6 ヒトの不幸は蜜の味
リリィが出発の準備を指示するように言ってから、ものの十分ほどでセイラーズ商会の商隊はゴールドフィール領へと移動を始めた。
アリシアを乗せた大馬車一台と、商品を乗せた中馬車が十台。それに商会の護衛隊七十名から成る大商隊である。
この一度の商いでどれほどの利益を叩き出すというのか。その一部が税として納められるのかと思うと、領主代理としてはつい頬がホクホク手をもみもみしてしまうというものだった。
「クリスティアーノ様、良いお茶を手に入れましたの。お願いできるかしら」
お願いできるかしら、は、お茶を入れろや、という意味である。
義明の世界の男の感覚だとカチンと来るだろうが、この国では元々そういった女性の身の回りの世話は男の役目というのが一般的である。
料理や掃除、お茶を入れる、といった雑事は男がやるもの、というのが常識的な認識なのである。
王族や貴族は平民とは違って料理や掃除を使用人にやらせるものだが、お茶を入れたりするのは一般的な習いとして王子の俺も学ばされていたりする。
アリシアの機嫌を取るためならお茶くらい喜んで入れてやるってものである。
「それにしてもこの大きな馬車はいつ造ったんだ? 以前会ったときは商隊で使っている中型の馬車に乗っていたはずだったと思うのだが」
「ええ。完成したのはつい先日ですわ。ラクシィがこれでもかと機能を詰め込んだものだから予想以上に時間とお金がかかってしまいましたわ」
ラクシィが手を入れて予想以上にお金がかかった、って値段を聞くのが怖すぎる。
いや、それよりも今値段より気になることを言ったぞ?
「ラクシィが機能を詰め込んだって……もしかして全く揺れないこの感じはあの魔道具のせいか?」
「ええ。この馬車にもついていますわね。おかげで全く揺れもなく自室にいるかのように快適でしょう?」
「いやいや、大丈夫なのか? 一つ間違えば大事故だぞ?」
「ふふ、心配ご無用ですわ。安全にはきちんと気を配っておりますわ」
まぁそれはそうだよな。大商人アリシア・クールウェアーに事故など起こさせることを周りが許すわけがない。彼女の命には商会の命運が乗っかっているのだから。
「もっとも、魔道具の安全性はクリスティアーノ様のご意見頼りだったのですけど」
「ぜんぜん気を配ってないじゃないかっ」
彼女は自分の命がどれほど重いものなのか知らないのだろうか。
彼女が死ねば商会は潰れ、関連の商会や商人もドミノ倒しで倒れ、ゴールドフィール領も混乱して荒れることになるだろう。
混乱はゴールドフィール領だけでは止まらず、国中に広がり、国の経済が一時ストップする、なんてところまで行ってしまう可能性すらあった。
さすがにそんなことになる前に誰かが何とかするだろうが、それくらい影響力のある人物なのだった。そりゃ王子だって靴くらい舐めますわ。
「冗談ですわ。本当にクリスティアーノ様は打てば響く鐘のようで素晴らしいですわね」
「………」
「あら、冗談を言ったのに笑い声が聞こえませんわ? 先日とあるお方から本拠を移さないかとお話が……」
「あっはっは。アリシア、そんな冗談を言って私を怖がらすなんてひどいぞお」
「ふふ、申し訳ありませんね。馬車に危険はございませんから心配なさらないでくださいませ」
これが資本主義の恐ろしさか。領主代理ったって結局は金の奴隷さ。金を持ってるやつには逆らえないんだよ。ふふふ。
そんな感じで道化王子してると、馬車内にオレンジっぽい爽やかな香りが広がった。
金持ちが良いお茶と言うだけあって、香りだけでも楽しませてくれる一品のようだ。
手早くカップにお茶を注ぐと、白い陶器に鮮やかなオレンジが色を付ける。
香り良し、見た目良し。おそらく味も良いのだろう。
「リリィさん、ラクシィにも持って行って差し上げて。それとそのままリリィさんもゆっくりなさってかまいませんわ」
「かしこまりました。それでは少し休ませていただきます」
リリィはカップを二つ持って、カーテンの向こうへと行ってしまった。
アリシアと二人きりになり、貞操の危機(俺の)、……ということはもちろんない。
いや、アリシアがその気になれば俺に拒否はできないのだが、さすがにそんなことにはならなかった。
アリシアは香り、見た目、そして味、と、お茶を十二分に楽しむ。
そうしている姿だと一つの商会を背負っている女性にはまるで見えなかった。
そこにいるのはお茶を楽しむ、一人の美人な若い女性でしかなかった。
そんな女性が心の底から楽しんでいる様子を見ると、淹れた俺も喜ばしく感じられるってものだ。
馬車で移動中だとはとても思えない穏やかな空間が静かに流れていく。
もちろんそんな時間がずっと続くことはない。演劇の舞台が切り替わる様に、アリシアは商会の主人の顔へと雰囲気を切り替えた。
「さて、クリスティアーノ様。なにやらトラブルが起きているようですわね」
「さすがに情報が早いな。と言っても私はまだ何が起きたのか聞かされていないのだけど」
「まったく……耳を疑うお話ですわね。トラブルの起きた町などは商人にとっては疫病の起きた町と同じくらい近づきたくない場所ですわ。下手な対処をなさったらどうなるか、ご理解なさっているのでしょうね?」
「えー、あー、はい。解決には全力を尽くす所存です。……詳細は掴んでいるのか?」
「いいえ。残念ですけどオリビア様のところで完璧に情報を止めているようですわ。オリビア様はさすがですわ」
その言い方だと俺はさすがではないようじゃないか。
もちろん口にはしないよ。返ってくるのは冷たい視線に決まってるからな!
