5 アリシア・クールウェアー
「………」
女の子は少し離れたところで立ち止まると、許可を待つように動かなかった。
これは敵意などがないことを表すための当然のマナーなのだが、城でノックもしない侍女などに囲まれている俺にとっては実に新鮮だった。
見知った顔だったし、意味なく待たせるなんて意地悪をする趣味もないので、俺はすぐに馬車を降りた。
俺を守ろうとするように前に出ようとするミュールとパルフェイラを止めると、俺は少女の方に一歩前へ出て、バッと両腕を大きく開いた。カモ~~ン。
「クリスティアーノ様!」
少女はとても嬉しそうな声で俺の名を呼ぶと、勢い良く俺の胸に飛び込んできた。
俺は少女をしっかり受け止めると、子煩悩なパパさんのごとく、抱き上げてその場でくるくる回った。
ああ……なんて素晴らしい黄色い声。純粋無垢な笑顔。疲れ切った心と胃が癒され、洗われるようだ。
子供は良い。子供は良いなぁ。もう、俺、ロリコンでもいいかな、なんて。
もちろん冗談だぜ。
「……変態は死んだ方が良いと思います」
「「「死」」」
ちょっ、ちょっとちょっと、後ろの騎士さんたち! 幸せに浸っているひとの背中にぼそっと毒をぶつけないでくれる?
変態とかないから! ロリコンないからあ!
そうして、ひとしきり再会の喜びを表現した後、俺は少女を地面に下した。
俺の胸くらいの背丈しかない少女は、子犬のようなキラキラした目で俺を見上げている。
尻尾があったらファッサファッサと揺れていそうだ。
このかわいらしい女の子はリリィ。年はたしか13歳だったか?
彼女がもう少し小さかった頃からの知り合いで、どうやら今はセイラーズ商会の小間使いをしているらしい。
「リリィ、王都に来ていたんだな」
「はい☆ アリシア様がお誘いくださったんです。もしかしたらクリスティアーノ様と会えるかもしれないと……」
お、おおお、神よ! なんという、承認欲求の大盤振る舞いじゃあ! ワッショイワッショイ!
もじもじしながら恥ずかしそうにしているリリィを見て、俺のハッピーグラフの稜線は右肩爆上がりで大気圏突入だ。
「その服、セイラーズで仕事をすることにしたのか?」
我が領の誇る大商会・セイラーズ商会は見ただけで商会員であることがわかるオリジナルの制服を採用していることで有名だった。
その制服というのは義明には馴染み深い女子学生風の制服である。
夏はセーラータイプ、冬はブレザータイプと別れており、夏が訪れつつある今は上着を脱いでセーラータイプに替わる衣替えの時期だった。
今ではその制服は信頼の証にもなっていて、迷ったらセイラーズの制服の店を選んでおけば間違いない、というのが王都やゴールドフィール領での共通認識となっているほどなのだ。
「はい。でも、まだ、アリシア様から雑用のような小さな仕事くらいしか与えられていませんけど。それでその……どうですか?」
リリィは制服姿を披露するようにくるりと回って見せた。
ポニーテール。セーラー服。ふわりと舞うミニスカート。
ただの服だ。数ある服の種類の一つに過ぎないただの服。
なのに、なぜそれがこんなに尊いと感じさせられるのか。なぜこんなにも、心の奥底からこみ上げてくるものがあるというのだろうか。
なぜ、俺には、それが言語化できないんだああ!!
「リリィ、ありがとう。この言葉を君に送ろう」
「?? ありがとうございます?」
俺が言えたただ一つの言葉を聞いて、リリィは戸惑っていた。
そりゃそうだよね! 舞い上がってわけわからないことを言ってしまったが、服の感想を聞いてるのにありがとうとかないわ。
「かわいらしくて、とても似合っているよ」
あらためて言い直すと、リリィはとても喜んだ。
うんうん、やっぱり子供は良いなぁ。
「「「「死」」」」
いや、だからちゃうて。
■□
□■
「リリィさん、そろそろお仕事をするべきではありませんか?」
騎士ミュールがとても余計なことを言った。俺の癒しだって立派なお仕事ですよ!
