第2話 負け組★○○が逆転した世界



 俺の第二の人生は勝ち組。もう幸せな未来しか思い描けなかった。


(そんな風に思っていた時期もあったなぁ…)


 青空と山と湖と緑。

 国の名の由来であり、国民の自慢でもある大湖を中心とした美しい景色を眺めながら、俺はふと思い出した過去を無感動に頭の中で思い流した。


(物心ついて義明だった自分を思い出してから少し過ぎた頃だったっけ……もう十年以上も前の話か。思えば俺も若かったもんだ。ははは…)


 勝ち組。幸せな未来。

 今となっては乾いた笑いしか出やしない。

 なんせ今の俺は勝ち組でもなければ幸せでもないのだ。そんでもってこの先もどうなるかわからない、お先真っ暗って状態だった。


「あら、クリスじゃない。あいもかわらず冴えない顔ね?」


 実に楽しげな声で嫌味を背中にぶつけられて、俺は冴えない顔を向けた。

 そこに立っていたのは、お姫様みたいな綺麗なドレスを着た、愛らしい顔の美少女だった。

 まぁ「お姫様みたいな」ではなく、正真正銘のお姫様なんだけどな。

 マリーアネット・アクアレイク。

 この国の王女であり、俺の従姉妹でもある。

 性格は勝気で高慢。今も少し胸を反らし気味にして、俺を見下ろすような姿勢で見ている。なかなかある胸の谷間が素晴らしいが、そんなことを喜んでいる場合じゃない。

 この女こそ今の俺を憂鬱にする一番手なのだから。


「クリス、私、少し疲れてしまったわ」


 マリーアネットが突然そんなことを俺に訴えてくる。

 突然だが、俺にとっては日常だ。どうしてそんなことを言い出したのか理由はわかっていたが、俺のプライドが無視することを求めた。

 けれど、マリーアネットが許すはずもない。ずいっと一歩近づいてくると、念入りに俺の肌に塗り込むように言葉を繰り返した。


「私、疲れてしまったのだけど?」

「く……」


 俺は歯を食いしばって悔しさを噛み潰すと、諦めて四つん這いに――椅子になった。


「クリス、褒めて差し上げるわ。貴方って最高の椅子よ」


 あゝ、お尻がやわらかくて心地いいなぁ。……なんて現実逃避してる場合じゃない。

 とはいえ、現実逃避以外できることもなかった。

 これは俺にとっての日常なのだ。マリーアネットに会ってしまった瞬間、人から椅子にチェンジするのが俺の運命なのである。


「私の役に立てるなんてなんて光栄なことなのかしら。ねぇ、そう思わない?」

「………」

「お・も・わ・な・い?」

「お、おもいます……」


 うぐぐぐぐ……屈辱で頭の血管がブチ切れそうだった。

 けれど我慢するしかない。逆らってもどうにもならないと思い知らされるだけだし、助けてくれる誰かが現れるわけもないからだ。


 ここはアクアレイク城の通路だ。俺が椅子にされてる間、貴族や使用人が何人も通った。

 貴族の子女は俺を見て余興を眺めるような顔で笑い、メイドはこっそりと嘲笑う。

 男は貴族も下男も巻き込まれたくないとばかりに誰もが目を反らして足早に去っていった。


 まぁいつものことだ。そのことに今さら浮かぶ思いなど何もない。

 マリーアネットも王女だから暇じゃないのだ。一秒でも早くタイムリミットが来て、いなくなってくれるのを待つだけだ。

 しかし、そこにマリーアネットの行いを咎めるような言葉をぶつけてくる者が現れた。


「マリーアネット、貴女はまたクリスにそんなことをして……」


 俺のお尻側の方向から来たので姿は見えなかったが、声でわかる。

 それは俺にとっての救世主、ではなく、俺の憂鬱その2だった。


「あら、ディーアモーネ。そんなことってなんのことかしら? 私は少し疲れてしまったから休んでいるだけよ?」

「私は無意味な会話に付き合う気はないわ。いいからすぐにクリスをよこしなさい。少し必要なの」

「お断りするわ。私はもう少し休んでいたいの」


 俺の意思を無視した会話が進むうちに、その姿が視界に入ってきた。


 強気な命令口調からは想像できないような、全体的に小柄でほっそりとした、一見気の弱いお姫様然とした少女。背筋を伸ばし、楚々とした佇まいは育ちと品の良さを感じさせる。甘い声質と見た目は俺のイメージするお姫様オブお姫様といっても良いだろう。

 それがディーアモーネ・アクアレイク。第1位女王候補のお姫様であり、これまた俺の従姉妹だった。


 だが、セリフからわかるように見た目通りの性格ではない。マリーアネットよりもよっぽど苛烈なのだ。

 それを表すようにディーアモーネはいきなり脚を跳ね上げた。マリーアネットが避けなければ首を刈り飛ばすような蹴りだ。

 ディーアモーネはそのまま流れるようにくるりと回り、逆足の踵をマリーアネットのお尻から解放された俺の脇に引っ掛けて器用に立ち上がらせ、所有権を主張するよう俺の手首を掴んだ。

 だが、ほぼ同時にマリーアネットも私の椅子を渡すかとばかりに俺の逆手首を掴んでいた。


 その状態になった瞬間、俺は頭の中で悲鳴を上げた。助けて、大岡越前!!!

 しかし、残念なことにこの世界に大岡越前はおらず、母親ならぬ二人の従姉妹は俺の体を使って綱引きを始めたのだった。……いつものように。


「マリーアネット、その手を放しなさい」

「いやよ。そっちが放したら?」

「疲れてるのではなかった? 今すぐ自室にでも戻ればいいわ」

「ここでもう少し休んだら戻るわ」

「さ、裂ける! 裂けるってっっっ!!」


 俺は本気で体が裂けそうになる恐怖を感じ、思い切り悲鳴を上げた。


 大の男が二人相手とはいえ同年代の少女に引っ張られて悲鳴を上げるなんて情けない、と思うかもしれないが、この状態が表わす事実こそが俺にとっての最大の不幸なのである。

 俺は今、本気でこの状態から抜け出そうと体を動かそうとしていた。けれど、掴まれた二本の腕はびくとも動かない。少女二人の腕力が強すぎるせいで、だ。


 そしてそれは、この二人の少女に限った話じゃなかった。

 この城にいる全員だけ見ても俺より力の弱い女……いや男より力の弱い女は誰もいないのである。

 そう、つまり、このクリスティアーノの世界は女が強く、男がか弱い世界なのだ。

 女が中心となって社会を動かす。それが常識の世界なのだった。


 この世界にとって『王子』というのは隣国か有力貴族のもとへ婿に行かせられる政治の道具くらいの存在でしかないのであった。どなどな。



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