「ただ、どうやら他領絡みでしてよ? 近隣の領主の何人かがゴールドフィールの領主館へと押しかけて来たとか」
「近隣の領主が……何人も?」
他領とのトラブルは一つでも大抵厄介なのに、それが複数とか。
実は今が夢の中、ってことはないだろうか? ないよな。帰りたぁい。
「ふふ、クリスティアーノ様たちだけで帰っていたらどうなっていたのかしら? きっととっても面倒なことになっていたでしょうね」
「……どうして楽しそうなんだよ」
ひとが面倒ごとに巻き込まれるのがそんなに楽しいか。金持ちの一番の大敵は退屈ってやつかあ? 俺もそっち側へ行きたいです。
「大商人様はお手をお貸しいただけるので?」
「必要とあれば、ですわね」
玉虫色の良いお返事、ありがとうございます。
■□
□■
「そういえばお城ではあいかわらず楽しい日々を送ってるそうですわね」
「………」
どこの誰だ、俺のネタを売ったのは? さぞかし高い値を吹っ掛けたに違いない。
「……どこの領地が良いのかしら? どこもかしこも良い条件ばかりですから迷ってしまいますわね」
「はいはい、毎日刺激的な日々を過ごさせていただいておりますよ! 刺激的すぎて頭が痛くならない日がないくらいでねっ」
「まぁ、うらやましい。クリスティアーノ様になる魔法でもあれば是非かけていただきますのに」
そんなこと言うならかけてやろうかあ? 俺になる魔法じゃなくて禁呪の方だけどな!
そのお高いお口から、もうらめぇ、とか言わせてやっても良いんだぜ? ぐっへっへ。
「………」
ごめんなさい、嘘です。
心の中を見通すような冷たい眼差しを突き刺され、俺は秒で屈服した。
「それで、その大商人の暇を慰める素晴らしい情報をお売りになりやがったのはどこのどなたですか?」
「今回はヴィクトーリア様ですわね」
……母か。そんでもって今回はっていうのが不穏だ。
まぁセイラーズ商会のアリシア・クールウェアーと言えば、どこの領地からも引く手あまたな大商会の商会長である。
本拠の誘致が成功すれば莫大な税収が得られるとなれば、何もしようとしないのはよっぽどの怠け者だけだろう。
女王たち、女王候補たち、他の貴族たちの誰もが、これまで彼女との縁を求めてきたのである。
今現在いったいどれほどの情報提供者がいるのかわかったものじゃない。
俺のネタなんて叩けば出る埃くらいの価値でしかないだろう。別に悔しくないけどな!
「ということはトラブルの情報も母から?」
「まさか。ヴィクトーリア様がそのような情報を軽々しく口になさるはずがないでしょう?」
「……そうなのか?」
あの母なら俺のネタと同レベルで話してしまいそうな気がするんだが。
いや、息子と他人ではやはり接し方も違うのかもしれないな。
けど、その割にはお友達みたいに俺の話をペラペラ喋ってるようなのはなぜだ?
俺のネタってどんだけ軽いの? ヘリウムくらい? それとも水素? 爆発しろお。
「ゴールドフィール領の情報ならおそらくヴィクトーリア様より早く手に入りますわ。土地の情報は商会の生命線ですもの」
「女王で領主の母より先とか恐ろしい話だな。オリビアは元気そうか?」
「ヴィクトーリア様の友人と言うだけあってヴァイタリティに溢れた方ですわ。もう少しこちらの都合良く動いてくださると助かるのですけど」
「領主代理を前にして何言っちゃってるんだよ? 都合よく動かそうとか。調子に乗りすぎると領主権限で全財産没収なんてことになるかもしれないなあ?」
「そうなったら戦争ですわね。領地に着いたらぜひお願いしますわ」
「ごめんなさい! 許して!」
俺は五体投地するような勢いでアリシアの足に縋り付いて許しを乞うた。
冗談なんだあ。調子に乗ってみただけなんだよおお。
「……足舐める?」
「結構ですわ。かわりに踏んで差し上げますわよ」
いっひぃぃ! ひやぁ~おお!
「クリスティアーノ様……アリシア様……」
り、リリィ!? いつの間にそこに!?
「そろそろ休息を取る時間です。みなさんに伝えてこようと思っているのですが……」
ですが……、ってその間はなに? その目は何?
見ないで! こんな私を見ないでえええ……
「リリィさん、お願いしますわ。休息が終わったらみなでクリスティアーノ様のお話をしましょうか」
この悪魔め! 俺から天使の愛を取り上げようとしているのか!?
俺の面白話なんて聞いたら、確実にリリィからの愛を失ってしまう。だって、俺のオモ城話のどこにも尊敬される要素なんて一個もないからね!
椅子の話。パシリの話。ペットの話。玩具の話。いったいどれを話したらリリィの愛を失わないで済む? 一個もあるかよおお。
リリィの目が城の女たちのようになってしまったら、きっと、俺は、死ぬ。
「はい☆ 楽しみです☆」
ああ、なんだろう、喉の奥からこみ上げてくるこれは……血?
「ラクシィ、あなたもいらっしゃい♪」
やばい。この女の下にいたら領地の前に俺の人格が崩壊するぅぅ……
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