「あ、はい。申し訳ありません、ミュールお姉さま」
リリィがすぐに謝ったが、……え、なに今の?
「ミュール……お姉さま?」
騎士ミュールとリリィが実の姉妹ではないことは確実だ。
ということは、今のお姉さまは百合チックなお姉さまぁん、ってことか!? リリィだけに!?
こ、この騎士娘、癒しの時間だけじゃなく、ひとから天使まで奪おうというのか!? 美人だからって何をしても許されると思うなよ!
月が明るい夜ばかりじゃないことを教えてやろうか? 面と向かっては絶対に言えないけどな!
「……何か?」
こわっ! 危ない、俺の悪に染まった心が伝わりかけてしまったらしい。ごまかさないと!
「ふ、二人は知り合いなのか? 前にゴールドフィール領に戻った時も騎士ミュールには護衛をしてもらったから顔くらいは合わせてただろうが、お、お姉さまなんて呼ぶような間柄になってたとは知らなかったな~」
「あ、それはその……」
え、リリィ、なにその反応……
照れたように両手をもじもじとこねくり回して、そのまま、『実は私、お姉さまにかわいがってもらっているんです』なんて言われたら頭の血管が千本くらい破裂しちゃうぞ?
「私! ゴールドフィール領の騎士団に入れていただこうと思っているんです! ミュールお姉さま方にはそれで色々とお話を聞かせていただいてて」
「……は? え? なんで?」
リリィが騎士に? このままセイラーズ商会で働くんじゃないのか?
いや、そんなことよりリリィが騎士なんて! リリィまでが彼女たちみたいになったら俺の癒しはどうなるんだ!? 胃に穴が開くどころか全溶しちゃう! 絶対に止めなければ!
「私、クリスティアーノ様の騎士になっておそばにいたいんです!!!」
「!!!」
リンゴーン リンゴーン
空から天使の梯子が降り、金色の光が俺を照らした。
チャペルのカリヨンが鳴り響き、世界が俺を祝福する。
ハレールヤ。
この世のすべての幸福が今、俺の元へと集った。
………
「は!」
やばい。衝撃的すぎて昇天しかけていた。
変なナレーションのようなものと鐘の音が、頭の中で聞こえていたような気がする。
騎士になるのを止める? その必要はないだろう。リリィが彼女たちのようになるはずがないのだ!
18歳と13歳……ありだな。
「……変態は」
「それじゃ行こうかあ! アリシアに言われて呼びに来たんだろう!」
みなまで言わせず、俺はリリィを促して一番大きな馬車の方へと向かった。
■□
□■
「遅い! ですわね」
あー、なんか聞いたことがあるフレーズ。ヘレンアティスを思い出すなぁ。
セイラーズ商会の大馬車に招かれ、高級マンションのリビングみたいな車内に足を踏み入れて開口一番に聞かされたのがこれだった。
馬車の中にいたのはセーラー服を着た二人の女性だ。
そのうち文句を言ったのがセイラーズ商会の若き女商会長、アリシア・クールウェアーである。
女子大生みたいな見た目の大人びた彼女がセーラー服を着ていると、義明感覚ではコスプレ感を覚えずにはいられないが、一枚の服と考えると清楚な雰囲気のお嬢様に見えなくもない。
ファーたっぷりの扇子を片手に持ち、こちらに不機嫌そうな表情を見せる姿は、マリーアネットの高飛車な雰囲気を想起させる。
こんな若さで商会のトップなんて張ってることから想像できる通り、かなり我の強い女性である。
「………」
もう一人の静かに目で俺を非難している女性が、セイラーズ商会の秘蔵っ子、俺の馬車や魔法ペンなどを開発した天才魔道具発明家、ラクシィ・ムーンである。
彼女もまたアリシアと近い大人びた見た目をしているのだが、金髪のアリシアと違って黒髪のラクシィのセーラー服姿は、普通に女子学生と見ても違和感がない。真面目な美人生徒会長、という趣きである。
彼女は三度の飯より魔道具開発が好きで、時間を無駄にするのが嫌いなせっかちな女性である。
つまり、めっちゃ怒ってます。
というか、いやいや。
それ以前に、王子であるこの俺を呼びつけるとは何事か! そちらがこちらに来て、平身低頭して声がかかるのを待つのが当然の態度だろう?
