーにかけてあった上着を取った。


「待ってください、まだ傷は……」


「悪いな……戻さなきゃいけないのはこの世界だけじゃないんだ」


男は目のつり上がった細い目を窓の外にやってそう言った時、少年はその言葉に強く引っかかった。


「この世界だけじゃないってどういう事ですか……?」


男は口を滑らせた、と言った具合に軽く舌打ちをした後に溜息を着いたが、男のその反応で少年は確信を得た。


「霧の森の奥はやっぱり……」


少年は空虚に包まれた街を窓から見渡してから決意の目を男に向ける。


「僕も連れていってください! あの魔女だけは僕の手で……!」


街を壊され家族も友人も失くし平穏を一瞬にして奪われた少年に残されたものは復讐だけだった。

自分になんの力も無いのは分かっていたが、せめてあの憎たらしい程美しい顔に拳のひとつでも入れなければ死んでも死にきれない。


男は少年の訴えに仕方が無いと口から零して少年を自分の元に手招きした。


「ついてこい、どうせこの世界にいても餓死するだけだからな……」


今この世界には自分たちを除いた人間はおろか動物すら存在しているかは分からない。先の襲撃はそれほど激しいものだった。


少年の期待と不安が入り混ざった心臓は魔女との対峙にも等いくら位に早く波打っていた。


「ところでお前、名前は?」


男がそう聞くと緊張していた少年は声を大きくして答えた。


「ニコラスです! ニコラス・ヴォルファーマンです」


「そうか、俺は……エーミールだ」


エーミールは少し怪訝そうな表情を浮かべてからそう言った。


ニコラスは魔女にその名で呼ばれていた事を確かに覚えていたが敢えてその事は口にはしなかった。


エーミールと霧の森まで歩き、霧に入ろうとした時、エーミールは足を止めてニコラスを見た。


「一つ言い忘れていた」


エーミールはニコラスの前に立ったまま振り返らずに問うた。


「ここを出れば恐らく二度と戻れない。たとえ絶望の魔女を倒したとしても、だ」


「えっ……」


その事実にニコラスは少し拍子を突かれた声を出す。

ニコラスは後ろを振り向き、暫く町を見た。

恐らく破壊されたのは視界に入るだけのこの町だけでは無いのだろうと、ニコラスは分かっていた。


記憶は思い起こさなかった。

静かに目を瞑ってから霧の方に身体を直し、目を開いてエーミールを見た。


「構いません。僕の命はあの魔女を殺すために使う」


それを聞いたエーミールは大きく溜息をついてニコラスから目線を逸らした。


「そうか、じゃあ来い」


「はい」


そして2人はこの誰も居なくなった静けさだけが居座る世界に別れを告げて、ゆっくりと霧の中に消えていった。

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