それを言うに事欠いて遅いと文句まで垂れるとは……この無礼な平民どもが!
……なんてね。
もちろんそんなこと思いませんよ。俺くらい大きな器の持ち主ともなれば、呼びつけられたくらいじゃ怒りの種火にすらなりませんよ。
………
いやいや、本当に。内心でハラワタ煮えくり返ってるなんてこともない。呼びつけられたって本当になんとも思ってないぞ?
なんなら足を舐めろと言われたら喜んで舐めちゃうまである俺である。
これぞ金色パワー。この方々はゴールドフィール領の税の二割にもなる金額を納めていただいている大商人様と大発明家様なのだ。
彼女たちが本拠を別の領に移すなんてことになればゴールドフィール領の損失は二割どころでは収まらない。
五割、六割……それはもはや経済の崩壊、領政の崩壊まで招きかねないのである。
俺は王子として、領主代理として、断固たる決意をもって、彼女たちには媚びへつらうのだ! ペロペロでもペコペコでもどんと来いさー。
「アリシア様、申し訳ありません。私がクリスティアーノ様とお話しさせていただいていたので……」
「ああ、リリィさんは気にしなくてよろしいですわ。どうせクリスティアーノ様が飼い主に久しぶりに会った犬みたいにリリィさんにまとわりついていたのでしょう?」
くっ……否定したいのに否定できない俺がいる!
でもしかたないじゃないか! 砂漠で丸一日水が飲めなかった時にオアシスを見つけたら、我を忘れて飛び込んでしまうものだろう?
日々の生活に疲れ果てていた時に天使と出会ったら、現実を忘れて戯れてしまうのが普通の人間ってものだ!
……それにしても言い方ひどくない? せめて人間扱いをお願いします。
「クリス様、馬車の使い心地はどうだった? 何か問題はなかった?」
ラクシィが待ちきれなかったように俺たちの間に割って入って聞いてきた。
前に言った通り俺のハイテク馬車は安全性のテストのために彼女から預けられたもので、魔道具大好き、開発大好き、な彼女は使用感が聞きたくてしかたなかったようだ。
しかし、とても残念なことなんだが……
「あー、いや。実はあの馬車を使ったのは今日が初めてで……」
めんごめんご、と心の底から謝ったのだが、返ってきたのはラクシィの無表情だった。
「……役立たず。役立たず役立たず役立たず役立たず役立たず役立たず役立たず」
役立たずと平坦な声で連呼しながら、丸めたぐーが俺の胸をぽかぽかと殴る。
ぽかぽかぽかぽか
ぼかぼかぼかぼか
どすどすどすどす
「ま、待て! 死ぬ! 死ぬわ!」
最後の方はもうハンマーで殴られているかのような衝撃だった。肉体強化魔法がなかったら、かめはめ波食らったみたいに胸に穴あいてたぞ。
「今回の帰領で使ってレポートにするつもりだったんだ。すまないが今日は諦めてくれ」
「むー……」
ラクシィは不機嫌そうに唸ると、奥のカーテンの仕切りの向こうへと引っ込んでしまった。これはあとで色々と面倒そうだな。
いや、面倒というより実験台というか人体実験の被験者というか。
生きて城に帰れると良いんだけど……
「リリィさん、みなに出発の準備をするよう伝えてきていただける?」
「かしこまりました」
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